黙示録
11:1 それから、杖のような測り竿が私に与えられて、こう告げられた。「立って、神の神殿と祭壇と、そこで礼拝している人々を測りなさい。
11:2 神殿の外の庭はそのままにしておきなさい。それを測ってはいけない。それは異邦人に与えられているからだ。彼らは聖なる都を四十二か月の間、踏みにじることになる。
杖のような測り竿が与えられました。立てと命じられました。行動を促す命令です。そして、直ちに測るように命じられました。そして、神殿の外の庭は、必ずそのままにしておき、測らないように命じられました。
神の神殿とそこで礼拝している人々を測ることは、神のものとしてのそれらを測ることを表しています。神殿の外の庭は、異邦人に与えられているという理由で測らないからです。「神の神殿」と記され、神殿が神のものであることが強調されています。エゼキエル書で神殿が測られた時、その寸法は、主イエス様の栄光を表しています。神の神殿は、主イエス様の絵は意向を表しており、神の神殿とその聖さを認め礼拝する人々は、いかに神の御心に適っているかが評価されます。
神殿の外の庭は、異邦人に与えられていました。そこは聖なる都ですが、四十二か月の間踏みにじられます。四十二は、人の支配を表す数字です。
11:3 わたしがそれを許すので、わたしの二人の証人は、粗布をまとって千二百六十日間、預言する。」
そして、わたしが、わたしの二人の証人に必ず委ねる。彼らは、必ず、千二百六十日間予言する。
この期間は、一月を三十日とするイスラエルの暦によれば、先の異邦人が聖なる都を支配する期間の四十二か月と同じです。こちらは、日数で語られていますので、預言が毎日行われることを表しています。
・「許す」→何かまたは誰かを他者に与える、授ける、授与する、届ける、委ねるという行為を表す。
11:4 彼らは、地を治める主の御前に立っている二本のオリーブの木、また二つの燭台である。
この記述は、ゼカリヤ書の引用です。
ゼカリヤ書
4:14 彼は言った。「これらは、全地の主のそばに立つ、二人の油注がれた者だ。」
このオリーブの木は、二人の油注がれた者です。全地の主の傍に立つと言われましたので、これが地のことに関係していて、そこに置かれた油注がれた者を表していることが分かります。これは、示されいる一連の幻の中で取り上げられている二人の人物ゼカリヤとヨシュアのことです。彼らをとおして聖霊が働かれ、事をなすことを示しています。ゼルバベルへの言葉がそのことをよく表しています。主の霊によって事がなることが、油が燃えることによって表されています。
燭台は、二つの比喩から構成されています。一つは、主の目として御心に敵ったものを照らし出すあかりです。もう一つは、聖霊の働きによって栄光が現される事です。
幕屋の燭台も、二つの面があります。一つは、純金の燭台は、油がともされました。それは、聖霊によって栄光を現された主イエス様を表しています。主イエス様は、聖霊に満たされて、事を行い、栄光を現されました。それと共に、その燭台は、幕屋の中の物を照らすものでした。机や香の壇を照らし出しました。それらは、主イエス様の栄光を表すものでした。神様は、それを高く評価されて照らし出されるのです。
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11:5 もしだれかが彼らに害を加えようとするなら、彼らの口から火が出て、敵を焼き尽くす。もしだれかが彼らに害を加えようとするなら、必ずこのように殺される。
もし、彼らに害を加えようとするなら、彼らの口から火が出て、敵を焼き尽くす。火は、評価を表します。彼らは、彼らに害を加えようとする者を、そのことが行われる前に、評価します。そして、処罰として、敵は、殺されるのです。彼らには、即座に人を裁いて、処罰する権威が与えられます。
11:6 この二人は、預言をしている期間、雨が降らないように天を閉じる権威を持っている。また、水を血に変える権威、さらに、思うままに何度でも、あらゆる災害で地を打つ権威を持っている。
二人には、預言している期間、天を閉じる権威を持ち、それで、彼らの予言の期間、雨は全く降らない。また、水に対して、これを血に変える権威と、思うままに何度でも、あらゆる災害で地を打つ権威を持っている。
権威は、神からのものです。雨を与えないのは、人々が実を結ばないことに対する裁きを表していて、雨は、御言葉の比喩です。実を結ばないので、もはや実を結ぶための御言葉は、取り去れられるのです。
水は、御言葉の比喩です。血は、いのちを表していますが、外に現れた時、死を意味します。いのちを与える水を、血に変えることで、死をもたらすのです。それは、御言葉を受け入れていのちを得ることをしない者に対する裁きとなっています。地を打つ災害は、裁きを表しています。天のものを求めない彼らに対する裁きなのです。
11:7 二人が証言を終えると、底知れぬ所から上って来る獣が、彼らと戦って勝ち、彼らを殺してしまう。
そして、二人が証言を終えた時、必ず、獣がアピィソウから上って来て、彼らと戦い、彼らを打ち負かし、そして、彼らを殺す。
彼らの役割は、証言です。それが終えた時、神様は取り去られます。そこ知れぬ所から上って来る獣に許されるのです。彼らの働きは、この地では何も報いられないのです。
11:8 彼らの死体は大きな都の大通りにさらされる。その都は、霊的な理解ではソドムやエジプトと呼ばれ、そこで彼らの主も十字架にかけられたのである。
彼らは、主と同じ道を辿ったことが証しされています。そこは、エルサレムですが、霊的な理解では、ソドムやエジプトであり、堕落した世界を表し、この世を表し、罪の奴隷の世界を表しています。
11:9 もろもろの民族、部族、言語、国民に属する人々が、三日半の間、彼らの死体を眺めていて、その死体を墓に葬ることを許さない。
あらゆる属性に属する人々が、三日半の間彼らの死体を眺めます。死体は、その間、葬られることがありません。
11:10 地に住む者たちは、彼らのことで喜び祝って、互いに贈り物を交わす。この二人の預言者たちが、地に住む者たちを苦しめたからである。
血に住むものたちは、彼らのことで喜び祝って、互いに贈り物を交わします。苦しみから解放されたからです。
11:11 しかし、三日半の後、いのちの息が神から出て二人のうちに入り、彼らは自分たちの足で立った。見ていた者たちは大きな恐怖に襲われた。
11:12 二人は、天から大きな声が「ここに上れ」と言うのを聞いた。そして、彼らは雲に包まれて天に上った。彼らの敵たちはそれを見た。
三日半の後に、彼らは、神からのいのちの息が入り、立ち上がります。彼らは、天からの声に従い、雲に包まれててんにに上りました。これも、主のよみがえりと同じものになっています。彼らは、身をもってキリストを証ししたのです。
11:13 そのとき、大きな地震が起こって、都の十分の一が倒れた。この地震のために(人の名)七千が死んだ。残った者たちは恐れを抱き、天の神に栄光を帰した。
異邦人の支配下にあった都は、地震によってその十分の一が倒れました。それは、神に背く異邦人の支配に対して、神がこれを揺り動かされ、価値のないものとされました。十分の一は、全体を表しています。それが倒れたことで、神の前に価値のないものとして全てが打ち倒されたことを表しています。
人の名、七千が殺されたことは、全て死んだことを比喩的に表しています。彼らは、死んでいたのです。七は、完結した完全さを表し、千は、完全な全体性を表し、人の名の全てが死んだことを比喩として表しています。人の名は、人の行いを表しています。彼らの業のすべては、神の前に死んでいたのです。
ただし、実際は、残った者たちがおり、彼らは、恐れを抱き、天の神に栄光を帰しました。
・「十分の一」→全体を代表する最初の部分。
・「七」→完全さ。神の完全で完結した御業。
・「千」→完全な全体性。
11:14 第二のわざわいが過ぎ去った。見よ、第三のわざわいがすぐに来る。
11:15 第七の御使いがラッパを吹いた。すると大きな声が天に起こって、こう言った。「この世の王国は、私たちの主と、そのキリストのものとなった。主は世々限りなく支配される。」
これは、新天新地における支配です。私たちの主とは、父なる神のことです。そのキリストは、イエス・キリストのことです。「この世の王国は、私たちの首都、そのキリストのものとなった。」これは、宣言です。実際に、この地の王国が完全にその方のものとなるのは、千年王国の最後の反逆の後のことです。「主は、世々限りなく必ず支配される。」この「支配する」は、未来形で記されていて、将来のことです。
11:16 すると、神の御前で自分たちの座に着いていた二十四人の長老たちが、ひれ伏し、神を礼拝して言った。
11:17 「私たちはあなたに感謝します。今おられ、昔おられた全能者、神である主よ。あなたは偉大な力を働かせて、王となられました。
ここでは、父なる神が王になることが記されいます。千年王国の終わりまでは、キリストが王です。そして、万物が従わせられた時、ご自分は父なる神に従われます。父なる神が王になることは、これが千年王国の後であることを表しています。
ですから、この記事は、時系列に沿って記されているのではなく、主題に沿って記され、御使いの賛美も、主題に沿ったものです。父なる神が王になることは、ずっと先のことです。ここでは、二人の証人が迫害によって殺された記事を受け、神の裁きがあることを示しています。
コリント第一
15:24 それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、王国を父である神に渡されます。
15:25 すべての敵をその足の下に置くまで、キリストは王として治めることになっているからです。
15:26 最後の敵として滅ぼされるのは、死です。
15:27 「神は万物をその方の足の下に従わせた」のです。しかし、万物が従わせられたと言うとき、そこには万物をキリストに従わせた方が含まれていないことは明らかです。
15:28 そして、万物が御子に従うとき、御子自身も、万物をご自分に従わせてくださった方に従われます。これは、神が、すべてにおいてすべてとなられるためです。
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11:18 諸国の民は怒りました。しかし、あなたの御怒りが来ました。死者がさばかれる時、あなたのしもべである預言者たちと聖徒たち、御名を恐れる者たち、小さい者にも大きい者にも報いが与えられる時、地を滅ぼす者たちが滅ぼされる時です。」
白い御座での裁きは、王となられた父なる神による裁きです。それは、死者が裁かれるときです。また、そこでは、神のしもべである預言者、生徒たち、御名を恐れる者たち、小さいものにも、大きい者にも報いが与えられるときです。
死者は、神を信じない人々のことを指していて、迫害によって一時的な勝利を得たとしても、神によって永遠の滅びに入ることが示されています。そして、主を信じた者たちには、小さい者から大きい者まで、全て報いが備えられていることを示し、励ましています。
また、地を滅ぼす者たちは、本来神の支配にあるべき地を、彼らは滅ぼしたのです。自らの教えによる行動と、他の人を神の教えから離すことで、滅ぼしたのです。自ら神の御業を破壊し、滅ぼしたのです。それで、滅ぼされるのです。
黙示録
20:11 また私は、大きな白い御座と、そこに着いておられる方を見た。地と天はその御前から逃げ去り、跡形もなくなった。
20:12 また私は、死んだ人々が大きい者も小さい者も御座の前に立っているのを見た。数々の書物が開かれた。書物がもう一つ開かれたが、それはいのちの書であった。死んだ者たちは、これらの書物に書かれていることにしたがい、自分の行いに応じてさばかれた。
20:13 海はその中にいる死者を出した。死とよみも、その中にいる死者を出した。彼らはそれぞれ自分の行いに応じてさばかれた。
20:14 それから、死とよみは火の池に投げ込まれた。これが、すなわち火の池が、第二の死である。
20:15 いのちの書に記されていない者はみな、火の池に投げ込まれた。
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十二節には、いのちの書に記されていることがに従い、裁かれます。彼らは、報いを受けるのです。十三節以降に記されている人々は、いのちの書に記されていない人々であり、火の池に投げ込まれます。
11:19 それから、天にある神の神殿が開かれ、神の契約の箱が神殿の中に見えた。すると稲妻がひらめき、雷鳴がとどろき、地震が起こり、大粒の雹が降った。
「契約の箱」が示されたのは、全てが神の言葉によることを示すため。彼らの救いは、契約にかかっていることを示すため。
次に、稲妻がひらめきました。神の評価を表しています。そして、雷鳴は、天からの語り掛けです。いわば裁きの宣言です。地震は、揺り動かされないものが残るための評価です。大粒の雹は、打ち砕くためです。神の言葉に対する高慢を打ち砕くのです。それは、裁きを表しています。