黙示録10章
10:1 また私は、もう一人の強い御使いが、雲に包まれて天から下って来るのを見た。その頭上には虹があり、その顔は太陽のよう、その足は火の柱のようで、
10:2 手には開かれた小さな巻物を持っていた。御使いは右足を海の上、左足を地の上に置いて、
10:3 獅子が吼えるように大声で叫んだ。彼が叫んだとき、七つの雷がそれぞれの声を発した。
「もう一人の御使い」は、第六のラッパを吹き鳴らした御使いやその時解き放たれた四人の御使いとは異なる別の御使いです。彼は、強い御使いと表現されています。この御使いも、主イエス様の栄光を表しています。事は、御使いによって進められますが、その権威は、主イエス様によります。強いことは、主イエス様の権威の大きさを表しています。
頭上に虹があったことは、このかたによる新しい契約を表しています。ノアの時に、虹が示されて、それがもはや洪水によって地を滅ぼすことがない契約のしるしでした。それは、神の定めによります。全焼のいけにえを受けられた時、なだめの香りを嗅がれ、神が定められたのです。それは、イエス様のゆえに神が満足され受け入れられることを表しています。
顔が太陽のようであることは、イエス様に関して幾度も示されていることですが、真理の光を現されるイエス様の栄光です。詩篇十九篇には、太陽は、御言葉を与える方の比喩になっています。
手に持っている小さな巻物は、御言葉の比喩です。ヨハネは、後にそれを食べるのですが、食べられる大きさです。それは、受け入れることが可能な御言葉であることを表しています。
その右足が置かれた「海」は、神に反抗する者たちのことを表しています。左足が置かれた「陸」は、御言葉を受け入れる者たちを表しています。そのどちらに対しても。真理の光は示されるのです。
獅子のような大声は、支配者としての権威による言葉を表しています。その言葉は、世界を治める王としての権威を持っています。
七つの雷がそれぞれ声を発しました。雷は、神の言葉の直接的な語り掛けの時に声を発します。
10:4 七つの雷が語ったとき、私は書き留めようとした。すると、天からの声がこう言うのを聞いた。「七つの雷が語ったことは封じておけ。それを書き記すな。」
七つの雷が語ったことは、封じられました。その時まで明らかにされることはありません。
10:5 それから、海の上と地の上に立っているのを私が見たあの御使いは、右手を天に上げ、
10:6 天とその中にあるもの、地とその中にあるもの、海とその中にあるものを造って、世々限りなく生きておられる方にかけて誓った。「もはや時は残されておらず、
10:7 第七の御使いが吹こうとしているラッパの音が響くその日に、神の奥義は、神がご自分のしもべである預言者たちに告げたとおりに実現する。」
その御使いは、誓いをもって宣言しました。それは、預言者の語った「神の奥義」が必ず実現するということです。ここでも、御言葉の成就ということが語られています。
10:8 それから、前に天から聞こえた声が、再び私に語りかけた。「行って、海の上と地の上に立っている御使いの手にある、開かれた巻物を受け取りなさい。」
天から声が聞こえ、ヨハネに話しかけました。行きなさい、と命じ、御使いの手から、開かれている巻物を直ちに受け取るように命じられました。
10:9 私はその御使いのところに行き、「私にその小さな巻物を下さい」と言った。すると彼は言った。「それを取って食べてしまいなさい。それはあなたの腹には苦いが、あなたの口には蜜のように甘い。」
御使いに求めると、彼は言いました。直ちにそれを取って食べなさいと命じました。それは、あなたの腹には、必ず苦くなるが、あなたの口には、必ず蜜のように甘いと。
10:10 そこで、私はその小さな巻物を御使いの手から受け取って食べた。口には蜜のように甘かったが、それを食べてしまうと、私の腹は苦くなった。
ヨハネはそれを受け取り、食べました。口には蜜のように甘かったが、腹には苦いものでした。それは、巻物であり、御言葉が記されているのです。彼にとっては、神の言葉の全ては、蜜のように甘いのです。
箴言
16:24 親切なことばは蜂蜜。たましいに甘く、骨を健やかにする。
・「親切な」→ギリシア語の「恵み」に相当。神が好意によって備えた祝福で、信仰によって獲得できる。
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親切な言葉と訳されている語は、神からの恵みの言葉です。それは、人間的に良いことだけでなく、試練や忍耐についても語られる言葉です。それは、その言葉に従って生きる魂にとって蜜のように甘いのです。ヨハネは、その甘さを味わいました。それは、骨として示されているその人の持つ教えを健やかにします。すなわち、その人の行動や判断の基準になる教えが神の言葉に整合するようになり、御心を行うことができるように健全さが与えられるのです。
それと共に、それが腹に苦くなったように、ここには神の裁きが記されていました。人々の悪と裁きです。それは、苦いものです。
10:11 すると私はこう告げられた。「あなたはもう一度、多くの民族、国民、言語、王たちについて預言しなければならない。」
そして、彼は、もう一度全ての人に預言するように命じられています。時が伸ばされることがない最後の時の預言です。すべての人に対する言葉であり、神の言葉に従わない人々に対しては強い警告となります。神の言葉に従う人々に対しては、ますます聖くなるための教えとなります。彼は、まずその言葉を食べて自分のものとしたのです。自分のものとして味わったのです。そのうえで、語るように命じられたのです。
今日、私たちが御言葉を取り継ぐ時、それは、まず自分自身のものとなっていなければならないのです。教えは、言葉と模範です。自分が聞き従っていないならば、その言葉には力がありません。