詩篇146篇

146:1 ハレルヤ。わがたましいよ主をほめたたえよ。

 ハレルヤは、主を褒め称えよという意味です。それは、たましいに呼びかけられています。その賛美は、たましいが経験したことに基づいています。たましいは神の言葉に従う座です。そのたましいの経験は、五節に記されています。神を助けとし、主に望みを置くことです。それに対して応えられたのです。それで、主を褒め称えるのです。

146:2 私は生きているかぎり主をほめたたえる。いのちのあるかぎり私の神にほめ歌を歌う。

 神への賛美は、一生のものです。彼の目を他に向けさせるものはありません。

146:3 あなたがたは君主を頼みとしてはならない。救いのない人間の子を。

 彼の経験に基づき、主が助けであり望みであるので、人の間で最も力ある君主であったとしても、頼みとしてはならないのです。彼らは、人間の子であり、救いがないのです。

146:4 霊が出て行くと人は自分の土に帰りその日のうちに彼の計画は滅び失せる。

 人の子とは、霊が出て行くと土に帰る存在であり、彼の計画は、その日のうちに滅び失せるのです。

146:5 幸いなことよヤコブの神を助けとしその神主に望みを置く人。

 幸いなのは、神を助けとし、主を望みとする者です。ヤコブの神という表現は、弱さを持った信者にとっての神ということです。助けを求める弱い状態にあるからです。その神を「主」と言い表しています。主は、存在者のことであり、その名はモーセに宣言されたように契約の履行者を表しています。

146:6 主は天と地と海またそれらの中のすべてのものを造られた方。とこしえまでも真実を守り

146:7 虐げられている者のためにさばきを行い飢えている者にパンを与える方。主は捕らわれ人を解放される。

 その主は、天と地と海とその中の全てのものを造られた方です。その力の偉大さが示されています。その方に頼ることができるのです。

 そして、裏切ることがない方です。永久に真実を守る方です。

 そして、虐げられている者のために裁きを行う方であり、一人一人を顧みられる方であるのです。

146:8 主は目の見えない者たちの目を開け主はかがんでいる者たちを起こされる。主は正しい者たちを愛し

 主は、目の見えない者たちの目を開けられます。これは、主が光としての御言葉を与えることを表しています。かがんでいる者たちは、主の前に謙って身を低くしている人たちのことです。主の助けを待っているので、かがんでいるのです。そのような人たちを起こされます。主は、正しい人を愛されます。

146:9 主は寄留者を守りみなしごとやもめを支えられる。しかし悪しき者の道は主が曲げられる。

 主は、寄留者を守られます。その土地の人から受け入れられなくても守られます。孤児とやもめは力ない者たちです。主は、彼らを支えられます。

 悪しき者に対しては、その道を曲げられます。悪しき者を正すのではなく、もっと悪い方に道を曲げられるのです。これは、裁きです。

146:10 主はとこしえに統べ治められる。シオンよあなたの神は代々に統べ治められる。ハレルヤ。

 このようにして主は、統べ治められるのです。その方に信頼すること、また、望みとすることほど確かなことはありません。その統治は、永遠です。その方を褒め称えるのです。

▪️かがんでいる

詩篇

57:6 彼らは私の足を狙って網を仕掛けました。私のたましいはうなだれています。彼らは私の前に穴を掘り自分でその中に落ちました。セラ

・「うなだれています」→ひれ伏しています。

詩篇

145:14 主は倒れる者をみな支えかがんでいる者をみな起こされます。

 かがんでいることは、主の前に謙り、主に求めているからです。

イザヤ書

58:5 わたしの好む断食、人が自らを戒める日とは、このようなものだろうか。葦のように頭を垂れ、粗布と灰を敷き広げることなのか。これを、あなたがたは断食と呼び、主に喜ばれる日と呼ぶのか。

・「頭を垂れ」→かがむ。ひれ伏す。

ミカ書

6:6 何をもって、私は主の前に進み行き、いと高き神の前にひれ伏そうか。全焼のささげ物、一歳の子牛をもって御前に進み行くべきだろうか。

→ひれ伏す。礼拝の行為。