詩篇136篇

136:1 主に感謝せよ。(なぜならば)主はまことにいつくしみ深い。(なぜならば)主の恵みはとこしえまで。

 「感謝せよ」と記されていますが、この詩の内容から、「褒め称えよ」とすることが適切です。「主:ヤウェ」の前置詞は、「~に関し、~について」となっており、「主に対して」の意味ではありません。

 主を褒め称えるは、主が目に適った良いことをされるからです。さらに理由が示されています。それは、主が契約を忠誠をもって果たされることは、永遠のことであるからです。

 主を褒め称える理由が、主が御心に適ったことをされることに向けられています。感謝とした場合、人の幸いということが中心になりますが、そうではないことがわかります。これは、高度なことです。

 主は、御心の実現を永遠にまで果たされます。その主を褒め称えるのです。

・「感謝する」→感謝する。褒め称える。告白する。

・「いつくしみ深い」→良い。主の目に適っている。

・「恵み」→恵みは、人との関係においては、契約を忠誠をもって果たすことを意味します。この詩では、その意味は、さらに広いことがわかります。それは、ご自身の摂理すなわち計画や御心の実現を何一つ欠けることのないものとして実現することを表しています。

136:2 神の神であられる方に感謝せよ。(なぜならば)主の恵みはとこしえまで。

 神の神であることは、ご自分の御名の確立ということに基づいています。人とは関わりなく、ご自分の栄光を打ち立てられる方です。恵みと訳されていますが、人とは関わりありません。

 その神の神である主を褒め称えるのです。「交わり→完全さ」の捧げ物(新改訳2017)として感謝の捧げ物が捧げられることがありますが、その感謝は、この詩のような高度な感謝です。

136:3 主の主であられる方に感謝せよ。(なぜならば)主の恵みはとこしえまで。

 その方は、主の主です。それゆえ、主を褒め称えるのです。主の偉大さだけを覚えて主を褒め称えるのです。人の何かが入る余地はありません。主が主の主としてご自分の偉大さを現されることが主の計画であり御心なのです。それに適ったことを実現されて、主の主としての御名を現されたので主を褒め称えるのです。

136:4 ただひとり大いなる不思議を行われる方に。(なぜならば)主の恵みはとこしえまで。

 大いなる不思議を行うことができる方は、ただ一人です。そのようにしてご自分の栄光を現されます。神の栄光の現れのために全ては計画され、実現されていくのです。その主を褒め称えます。

 この節には、「感謝」の語がありません。それで、三節と組になっていることが分かります。主の主であることは、ただ一人不思議を行われることで現されたのです。

136:5 英知をもって天を造られた方に感謝せよ。(なぜならば)主の恵みはとこしえまで。

136:6 地を水の上に敷かれた方に。(なぜならば)主の恵みはとこしえまで。

136:7 大きな光る物を造られた方に。(なぜならば)主の恵みはとこしえまで。

136:8 昼を治める太陽を。(なぜならば)主の恵みはとこしえまで。

136:9 夜を治める月と星を。(なぜならば)主の恵みはとこしえまで。

 五節から九節は、一つのまとまりになっていて、五節の「感謝」は、九節まで、かかっています。

 天地は、英知をもって造られました。そのことのゆえに主を褒め称えるのです。英知は、神の摂理すなわち計画の通りに実行する分別です。神は、御心のままに事を行いますが、初めからの計画に基づいて事は行われます。その計画は、永遠の先までも聖書に記されています。その理由として示されている「恵み」は、御心を忠誠をもって果たされることを表しています。計画されたことを確実に実行されて果たされるのです。

 具体的には、地を水の上に置かれました。世界は、水で覆われていました。そこに、陸を造られたのです。

 大きな光る物は、太陽と月です。太陽は、昼を治め、月は、夜を治めます。

・「英知」→神の摂理すなわち計画の通りに実行する分別。

136:10 エジプトの長子を打たれた方に感謝せよ。(なぜならば)主の恵みはとこしえまで。

 そして、ここからは、イスラエルとの関係で記されています。エジプトにおいては、その長子を打たれました。それも、神の計画によることであり、それを確実に果たされたのです。

136:11 主はイスラエルをその地から導き出された。(なぜならば)主の恵みはとこしえまで。

 主は、イスラエルをエジプトの地から導き出されました。

136:12 力強い御手と伸ばされた御腕をもって。(なぜならば)主の恵みはとこしえまで。

 そのために力強い御手と、伸ばされた御腕をもってなされました。計画の実現のためには、持たれる力を発揮されたのです。そのようにして、栄光を現されました。

136:13 葦の海を二つに分けられた方に感謝せよ。(なぜならば)主の恵みはとこしえまで。

 葦の海を二つに分けられました。

136:14 こうして主はイスラエルにその中を通らせた。(なぜならば)主の恵みはとこしえまで。

 イスラエルにその中を通らせました。

136:15 ファラオとその軍勢を葦の海に投げ込まれた。(なぜならば)主の恵みはとこしえまで。

 ファラオとその軍勢を葦の海に投げ込まれました。

136:16 荒野で御民を導かれた方に感謝せよ。(なぜならば)主の恵みはとこしえまで。

 荒野で御民を導かれました。これらは、いずれも主の大きな力によります。

136:17 大いなる王たちを打たれた方に。(なぜならば)主の恵みはとこしえまで。

 大いなる王たちを打たれました。

136:18 主は力ある王たちを殺された。(なぜならば)主の恵みはとこしえまで。

 その王たちについては、力ある王と記されていて、主が力を発揮されたことが歌われています。

136:19 アモリ人の王シホンを。(なぜならば)主の恵みはとこしえまで。

136:20 バシャンの王オグを。(なぜならば)主の恵みはとこしえまで。

 シオンとオグを打たれたのです。

136:21 こうして彼らの地をゆずりとして与えられた。(なぜならば)主の恵みはとこしえまで。

 そして、四百年以上前に約束した通りのことを実現しました。主は、その計画を実行される方です。

136:22 主のしもべイスラエルにゆずりとして。(なぜならば)主の恵みはとこしえまで。

 主のしもべたちにゆずりとして与えたのです。

136:23 私たちが卑しめられたとき主は心に留められた。(なぜならば)主の恵みはとこしえまで。

 イスラエルの悪のために、彼らは、卑しめられました。そのような時でも、主は心に留められたのです。ご自分の民として選ばれたものを捨てる事はありませんでした。

136:24 そして主は私たちを敵から解き放たれた。(なぜならば)主の恵みはとこしえまで。

 主は、敵から解き放たれました。

136:25 主はすべての肉なる者に食物を与える方。(なぜならば)主の恵みはとこしえまで。

 そして、主は、すべての肉なるものに食物を与える方です。食物は、イスラエルを満たすものを表していますが、霊的には、真の食物である主イエス様を表しています。それこそ、真の満たしをもたらすからです。

136:26 天の神に感謝せよ。(なぜならば)主の恵みはとこしえまで。

 天の神主を褒め称えるのです。その計画の実現によって栄光を表されます。その中で、イスラエルに対する永遠の計画を実現される方なのです。その計画の実現は、天の創造から始まっています。そして、永遠の計画として確実に実行されているのです。その中にイスラエルは、選ばれ、祝福を受け継ぐ者とされ、その栄光を拝する者とされています。その天の神主を褒め称えるのです。

 人の感謝は、時として、自分に対する祝福を中心に覚えます。しかし、この詩に見るように、神の栄光に目を向けて、主を褒め称えるべきなのです。