詩篇133篇
都上りの歌。ダビデによる。
ダビデは、兄弟たちすなわち彼の国の人々とともに都上りしました。
133:1 見よ。なんという幸せなんという楽しさだろう。兄弟たちが一つになってともに生きることは。
兄弟たちが一つになって住むことの尊さを覚え、見よと感嘆の言葉を言い表しています。
なんというよいことであり神の目に適ったことだろうかと。
なんという主の目に適った麗しさであろうかと。
・「生きる」→住む。一時的に共におることではなく、いつも共にいること。
・「幸せ」→良い。神の目に適っていること。
・「楽しさ」→(主の目に適った)麗しさ。
133:2 それは頭に注がれた貴い油のようだ。それはひげにアロンのひげに流れて衣の端にまで流れ滴る。
それは、アロンが祭司に任職される時に注がれる尊い油のようです。それは、神の選びを表しており、聖霊の比喩です。それが、衣の端まで流れ滴るように、豊かに注がれていることを表しています。兄弟たちが一つになることは、聖霊の豊かな働きによります。そして、神にとって良い香りが放たれます。
聖霊が働かれる時、主にとってそれは非常に香りの高い香りであり、主を満たします。それが聖霊の働きであるからこそ、主にとって尊く、良い香りなのです。この香りは、主のためだけの香りです。
133:3 それはまたヘルモンからシオンの山々に降りる露のようだ。(なぜならば)主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。
それは、ヘルモンからシオンの山々に降りる露のようです。その意味は、後半に理由が示されていて、命をもたらすからです。イスラエルの土地は、収穫は露や雨に依存します。露は、命をもたらすのです。
露は、御言葉の比喩です。彼らが一つになって共に住むことは、主の命じておられるところです。その御言葉のうちを生きることで、そこには、命が現されるのです。すなわち、一人ひとりが主の御心を行い、御言葉を実践すること、ここでは、一つになって愛し合うことです。その人は、主と一つになって歩むのであり、それが命です。そして、永遠の資産としての報いを受けるのです。それも命です。
主は、そのように、兄弟たちが一つになって住むことに対して、とこしえの命を約束しておられるのです。必ず祝福が実現することを、「祝福を命じておられる」と確かなこととして示しています。
▪️注ぎの油について
出エジプト
30:23 「あなたは最上の香料を取れ。液体の没薬を五百シェケル、香りの良いシナモンをその半分の二百五十シェケル、香りの良い菖蒲を二百五十シェケル、
30:24 桂枝を聖所のシェケルで五百シェケル、オリーブ油を一ヒン。
30:25 あなたは調香の技法を凝らしてこれらを調合し、聖なる注ぎの油を作る。これが聖なる注ぎの油となる。
30:26 そして、次のものに油注ぎを行う。会見の天幕、あかしの箱、
30:27 机とそのすべての備品、 燭台とそのすべての器具、 香の祭壇、
30:28 全焼のささげ物の祭壇とそのすべての用具、 洗盤とその台。
30:29 こうして、これらを聖別するなら、それは最も聖なるものとなる。これらに触れるものはすべて、聖なるものとなる。
30:30 あなたはアロンとその子らに油注ぎを行い、彼らを聖別して、祭司としてわたしに仕えさせなければならない。
30:31 あなたはイスラエルの子らに告げよ。これは、あなたがたの代々にわたり、わたしにとって聖なる注ぎの油となる。
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