詩篇129篇

都上りの歌。

129:1 「彼らは私が若いころからひどく私を苦しめた。」さあイスラエルは言え。

129:2 「彼らは私が若いころからひどく私を苦しめた。しかし彼らは私に勝てなかった。

 この人は、若い時から、苦しみを受けていました。そのことは、イスラエル全体に対して語られていて、ともにこのことを言うように求めています。この苦しみは、個人的な経験ですが、神の民全体のための教訓となっています。

 その苦しみを受けたが、苦しめる彼らは勝てなかったのです。

129:3 耕す者たちは私の背に鋤をあて長いあぜを作ったが。」

 彼らの仕打ちは、背を耕し、耕し続けて、長い畦を作るような仕打ちです。これは、一節の「若い時から」に対応しています。

・「鋤を当てて・・作る」→耕す。同じ動詞が、二回連続で記されていて、前の動詞は、完了形、続く動詞は、分詞です。過去に耕し、それが続いていることを表しています。

・「長いあぜを作る」→畦を長くした。

129:4 主は正しくあられ悪しき者の綱を断ち切られた。

 却って主は、悪き者の綱を断ち切られます。主は正しいからです。この綱は、次節に「恥を受ける」ことが記されていますので、彼が遂げようとしていることを表しています。

129:5 シオンを憎む者はみな恥を受けて退け。

 彼は、悪き者であり、シオンを憎むものです。シオンは、主の臨在の場所です。そこを憎むことは、主を憎む者であるのです。彼が恥を受けるのは、彼らが遂げようとしていたことが、主によって断ち切られるからです。

129:6 彼らは伸びないうちに枯れる屋根の草のようになれ。

 そのことは、屋根で成長する草に例えられています。それは、伸びないうちに枯れます。このことも、最後の実を結ぶことが彼の遂げようとしていることですが、それが達成される前に枯れることを表現しています。

129:7 そのようなものを刈り取る者はつかまず束ねる者も抱えることはない。

 その草は、実を刈り取ることを目的としたものです。しかし、刈り取ったとしても、掴むことさえできません。束ねる者が抱えることはないのです。実がないどころか、その草を刈り取ることさえできないで、消えていくのです。

129:8 通りがかりの人も「あなたがたに主の祝福があるように。主の名によって祝福あれ」と言うことはない。

 通り過ぎる人は、関係者ではありません。いわば第三者です。その誰も、彼のために主の祝福があるように言うことはありません。誰が見ても、呪われるべき者であるのです。決して祝福を受け継ぐことはありません。