詩篇128篇

都上りの歌。

128:1 幸いなことよ主を恐れ主の道を歩むすべての人は。

 人にとっての幸いは、主に祝福されることです。その祝福を受ける道について示しています。それは、主を恐れ、主の道に歩むことです。主の道とは、主の教えのうちを歩むことです。

・「幸い」→祝福された。「幸い」は、人の観点から見ている。祝福されたは、神の観点から見ている。四節、五節では、「祝福する」という言葉で言い換えられている。また、これは、霊の詩であり、神からの観点から覚えるべきです。

128:2 あなたがその手で労した実りを食べることそれはあなたの幸いあなたへの恵み。

 その祝福は、手で労した実りを食べることができることです。これは、比喩です。勤労の実を食べることは、呪われた者にもできることです。ここでその手で労した実りは、彼の義の行いです。なぜならば、この人は、主を恐れ、主の道に歩んでいる人であるからです。その人にとって、穀物や果物などを食べることが祝福の主要な部分でないことは明らかです。義の実は、彼に報いとして与えられ、彼が自分のものとすることができます。これは、御国で受ける報いのことです。

 それが、主からの祝福なのです。

 また、それは、恵みとあります。恵みは、契約に対する忠誠を表します。主を恐れ、御言葉に従って契約を守る者に対して、主が契約による祝福を徹底的に果たすことです。

・「恵み」→契約に対する忠誠。

128:3 あなたの妻は家の奥でたわわに実るぶどうの木のようだ。あなたの子どもたちは食卓を囲むときまるでオリーブの若木のようだ。

 その妻は、葡萄の木です。彼女は、家の奥にいます。それが彼女の領域です。そこでたわわに実を結んでいます。御言葉に従う夫とともに歩む妻も、豊かな実を結びます。

 子供たちは、オリーブの木に例えられています。オリーブは、油との関連で聖霊に満たされていることを表します。若木は、成長を表します。彼らも、父が御言葉に歩む姿をともに学び、聖霊に満たされて成長するのです。食卓は、真の食物であるイエス・キリストを食べることの比喩で、子供たちは、キリストを知ることで成長し、御霊によって歩むのです。

128:4 見よ主を恐れる人は確かにこのように祝福を受ける。

 主を恐れる人が受けるのは、このような祝福です。ここでは、「祝福」と表現されていて、冒頭の「幸い」は、祝福を意味していることが分かります。

128:5 主がシオンからあなたを祝福されるように。あなたはいのちの日の限りエルサレムへのいつくしみを見よ。

 主は、主を恐れる人に対して契約を守り祝福されます。その祝福があるように祈りました。それは、シオンにおられる主から来ることが言い表されています。主は、エルサレムにすなわちシオンに臨在される方であり、実在されて、そこから祝福を与えられます。その祝福は、エルサレムへの良いものとして実現します。エルサレムは、教会の比喩です。教会への祝福は、教会への良いものとして実現します。命の日の限りそれを見ることができます。その祝福は、主を恐れる一人ひとりへの祝福があることで実現します。

・「いつくしみ」→良いもの。

128:6 あなたの子らの子たちを見よ。イスラエルの上に平和があるように。

 そして、その子の子たちにまで、その祝福は、及びます。それは、神の民イスラエル全体の祝福となります。一人ひとりが主を恐れて歩むからです。そのイスラエル関しては、完全であるように祈りました。なぜならば、その祝福が最大限にもたらされるのは、一人ひとりが主を恐れて歩み、完全である時だからです。

・「平和」→完全さ。