詩篇127篇

都上りの歌。ソロモンによる。

127:1 主が家を建てるのでなければ建てる者の働きはむなしい。主が町を守るのでなければ守る者の見張りはむなしい。

 主が家を建てることは、比喩です。それは、神の家としての教会の比喩です。教会を建て上げる働きは、主によるのです。人の努力は、むなしいのです。町の守りも、教会の守りの比喩です。敵である悪魔からの攻撃から守らなければなりません。それは、主の働きであり、人の努力は、むなしいのです。

127:2 あなたがたが早く起き遅く休み労苦の糧を食べたとしてもそれはむなしい。実に主は愛する者に眠りを与えてくださる。

 そして、人が寝る時間を惜しみ、労苦したとしても、それはむなしいのです。主は、愛する者に眠りを与えてくださるのであって、主に愛される者を用いて事をなしてくださいます。

127:3 見よ子どもたちは主の賜物胎の実は報酬。

 そして、子供たちは、主の賜物です。子供たちは、報酬です。子供たちは、主からの賜物と表現されているように、主が恵みによって与えるものを表しています。これは、次節以降の内容との繋がりで、主から与えられる御言葉を取り継ぐ能力としての賜物のことです。それは、人の努力にはよらず与えられます。ただし、信仰が必要です。主が与えようと思う者に与えられるのです。そして、報酬と示されています。それを豊かに用いる者に与えられるのです。それは、その働きを通してその人に報いをもたらします。

127:4 若いときの子どもたちは実に勇士の手にある矢のようだ。

 子供たちは、神からの賜物で、その賜物は矢です。矢は、御言葉の比喩ですが、悪い者を貫き通すものとしてたとえられます。悪い者の持つ考えや教えを打つのです。

127:5 幸いなことよ矢筒をその矢で満たしている人は。彼らは門で敵と論じるとき恥を見ることがない。

 そのような人は、門で敵と論じる時、恥を見ることがありません。彼は、門で論じます。彼は、町を守る者であるのです。町は、教会の比喩です。敵は、教会に侵入し、悪い教えをするものです。彼らの攻撃の武器は、言葉です。その敵を防がなければなりません。その時、彼の力となるのは、子としての賜物です。それにより矢である御言葉を放ち、勇士の手にある矢のように、敵を貫きます。