詩篇124篇
都上りの歌。ダビデによる。
124:1 「もしも主が私たちの味方でなかったなら。」さあイスラエルは言え。
彼は、主が味方でなかったなら彼が助け出されなかったであろうと、歌っています。彼は、このように仮定の呼びかけをすることで、主は、味方であることを強調しています。そして、そのことは、彼だけの経験としてしまっておくのではなく、すべてのイスラエルに覚えさせました。
124:2 「もしも主が私たちの味方でなかったなら人々が敵対してきたとき
124:3 そのとき彼らは私たちを生きたまま丸呑みにしていたであろう。彼らの怒りが私たちに向かって燃え上がったとき
敵対者は、怒りが燃え上がった時、彼らを飲み込もうとしていました。
124:4 そのとき大水は私たちを押し流し濁流は私たちを越えて行ったであろう。
124:5 そのとき荒れ狂う水は私たちを越えて行ったであろう。」
彼らのしたことは、大水、濁流、荒れ狂う水と表現されています。いずれも、水であり、ここでは、言葉の比喩です。流れは、悪の霊の比喩です。彼らの攻撃は、彼らが御言葉に従って生きることへの言葉による攻撃であるのです。
124:6 ほむべきかな主。主は私たちを彼らの歯の餌食にされなかった。
主は、敵が、彼らを喰らうことを許しませんでした。
124:7 鳥のように私たちのたましいは仕掛けられた罠から助け出された。罠は破られ私たちは助け出された。
彼らの攻撃は、たましいに対する脅威でした。彼らは、罠を仕掛けて躓かせようとしたのです。しかし、彼らは、助け出されました。彼らは、鳥のようです。天に属する者として歩んでいたのです。その彼らを罠によって捕らえることはできませんでした。その罠を破られたのは、主です。
124:8 私たちの助けは天地を造られた主の御名にある。
このように、彼らを助け出すことで、その天地を造られた偉大な神としての御名の栄光を現されたのです。