詩篇113編

113:1 ハレルヤ。主のしもべたちよほめたたえよ。主の御名をほめたたえよ。

 主に栄光があるように。その御名は、主の栄光の現れです。主のしもべたちに呼びかけられていますが、その栄光を知り、また、賛美することができる者たちは、主のしもべなのです。それができるのは、主にしもべとして従うからです。その御心を行うからです。

113:2 今よりとこしえまで主の御名がほめられるように。

 主の栄光の現れは、今からとこしえまでなのです。

113:3 日の昇るところから沈むところまで主の御名がほめたたえられるように。

 その及ぶ範囲は、東の果てから西の果てまでです。

113:4 主はすべての国々の上に高くおられその栄光は天の上にある。

 主は、すべての国々の上に高くおられます。イスラエルだけを支配される方ではありません。主の栄光は、天の上にあり、すべての国々をとおして栄光を現されるのです。

113:5 だれが私たちの神主のようであろうか。主は高い御位に座し

113:6 身を低くして天と地をご覧になる。

 主の偉大さは、高きに座しているだけでなく、その座から、身を低くして天と地をご覧になられます。ここで地と比較される天は、地の上の広がりのことです。

113:7 主は弱い者をちりから起こし貧しい人をあくたから引き上げ

113:8 彼らを高貴な人々とともに御民の高貴な人々とともに座に着かせられる。

 主の取り扱いは、主を求め、自らを低くし、主の仰せを受け入れて従う人を塵から引き上げます。塵は、価値の無いものを表します。そこから、引き上げ、主によって高貴と評価され栄光を受ける者とされます。

 また、主にのみ頼る者を芥から引き上げます。芥は、価値の無いものを表しています。そのようなところから、主に価値ある栄光を受けるにふさわしいものと評価され、座に着かせられます。

・「弱い者」→主を求める者。

・「貧しい者」→ぶら下がる。主にのみ頼る人。

113:9 主は子のいない女を子を持って喜ぶ母とし家に住まわせてくださる。ハレルヤ。

 具体的な業として、子のいない女が子を持ち、母となって家に住まうようにしてくださいます。子を持つことができるのは、主の主権によります。主を求め、主にのみ頼る者に対して、これを喜ばれ、子を与えられます。彼女を喜ばせるのです。

 女は、教会の比喩でもあります。子を持つことの喜びは、神の民が生み出され、神の栄光となる神の民が育つことです。それは、神の栄光のためです。その栄光を見て喜ぶのです。新しいたましいの誕生は、天に大きな喜びが湧き起こるとともに、教会の喜びです。その家は、神の家としての教会です。そのような祝福は、神を求め、御心を行うところに現される神の栄光なのです。