詩篇112編

112:1 ハレルヤ。幸いなことよ主を恐れその仰せを大いに喜ぶ人は。

 ハレルヤと主の栄光が輝くようにと初めに賛美されています。その栄光は、主を恐れる者をとおして現されます。

 それで、主を恐れて、その仰せを大いに喜ぶ人が幸いであると言い表されています。仰せを喜ぶことは、その言葉を喜びとすることです。主を恐れて、喜んでその言葉に従う人は幸いなのです。

112:2 その子孫は地の上で勇士となり直ぐな人たちの世代は祝福される。

 その子孫は力ある者となります。その影響の及ぶ範囲について示し、祝福の偉大さを示しています。

 直ぐな人たちの世代は、大いに祝福されます。

・「勇士」→力ある者。

・「祝福される」→強意形。

112:3 繁栄と富はその家にあり彼の義は永遠に堅く立つ。

 繁栄と富は、この地の祝福です。彼は、主とともに歩むことで繁栄し、富を得ます。これは、この地にあって、霊的に繁栄し、霊的に豊かにされることの比喩です。

 そして、彼の義は永遠に堅く立ちます。それは、主に評価され、永遠の報いとしてその人の栄光となります。

112:4 直ぐな人たちのために光は闇の中に輝き昇る。主は情け深くあわれみ深く正しくあられる。

 そして、直ぐな人たちは、真っ直ぐな人たちで、主の仰せに真っ直ぐに従う人たちのことです。その人たちのために、闇の中に光が輝くのです。光は、神の教えの輝きです。闇は、教えがない状態のことです。神を認めないこの世も表していて、そこにはサタンが働いています。そのような中で、主の言葉に喜んで従う者のためには、主は、その言葉を輝かせるのです。

 主は、正しくあられます。情け深く憐れみ深さを伴っています。

112:5 幸せなことよ。情け深く人に貸し自分に関わることを公正に扱う人は。

 良いことは、神の目に適っていることを表しています。求めるものに喜んで応え、貸す人は、良いのです。

 自分のことを裁きをもって扱う人は良いのです。神に評価されるのか、評価されずに裁かれるのかを常に考えて行動する人です。

・「幸せなこと」→良い。

・「情け深く」→求めるものに喜んで応えること。

・「公正」→裁き。良い評価、悪い評価の両面。

112:6 その人はとこしえまでも揺るがされない。正しい人はとこしえに覚えられる。

 その人は、とこしえに揺るがされません。なぜならば、その人は、正しい人としてとこしえに覚えられ、神が支えられるからです。

112:7 その人は悪い知らせを恐れず主に信頼して心は揺るがない。

 その人は、悪い知らせを恐れません。主に信頼しているからで、彼の心は、揺るがないのです。

112:8 その心は堅固で恐れることなく自分の敵を平然と見るまでになる。

 その人の心は堅くされ、恐れません。自分の敵の中で、(主を)見るまでになります。「主の中に信頼する」と「敵の中に見る」が韻を踏んでいます。主に信頼するという流れの中で、「敵の中で見る」とあるので、主を見ることと言えます。

112:9 彼は貧しい人々に惜しみなく分け与えた。彼の義は永遠に堅く立ち彼の角は栄光のうちに高く上げられる。

 彼は、貧しい人々に惜しみなく分け与えました。これが彼の良いことです。主は、それを高く評価されて、その義は、永遠に覚えられます。彼の角は、彼の権威を表していて、彼の権威は、神の命令に従って事を行うことで現されます。貧しい者に分け与えたことは、神の権威によってなしたことです。その彼の行いは、栄光のうちに高く上げられるのです。神の権威によりなしたことですから、神が栄光を受けることになります。また、神の栄光のためになしたのですから、この上ない栄光が与えられます。

112:10 悪しき者はそれを見て苛立ち歯ぎしりして消え去る。悪しき者の願いは滅び失せる。

 悪しき者は、自分を高くすることを求めました。しかし、彼には与えられず、正しいものが高く上げられるのを見て歯ぎしりするのです。彼は、溶け去ります。悪者の願いは、滅び去ります。何も残らないのです。

・「消え去る」→溶ける。融ける。