詩篇110編
ダビデによる。賛歌。
110:1 主は私の主に言われた。「あなたはわたしの右の座に着いていなさい。わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで。」
主は、父なる神を表しています。私の主は、ダビデが服従している彼の主人としての御子です。右の座に上げられた記述は、十字架の後のことです。その時、まだ悪魔はこの世にあって働くことを許されていました。その悪魔の働きが終わるのは、患難時代の終わりです。もう一度、千年王国の終わりに悪魔は開放されます。患難時代の終わりにイエス様は、地上再臨されますので、父の右の座を離れることになります。ですからその時を指しています。
・「主」→存在者。
・私の「主」→主人。
エペソ
1:20 この大能の力を神はキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上でご自分の右の座に着かせて、
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110:2 主はあなたの力の杖をシオンから伸ばされる。「あなたの敵のただ中で治めよ」と。
これは、いわゆる患難時代の期間のことです。主は、神の右の座についていながらシオンからの支配を地上に実現します。悪魔の支配が地上を覆うときに、その只中で主の支配が行われるのです。その支配権は、父からの権威です。
110:3 あなたの民はあなたの戦いの日に喜んで仕える。聖なる威光をまとって夜明け前から。あなたの若さは朝露のようだ。
夜明けは、やがてくるいわゆる千年王国での光の輝きです。それが生み出される時すなわち夜明け前から民は主に喜んで仕えます。それは患難時代であり、悪との戦いの日々です。彼らは、主に喜んで仕える者として、聖なる者であり、威光に輝きます。
その力を与えるのは、主が持たれる朝露です。朝露は、夜明け前に降りるのです。露は、御言葉の比喩です。それは、若さすなわち喜んで仕える力を与えます。
110:4 主は誓われた。思い直されることはない。「あなたはメルキゼデクの例に倣いとこしえに祭司である。」
主は、御子について永久に祭司であることを誓われました。敵に対して圧倒的な勝利者としての主は、祭司の役割を担われます。主は、人としての歩みにおいて御自分を捨てて御心を全うし、悪魔に勝利されたのです。十字架の御業を完成されたので、父の右の座に上げられたのです。贖いの業をなした方として、父の御心を全うされた方として祭司にふさわしいのです。
メルキゼデクの例に倣うことは、はじめもなく終わりもない祭司であることです。
110:5 あなたの右におられる主は御怒りの日に王たちを打ち砕かれる。
110:6 国々をさばき屍で満たし広い地を治める首領を打ち砕かれる。
父神の右におられる主は、その御怒りの日に王たちを打ち砕かれます。主は、国々をさばいてこられましたが、この時、打ち砕かれます。国々は、屍で満たされます。彼らは、神の前に死んでいるのです。ふさわしい裁きが下されます。
・「あなたの右におられる主」→「あなた」は、存在者である主。右におられる「主」は、ダビデの主。
・「御怒り」→ダビデの主の御怒り。
・「さばき」→未完了時制。過去の動作が継続していることを表す。
110:7 主は道の傍らで流れから水を飲まれる。こうしてその頭を高く上げられる。
道は、歩みを表しています。その傍らで水を飲むのは、歩みの力とするためです。「流れ」は、聖霊の比喩です。「水」は、御言葉の比喩です。これは、主が聖霊によって御心を行うことを表してます。それは、ずっと続いているのです。人として歩まれていた時からそうです。そして、この裁きをされるときも、父の御心に従って行っているのです。
父は、そのような主を喜びとし、その頭を高く上げられるのです。父にとって最も価値あることです。