詩篇109編

指揮者のために。ダビデによる。賛歌。

 この歌は、讃歌として歌われています。彼の敵対者からの仕打ちに対して、主が報いられることを求めるものです。彼を救い出す御業が、主の栄光となるのです。それで、讃歌として歌われるのです。

109:1 私の賛美である神よ。沈黙しないでください。

 彼にとって、神は、「賛美」です。これは、感謝にまさるものです。感謝は、主に対して形式ではなく心から崇める人から出てきます。それは、非常に価値あるものです。しかし、賛美は、神の栄光に目を留めてのものであり、人が受ける良いものには依存しません。

 沈黙しないでくださいとの求めは、自分に関して答えてくださることを願っていますが、神の栄光のためであることがはじめに言い表されています。

109:2 彼らは邪悪な口と欺きの口を私に向けて開き 偽りの舌をもって私に語るからです。

 神が答えてくださることを願いましたが、その理由は、彼らの悪のためです。彼らの攻撃は、口によります。言葉なのです。その言葉は、邪悪な言葉、欺きの言葉、そして偽りの言葉です。

109:3 彼らは憎しみのことばで私を取り囲みゆえもなく私に挑んできます。

 彼らの言葉は、憎しみの言葉です。この人を取り囲んで挑むのです。

 これは、ちょうどイエス様がしつこい質問攻めや、言葉の攻撃あったときのことのようです。

109:4 私の愛に代えて彼らは告発で応じます。私は祈るばかりです。

 この人の愛の業に対して、彼は「敵対する」ことで応じます。彼は、手出しをするようなことはしません。神に委ねて祈るのです。

・「告発する」→反対する。敵対する。サタン。

109:5 彼らは善に代えて悪を愛に代えて憎しみを私に返しました。

 さらに、善に代えて悪を返しました。イエス様が受けた仕打ちのようです。愛に対しては、憎しみです。彼らのしたことは、非常に悪いことです。

109:6 どうか彼に対して悪しき者を遣わし告発する者が彼の右に立つようにしてください。

 ここで求めていることは、彼のした行為にふさわしい報いなのです。それを主が彼に返してくださるように願っています。

 悪しき者は、この語だけではよく分かりませんが、後半の「告発する者」を指しています。これは、敵対者です。

・「告発する者」→「敵あるいは反対者」を意味します。定冠詞が付く場合は、「サタン」を意味しますが、定冠詞は付いていません。彼がした良いことに敵対したので、彼に敵が遣わされるように願っています。

109:7 彼がさばかれるとき有罪が宣告され彼の祈りが罪と見なされますように。

 裁きにおいては有罪とされるようにと。彼は、悪を行っているのですから、それが罪と認定されて裁かれることを願いました。

 この人の祈りは、神に捧げられる良いものです。しかし、敵対者のしていることは、ことごとく神に背いている行為なのです。彼にとって最善とされるようなことでも、罪とされるように願っています。

109:8 彼の日数はわずかとなりその務めは他人が取り

 彼の日数とは、彼の命です。彼は、命を愛しませんでした。神の御心を行い、神とともに歩むことこそ命なのです。それは大いなる報いをもたらします。しかし、彼は、それを拒みました。

 彼は、責任ある務めを持っていました。しかし、彼は、それにふさわしくなかったのです。それで、他人が取るのです。

 この言葉は、ユダに代わる使徒を選ぶ時に、引用されました。

109:9 子どもたちはみなしごとなり妻はやもめとなりますように。

 彼にとって、愛する者が失われるようにと。彼は、愛に対して憎しみを返すことで、彼は愛を捨てたのです。愛する者を失うことで、彼の仕打ちに相応しく報いるためです。

109:10 彼の子らはさまよいながら物乞いをし荒れ果てた家を離れ施しを求め続けますように。

 彼は、愛に応えることがありませんでした。それで、その子たちが十分な愛を受けることがなく、物乞いをしてさまようことを求めました。

109:11 金貸しが彼のすべての財産を没収し見知らぬ者が労苦の実を奪い取りますように。

 金貸しといえども、すべてを没収することは許されていません。彼が生きて行くのに最低限必要な物は残さなければならないのです。しかし、無慈悲な彼には、不当な扱いにより、全てが没収されることを願いました。

 また、労苦の実を奪い取る権利は、誰にもありませんが、善に代えて悪を返す彼には、不当な扱いにより、彼の得た正当なものまで、奪い去れられることを願いました。

109:12 彼には恵みを施す者もなくそのみなしごをあわれむ者もいませんように。

 隣人がその人に憐れみを施すのは、契約に対する誠実あるいは忠誠によることです。彼がしていることは、契約に背くことです。その彼の行いにふさわしく契約に基づくあわれみを受けることがないように求めているのです。

 孤児を憐れむことは、契約によることで、契約を守る者たちは、本来ならば、憐れむのです。しかし、その契約が果たされないように求めました。彼が契約を捨てたからです。

・「恵み」→契約に対する忠誠あるいは誠実。

109:13 その後の子孫は断ち切られ次の世代には彼らの名が消し去られますように。

 彼らの名が受け継がれることは、彼らの行いが記憶されることを表しています。しかし、彼らは、悪を行い、神の前に覚えられる良い業をしないのです。彼らの名は覚えられるに値しないのです。それで、彼らの名が覚えられないという仕打ちを求めたのです。

・「名」→記憶されるべき行いのこと。

109:14 彼の父たちの咎が主に覚えられその母の罪が消し去られませんように。

109:15 それらがいつも主の御前にあり主が彼らの記憶を地から消されますように。

 彼らに関しては、その咎が覚えられ、罪が消し去られないことを求めました。彼らの悪は、いつまでも覚えられ、良いことは何も覚えられないのです。

 彼らの名が覚えられないことについて、ここでは、主が彼らの記憶を地から消し去られることと言い換えられています。彼らの行いはすべて消し去られるにふさわしいのです。覚えられるべき良いものは、何一つありません。

109:16 それは彼が恵みのわざを行うことに心を留めず苦しむ者貧しい者心ひしがれた者を追いつめ殺そうとしたからです。

 彼らに対して一連の仕打ちを求めた理由が記されています。それは、「恵の業」と訳されている、契約に対する誠実な行いがなかったからです。すなわち、契約に反し、神の言葉を守らず、それに背く行為をしていたからです。

 また、神を求める人々を追い詰め、殺そうとしたからです。神の前には、価値ある尊い者を狙い、殺そうとすることは大きな罪です。

 なお、ここでは、肉体的な苦しみ、経済的な貧しさ、心を病んでいる人に対する仕打ちということではありません。

・「恵み」→契約に対する誠実。

・「苦しむ者」→通常貧しいと訳される。謙る者。

・「貧しい者」→通常貧しいと訳される。(主を)求める者。

・「心ひしがれたもの」→心砕かれた者。主に対して高ぶることがないことを表現している。

109:17 彼が呪いを愛したのでそれは自分に返って来ました。祝福を喜ばなかったのでそれは彼から遠く離れました。

 彼は、呪いを招くようなことを行ったのです。そのことを捉えて呪いを愛したと表現しました。それで、呪いが返ってきたのです。

 彼は、祝福を喜びませんでした。神の言葉に従うときのみ、祝福があるのですが、神の言葉に従うことを喜びませんでした。それで、祝福は、彼から遠く離れたのです。

109:18 衣のように彼は呪いを身にまとい水のようにそれは彼の内臓に油のように骨にまでしみ込みました。

 彼は、衣を纏うように、いつも呪いを身に着けていました。呪われるような行いを常にしていたのです。

 呪いは、彼の内面に染み込みました。本来ならば、彼の心に入るべきは御言葉です。しかし、そこにあったのは、呪われた行いのもととなる考えです。

 善人にとっては、神の言葉を内面に受け入れ、骨としての彼の持つ教えは、神の言葉によって教えられ、聖霊の導きのうちに歩むはずであるのに、彼のしている呪われたおこイナは、彼自身を間違った教えによって染め、その間違った教えは、彼の心に入り、彼の持つ教えとなり、判断基準となっているのです。

 骨は、その人の持つ教えであり判断基準です。本来ならば、神の言葉に整合し、聖霊によって導かれはずなのに、彼の考えは、呪われる行いをもたらす考えなのです。

・「水」→御言葉の比喩。

・「内臓」→内面の比喩。すなわち、御言葉を受け入れ、従う部分。

・「油」→聖霊の比喩。聖霊によって彼の持つ教えは導かれるはずのもの。

・「骨」→その人の持つ教え。判断基準。本来であれば、御言葉の教えに整合し、御霊によって導かれるはずのもの。

109:19 それが彼をおおう服となりいつも締めている帯となりますように。

 呪いが覆う服となることは、彼が呪われていることが外に現れることです。服となることで、常に呪われていることが外に現れるのです。

 帯は、力もって振る舞う振る舞いを表しますが、それが呪われていることをいつも現すのです。

109:20 このようなことが私を告発する者たちへの主からの報いでありますように。私のたましいにわざわいを告げる者たちへの。

 主の前に謙り、主を求めている者を告発する者たちに対して、一連の報いを求めました。彼が問題にしているのは、「たましい」に災いを図っているからです。たましいは、神の言葉に従う部分です。神に従うことを妨げ、その人を通して神の栄光が現されることを妨げたからです。

109:21 しかし神よ私の主よあなたは御名のために私にみわざを行ってください。御恵みのすばらしさのゆえに私を救い出してください。

 それで、彼が求めたことは、神であり主である方が、その御名のために彼に業をなすことを願いました。彼を救い出すことは、神に従い、神の栄光を求める者を救い出すことであり御名のためなのです。神の栄光のためです。

 彼は、自分の救いを求めましたが、それは、「御恵み」すなわち神が契約を忠誠をもって果たすという素晴らしさのためです。そのようにして、御名の栄光が現されるのです。

・「恵み」→契約に対する忠誠。

109:22 (何故ならば)私は苦しみそして貧しく私の心は私のうちで傷ついています。

 この文は、神が契約を果たす根拠についての言い表しです。契約ですから、その契約の祝福を受けようとするものは、神様の御心に適っていなければなりません。ですから、ここでは、この人が契約を守る者であることが言い表されています。それは、経済的な貧しさや苦しみでないことは明らかです。悪人でもそのような状態の者は多数いるのです。

・「何故ならば」→契約を果たす根拠を列挙しています。

・「苦しみ」→謙る。

・「貧しく」→(主を)求める。

・「傷ついている」→打ち砕かれている。

109:23 私は伸びていく夕日の影のように去り行きいなごのように振り払われます。

→「影に従って、伸びるに従って私は行かされる。」時が経つにつれて、遠ざけられることを表現しています。「行き」は、受動態です。

 いなごを振り払うことは、いなごは人に比べて価値の無いものですから、簡単に振り払うことができます。彼らのしたことは、それと同じように神に対して忠実な者をそのように扱ったのです。

 ここには、彼が価値ある者としては扱われなかったことが記されています。

109:24 私の膝は断食のためによろけ肉は削げ落ち痩せ衰えました。

 彼は、断食のために力をなくし衰えました。それは、彼の主に対する熱心さを示しています。

 断食は、欲を捨てることを表しています。肉が削げ落ち、痩せたことは、肉が取り除かれたことを表しています。力をなくしたことは、肉の力をなくしたのです。彼自身の肉にはよらず、生きることを表しています。

109:25 私は彼らのそしりの的となり彼らは私を見て頭を振ります。

 自分を捨てて歩む者に対して、彼らは、見てそれを確認し、その上で頭を振ったのです。頭を振ることは、蔑みと嘲りの行為です。

109:26 私の神主よ私を助けてください。あなたの恵みによって私をお救いください。

 そのような自分に対して契約を忠誠をもって果たし、救ってくださるように願いました。断食は、彼自身が契約を誠実に守っていることの証しです。

・「恵み」→契約に対する忠誠。

109:27 こうして彼らが知るようにしてください。これはあなたの御手。主よあなたがそれをなされたのだと。

 彼が救い出されることで、彼に敵対する人が、その業が主の御手によることを知ることができるように祈りました。これは、彼の救いが自分のためというよりも、主の栄光が現されるためのものであることを言い表しています。

109:28 彼らは呪います。しかしあなたは祝福してくださいます。彼らは立ち上がり恥を見ます。しかしあなたのしもべは喜びます。

 彼らは、呪います。しかし、あなたは、祝福されます。

 彼らは、立ち上がります。しかし、彼らは、恥かしめを受けます。しかし、あなたのしもべは、喜びます。

 主の助けがどのような形で行われるかについて、彼は、その結果を言い表しています。

109:29 私を告発する者たちが侮辱を被り恥を上着として身にまといますように。

 彼の敵対者が恥をまといますように、自分の恥ずべきことを外套としてまといますように。

・「告発する者」→「敵対者あるいは反対者」

 

109:30 私はこの口で大いに主に感謝し多くの人々のただ中で主を賛美します。

 彼は、主の御業に対して主に大いに感謝します。偉大な主の御業が自分に対して現されるからです。

 そして、多くの人々のただ中で主を賛美します。彼に対する業を通して主の栄光が現されるのですから、彼は、自分だけのものとするのではなく、人々のただ中で賛美します。

109:31 (なぜならば)主が貧しい人の右に立ち死を宣告する者たちから彼を救われるからです。

 感謝と賛美の理由が示されています。主が、主を求める人の右に立ち力を与えられ、救われるからです。

 右に立つことは、力となることです。今までは、敵対する者として記されていましたが、ここには、彼らが支配する立場を取る者であることが記されています。

・「死を宣告する者」→「裁く」「支配する」

・「頭を振る」→蔑みと嘲りの行為。以下、関連聖句。

列王記第二

19:21 主が彼について語られたことばは、このとおりである。『処女である娘シオンはおまえを蔑み、おまえを嘲る。娘エルサレムはおまえのうしろで頭を振る。

ヨブ記

16:4 私も、あなたがたのように語ることができる。もし、あなたがたが私の立場にあったなら、あなたがたに向かって私は多くのことばを連ね、あなたがたに向かって頭を振ったことだろう。

詩篇

22:7 私を見る者はみな私を嘲ります。口をとがらせ頭を振ります。

64:8 彼らは自らの舌につまずきました。彼らを見る者はみな頭を振って嘲ります。

109:25 私は彼らのそしりの的となり彼らは私を見て頭を振ります。

イザヤ書

37:22 主が彼について語られたことばは、このとおりである。『処女である娘シオンはおまえを蔑み、おまえを嘲る。娘エルサレムは、おまえのうしろで頭を振る。

エレミヤ書

18:16 彼らの地を恐怖のもととし、永久に嘲りの的とする。そこを通り過ぎる者はみな、呆気にとられて頭を振る。

48:27 イスラエルは、おまえにとって笑いものではなかったのか。それとも、おまえが彼のことを語るたびに彼に向かって頭を振っていたのは、彼が盗人の間に見つけられたためか。

哀歌

2:15 道行く人はみな、あなたに向かって手を打ち鳴らし、娘エルサレムを嘲って頭を振り、「これが、美の極み、全地の喜びと言われた都か」と言う。

マタイ

27:39 通りすがりの人たちは、頭を振りながらイエスをののしった。

マルコ

15:29 通りすがりの人たちは、頭を振りながらイエスをののしって言った。「おい、神殿を壊して三日で建てる人よ。