詩篇108編
歌。ダビデの賛歌。
108:1 神よ私の心は揺るぎません。私は歌いほめ歌います。私の心の底も。
心が揺るがず、力の限り豊かに賛美するのは、四節に理由が示されています。三節までのことを受けて、四節の冒頭に理由を示す接続詞が記されています。
・「心の底も」→豊かさ、あるいは富をもって。意訳として、心の底からとしている。
108:2 琴よ竪琴よ目を覚ませ。私は暁を呼び覚まそう。
琴と竪琴は、神様への強い賛美を表すときに引き合いに出される楽器です。大いに賛美することをこのように表現しています。
暁を呼び覚ますというのは、そのことで、この闇の中で神の栄光の現れを指しています。彼が、信じて従う所にその栄光が現されるのです。
108:3 主よ私は諸国の民の間であなたに感謝しもろもろの国民の間であなたをほめ歌います。
そして、神の栄光は、単に自分たちだけのものではなく、全世界で崇められるべき御名です。それで、諸国の民の間で賛美することが言い表されています。
108:4 (なぜならば)あなたの恵みは大きく天の上に及びあなたのまことは雲にまで及ぶからです。
このように大いに神を世界中で賛美する理由が示されてます。それは、主の「恵み→契約に対する忠誠すなわち契約を誠実に果たすこと」が偉大であり、その実現は、天にまで及ぶのです。天にまで及ぶことは、契約の実現が生半可ではないことを表しています。恵みと訳されている語自体が忠誠を持って徹底気に果たすことを意味する語ですが、天にまで及ぶと表現することで、それが並外れて徹底していることを表しています。
そして、「まこと」は、雲にまで及びます。まことは、安定性を表す語で、比喩としては、確かなこと、真実を表します。契約を忠誠をもって果たすことが、さらに重ねて真実をもってなされると言い表しているのです。
・「恵み」→契約に対する忠誠すなわち契約を誠実に果たすこと。
108:5 神よあなたが天であなたの栄光が全地であがめられますように。
そのような神の業は、天で褒め称えられます。そして、地でもその栄光が褒め称えられるように祈りました。
108:6 あなたの愛する者たちが助け出されるようあなたの右の手で救い私に答えてください。
彼が求めたことは、救いです。助け出されることです。それを求めるにあたって、「あなたの愛する者たち」が助け出されることを願いました。契約のゆえに愛されている者なのです。
108:7 神は聖所から告げられました。「わたしは喜んでシェケムを分けスコテの平原を測ろう。
神の告げたことは、シェケムとスコテの平原を測ることです。測ることは、神のものとして測り、神の民への割当のためです。
108:8 ギルアデはわたしのもの。マナセもわたしのもの。エフライムはわたしの頭のかぶと。ユダはわたしの王笏。
そして、ギルアデ、マナセは、放牧に適した所ですが、それは、神のものと言い表され、神の所有地であり、何人にも侵させないということです。
エフライムについては、御自分の兜として守りの役割を与え、ユダには、王の支配権を与えました。
108:9 モアブはわたしの足を洗うたらい。エドムの上にわたしの履き物を投げつけペリシテの上でわたしは勝ちどきを上げよう。」
モアブは、死海の岸にありますが、水をたたえたたらいと表現し、それも、神様が足を洗うためだと言われ、御自分の支配のもとにある器に過ぎないことを示されました。
また、エドムに対しては、履物を投げつけ、決して頭をもたげさせないことを示されました。
ペリシテは、神の力を見て、大声で叫ぶのです。
108:10 だれが私を要塞の町に連れて行くのでしょうか。だれが私をエドムまで導くのでしょうか。
108:11 神よあなたは私たちを拒まれるのですか。神よあなたはもはや私たちとともに出陣なさらないのですか。
彼は、主が拒まれたかのように、共に出陣してくださらないと訴えています。要塞の町へ連れて行くことは、守りを与えることです。エドムへの出陣で、導いてくださるのは、共に戦う主です。しかし、今、主は共に行かれないかのように見えます。
108:12 どうか敵から私たちを助けてください。人による救いはむなしいのです。
108:13 神にあって私たちは力ある働きをします。神こそが私たちの敵を踏みつけてくださいます。
彼の直接の願いは、敵からの救いです。人による救いは虚しく、その勝利は、主によります。その力は神にあります。ですから、神が御力を現してくださることを願いました。