詩篇100編
感謝の賛歌。
100:1 全地よ主に向かって喜びの声をあげよ。
声を上げるのは、賛美のためです。喜びをもって賛美するのです。
100:2 喜びをもって主に仕えよ。喜び歌いつつ御前に来たれ。
そして、喜びをもって主に仕えるように促されています。主に心から歓び楽しんで仕えることが求められています。
この詩の表題は、感謝の讃歌ですが、それが出てくるためには、主に仕えることが前提にあります。主に仕えることなくして、主の栄光を見ることはないのです。
100:3 知れ。主こそ神。主が私たちを造られた。私たちは主のもの主の民その牧場の羊。
主が神であることが言い表されてます。主は、存在者を表すとともに、約束の履行者です。神は、支配者を表します。仕える者に祝福をもたらし、栄光を現されますが、その方は、支配者です。その方は、私たちを造られた方として神です。そして、私たちは、主のものであり、主の民です。主の所有なのです。さらに、牧場の羊であり、主が養い導かれるのです。ごく身近な方として私たちとともにおられます。
100:4 感謝しつつ主の門に賛美しつつその大庭に入れ。主に感謝し御名をほめたたえよ。
感謝と賛美をもって主の宮に近づくのです。主は、私たちの中に住まわれるのです。私たちを通して栄光を現されますので、主に感謝するのです。そして、その御名を褒め称えて栄光を帰すのです。
100:5 主はいつくしみ深くその恵みはとこしえまでその真実は代々に至る。
主は、その御心に適ったことをされるのです。
その恵みは、契約に対する忠誠です。主に対する賛美は、主が忠誠をもって契約を果たされることに対するものです。主は、真実をもってそれを果たされます。そのことは、主の永遠の御名です。そのようにして栄光を現されます。
今日、私たちは、主の「あわれみ(新約聖書):旧約聖書で恵みと訳されている契約に対する忠誠を意味するヘブル語とあわれみと訳されているギリシア語は、同じ意味です。」を受けています。主が忠誠を持って契約を果たされることは、変わりないのです。信仰に応える方なのです。私たちが信じて滅びから救われたのも信仰によります。そして、今、私のうちに主がおられて、御業をなすことを信じるのです。それは、御霊に満たされることでもあります。自分に死んで、御霊によって生きる者とされていることを信じて歩むのです。そのようにして結んだ実は価値あるものとして評価され、報いを受け、御国を相続するのです。すなわち、資産としての報いを相続するのです。
・「慈しみ深く」→「良い。」御心にかなっている。美しい。
・「恵み」→契約に対する忠誠。