箴言6章
6:1 わが子よ。もし、あなたが隣人のために保証人となり、他人のために誓約をし、
6:2 自分の口のことばによって、自分が罠にかかり、自分の口のことばによって、捕らえられたなら、
6:3 わが子よ、そのときにはすぐにこうして、自分を救い出せ。あなたは隣人の手に陥ったのだから。さあ行って、伏して隣人にしつこくせがめ。
6:4 あなたの目を眠らせず、そのまぶたにまどろみを与えるな。
6:5 自分を救い出せ。かもしかが狩人の手から逃れるように、鳥がそれを捕る者の手から逃れるように。
人が隣人のために保証人となり、他人のために誓約をして、その誓いのために罠にかかった場合、彼は、誓ったのですから、その責任を逃れることはできません。それが悪意による策略であったとしても、神の前における誓いが破られてはならないのです。それで、その罠から逃れるために、隣人にしつこくせがまなければなりません。目を眠らせてはならないのです。自分を救い出すためにひと時も休まないのです。
隣人にしつこくせがむことは、祈りの比喩です。それは、イエス様もたとえ話の中で語られたことで、しつこく求めるならば、聞かれるのです。まして、神様が聞かれないことはないことを示されました。ですから、神の前にしつこく求めるべきであるのです。目は、信仰の比喩です。目にまどろみを与えないことは、全てを信仰により神に求めることが教えられています。信仰以外の思いを入れないのです。狩人か捕らえようとしているのは、かもしかです。高値を歩む信仰者の比喩です。それを捕らえるのは、悪魔の働きです。鳥は、天に属する信仰者の比喩です。それを捕らえるのは、悪魔の働きです。
6:6 怠け者よ、蟻のところへ行け。そのやり方を見て、知恵を得よ。
6:7 蟻には首領もつかさも支配者もいないが、
6:8 夏のうちに食物を確保し、刈り入れ時に食糧を集める。
蟻から知恵を学ぶように言いました。首領も司も支配者もいないが、与えられた夏の期間に冬の準備をします。彼らは、皆、自主的にそれをしているのです。していることは、将来に備えて食物を確保することで、これは、信仰者が永遠の備えをすることの比喩です。それは、永遠のいのちとしての報いを目指して歩むことで、信仰により、聖霊によって歩み、神の御心を行うことで実現します。それは、命じられたたらでなく、いやいやながらでなく、信仰により、喜んで行うことであるのです。
御言葉を受け入れて従う分別としての知恵は、進んで御言葉を受け入れ、喜んで従うという行動を伴うものです。
6:9 怠け者よ、いつまで寝ているのか。いつ目を覚まして起き上がるのか。
6:10 少し眠り、少しまどろみ、少し腕を組んで、横になる。
6:11 すると、付きまとう者のように貧しさが、武装した者のように乏しさがやって来る。
怠け者は、目を覚まして起き上がることをしません。いつまでも眠った状態にとどまるのです。これは、何もしないか、肉や世に従い、信仰に堅く立って御心を行うことをしないことです。そのようにしている人には、貧しさがやって来ます。付きまとう者のようにとありますが、付きまとって離れないのです。必ずそうなるのです。また、武装した者のようにやって来ます。貧しくなることはないと侮ることはできないのです。武装した者のように力強く支配するのです。彼らは、必ず貧しくなるのです。
6:12 よこしまな者や不法の者は、曲がったことを言って歩き回り、
6:13 目くばせをし、足で合図し、指でさす。
6:14 そのねじれた心は、いつも悪を企み、争いをまき散らす。
6:15 それゆえ、破局は突然やって来る。たちまち彼は滅ぼされ、癒やされることはない。
よこしまな者や不法の者は、まず教えの誤りを周囲にもたらすことが指摘されています。彼らは、神の言葉を受け入れて従うことがないのです。そのような人たちは、正しいことを語ることがありません。自分不法を正当化するような事しか語れないのです。
教会において、御言葉を取り次ぐ者は、自分が従っていない言葉を正しく証しすることはできないのです。あるいは、自分に都合の良いことを語るのです。聞く者たちも自分に都合の良いことを言う教師を集めます。
目くばせし、足で合図するのは、悪を企み、実行するためです。悪の仲間に指示を出すのです。心がねじれているのです。神の教えに対して真っ直でないのです。それで、いつでも悪を企むのです。その結果、争いをまき散らします。神の教えから逸れていますから、皆が神の御心に従って行動することができず、争いとなるのです。
破局は、突然に来ます。神様がご覧になっておられるからです。たちまち滅ぼされるのは、神の裁きであるからです。癒されることがないことは、強い警告です。もはや猶予はないのです。回復の道も閉ざされます。
6:16 主の憎むものが六つある。いや、主ご自身が忌み嫌うものが七つある。
6:17 高ぶる目、偽りの舌、咎なき者の血を流す手、
6:18 邪悪な計画をめぐらす心、悪へと急ぎ走る足、
6:19 まやかしを吹聴する偽りの証人、兄弟の間に争いを引き起こす者。
主が憎み、忌み嫌うものが数え上げられています。
□高ぶる目
目は、信仰の比喩です。神の言葉をそのまま受け入れ信じることです。高ぶることは、自分をその言葉の上に置くことです。自分の考えや主張を優先させます。主の言葉を蔑むのです。
□偽りの舌
偽証をするのです。まして、真理を語らないのです。特に、神の言葉を委ねられた者が正しく語らないことの影響は大きいのです。聖書に対する理解不足、推測による話、聖書の言葉を利用して自分の考えを語るなど、様々な要因があります。
□咎なき者の血を流す手
咎なき者に手を下す正当な理由はありません。彼は、主に愛される存在です。そのような者の血を流し、いのちを取ることは許されません。その人の価値を軽く見ているのです。
教会において、兄弟を軽く見、軽く扱うことは許されません。しかし、人は、能力や社会的地位委などで差別しがちです。あってはならないことです。
□邪悪な計画をめぐらす心
邪悪な計画は、心に抱くだけでも憎まれます。
□悪へと急ぎ走る足
悪を行う行動に速いのです。率先して悪を求めるのです。
□まやかしを吹聴する偽りの証人
これは、証人として証言するときにまやかしを言うのです。それを裁く者にも正しい判断ができなくなります。正義の法廷を利用して悪を図るのです。
教会において、根も葉もないことをもって他者を訴えるようなことをしてはならないのです。裁く者は、また、その証言が真実かどうか確かめなければなりません。一方のみから事情の聴取を行い、他方からの事情聴取を行わず、判断するようなことがあってはなりません。
6:20 わが子よ、あなたの父の命令を守れ。あなたの母の教えを捨ててはならない。
6:21 それをいつも心に結び、首に結び付けよ。
6:22 あなたが歩くときには、それがあなたを導き、寝ているときには、あなたを見守り、目覚めるときには、あなたに話しかける。
6:23 命令はともしび、おしえは光、訓戒のための叱責は、いのちの道であるからだ。
この教えは、二十九節まで続きます。父の命令、母の教えは、直説的には、姦淫の罪を避けることです。しかし、このことは、全ての教えに適用できます。
父の命令を守り、母の教えを捨ててはなりません。父と母は、命の道に歩むためにそれを命じ、教えたのです。命令はともしびです。道を照らすのです。どこを歩めばよいかを照らし出します。教えは、光です。真理の光であるのです。やみの中に真理を教えます。訓戒のための叱責は、命の道です。訓戒のための叱責は、快いものではないかもしれません。しかし、それは、その人をいのちに導きます。すなわち、その人が神の御心を行って歩み、命を経験するためであり、御国において豊かな報いを受けるためであるのです。叱責を受ける人は、その観点を見失っている場合が多いのです。ですから、訓戒のための叱責を受けるのを嫌います。反発を覚えることさえあるのです。
それは、命をもたらします。それをいつも心に結ぶのです。自分の行動の基準となるものとして、心に据え、離さないのです。それは、四六時中その人を導き、見守り、話しかけて教えます。
6:24 それはあなたを悪い女から、見知らぬ女の滑らかな舌から守る。
6:25 その女の美しさを心に慕うな。そのまぶたに捕らえられないようにせよ。
6:26 遊女の代償はひとかたまりのパンだが、人妻は尊いいのちをつけ狙うからだ。
6:27 人が火を懐にかき込んだら、その衣服は焼けないだろうか。
6:28 もし人が、燃えている炭火の上を歩いたら、その足は焼けないだろうか。
6:29 隣人の妻と姦淫する者は、これと同じこと。その女に触れる者はだれも罰を免れない。
そのの命令と教えがもたらすものが教えられています。それは、欲望のままにふるまう悪い女から守ることです。また、見知らぬ女とあります。彼女についてそれがどのような人からを知らないけれども、近づいてくる女であり、性的関係だけが接点です。彼女はことばか滑らかであり、目的の達成のために彼が受け入れられ易い言葉を語るのです。そのような女から守ります。
そして、その女は美しいのです。その美しさを心に慕ってはならないのです。彼女は、瞼で誘います。誘われてはならないのです。
遊女との関係は、一塊のパンでの取引です。しかし、人妻との関係は命の代償が待っています。彼女は、その命をつけ狙うとありますが、彼女は、命そのものを標的にしているわけではなく、欲望によって行動しているのですが、彼女の誘いに乗ることは、命を失うことになります。結果的に、彼女が命をつけ狙っていることになるのです。この命は、肉体のいのちでだけでなく、神の前における霊的な命を失うことになります。夫が復讐して命を失うこともあり得ますが、霊的命を失うことの方が重要です。
彼女に触れることは、火を懐に書き込むことであり、炭火の上を歩くことです。服が焼け、足にやけどを負うのです。服は、外に現れる振る舞いの比喩です。彼は、その証しを台無しにします。敬虔な者とは、もはや決して言われないのです。足は、あゆみの比喩です。このことのために躓き、健全な歩みができなくなるのです。
6:30 盗人が飢え、食欲を満たすために盗みをしたら、人々はその者を蔑まないだろうか。
この文は、姦淫を戒める流れの中で記されています。人が飢え、食欲を満たすために盗みをしたら、人々は、彼を蔑みます。この人は、次節から財産を持っている人です。一時の食欲を満たすために、犯罪に手を染めることの愚かさを蔑むのです。彼は、それをしなければ生きていけないのではないのです。同じように、姦淫は、一時的な欲のために、不法を行う愚かされを指摘しています。
6:31 見つかったら、彼は七倍を償い、自分の家の全財産を与えなければならない。
不法を行った結果、その代償は大きいのです。盗んだ物の七倍を償い、自分の全財産を与えなければなりません。本当は彼を満たすことができるはずのものさえ失うことになるのです。
6:32 女と姦淫する者は良識がない。自分自身を滅ぼす者がこれを行う。
女と姦通する者は、知恵も、英知も、思慮もありません。すなわち、神の言葉を受け入れ従う分別もその教えを自分の教えとすることもありません。それがありませんので、たましいを滅ぼすのです。たましいは、神のことばに従う座です。神の言葉に従って生きるならば命があります。彼は健全な歩みから外れ、神の前に実を結ぶことがないのです。神と共に歩む命を失う意味で滅びなのです。肉のままに歩むことは、滅びです。
・「良識」→心臓。心。欲望は含まれない。知恵、英知、思慮を包含する。
・「自分自身」→たましい。
6:33 彼は傷と恥辱を受ける。彼の汚名は消し去ることができない。
彼は、傷を受けます。次節の夫の復讐のために受ける傷かもしれません。律法によれば、死罪にあたる罪です。霊的にも彼は、傷を受け、恥辱を受けます。続く言葉は、「汚名」を問題にしています。名は 、その人の行いとそれに対する評価を表しています。彼は、名を汚します。汚名を消し去るこことはできません。これは、神の御前における評価を表しています。それとともに、姦淫の罪を犯した者としいう汚名は、人々の間においても一生付きまといます。彼の今までの証しも、これからの証しも台無しにします。
6:34 女の夫は嫉妬から激しく憤り、復讐するとき、容赦をしない。
6:35 彼はどんな償い物も受けつけず、あなたが多くの贈り物をしても、受け入れない。
女の夫は、強い嫉妬を抱きます。激しく怒り復讐するときには容赦をしません。彼は、どんな償いも受け付けません。彼から赦しを受けることはできません。
彼は、霊的にも、社会的にも非常に大きな損失を被ります。