箴言28章

28:1 悪しき者は、追う者もいないのに逃げるが、正しい人は若獅子のように頼もしい。

 逃げた。しかし、追う者はいない、それが悪き者。しかし、正しい者は、若い獅子のように信頼する。

 語順をそのままになぞりました。若い獅子が泰然としているのは、襲われることを心配しないからです。そのように、正しい者は、主に信頼して揺るぎません。

28:2 国に背きがあるときは、首長が多くなるが、判断力と知識のある一人の人により、安定は続く。

 国に背きがある時、多くの首長が(要る)。しかし、一人の人のうちにある悟らせることと、その人が知ることとは、確かに長続きさせる。

 国の中に背きがあるときには、それを治めるために多くの首長が必要です。それと対比して、一人の人が、国を長続きさせることができる方法を持っています。それは、悟らせることと知ることです。神の教えを悟らせること、また、その人自身が教えの中に生きる模範です。それが知ることです。

 教会に秩序の乱れや教えの誤りがあるとき、それを正すのには多くの労力を要します。それを正すのは、神の言葉です。一人ひとりにそれを実践するように教え、模範を示すことです。

28:3 弱い者を虐げる貧しい者は、押し流して食物を残さない豪雨のようだ。

 貧弱な者を搾取する欠乏した者は、食べ物が残らない、流れさる雨。

 霊的に貧弱な者を食い物にする霊的に低い、自分の栄誉や、自分の目的を達成しようとする者がいるのです。貧弱な者のわずかに残された霊的食物によって満たされることさえ破壊してしまうのです。

28:4 おしえを捨てる者は悪しき者をほめる。おしえを守る者は彼らに敵対する。

 教えを捨てる者たちは、悪しき者を大いに褒める。教えを守る者は、彼らのゆえに自ら大いに争う。

 教えを守る者は、教えを捨てる者たちをそのまま放置することはできません。正しいことが実行されなければならないのです。悪しき者を褒める者たちは、教えを捨てているのです。コリンとの教会において、優れた人を祭り上げて、それに付く人たちがいました。そして、分派が生じたのです。

・「悪しき」→邪悪。神の言葉に違反し、神への恐れを拒む者。

28:5 悪人はさばきをわきまえない。主を尋ね求める者はすべてのことをわきまえる。

 悪人たちは、規定を悟らない。主を尋ね求める者たちは、全てを悟る。

 規定は、神の教えです。悟ることは、聞き従って実践することです。悪人たちは、神の教えを受け入れて実践することがないのです。主を尋ね求める人たちは、主を自ら進んで求める人です。その人たちは、全ての教えを自らのものとし、実践します。

・「悪」→悪。善悪の悪。善のない人。

28:6 貧しくて、誠実に歩む者は、富んでいて、曲がった道を歩む者にまさる。

 自分の誠実のうちに歩んでいる貧しくある者は、道が曲がっていて、富んでいる人より良い。

 貧しくある者と富んでいる者が対比され、誠実のうちに歩むことと曲がっていることが対比されています。誠実であるが貧しい人、道が曲がっているが富んでいるひとを比較しています。良い方の悪いものと悪い方の良いものを比較し、良いものの方が優れていることを示しています。

・「良い」→神の目に適って良い。

28:7 分別のある子はおしえを大切にする。放蕩する者と交わる者は、父に恥をかかせる。

 教えを守る者は、よく悟る子。軽薄な者と交わる者は、父に恥をかかせる者。

 教えを守る者であるこの子は、よく悟る子で、積極的にそれを求める子です。悟ることは、教えを実践することです。

 一方で、軽薄な者は、教えを軽く扱う者で、そのような者と交わる者になることで、自分も同じように教えを軽く扱う者になるのです。それは、父に恥をかかせます。これは、神への侮辱に相当します。

 悟らせることと恥をかかせることが使役語幹で対比されています。

・「分別のある」→理解する。悟る。使役語幹。強意。

・「大切にする」→守る。維持する。

・「放蕩する」→道徳的軽薄さ。揺れる。価値がない。貪食。

・「交わる」→牧する。交わる。仲間になる。

・「恥をかかせる」→恥をかく。恥じる。使役語幹。

28:8 利息や高利によって財産を増やす者は、貧しい者たちに恵む者のためにそれを蓄える。

 搾取的利息や高利によって、富を増加させる者。主にのみ頼る者に、契約による誠実を示す者のために、それを集める。

 貧しい者に契約による誠実を示す者は、貧しい者の必要を満たすために自分の財産や持ち物を使います。それは、契約を果たすことであり、主が評価されます。自分の富を増やすことだけを目的とする者は、自分のためにそれをします。それによって、人を搾取するのです。そのような者を主はご存知であり、ご自分の栄光のために財産を用いる者にそれを回されます。

・「貧しい者」→主にのみ頼るもの。貧しい者。

・「恵む」→主からは、契約に対する忠誠。人からは、契約に対する誠実。

28:9 耳を背けておしえを聞かない者は、その祈りさえ忌み嫌われる。

 教えを聞くことから耳を全く背けさせる者、彼の祈りさえ忌まわしいもの。

 教えを聞くことから耳を背ける者は、祈りという主に捧げられたものでさえ、忌まわしいものであるのです。主の教えに聞き従うことがないとき、何も評価されません。かえって全てが忌まわしいものであるのです。

28:10 直ぐな人を悪い道に迷わす者は、自分の掘った穴に陥る。しかし、誠実な人たちは幸せを受け継ぐ。

 直ぐな人を悪い道に迷わす者は、自分の穴に落ちる。しかし、全き人は、良いものを受け継ぐ。

 直ぐな人を悪い道に迷わす者は、主が裁かれます。それで、その行為に相応しく、自分の穴に落とされるのです。しかし、全き人たちは、良いものを受け継ぎます。主は、御言葉に対してまっすぐであることを喜ばれ、全き者に、ご自分の目に適った良いものを受け継がせます。それは、この地で良いものを受け継ぎ、永遠の御国で、報いを受け継ぐことです。

28:11 富む者には自分が知恵のある者に見える。しかし、分別のある貧しい者は、彼を調べる。

 自分の目に知恵ある者、富む者。しかし、主にのみ頼る人は、よく悟る者で、自分を探求する。

 富む者は、富に頼り、自分自身を知恵ある者と見ます。しかし、真に知恵ある者は、主にのみ頼る人で、そのような人は、御言葉を聞いて受け入れ従う分別としての知恵を持ち、悟ることすなわち御言葉を実践することをよく求める者であり、それを探求する者です。

・「貧しい者」→主にのみ頼るもの。貧しい者。

28:12 正しい人が喜ぶと、大いなる栄えがあり、悪しき者が立ち上がると、人は身を潜める。

 正しい者たちが喜ぶとき、偉大な栄光がある。しかし、悪き者たちが立ち上がるとき、人は全く隠される。

 正しい者の喜びは、主の御心の実現です。彼が喜んでいるときは、主の偉大な栄光が現れているときです。悪き者が立ち上がるとき、人々は、身を潜め、自分を全く隠します。正しいことが通らないのです。正義が損なわれるのです。

 栄光の現れと、自分を隠すことが対比されています。

・「隠す」→プアル:強意受動態。三人称単数。人が主語。全く隠される。

28:13 自分の背きを隠す者は成功しない。告白して捨てる者はあわれみを受ける。

 自分の背きを隠す者は、大いに成長することはない。よく告白して、捨てる者は、深い慈愛を受ける。

 自分の背きを隠す者は、主の前に成長することはありません。

 告白して背きを捨てる者は、主から深い慈愛を受けます。主に愛され、成長が期待できます。

・「成功しない」→繁栄する。成長する。(霊が)激しく降る。

・「あわれみを受ける」→あわれむ。強意受動態。神によって徹底的に、深く、豊かな慈愛を注ぎ込まれる

28:14 幸いなことよ、いつも恐れる心を持つ人は。しかし、心を頑なにする者はわざわいに陥る。

 幸なるかな。いつも主を大いに恐れる人。しかし、自分の心を頑なにさせる者は、悪の中に落ちる。

 いつも主を大いに恐れる人は、善の中に歩みます。それで、幸いなるかな、と。心を頑なにすることで、主の言葉を受け入れず、従うこともありません。主への恐れがないのです。そのような人は、悪の中に落ちます。何一つ善のない状態になるのです。

28:15 貧しい民を治める悪しき支配者は、うなる雄獅子、襲いかかる熊のようだ。

 唸る雄獅子、突進する熊。主にのみ頼る民を支配する悪き支配者。

 悪き支配者は、主に従うことをしない人です。主にのみ頼る民がいかに尊いかを理解しない人であり、主の言葉に従おうとする民を平気で踏み躙るのです。それは、唸る雄獅子のようであり、突進する熊のようです。

 悪き者と主にのみ頼る者が対比されています。貧しいことは、対比にはなりません。

28:16 英知を欠く君主は、多くの物を強奪する。不正な利得を憎む者は、齢を延ばす。

 教えの通りに行動する分別を欠く支配者に多くの搾取。不正な利を憎む者は、齢を大いに長くする。 

 主の教えを中心に対比されています。支配者が主の言葉に従って行動する分別がないとき、彼は、自分の利益のために不正を行い、力のままに搾取するのです。一方、不正な利を憎む者は、主の祝福を受けます。直接的には、齢が長くされますが、これは、永遠の命としての報いが与えられることの比喩です。

・「君主」→神によって公に任命され、統治・指揮・監督を行う者を指す。

・「英知」→知識、教え通りに行動する分別。

・「略奪する」→強者が弱者を犠牲にして自らを豊かにする、違法な利益すなわち抑圧、恐喝、または不誠実な利益、を搾取する行為。

・「長くする」→使役語幹。強意。

28:17 流血の咎に苦しむ者は、墓まで逃げる。だれも彼を助けてはならない。

 たましいの血の中で墓に至るまで圧迫されている者、彼は逃げ、彼の内に支える者たちはいない。

 この人は、圧迫されています。たましいの血は、彼の信仰の歩みに関して、彼を躓かせることを表しています。たましいが躓くことは、霊的命を失うことです。彼は、よみの入り口まですなわち、全く躓いてしまう手前に至るまでの状態になったのです。そのような中で彼は躓きを避けて逃げるのです。しかし、彼の霊的状態を支える者は、一人もいません。その人が、主に頼り、そこから抜け出す以外ないのです。

28:18 誠実に歩む者は救われ、その道が曲がっている者はただちに倒れる。

 誠実に歩む者は救われる。しかし、自ら道を捻じ曲げる者は、一度に倒れる。

 誠実に歩む者は、永遠の報いを相続する救いをいただきます。しかし、主の教えに適った道を自ら捻じ曲げる者は、突然に倒れます。それは、主のお取り扱いです。

28:19 自分の土地を耕す者は食糧に満ち足り、空しいものを追い求める者は貧しさに満ち足りる。

 自分の土地を耕す者は、パンに満たされる。しかし、空しいものを追求する者は、貧しさに満たされる。

 自分の土地は、相続地を表しています。彼が受け取るはずの御国での相続の比喩です。その相続は、土地を耕すように、主の御心をなすことに対して与えられます。その結果は、パンに満たされます。これは、命のパンとしてイエス様を知ることに満たされることを表しています。主と一つになって歩む命を経験し、その人自身が主と同じ者に変えられ、御国で、永遠の栄光を受けて満たされるのです。

 しかし、価値のない空しいものを追求する者は、御国での相続を考えていないのです。この世の空しいものを追求します。その結果、彼は、御国の相続としての報いを失うのです。この地においても、主を知ることなく、命を経験することもありません。

28:20 忠実な人は多くの祝福を得る。しかし、富を得ようと急ぐ者は罰を免れない。

 忠実な人に多くの祝福。しかし、大いに裕福になることを急ぐ者は、無罪とされない。

 忠実な人は、主からの祝福を受けます。それは、主の目に適った良いものが与えられます。しかし、裕福になることを急ぐ者は、この世のものを求めるのであり、また、それを得ようと急ぐのであり、主の主権に委ねることもないのです。そのようなところに罪が働き、罪を犯すことになります。

28:21 人を偏り見るのは良くない。人は一切れのパンで背く。

 表面で識別してしまうことは、よくない。人は、一口のパンのゆえに背く。

 人の外観で、すなわち、地位、富、好みなどで識別することの誤りを言っています。神の前に誠実であるかどうかは、内面のことであり、簡単には判別できません。人は、一口のパンというさして価値のないもののために、神の教えに背くのです。神の教えに従うならば、永遠に価値あるものを相続できますが、この世のわずかなもののためにそれを捨てるのです。

・「識別する」→使役語幹、不定詞絶対形。確かに識別する。積極的な関与と、強意。

28:22 貪欲な人は財産を得ようと焦り、欠乏が自分に来るのを知らない。

 悪の目の人は、富のために焦らされ、しかし、彼は、欠乏が自分に来るのを知らない。

 目は信仰の比喩です。悪の目は、神の言葉を受け入れることがない悪を表していてます。彼が求めるものは、富であり、そのために自ら焦っているのです。それを得ようと急いで追求しているのです。しかし、主が、そのような者に欠乏をもたらすことで、そのような悪に相応しく返されるのです。

28:23 人を叱責する者は、後になって、舌でへつらう者よりも恵みを得る。

 人をよく叱責する者は、後に好意を見出す。舌でよくへつらう者よりも。

 人を叱責すると、反発を招いたり、不快に思われたりしがちです。しかし、後に好意を見出します。相手がその叱責を受け入れて、その叱責が正しいものであり、自分に対する愛によることを知るとき、叱責を与えた人に好意を抱きます。

 人の悪い状態を見て、叱責するのではなく、その人の心に寄り添うことを大切として、滑らかな言葉でへつらうことをするよりも良いのです。

 ただし、叱責が表面的な判断や、肉的な判断から出た場合には、悪い結果をもたらします。

28:24 父母の物をかすめていながら、「背いていない」と言う者は、滅びをもたらす者の仲間。

 父と母から略奪して、背きはないという者。彼は、破壊する者の仲間だ。

 この破壊は、神の正しい道を破壊することです。両親から略奪したこと、そしてそれを背きとは考えないことが神の教えに全く背いているのです。両親を敬わないことは、神への恐れの欠如の現れです。

28:25 欲の深い人は争いを引き起こす。しかし、主に拠り頼む人は豊かにされる。

 たましいを広くすることは、争いをひどく煽る。しかし、主に信頼する者は、油で満たされる。

 たましいを広くすることは、後半の主に信頼することと対比されています。たましいは、教えに従う座です。この場合、その人の持つ教えです。その教えが主の教えに整合していることが幸いですが、彼は、主に信頼することをしない人であり、肉の考えによって行動する人です。それを広くすることは、肉の満足を追求して行動する姿です。そのような人は、肉によって行動しますから、主にある一人ひとりを認めることができません。ピリピでの姉妹方の不一致のように、肉の現れは争いになるのです。自分を捨てて相手を敬うことができないのです。

 しかし、主に信頼する者は、自分を捨てて、信仰によって歩みます。そのような人は、油が表す聖霊に満たされます。

28:26 自分の心に頼る者は愚かな者、知恵をもって歩む者は救われる。

 自分の心に頼る者、彼は、愚か者。しかし、知恵によって歩む者、彼は、救われる。

 自分の心に頼る者は、後半の知恵によって歩む者と対比されています。知恵は、神の言葉を受け入れ従う分別です。自分の心に頼る者は、神の言葉を受け入れ従うことを求めるのではなく、自分のうちに持つ考えを頼りとし、それに従って行動するのです。そのようなことでは、神の御心に適うことを何一つ行うことはできません。彼は、愚か者です。

 一方、知恵によって歩む者は、神の言葉に従って生きるのですから、永遠の命としての報いを資産として受け継ぎます。ペテロが記したように、これがたましいの救いです。

28:27 貧しい者に施す者は不足することがなく、目をそらす者は多くののろいを受ける。

 欠乏している者に与える者には、不足がない。自分の目を隠す者には多くの呪い。

 欠乏していることは、経済的、霊的欠乏を表します。それを満たすことに対して、主が報いられます。欠乏している者に目を閉ざし、見ない者は、欠乏している人からも、多くの人からも呪いを受けます。主は、その訴えを取り上げられます。

 霊的欠乏を満たすために与えないことは、深刻です。一人ひとりが正しい教えのうちに歩むことができるように、必要を与えることは幸いです。

28:28 悪しき者が勢いを増すと、人は身を隠し、彼らが滅びると、正しい人が増える。

 悪しき者たちが立つとき、人は、自らを隠す。しかし、彼らが滅びるとき、正しい者たちが増える。

 悪しき者たちが立つことは、堅く立つことです。彼らが起こり強くなることです。そのとき、人は、神の言葉に従わない悪が行われることを恐れて、自らを隠します。正しいことが語られないし、行われないのです。

 しかし、彼らが滅びるときに、正しい人たちは、神の御心に適ったことが行われるので、増えるのです。