箴言24章
24:1 悪い者たちを羨んではならない。彼らとともにいることを望んではならない。
悪い者たちを決して羨やまないこと。彼らと共にいることを自ら決して決して望んではならない。
・「羨んで」→強意語幹。未完了形。
・「望んでは」→望む。「強意語幹再帰、祈願法/間接命令、未完了形、二人称+強意語幹再帰、祈願法/間接命令、未完了形、二人称」で二語連なっていて強調している。
24:2 彼らの心は暴行を企み、唇は邪悪をはっきりと語るからだ。
なぜならば、彼らの心は、破滅を企み、彼らの唇は、邪悪を語るからだ。
前節の理由が示されていて、彼らの心は、破滅を企むからです。人が神の教えのうちに歩むことを破壊し、破滅に至らしめるのです。また、語ることは、邪悪であり、神の教えに背くことを明確に語るからです。
24:3 家は知恵によって建てられ、英知によって堅くされる。
家は、知恵によって建てられ、英知によって自らを堅く確立し、
家は、家庭であり、イスラエル全体でもあります。また、教会の比喩でもあります。それを立てるのは、知恵としての、神の御心を受け入れ従う分別の中にある時であり、英知としての、その御心だけを行う分別が働く中にあります。
・「家」→神がその目的と人々のために備え、保護し、秩序付けられた場所。
・「知恵」→御心を受け入れ従う分別。
・「英知」→知識に整合したことだけをまっすぐに行う分別。
24:4 部屋は知識によって、尊く好ましいあらゆる宝物で満たされる。
そして、部屋は、知識によって、貴重な、喜ばしい富で満たされる。
家に対して、ここではその中の部屋を取り上げています。そこは、知識によってすなわち、神の教えによって、神の前に価値あり、喜ばしい富で満たされます。神がよしとする良いもので満たされるのです。
24:5 知恵のある男は力強い。知識のある人は力を増す。
知恵のある人は、力の中にある。そして、知識のある人は、力を増し加える。
知恵のある人は、神の言葉を受け入れ従う分別のある人のことで、その人は、力の中にあります。その人が強くされますが、神の力の中にあって強いのです。そして、知識は、神の言葉です。それを持つ人は、すでに神の言葉を受け入れている人です。その人は、力を増し加えます。神の知識は、神の言葉に従う中に増やされ、従う者に力が増し加えられるのです。上昇螺旋です。
24:6 あなたはすぐれた指揮のもとに戦いを交え、多くの助言者によって勝利を得る。
なぜならば、助言(複数形)のうちに、自分のために戦いをする。そして、勝利は、たくさんの(助言)のうちに、助言する者(単数)に(ある)。
冒頭の接続詞から、本節は、前節の説明になっています。前節は、人の力は、知恵により知識によることが示されていますので、自分のための戦いは、霊的な戦いのことです。助言は、神の教えによる助言です。それを受け入れて従う人が知恵のある人です。その助言が知識なのです。その戦いは、自分のために戦う戦いです。これは、霊的な歩みを妨げる肉との戦いです。軍隊の衝突のような戦いではありません。助言する者は、単数で、助言の出所である主です。
・「レカー」→あなたのために。訳出されていない。
24:7 愚か者には知恵は珊瑚のよう。彼は町の門で、口を開くことができない。
愚か者にとって知恵は高く、門の中で、自分の口を開かない。
門は、神の知恵によって治める者の集う所。知恵は、神の言葉を受け入れ従う分別です。愚か者には知恵は高くて手が届きません。神の御心に適って町を治める者たちの間で、彼は口を開きません。できないのです。開いたとしても、見当はずれのことしか語れないのです。
教会の監督者に神の言葉を受け入れ従う分別が欠けているとすれば、彼は、まともなことは語れないのです。信者を神から離れさせるだけです。神の言葉の中に生きている人でなければ、そのような働きにふさわしくないのです。
24:8 悪事を働こうと企む者は、陰謀家と呼ばれる。
悪事をさせるために企むことは、邪悪と呼ばれる。
人に何事かをさせようとする時、悪をさせることを企むことがあるのです。教会の監督は、信者にさせようとすることが、神の御心に適わないのであれば、それは、邪悪です。正しい、聖書の真理に基づいているかどうかを吟味しなければなりません。
24:9 愚かなはかりごとは罪。嘲る者は人に忌み嫌われる。
愚かな謀は、罪。嘲る者は、人にとって忌み嫌うもの。
この愚かさは、神の言葉に背く愚かさです。前節と同様、そのような謀は、罪です。嘲る者は、神の言葉を嘲る者です。人にとっても忌み嫌うものであるのです。
・「愚かさ」→真実に対する故意の抵抗、神中心の知恵の拒絶の愚かさ。
24:10 もしあなたが苦難の日に気落ちしたら、あなたの力は弱い。
あなたは、苦難の日に自ら衰弱した。あなたの力は、圧迫されている。
苦難の日に自ら衰弱することは、信仰によらないのです。自分の力に頼っているので、衰弱するのです。それで、あなたの力は圧迫されていると言われます。自分の力は無力なのです。しかし、主は、力ある方です。その力が圧迫されることはありません。
24:11 死に渡されるために捕らえられた者を救い出し、殺されようとしてよろめき歩く者を助け出せ。
死のために取られる者を、殺されるためによろめく者を救い出せ。もし、あなたが(それを)控え、
殺されようとする者を救い出せと命じられいます。霊的には、信者の状態であり、神を知らない人々であれ、死に瀕しています。その人を救い出すのです。信者は、神の御心を行うことから逸れることで、死にます。火の池に入ることはなくても、永遠の資産を逃すのです。また、神を知らない人は、永遠の滅びに向かっています。
それをしない場合について、警告されています。次節に続く。
24:12 あなたが「そのことを知らなかった」と言っても、人の心を評価する方は、それを見抜いておられないだろうか。あなたのたましいを見守る方は、それをご存じないだろうか。人の行いに応じて、報いをされないだろうか。
もし、あなたが、「私たちは、確かにこれを知らなかった。」と言っても、人の心を測るこの方は、見極める。そして、あなたのたましいを見守る者その方は、知っている。そして、その方は、人の行いにに応じて人に返されることにならないだろうか。
前節より。それを知らなかったと言っても、主は、人の心をご存知です。その方は、あなたのたましいを見守る方です。あなた自身が神の御心を行う者になるように働く方です。救い出せとの命令は、あなたのたましいがその命令を実行することで、命を得るためです。また、それを期待しているのです。そして、あなたの行いに応じて報いられます。
24:13 わが子よ、蜜を食べよ。それはおいしい。蜂の巣の蜜はあなたの口に甘い。
我が子よ、蜂蜜を食べよ。それは、良い。蜂の巣からの蜂蜜は、あなたの口に甘い。
24:14 知恵もあなたのたましいには同じだと知れ。それを見つけるなら、あなたには将来があり、あなたの望みが断たれることはない。
知恵も、あなたのたましいには同じだと知れ。もし、見つけたなら、それであなたには、未来があり、また、あなたの望みは、断たれない。
知恵も、あなたのたましいには神の目に適って良いのです。甘く、喜んで口に入れるように自分のものにしようとします。知恵を見つけたなら、すなわち自分のものにしたならば、永遠の世において、知恵による行いに対する報いがあり、それを望みとしていて、断たれることはありません。確実に自分のものとすることができます。永遠の栄光の資産こそ、価値あるものであり、喜んで自分のものにしようとするでしょう。
24:15 悪しき者よ、正しい人の住まいを狙うな。彼の伏す所を荒らすな。
悪き者は、正しい人の住まいで待ち伏せしてはならない。彼の安息の場所を破壊してはならない。
・「破壊する」→強意語幹。ぶっ壊す。
24:16 正しい人は七度倒れても、また起き上がり、悪しき者はわざわいでつまずくからだ。
なぜならば、正しい人は、七回倒れて、そして、起き上がる。しかし、悪者は、悪の中に躓かされる。
正しい人は、起き上がることができます。主が支えられるからです。悪き者は、悪の中で躓くのですが、主によって躓かされるのです。
24:17 あなたの敵が倒れるとき、喜んではならない。彼がつまずくとき、心躍らせてはならない。
あなたに敵対する者、あなたに敵対する者が倒れた時、喜んではならない。そして、彼が躓かされる時、あなたの心に大いに喜べ、と(言ってはならない)。
この節は、内容的に、前節と繋がっています。
24:18 主がそれを見て心を痛め、彼への怒りをやめられるといけない。
さもなければ、主は見て、主の目に不快になるだろう。そして、主は、ご自分から、その怒りを取り消されることになる。
悪人が躓くことは、主の主権による主の裁きです。人のためにしているのではありません。それを勘違いして、自分に有利になった時に喜ぶことは、主の主権の侵害です。
24:19 悪を行う者に対して腹を立てるな。悪しき者を羨むな。
悪を行う者たちのゆえに怒りを燃やすな。悪き者たちを強く羨んではならない。
24:20 悪者には将来がなく、悪しき者のともしびは消えるからだ。
なぜならば、悪者には未来がなく、悪き者の灯火は、消えるからだ。
悪き者たちの将来がどうなるかを考える時、怒り、羨む必要がないことが分かります。彼らには、未来がないのです。すなわち、御国での報いはないのです。彼らが歩む道の光としていた彼らの教えは、価値のないものであり、消えるのです。
24:21 わが子よ、主と王を恐れよ。そうしない者たちと交わってはならない。
我が子よ、主を、また、我が子よ、王を恐れよ。それを変更する者と交わってはならない。
一貫して、主を恐れ、王を恐れる歩みをするように命じています。それをしない者がいるので、交わってその影響を受けてはならないのです。
24:22 彼らには、突然終局が訪れるからだ。主と王から来るわざわいをだれが知るだろうか。
なぜならば、突然に彼らの災いが立ち上がるからだ。彼ら二者からの破滅を知る者は誰か。
24:23 これらも、知恵のある者たちによる。さばくときに、人を偏り見るのは良くない。
これらもまた、知恵のある者のために。裁きにおいて、人を差別することは主の目に適わず良くない。
裁きにおいては、人を差別してはなりません。主の目に適うか否かの観点から、取り扱わなければなりません。
24:24 悪者に向かって「あなたは正しい」と言う者を、人々はののしり、国々の民は呪う。
悪者のために「あなたは正しい。」と言う者を、人々は呪い、国の人々は、激怒する。
・「人々」→「民」「一族」「血縁集団」、アム。
・「国々の民」→「国民」「国家」「諸民族」レオム。より広い範囲の人々。
24:25 しかし、悪者を叱責する者たちは喜ばれ、すばらしい祝福が臨む。
しかし、(悪者を)叱責させる人々は、(主に)喜ばれ、彼らの上には、神の目に適った良い祝福来る。
動詞「喜ぶ」は、三人称男性単数です。明記されていませんが、主です。
・「叱責する」→使役語幹。「(相互的に)議論する」と言う意味があり、一方的でなく、当方も言うし、相手も言うので、使役語幹を使用している。(戒めのために)議論させる→叱責する。
24:26 率直な答えをする者は、その唇に口づけされる。
(唇に)正しい真っ直ぐな答えをさせる者は、(主が)唇に口付けする。
正しい答えをする者は、主がそれをすることを愛して、口付けされます。唇を中心に話が回っていますので、唇に答えをさせ、その唇に主が口付けされます。
24:27 外であなたの仕事を確かなものとし、あなたの畑を整え、その後で、あなたは家を建てよ。
外であなたの仕事を確かなものとし、畑で、あなたのために準備せよ。その後で、あなたの家を建てることになる。
自分自身の生活が確立していないのに、家を建てることはできません。証しにもなりません。また、家を建てることは教会(建物ではない)を建てる比喩でもあります。自らの生活を確立しないでは、教会を建てることはできません。
テサロニケ第一
4:11 また、私たちが命じたように、落ち着いた生活をし、自分の仕事に励み、自分の手で働くことを名誉としなさい。
4:12 外の人々に対して品位をもって歩み、だれの世話にもならずに生活するためです。
テサロニケ第二
3:10 あなたがたのところにいたとき、働きたくない者は食べるな、と私たちは命じました。
3:11 ところが、あなたがたの中には、怠惰な歩みをしている人たち、何も仕事をせずにおせっかいばかり焼いている人たちがいると聞いています。
3:12 そのような人たちに、主イエス・キリストによって命じ、勧めます。落ち着いて仕事をし、自分で得たパンを食べなさい。
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・「建てる」→接続法完了形。
24:28 あなたは、あなたの隣人に対し、根拠を持たない証人となってはならない。あなたのその唇で惑わそうとするのか。
あなたは、隣人の中で、根拠を持たずに、証人になるな。その結果として、あなたは、あなたの唇で惑わすことになる。
・「惑わす」→接続法完了形。
24:29 「彼が私にしたように、私も彼にしよう。彼の行いに応じて、仕返しをしよう」と言ってはならない。
「彼が私にしたように、そのとうりに(正確に)私もしよう。私は、彼のために、彼の行いにのように返させよう」と言ってはならない。
今日、主イエス様の直接の教えにおいても、「あなたの敵を愛しなさい」と命じられています。隣人に復讐しないのは当然なのです。
マタイ
5:44 しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
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・「仕返しをしよう」→戻る。帰る。使役語幹。相手から受けたことを戻らせること。
直訳の意味: 「私は(人に)〜を戻させる、返させる」
文脈的な意味: 「報いる」「仕返しをする」
24:30 私は怠け者の畑のそばを、良識のない者のぶどう畑のそばを通った。
私は、怠け者の畑の傍を、心の欠けた者の傍を通った、
・「怠け者」→怠ける人。人は、ish。
・「良識のない者」→人は、adam。ishとadamは、この用法では、区別されておらず、人として扱われている。
・「良識」→心。肉に対比して心。霊的なものを包含している。以下の聖句を参照。
箴言11:12 隣人を蔑む者は良識がない。英知のある者は沈黙を守る。
隣人を蔑む者は、霊的なことがを理解していないのです。霊的な事柄を扱う心がないのです。
それと対比して、神の御心をわきまえそれをまっすぐに行う分別のある人は、そのような蔑みを口に出すことなく、静かにしています。これは、良いことにも口を閉ざすことを意味していません。
「良識がない」と訳されている語は、「英知のある」ことと対比されていて、英知が表している神の御心を行う分別がないことです。
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24:31 見よ。茨が一面に生え、いらくさが地面をおおい、その石垣は壊れていた。
そして、ああ。いらくさが全て立ち上がり、その表面は、茨で完全に覆われ、その石垣は、壊されていた。
24:32 私はこれを見て心に留め、これを見て戒めを受けた。
それで、私は、これを見て心に留め、これを見て、戒めを受けた。
24:33 少し眠り、少しまどろみ、少し腕を組んで横になる。
少しの眠り、少しのまどろみ、休むために少しの手のこまねき、
24:34 すると、付きまとう者のように貧しさが、武装した者のように乏しさがやって来る。
そして、歩き回る者が来ることになる。あなたの貧しさと乏しさが武装した者のように。
乏しさと貧しさは、人を捉えようと歩き回っているのです。それは、武装した者のように強力で、逃れることはできません。怠け者は、捉えられてしまうのです。
怠け者は、行動したら良いことがあることが分かっていて行動しない人です。彼は、また、霊的な分別がない人なのです。神の言葉を受け入れて従う分別がないし、御心を教えのとおりに行う分別がないのです。問題としているのは、彼が神の言葉に生きようとしないことなのです。彼は、肉の安逸を貪り、怠けてその証しが損なわれることも意に介しません。その結果が実生活にも仕事を怠けることとして現れるのです。
今日、信者の中にも、霊的な分別を持たず、肉に従い、ただの人のように歩む方もいるのです。教会で居眠りをすることさえするのです。それがどんなに証しを損なうかを知ることができないのです。
・「来る」→接続法完了形。