箴言23章

23:1 あなたが支配者と食事の席に着くときは、前にある物によく注意するがよい。

 あなたが支配者と食べるために席につく時、あなたの前にある物について、よくよく主の御心に適うか識別する。

・「よく注意する」→識別すること。主の道を考える。「不定詞絶対形+未完了形」で強調されている。

23:2 あなたが食欲の盛んな人であるなら、自分の喉に短刀を当てよ。

 あなたがたましいの人であるなら、自分の喉に短刀を当てよ。

23:3 そのごちそうを欲しがってはならない。それは偽りの食物である。

 彼のご馳走を欲しがってはならない。それは、偽りの食べ物である。

 たましいは、神の言葉に従う座です。それがその人の特性となっている人がたましいの人です。なお、食欲旺盛だから騙されやすいことを警告しているわけではありません。それを食べることで支配者の言いなりになり、主の道に歩むことができなくなることを強く警戒して、識別するのです。

23:4 富を得ようと苦労してはならない。自分の分別によって、これをやめよ。

 財産を蓄積させようと、骨折ってはならない。御心を実践するためにそれを止めよ。

 財産を貯めることのために骨折ることで、神の御心を実践することが妨げられたり、疎かにされることがあるので、止めよ、と。

・「分別」→御心の実践。通常「悟り」と訳される。

23:5 あなたがこれに目を留めると、それはもうないではないか。富は必ず翼をつけて、鷲のように天へ飛んで行く。

 あなたがその上に目を飛ばして、飛ばさせて、何もないではないか。なぜならば、それらは、自らに鷲のように翼をつけ、それで、空へ飛んでいくことになり、飛んでいく。

 さらに、その富は、すぐに失われてしまうからです。目を飛ばすことと、富が飛んでいくことが掛けられています。目を飛ばすとは、視線を飛ばすことで、急いで見ますし、しもべなどに急いで見回させるのです。

・「留める」→飛ぶ。「未完了形+使役語幹、未完了形」飛ばし、飛ばさせる。

・「飛んでいく」→飛ぶ。動詞。「接続法完了形+未完了形」

23:6 物惜しみする人のパンを食べるな。彼のごちそうを欲しがるな。

 悪の目を持つ者のパンを食べてはならない。彼のご馳走を自ら、決して、決して欲しがるな。

 悪の目を持つ者は、悪を自分の教えとしている人のことです。目は、教えを受け入れることの比喩です。目つきが悪いとか目が悪いという意味ではありませなん。

・「欲しがってはならない」→欲しがる。望む。「強意語幹、再帰、命令形、未完了形+強意語幹、再帰、命令形、未完了形」

23:7 彼は、心のうちでは勘定ずくだから。あなたに「食え、飲め」と言っても、その心はあなたとともにない。

 なぜならば、彼がたましいの中で考えたところに従って、彼は、あなたに、そのように、食え、飲めと言う。しかし、彼の心は、あなたと共にない。

 彼の持つ教えに従って、たましいは考えて行動するのです。悪の目を持つ者は、悪の考えを持っているのです。

23:8 あなたは、食べた食物を吐き出し、ほめことばを無駄にすることになる。

 あなたは、食べてしまった一口を吐き出し、あなたの褒め言葉を全く無駄にすることになる。

・「食べた物」→一口。ひとかけら。

・「無駄にする」→破滅させる。駄目にする。強意語幹、接続法完了形。無駄にすることになる。

23:9 愚かな者に話しかけるな。彼はあなたの思慮深いことばを蔑むからだ。

 愚か者が聞いているところで決して話すな。なぜならば、彼は、あなたの、神の御心を分別する言葉を蔑むからだ。

 愚か者は、神の御心を拒み受け入れないので、愚かなのです。信者と言われている人でも、そのような状態であることが多いのです。多くは、肉の欲に従っているのです。そのような人たちにとっては、神の御心を分別する教えは、蔑みの対象なのです。自らそれを受け入れる心がないのです。

・「思慮深い」→神の啓示された御心に適う行動を判断する分別。単なる知性のことではない。

23:10 昔からの地境を移してはならない。みなしごの畑に入り込んではならない。

 昔の地境を移させてはならない。孤児の畑の中に決して入ってはならない。

 昔の地境は、今まで正しいとして認められて来たものです。それを移す根拠はないのです。

 孤児は、力弱い者を表しています。彼には頼るべき者は、この世にないのです。そのような者の権利を侵害してはならないのです。

23:11 彼らの贖い主は力強く、彼らの訴えを取り上げて、あなたと争うからだ。

 なぜならば、彼らを贖う者は力強く、あなたに対する訴訟で争うからだ。

 力ない孤児のために、主が争われます。

23:12 あなたは訓戒に心を用い、知識のことばに耳を傾けよ。

 訓戒のために、あなたの心と耳を知識の言葉に来させよ。

 知識の言葉は、今日、聖書として与えられています。訓戒を受けようとするならば、心と耳でその言葉を受け入れ、聞き従うのです。

23:13 子どもを懲らしめることを差し控えてはならない。むちで打っても、死ぬことはない。

 子供から懲らしめを差し控えてはならない。なぜならば、彼を鞭で打って、彼は死なない。

 子供を懲らしめることをしないことは良いことでないのです。鞭で打っても、死ぬことはありません。

・「子ども」→少年。幼児から青年期まで。

23:14 あなたがむちでその子を打つなら、その子のいのちをよみから救い出すことができる。

 あなたが彼を鞭で打たせる。そして、あなたは、彼のたましいをよみから贖い出させる。

 子を懲らしめることで、子は、歩んではならない道を知ることになります。それは、たましいを救い出します。主の教えから逸れたら、たましいの歩みは、神の前に死に、実を結ぶことができないのです。御国での資産を受け継ぐことができません。それが滅びです。鞭で打って訓練することで、道を踏み外すことがないようになるのです。それこそ、子が最も大きな祝福を受ける道です。それをしないのは、子に対する愛ではないのです。

23:15 わが子よ。もし、あなたの心に知恵があれば、私の心も喜び、

 我が子よ。もし、あなたの心に、知恵を持ったならば、私の心は、私を喜ばす。

・「心」→心(霊的な部分)。肉に対比して心。

・「知恵」→神の言葉を受け入れて従う分別。

23:16 あなたの唇が公正を語るなら、私の心は喜びに躍る。

 そして、あなたの唇が真っ直ぐなことを語る時、それは、私の腎臓を喜ばす。

 父にとって、子に求めることは、知恵と真っ直ぐに語ることです。知恵は、神の言葉を受け入れ、従う分別です。真っ直ぐに語ることができるのは、それが彼の心にあるからです。父にとって、知恵は、心の喜びです。心は、神の言葉を受け入れ、従い、行う分別の場所だからです。たましいは、神の言葉に従う座です。息子が神の言葉を自分のものとしていることは、彼が主に従って歩むことが期待されるのです。父の、同じことを求めるそのたましいにとって喜びです。

・「心」→腎臓。たましいの比喩。

23:17 心のうちで罪人を羨んではならない。いつも、ただ主を恐れていよ。

 あなたの心のうちで、罪人を決して羨んではならない。そうではなく、主への恐れが全ての日に(いつでも)あり、

・「羨む」→強意語幹。

23:18 あなたには確かに将来がある。あなたの望みは断たれることはない。

 そうではなく、来るべき世があり、あなたの望みは、絶たれないからだ。

 この世で繁栄する罪人を妬んではならないのです。来るべき世があるからです。永遠の目を留める時、そのような思いを持つことは決してない手のです。羨むのは、自分もこの世でそのようなものを得たいと思う肉の働きによるのです。信仰の目によって見ていないからです。

・この節は、前節のつながりで、「理由を示す接続詞ki+仮定の接続詞im」が、前節の後半の冒頭と、本節の冒頭に記されている。~ではなく。

・「将来」→次の世代。来るべき世。

23:19 わが子よ。よく聞いて、知恵を得よ。あなたの心が道をまっすぐ進むようにせよ。

 あなた、私の息子よ聞け。そして、知恵ある者になれ。道の中で、あなたの心を真っ直ぐにせよ。

 知恵ある者になることは、神の言葉を受け入れて従う分別を持つ者になることです。その心を真っ直ぐにすることは、神の教えに対して真っ直ぐであるのです。道の中でとは、歩みをすることを表していて、その歩みが真っ直ぐになるように、心を定めるのです。

23:20 大酒飲みや、肉を貪り食う者と交わるな。

 大酒を飲む者たちの中で、大酒飲みになるな。自分に対して肉を軽視するな。

・「貪り食う」→軽視する。軽く見る。揺れる。震える。ふしだらになる。価値がないものになる。放蕩する。

23:21 大酒飲みや、貪り食う者は貧しくなり、惰眠を貪る者はぼろをまとうようになるからだ。

 大酒飲みや、軽く見る者は、滅び、眠る者は、ぼろを纏う。

 大酒飲みについては、二十九節から詳細に記されています。彼らは、理性的な行動を取ることができなくなります。しらふの時には、主に従う人が、酒に酔うことで背くのです。肉を軽く見る人は、肉の欲に従うことを軽く見ている人のことで、主に従っている人が肉にも従い、御心を行うことから逸れるのです。その影響は小さくありません。彼らは、御心に背くことで、滅びなのです。永遠の御国の資産を失うのです。眠る者は、霊的活動を休止しています。眠りは、外界の影響を絶って、安逸を貪ることの比喩です。この人は、神の教えを受け入れることは全くありません。眠っているからです。それは、神から離れた状態です。彼は、清い栄光の衣を着る者ではなく、価値のないぼろを纏うのです。その行いが評価されないのです。

23:22 あなたを生んだ父の言うことを聞け。あなたの母が年老いても蔑んではならない。

 あなたを産んだ父に聞け。あなたの母が年老いた時、蔑んではならない。

 父は、子にとって、自分を生み出した者として神の立場を取ります。その教えは、神の教えです。それで、聞き従うのです。

 母が年老いた時、体力的にも衰え、弱くなります。それでも、父と母は、神の立場を取る者として敬うのです。蔑んではなりません。

23:23 真理を買え。それを売ってはならない。知恵と訓戒と分別も。

 真理を買え。そして、神の御心を受け入れ従う分別としての知恵と、訓戒と、御心を実践することを売ってはならない。

 真理は、神の教えです。買えとは、自ら代償を払い獲得することを表していて、努力してそれを得るのです。

・「分別」→悟り。御心を実践すること。

23:24 正しい人の父は心躍らせ、知恵のある子を生んだ人はその子を喜ぶ。

 正しい人の父は、大いに喜び踊り、そして、知恵のある子を産んだ者は、産んだ者は、その子を喜んだし、喜び続ける。

 知恵ある子とは、神の言葉を受け入れ従う分別のある子のこと。その子は、正しい歩みをします。それは、父にとってどれほど大きな喜びであるかが非常に強調されています。「親の心を子に向けさせ」というマラキの預言の言葉は、このようなことを表しています。親は、子を神の教えのうちに導き、子は、親を自分を生み出した者として神の立場にある者として敬うのです。それが「子の心を親に向けさせ」ということです。

マラキ書

4:6 彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。」

--

・「心躍らせ」→強い感情の影響のもとで、回転する。喜びの態度、声、身体的行動。「不定詞絶対形+不定詞絶対形+未完了形+未完了形」で同じ語が四個連なっていて、非常に強調している。

・「産んだ」→産む。「分詞+分詞」産んだ者。二語連なっている。産むことが強調されている。

・「喜ぶ」→喜ぶ。「接続法未完了形+未完了形」で二語連なっている。「~した+~し続ける」。

23:25 あなたの父と母を喜ばせ、あなたを産んだ人を楽しませよ。

 あなたの父とあなたの母は、喜ぶ。あなたを産んだ者を喜びおどらせよ。

 この節は、前節を受けたものです。父と母は、知恵のある正しい子を喜んでいるのです。それで、その父と母をさらに喜び踊らせよと命じられているのです。

・「喜ばせ」→喜ぶ。前節の「喜ぶ」と同じ語。未完了形。翻訳のように、命令形ではない。

・「楽しませよ」→命令。前節で「心躍らせ」と訳されている語。喜び踊ること。

23:26 わが子よ、あなたの心をわたしにゆだねよ。あなたの目が、わたしの道を喜ぶようにせよ。

 我が子よ、あなたの心とあなたの目を私に与えよ。そして、それらは、私の道を必ず受け入れる。

 息子に対して、心と目を自分の向けよと命じています。父の歩む道に向けるのです。その時、息子は、その道を喜んで受け入れます。父は、主の道に歩んでいて、主と一つになって歩むその幸いを見るからです。父は、子を導くにあたって、模範を示すことが幸いです。それが本当に良いものであることを示すことができます。

・「喜ぶようにせよ」→受け入れられる。同意する。喜んで受け入れる。「基本形、未完了形+基本形、未完了形」。

23:27 遊女は深い穴、見知らぬ女は狭い井戸だから。

 なぜならば、遊女は、深い穴で、外国の女は、狭い井戸であるからだ。

 前節の理由の説明なっています。その理由は、一度その誘惑に陥ったならば、簡単に抜け出せないことを表しています。

・「遊女」→ユダヤ人の婚外性交をする者。

・「見知らぬ女」→外国の女。婚外性交の罪だけでなく、異邦人の神への誘いの危険性がある。そもそも、律法で禁じられている。

23:28 その女は強盗のように待ち伏せ、人々の間に裏切り者を増やす。

 確かに、彼女は、餌食として待ち伏せ、人々の間に裏切る者を増やす。

 彼女のすることは、餌食とするための待ち伏せであり、狙われているのです。その結果、人々の間に、神への裏切りをする者を増やすのです。神の言葉によって教えられ契約を結んでいることに対して、これを裏切るのです。すなわち、背くのです。肉欲によって罪を犯し、さらには、偶像礼拝にまで至るのです。

◻︎葡萄酒を飲む者について

23:29 嘆く者はだれか。悲嘆の中にある者はだれか。争いを好む者はだれか。不平を言う者はだれか。理由もなく傷ついている者はだれか。血走った目をしている者はだれか。

 誰のことか?哀れな!誰のことか?ああ悲しいかな!誰ことか、争いに続く争いは。誰のことか、不平は。誰のことか、理由もない傷は。誰のことか、血走った目は。

・「だれか」→「誰か?」の疑問代名詞に前置詞「~に関して」がついている。だれに関してか?

23:30 ぶどう酒をいつまでも飲み続ける者、混ぜ合わせた酒の味見をしに行く者だ。

 葡萄酒をいつまでも続けている者のことだ。混ぜ合わせた葡萄酒を探し求めるために行く者のことだ。

23:31 ぶどう酒が赤いとき、杯の中で輝くとき、滑らかにこぼれるとき、それを見てはならない。

 葡萄酒を、それが見事に赤い時、それが杯の中で輝き、それに目が自ずと真っ直ぐに行く時、見てはならない。

 葡萄酒が輝く時、自然と目がいくのです。しかし、葡萄酒を見てはならない、と。

・「見て」→行く。強意語幹、再帰。目的語は、「~に」と訳す。創11:31カナンの地に行く。

23:32 後になると、これが蛇のようにかみつき、まむしのように刺す。

 後になると、蛇のように噛みつき、毒蛇のように刺す。

23:33 あなたの目は異様な物を見、あなたの心はねじれごとを語り、

 あなたの目は、異様なものを見、あなたの心は、ねじれごとを語り、

 彼の目も、心も完全に正常な状態ではなくなります。目は、神の言葉である真理を受け入れる信仰の比喩ですが、その見るものは、この世に存在しないような異様なものです。真理とはかけ離れています。その心は、神の教えを受けて保つべきところであるのに、そこからねじれごとが出て来ることになります。

23:34 海の真ん中で寝ている人のように、帆柱のてっぺんで寝ている人のようになる。

 そして、あなたは、海の真ん中で横たわっている人のように、帆柱のてっぺんで横たわっている人のように、

・「帆柱」→縄で固定された形から。

23:35 「私は打たれたが、痛くなかった。殴られたが、知らなかった。いつ、私は目を覚ますだろうか。もっと飲みたいものだ。」

 彼らは、私を打たせたが私は弱くならなかった。彼らは私を打ち倒したが、私は知らなかった。いつ、私は目覚めるのか。もっと続けさせて、探究したい。

 酒の影響は、大きく、正常な判断ができなくなるのです。その結果もたらされる者は、その人の信仰の証しを台無しにします。

・「もっと」→継続することを表す動詞、使役語幹+副詞:増加。

・「飲みたい」→探す。求める。実践する。懇願する。強意語幹。探求する。すなわち、徹底的に求める。