箴言22章

22:1 名声は多くの富より望ましく、愛顧を受けることは銀や金にまさる。

 名は、莫大な富より選ばれる。主の目に適うことは、銀や金にまさる。

 名は、人の行いを表します。主の評価対象としての行いです。それが主の目に適うことは、莫大な富よりも選ばれます。価値があるとして選ばれるのです。主の目に適うことは、金や銀に勝るからです。

 ここでは、比較対象が主の目に適うことを説明する比喩になっています。銀は、贖われた者としての歩みであり、肉にはよらず御霊によって御心を行う歩みを表しています。金は、義の歩みを表しています。御心を行うことで義とされるのです。それが主の目に適うのです。

・「名声」→名。単なるラベルではなく、アイデンティティ、性格、権威、記憶、評判を表す。命の書に記される名は、ラベルとしての名とともに、その人のなした善悪の行いの記録である。信仰者に対する報いは、この名による。

・「富」→莫大な富。大金。財産。

・「まさる」→多様性、豊かさ、偉大さ、強烈さ、そして卓越性、優位性。

・「愛」+「顧」→(主の目に適う)良い。+目に適う。

22:2 富む者と貧しい者が出会う。どちらもみな、造られたのは主である。

 富む者と貧しい者は、出会わされた。それらの全てを造る者は、主である。

 富む者と貧しい者の出会いは、主によって出会わされます。その時、人は、自分が富んでいるか貧しいかによって、自分を誇ったり、相手を悪く考えたり、妬んだり、自分を卑下したりしてはならないのです。その環境は、主が与えたのです。また、主がそれぞれの人を造られたのです。全ては、主の主権のもとにあることです。

22:3 賢い者はわざわいを見て身を隠し、浅はかな者は入って行って痛い目にあう。

 分別のある者は、悪を見た。そして、隠されたし、隠されることになる。浅はかな者は、越えて行って罰を受ける。

 分別のある者は、悪を見て、そこに歩まないようにします。そのことは、後半で浅はかな者が越えて行くことと対比されています。それで、神によって隠されて保護されるのです。「隠す」を意味する語が二語連なっています。

 しかし、浅はかな者は、悪を見ても越えて行き、悪を行うことで罰を受けるのです。

・「賢い者」→分別のある者。

・「身を隠し」→神に隠されることから生じる神の保護。接続法未完了形+接続法完了形で記されています。

・「入って行って」→超えていく。越えていく。渡る。

・「痛い目にあう」→法的な罰。たまたま受ける災難という意味ではない。

22:4 へりくだりと、主を恐れることの報いは、富と誉れといのち。

 謙りによる主への恐れは、富と誉と命である。

 謙りは、主に対して、主のみが崇められることを求めて、自分を捨てることです。そのような謙りによって主を恐れることは、報いをもたらし、永遠の資産としての富を得、神から栄光を受けて誉を受けます。また、この地上にあっても主とともに歩む命を経験し、永遠の報いを資産として受け継ぐ命を獲得します。

・「へりくだり」→神の前で自発的に身を低くする姿勢として表される、内面的な謙遜さ。

22:5 曲がった者の道には茨と罠がある。たましいを守る者はこれらから遠く離れる。

 曲がった者の道には、茨と罠。自分のたましいを守る者は、これらから遠く離れる。

 曲がった者の道にあるものは、呪いを象徴する茨と、罠です。罠は、捕らわれたら簡単には抜け出せないのです。

 たましいを守る者は、その歩みが御心に適う者になるように守るのです。たましいは、神の御心に従う座です。そのような者は、これらに陥ることなく遠く離れます。

22:6 若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない。

 少年を主の言葉の道に教育せよ。彼が歳をとった時でも、そこから離れない。

 少年の歩む道を、主の言葉のうちに歩むように教育するのです。そのように教えられるならば、生涯その道を歩むようになります。

・「若者」→少年。幼児から青年期までを指す。

・「その行く道にふさわしく」→口(言葉すなわち主の言葉)の道の上で。

22:7 富む者は貧しい者を支配する。借りる者は貸す者のしもべとなる。

 富む者は、事欠いている者の中で支配する。借りる者は、人の間で貸させる者のしもべ。

 人に頼るならば、人の支配を受けます。借りる者は、人のしもべになります。そのような支配を受けたならば、神の御心のために堅く立つことはできません。私たちは、神の前に謙る者として神の支配を受ける者です。私たちは、神のしもべであるのです。

22:8 不正を蒔く者はわざわいを刈り取る。こうして彼への激しい怒りのむちは終わる。

 不正を蒔く者は、刈り取りを刈り取り、刈り取る。彼の怒りの杖は、成し遂げる。

 不正を蒔く者は、必ず刈り取ることが、同じ動詞を二つ重ねることで、強調されています。怒りの杖の所有者は、別の第三者で、不正に対して報いられる方で、神です。怒りの杖は、罰を与えるためのもので、罰を与えることが成し遂げられるのです。

・「わざわい」→刈り取り。名詞。

22:9 善意の人は祝福を受ける。自分のパンを貧しい者に与えるからだ。

 (主の)目に適った良いその人は、大いに祝福を受ける。なぜならば、彼は、自分のパンから貧しい人のために与えたからだ。

 主の目に適った良い人は、その行いによって祝福を受けます。

・「善意」→良い。主の目に適って良い。

・「与える」→与える。完了形。与えた。

22:10 嘲る者を追い出せ。争いは出て行く。もめごとも辱めも終わる。

 嘲る者を叩き出せ。争いは、出ていった。そして、もめごとも辱めも終わった。

 あざける者は、主の言葉を嘲ります。主の言葉に従うことをしない結果、人の間に争い事が起こるのです。肉により、自分を主張するからです。

・「出ていく」→接続法未完了形。出ていった。

・「終わる」→接続法未完了形。終わった。

22:11 心のきよさを愛し、優しく話をする者は、王がその友となる。

 心の清さを、清さを愛する者、彼の唇(にある主)の好意は、王が彼の友。

 「清い」は、二回繰り返されて、強調されています。心の純粋さを求める人は、主から好意を受けます。それで、その人の語る言葉は、主の目に適った喜ばれる言葉です。そのことのために王に愛され、王が友となります。

・「優しく」→目に適う。好意。恵み。

22:12 主の目は知識を見守り、裏切り者のことばをくつがえす。

 主の目は、知識を見守った。そして、裏切る者の言葉を覆した。

 主は、人にご自分の知識を示されました。そして、それを見守っておられます。その示された主の言葉に背き、裏切る藻がいるのです。彼は、示されている通りには行動しないのです。主は、そのような者の言葉を覆されます。主の言葉を尊いものとして扱わないのですから、彼の言葉を覆すことは、ふさわしい報いです。神の言葉に従わない者は、たといそれが神の言葉を取り次ぐ者であったとしても神がその言葉を覆らせます。

22:13 怠け者は言う。「獅子が通りにいる。私は広場で殺される」と。

 怠け者は、言った。外に獅子がいる、広場で殺される、と。

 怠け者は、言い訳で、自分が行動しないことを正当化しようとします。その言い訳は、起きる可能性が極めて低いことを数えるのです。そのような人を動かすことはできません。

22:14 よその女の口車は深い穴。主の憤りに触れた者がそこに落ち込む。

 見知らぬ女の口は、深い穴。主の怒りを受けている者は、そこに転落する。

 女の誘いに落ちる者は、すでに主の怒りを受けている者です。彼は、主の怒りを引き起こすような生き方をしている人であり、神の言葉に従うことをしていないのです。それで、自分の欲望のままに行動するのです。彼は、そこに転落するのです。

22:15 愚かさは子どもの心に絡み付いている。懲らしめのむちがこれを子どもから遠ざける。

 愚かさは、子供の心の中に結び付けられている。懲らしめのむちはこれを彼から離れさせる。

 神の真理に反抗する愚かさは、子供の心に結び付けられています。成長すれば、自然になくなるというようなことはありません。懲らしめの鞭あるいは棒で打ち、体に覚えさせなけはれば、それを離れさせることができません。体罰によらなくても、懲らしめが必要です。

・「愚かさ」→それは、真実に対する意図的な抵抗であり、神を中心とした知恵の拒絶であり、行動や言葉、人間関係にまで悪影響を及ぼす自己顕示的な態度を意味する。

22:16 自分を富ませるために貧しい人を虐げる者、富む人に与える者──どちらも欠乏に至るのみ。

 自分のために増し加えるために、貧しい者を虐げる者、富む者のために与える者は、確かに、欠乏へ。

 貧しい者を虐げる理由が自分の利得のためです。富む者のために与えるのは、相手の必要を満たすためではなく、自分が好意を受けるためです。自分中心の利益のためです。

 教会において、敬虔な兄弟を圧迫する者がいるのです。かしらになりたいという思いからです。

ヨハネ第三

1:9 私は教会に少しばかり書き送りましたが、彼らの中でかしらになりたがっているディオテレペスが、私たちを受け入れません。

1:10 ですから、私が行ったなら、彼のしている行為を指摘するつもりです。彼は意地悪なことばで私たちをののしっています。それでも満足せず、兄弟たちを受け入れないばかりか、受け入れたいと思う人たちの邪魔をし、教会から追い出しています。

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 また、特定の人を祭り上げて、その人につくことで自分を高め、誇ろうとし、分派に至ることがあるのです。

コリント第一

1:11 私の兄弟たち。実は、あなたがたの間に争いがあると、クロエの家の者から知らされました。

1:12 あなたがたはそれぞれ、「私はパウロにつく」「私はアポロに」「私はケファに」「私はキリストに」と言っているとのことです。

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22:17 耳を傾けて、知恵のある者たちのことばを聞け。私の知識に心を向けよ。

 あなたのの耳を傾けさせよ。そして、知恵の言葉を聞け。そして、あなたは、あなたの心を私の知識に定める。

 耳を傾けることと知恵の言葉を聞くことは、命令形で記されています。後半は、その結果です。言葉を聞いて受け入れることで、その心が主の知識に定められるのです。彼は、主の教えを自分のものとして、そこに従って生きるようになるのです。

・「向けよ」→定める。未完了形。

22:18 (なぜならば)これらをあなたのうちに保つのは楽しいこと。これらをみな、あなたの唇に備えよ。

 なぜならば、これは、称えられる良きこと。なぜならば、これをあなたのうちに保つならば、あなたの唇の上の全ては、堅くされる。

 この節は、前節の説明になっています。知恵の言葉に耳を傾けて、それを自分のものにすることは、楽しいことなのです。それを自分のうちに保つので、口で語る言葉の全ては、堅くされます。全てが主の目に適ったものになるのです。

・あなたの「うち」→胃。腹。胎。霊の深み。

・「楽しい」→契約に基づく、称えられる善。

22:19 あなたが主に拠り頼むことができるように、私は今日、特にあなたに教える。

 主のうちにあなたが信頼するようになるために、私は、今日、特にあなたが知るようにさせた。

・「特に」→その後に続く内容を強調したり、補足したり、強めたりする接続・強調助詞。

22:20 私はあなたのために、勧告と知識についての三十句を書いたではないか。

 私は、あなたのために、かつて、かつて、助言として書かなかったか。

・「勧告」→(主によらない人の)計画。方法。助言。

22:21 これは、あなたに真理のことばの確かさを教え、あなたを遣わした者に、真理のことばを持ち帰らせるためである。

 それは、あなたに知識を知るようにさせるため、確かな真理の言葉を答えさせるため、真理の言葉があなたを行かせるため。

 この人は、今日、あなたに教えると、あなたがこれを知るべきこととして強調しました。この人は、初めてこの人に教えたのではないのです。かつて、助言として記したのです。書かなかったかと問いただすことで、思い起こすようにさせました。それをした目的を語り、神の知識を知るようにさせること、彼自身が真理の言葉を答えることができるようにさせるため、そして、真理の言葉がその人を送るためすなわち、行かせるためで、真理の言葉に従って歩ませるためです。

・「持ち帰らせる」→送る。届ける。基本形、分詞、三人称複数/二人称単数。複数形は、真理の言葉を受けている。送るは、あなたを送るすなわち行かせること。

22:22 貧しい者からかすめ取るな。彼が貧しいからといって。苦しむ者を門のところで踏みにじるな。

 主にのみ頼る者を、彼が主にのみ頼るという理由で、力づくで引き離してはならない。そして、彼は謙る者を、門のところで粉々に砕いてはならない。

 主にのみ頼る人をそのような歩みから引き離そうというのがこの人のしようとしていることです。主に対して謙る者を門のところでその謙りをいいことに粉々に砕くようなことをしようとしているのです。特に門のところにいる者は、裁き司です。彼にとっては、主を恐れて歩むことに意味を見出さないのです。主を恐れている者を迫害することで、主を恐れることを否定する口実にしています。彼らの生き方を正当化しているのです。主を恐れても何の良いこともないことを証明しているのです。

・「かすめ取る」→力づくでとる。未完了形。なお、かすめ取るは、素早くあるいはこっそりとること。

・「踏みにじる」→砕く。強意語幹。未完了形。

22:23 主が彼らの訴えを取り上げ、彼らから奪う者のいのちを、奪われるからだ。

 なぜならば、主が彼らの訴えを取り上げ、彼らのたましいを奪う者を奪うからだ。

 貧しい者、苦しむ者は、主にのみ頼る者、謙る者のことです。主は、彼らのたましいを奪うことを問題としています。すなわち、彼らが主の言葉に従って生きるいのちを奪うからです。たましいは、主の言葉に従う座です。主は、彼らの訴えを取り上げます。どうして、主を恐れる者を放っておくでしょうか。

 なお、これは、経済的な貧しさ、心体的苦しみのことではありません。それらは、主を恐れることと関係ないからです、

 主は、迫害者を奪われます。その取り扱いの主権は、主によりますが、同じ扱いで報いられることを言っていますので、彼らが主に立ち返って命のうちに生きることを奪い去られます。

ヨハネ

3:18 御子を信じる者はさばかれない。信じない者はすでにさばかれている。神のひとり子の名を信じなかったからである。

3:19 そのさばきとは、光が世に来ているのに、自分の行いが悪いために、人々が光よりも闇を愛したことである。

3:20 悪を行う者はみな、光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光の方に来ない。

3:21 しかし、真理を行う者は、その行いが神にあってなされたことが明らかになるように、光の方に来る。

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 信じていない者は、裁かれ、もはや光の方には来ないのです。

・「いのち」→たましい。これは、霊的なこと。虐げによって体の命を奪うことを言っていない。

22:24 怒りっぽい者と交わるな。激しやすい者と一緒に行くな。

 怒る者と一緒に羊を自ら飼ってはならない。激怒する者と一緒行ってはならない。

 怒る者は、怒りを露わにします。そのような者とともに、羊を飼う共同作業は、困難です。協力して当たらなければならない作業です。うまく牧することはできません。激怒する者と、行動をともにすることもできないことです。自分の意見を強く主張し、正しい方向を見失うのです。

 牧会において、一致は大切なことです。監督者としての長老の間に一致がないことは、信者に悪い影響を及ぼします。怒りを露わにし、自分の意見を主張する者がいることは、牧会を困難にさせます。

22:25 あなたがその道に倣って、自分が罠にかからないために。

 あなたがその道を習得し、あなたのたましいに罠をかけられないために。

 怒る者の行動を自分のものにしてしまうならば、罠にかかりましす。たましいの罠です。彼の信仰の歩みの躓きとなるのです。

・「倣って」→習得する。

・「自分」→たましい。

・「かかる」→取る。受ける。

22:26 あなたは人と誓約をしてはならない。負債の保証人となってはならない。

 あなたは、負債を保証することにおいて、手を打つ者になってはならない。

 手を打つ行為は、保証を請け負うことを表す。

22:27 あなたに償うものがないとき、人があなたの下から寝床を奪ってもよいだろうか。

 あなたに返済を完了することがない時、どうして、あなたの下から、あなたの寝床を取ってよいだろうか。

 保証人となることで、返済の義務が生じることは、分かっていて請け負うのです。しかし、返済を完了することができない事態になることが考慮されていないで、請け負ってはならないのです。

・「償うもの」→シャラム。完全にする。完全になる。終わらせる。返済を完了する。

22:28 昔からの地境を移してはならない。それはあなたの先祖が設けたものだ。

 あなたの先祖が定めた昔からの地境を移させるな。

 境界内の領域は、自分が受け継ぐものとして与えられています。それは、先祖が定めましたが、主からのものです。

 私たちは、御国において相続を受ける者です。その受けるべき相続は、信仰により、御霊によって主の御心を行うことで与えられます。それが侵害され、減るようなことがあってはならないのです。その背後には、悪魔が働いています。肉を誘惑し、それを損なうのです。

22:29 仕事に熟練した人を見たことがあるか。その人は王の前に立つが、無名の人の前には立たない。

 あなたは、仕事に精通した人を見たか。その人は、王の前に自ら堅く立ち、暗い人の前に自ら、堅く立つことをしない。

 この、仕事に精通した人は、王の前に自ら堅く立つために自らを磨いたのです。そして、暗い人の前には立ちません。これは、王の前に立つ価値を知らない人のことです。知らないので暗いのです。

 比喩としては、王は、主イエス・キリストです。仕事は、御心を行うことです。彼がそのことに精通するのは、主の前に堅く立つためです。しかし、真理に対して暗い人、主の御前における栄光を考えない人の前には、立とうとはしません。永遠の栄光を望まないような人には、何の価値もないからです。

・「熟練した」→速い。精通した。巧みな。抜かりない。物事に長く取り組んで慣れ、技術や手際が非常に上手であること。ある特定の物事について、細部まで深く詳しい知識や理解を持っている状態を指します。ただ知っているだけでなく、実務や専門分野において安定して対応できる高い能力があることを意味しています。

・「無名の」→暗い。

・「立つ」→いずれも、強意語幹、再帰。自らを堅く立たす。