箴言21章
21:1 王の心は、主の手の中にあって水の流れのよう。主はみこころのままに、その向きを変えられる。
王の心は、主の手の中にあって水の流れ。全てのことにおいて、主が望む方へ向きを変えさせる。
水の流れは、御言葉によって働く聖霊の比喩です。水は、御言葉、流れは、聖霊を表します。王の心は、主が喜ぶ方へ向きを変えさせます。その方法は、御言葉と聖霊によります。
・「みこころのままに」→望むほうへ。喜ぶほうへ。
21:2 人には自分の歩みがみなまっすぐに見える。しかし、主は人の心を評価される。
人の道の全ては、彼の目に正しく見える。しかし、主は、心を量られる。
人は、自分の道を正しいと評価します。しかし、主は、その人が心に御心を受け入れ従っているかどうかを評価されます。
21:3 義と公正を行うことは、主の前で、いけにえより望ましい。
義と公正すなわち規定を行うことは、いけにえよりも主に選ばれる。
義を行い、主の定めを行うことは、いけにえにまさって、主の目に適うものとして選ばれる。主にとって、御心を行うことは、極めて喜ばしいことです。主イエス様もそのことに言及されています。
マタイ
9:13 『わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。」
12:7 『わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない』とはどういう意味かを知っていたら、あなたがたは、咎のない者たちを不義に定めはしなかったでしょう。
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「真実の愛」と訳されている語は、契約に対する誠実です。いけにえと対比されています。形式だけを重んじて、契約すなわち主の教えに対する誠実に欠けていたのです。それで、罪人を断罪するだけでした。隣人に対する愛がなかったのです。
今日、公の働きに熱心であるばかりでなく、御霊によって御心を行うことは大切なことです。
・「望ましい」→選ぶ。違いを見分けて選ぶ。
21:4 高ぶる目とおごる心。悪しき者のともしびは罪。
高ぶる目と広い心。悪しき者の耕された耕地は、罪。
広い心は、悪しき者の耕された耕地に対応しています。そこは、いつでも種が蒔ける状態です。それは、いつでも神の言葉を受け入れることができる広い心を表しています。しかし、悪者は、神の言葉を受け入れようとしません。目は、信仰の比喩ですが、高ぶる目は、神の言葉を受け入れようとしません。自分の考えを主張し、受け入れることができないのです。そのような者の心に御言葉が入るはずもありません。それなのに、受け入れる心を用意しているのです。これは、明らかな偽善です。
信者であっても、聖書の言葉を信じてその中を歩むことを心がけていながら、肉に従がわず、御霊によって神の御心を行うことができることを信じないとすれば、それは偽善です。肉に従った歩みから離れることがないのです。また、肉に対しては無力であると考えるのです。自分の考えによって、神の教えを無視するのです。
・「ともしび」→耕された土地。種を蒔いていない状態の土地。
21:5 勤勉な人の計画は利益をもたらし、すべて慌てる者は損失を招くだけだ。
勤勉な人の計画は、確かに、利益をもたらす。性急に事をなす者は、確かに利益を欠く。
勤勉な人の計画は、神の御心をいかに行うかということをよく考慮して立てられます。そして、それを確実に行います。性急に事をなすのは、なすべきこと、成してはならないこと、また、なすことの影響などについてが熟慮されていないのです。なす行動についても、あるいは、語る言葉についても慎重な判断が必要です。
・「計画」→考え。計画。
・「慌てる」→性急にする。
21:6 偽りの舌をもって財宝を得る者は、吹き払われるもやのよう。死を追い求める者だ。
偽りの舌をもって財宝を得る者は、吹き払われるもやのよう。ひたすら死を追求する者だ。
財宝というこの世の富の獲得のために偽りを言うことは、もやのように現れては消える、空しい価値のないものであり、吹き払われるように目の前から拭い去られます。それは、世のものに心を奪われることであり、偽りを言う罪を犯すことです。それは、ひたすら死を求めることです。神と共に生きる命はないし、御国での報いはないのです。それは、信者にとって死です。
・「追い求める」→強意語幹。
21:7 悪しき者たちは自らの暴力に引きずられる。公正を行おうとしないからだ。
悪しき者の(もたらす)破滅は、自らを引きずっていく。なぜならば、主の定めを行うことを堅く拒むからだ。
悪しき者は、破滅をもたらします。しかし、彼自身は、破滅を刈り取り、その破滅に引きずられていくのです。彼自身は、主の御心から逸れ、破滅をもたらすようなことをしているのです。しかし、それは、自分自身を破滅させていることであるのです。この破滅は、霊的には、神の前に人々が健全に歩むことを破壊することです。例えば、指導者が民を教えの誤りに導くことです。それで彼には、神の前に命がないのです。彼には、報いがないのです。それが破滅です。
・「暴力」→荒廃、破滅、暴力、抑圧的な略奪。
・「公正」→規定。
・「しない」→拒む。強意語幹。堅く拒む。
21:8 罪人の道はねじれている。しかし、純粋な人の行いは真っ直ぐだ。
罪人の道はねじれている。しかし、清い人の行いは、真っ直ぐだ。
罪人の歩みは、神の教えから逸れ、ねじれています。清い行いは、まっすぐです。神の教えに対して真っ直ぐなのです。
21:9 争い好きな女と一緒に家にいるよりは、屋上の片隅に住むほうがよい。
いさかいをする女と共に生活する家よりは、屋上の片隅に住む方が良い。
最も近くで霊的歩みを共有する妻が争いを仕掛けることで、霊的歩みの障害になります。愛や尊敬が通じないのです。それによって霊的な躓きとなるようであれば、屋上の片隅という生活環境としては最悪の場所のほうが良いのです。霊的な歩みこそ尊いのです。
21:10 悪しき者のたましいは悪事に憧れ、その目に隣人へのあわれみはない。
悪しき者のたましいは、ひたすら悪を願う。彼の目には、隣人に喜んで応えさせられることはない。
悪しき者の霊的な歩みに関して、たましいと表現されています。たましいは、神の言葉に従う座です。しかし、彼のたましいは、ひたすら悪を願うのです。彼が隣人に喜んで応える目すなわち信仰はありません。隣人に喜んで応えることは、信仰から出てきます。それは、主の働きであるからです。それで、使役語幹、受動態が使われていて、主によって応えさせられることがないのです。
前半の「願う」と対比されて、後半の「求めるものに喜んで応える」は「懇願」をも意味する語です。悪しき者は、悪をひたすら願い、隣人の懇願は顧みないのです。
・「憧れる」→願う。強意語幹。ひたすら願う。
・「あわれみ」→懇願。求める者に喜んで応える。使役語幹。受動態。~させられる。
21:11 嘲る者が罰を受けると、浅はかな者が知恵を得る。知恵のある人が賢くなると、その人は知識を加える。
嘲る者が罰を受けると、浅はかな者が知恵を得る。知恵のある人が分別を働かせると、彼は、知識を加える。
嘲る者は、他の人に分かるように嘲りをする人です。嘲りは、神の言葉に対する嘲りであり、自分を主張するのです。彼は、神の言葉を受け入れて従うことをしません。
知恵のある人は、神の言葉を受け入れて従う分別のある人です。その分別を働かせると、さらに彼は、神の言葉としての知識を加え、情報としての知識をえ、それを身につけて真の知識に至るのです。
・「賢くなる」→分別する。識別する。使役語幹、不定詞。分別を働かせること。
21:12 正しい方は悪者の家を見抜き、悪者どもをわざわいに導かれる。
正しい者、悪者の家の中で分別を働かせる者は、悪者を悪のために覆す者。
悪しき者の家にも、正しい人はいます。その人、分別を働かせるその人は、悪しき者の悪を明らかにし、悪しき者を覆します。教会の中に正しい分別を働かせることができる人が一人しかいなくても、口を閉ざしてはなりません。主のために堅く立たなければならないのです。
・「見抜き」→分別する。識別する。
・「導かれる」→覆す。壊す。
・「わざわい」→悪。
21:13 貧しい者の叫びに耳を閉ざす者は、自分が呼ぶときにも答えてもらえない。
貧しい者すなわち主にのみ頼る人の叫び声に耳を閉ざす者は、自分が叫んでも聞かれない。
主は、ご自分にのみ頼る人の叫びに喜んで応える方です。それは、契約に示されていることです。それで、人にも、貧しい者の叫びに応えるように言われます。しかし、もし耳を閉ざすとすれば、彼に対してはそれに相応しく報いられ、主に叫んでも応えられないのです。
・「貧しい」→貧しい。主にのみ頼る人。
21:14 ひそかな贈り物は怒りを鎮め、懐の賄賂は激しい憤りを鎮める。
密かな贈り物は怒りを鎮め、懐の賄賂は激しい憤りを(鎮める)。
贈り物と賄賂が対応し、密かなと懐のが対応します。私たちは、主の前には、自分自身を捧げる以外にありません。
21:15 公正が行われることは、正しい人には喜び、不法を行う者には恐怖。
主の定めが行われることは、正しい者には喜び。不法を行う者には、破滅。
正しい者は、主の言葉の中に生きる人です。主の定めが行われることは、喜びとなります。しかし、信者であっても、聖書の教えのとおりに行動することを喜ばない人もいるのです。それは、破滅です。主の前に命はないし、永遠の報いもありません。主を恐れて、その御心を行うことを求めているか吟味することは幸いです。
・「公正」→規定。主の定め。掟。
21:16 賢明さへの道から迷い出る人は、死者の霊たちの集いで安らぐ。
分別を働かせる道から迷いでる人は、死者の集いに住む。
神の御心に適ったことを見分ける分別を働かせることで、神の御心を行い、永遠の命を獲得できます。その命は、主とともに歩む命であり、永遠の報いを受けることです。そこから迷いでることで、神の御心から逸れることになります。それは、死です。神の前に生きた者としての歩みがなく、実を結ぶことがありません。永遠の報いはないのです。死者の集いには、そのような人が大勢いることを表しています。そのようなところにいつまでも留まるのです。
なお、「安らぐ」と訳されている語は、「落ち着く」ことから派生しています。そこが行き着く先であり、そこに留まることを表しています。安らぐは、安息を得ることを表していますが、死者の中に安息はないのです。
・「賢明さ」→分別する。識別する。使役語幹。不定詞絶対形。分別を働かせること。
・「道から迷い出る」→横道に逸れる。迷う。
・「安らぐ」→落ち着く。留まる。住む。滞在する。安らぐ。
21:17 快楽を愛する者は貧しい人となり、ぶどう酒や油を愛する者は富むことがない。
(快楽の)喜びを愛する者は、貧しい人。葡萄酒や油を愛する者は、富ませられない。
「喜び」は、この場合、快楽的な喜びのことです。その人は、後半の記述のように、葡萄酒や油を愛することをする者です。彼が貧しい人であると言われているのは、主によって富ませられることがないからです。
彼らの愛する喜びは、肉の喜びです。自分の肉を満たす喜びで、霊的な喜びを求めようとはしません。信仰により神の御心を行うことによってもたらさせる喜びにまさるものはありません。使徒ペテロは、「喜び踊っている」と言いました。たましいの救いを得ているからです。すなわち、たましいが信仰により神の御心を行って歩み、永遠の資産を受け継ぐことを知っているからです。
・「富む」→使役語幹。富ませる。
21:18 悪しき者が正しい人のための身代金となり、裏切り者が直ぐな人の身代わりとなる。
正しい者のための身代金は、悪き者。直ぐな人の代わりは背く者。
正しい者は、直ぐな者で、契約に対して真っ直ぐな者のことです。悪き者は、契約に背く者のことです。身代金は、命の代価です。直ぐな人が命を得て、背く者に死が与えられることを表しています。主の御心のうちを歩むならば、命があります。御言葉に背くならば、死があります。これは、歩みに対する報いのことです。
・「身代金」→贖い金。命の代価。ピッチ。償い金。
・「裏切り者」→信頼の裏切り。背信。神の契約に背く。
21:19 争い好きで、苛立つ女といるよりは、荒野に住むほうがまだましだ。
いさかいといさかいに満ちて、怒る女より、地の荒野に住む方が良い。
女の争いの原因は、不満と怒りです。自分の思い通りにならない時、怒りが生じます。彼女は、事を主に委ねることを知らないのです。主を知りませんから、夫を敬い従うこともありません。そのように、自分中心にしか物事を考えることのできない人といることは苦痛です。霊的歩みを共有することができません。また、躓きをもたらします。荒野の方が遥かに良いのです。神の御心に従って生きることこそ価値があるからです。
主イエス様にとって、信者の不平不満を聞くことは、耐え難いことでしょう。肉のままに自分を主張し、主に対する恐れも尊敬もありません。主の御心のままに委ねることをしないのです。
21:20 知恵のある者の住まいには、好ましい財宝と油がある。しかし、愚かな人はこれを呑み尽くす。
知恵ある者の住まいには、好ましい財宝と油がある。しかし、愚かな人は、これを無駄にする。
知恵あることは、神の御心を受け入れ従う分別があることです。そのような人は、好ましい財宝と例えられている御国での永遠の栄光としての資産を受け継ぎます。それは、全てにまさって好ましいものです。油は、聖霊の比喩です。御心を行おうとする者に聖霊を豊かに注いで、聖霊の御心のままに歩めるようにされます。それは、御国での宝をさらに増すものになります。
しかし、愚か者は、それを台無しにします。無駄にしてしまうからです。機会が与えられても、自分のものにしようとしません。神の言葉に従うことを価値あることとしないのです。それによって与えられるのに目を留める信仰がないのです。
・「好ましい」→喜ばされる。「喜ぶ」の受動態。
・「呑み尽くす」→浪費する。無駄にする。(速やかに)破壊する。破滅させる。呑み尽くす。
21:21 義と恵みを追い求める者は、いのちと義と誉れを見出す。
義と、主の契約に対する忠誠をあくまでも追い求める者は、いのちと義と誉を見出す。
義は、信仰による義です。そして、主が信仰に応えて契約を徹底的に果たすことをあくまでも追求する者は、いのちを見出します。主と一つになってともに歩むいのちであり、永遠の報いとしての命があります。また、御心を行うことで義の実を結びます。そして、主から永遠の栄光としての誉を受けます。
・「追い求める」→追跡する。探し求める。強意語幹。
21:22 知恵のある者は勇士たちの町に攻め上り、その頼みとする砦を崩す。
知恵ある者は、力ある者たちの町へ上り、頼みとする力を弱くさせる。
力ある者たちが力ない者とされます。上ると下げるが対になっています。
これは、知恵による策略によるのではなく、主の働きです。知恵あることは、主の言葉を受け入れ、従う分別のあることです。主は、そのような者とともにおられ、主の業として力ある働きをされます。
・「攻め上り」→上る。
・「崩す」→下げる。下に行く。(力を)下げるすなわち弱くする。使役語幹。
21:23 自分の口と舌を守る者は、自分自身を守って苦難にあわない。
自分の口と舌を守る者は、自分のたましいを苦難から守る。
口と舌は、その人の言葉です。それは、その人のうちから出てきます。単に話す言葉に気をつけることを言っているのではなく、その人が神の御心に適った教えを自分のものにしていて、初めて神の目に適った言葉を語ることができるのです。それですから、信仰による歩みの座であるたましいを守るのです。裁きや懲らしめとしての苦難に合わないのです。全く苦難に合わないことを言っているのではありません。主は、目的に応じて、敬虔な者にも苦難を与えます。信仰者に応えて栄光を現すためです。しかし、懲らしめとしての苦難を与えられることはないのです。
・「自分自身」→たましい。
21:24 横柄で不遜な者、その名は「嘲る者」。彼は憤然として横柄にふるまう。
横柄で、高ぶる者、その名は嘲る者。彼は、激怒して横柄に振る舞う。
彼の横柄の原因は、神の言葉に対する高ぶりから、すなわち、神の言葉を受け入れなところから来ます。高ぶりの本質は、神の言葉に対する高ぶりです。彼の名が示すように、神の言葉を嘲るのです。価値あるものとして受け入れることがありません。彼は、うちなる感情の爆発で激怒し、横柄に振る舞います。感情に支配されているのです。神の前に全く価値のない生き方なのです。
・「憤然として」→激しい感情の爆発のうちに。
21:25 怠け者の欲望はその身を殺す。その手が、働くことを拒むからだ。
怠け者の熱望は、彼を殺させる。なぜならば、彼の手が働くことを断固拒むからだ。
怠け者が熱望することは、怠けることです。彼は、その強い願いによって、死を刈り取るのです。彼は、なすべき良いことがわかっていて、したくないのです。手が働くことを断固拒むのです。それが怠け者です。
御言葉を聞いて、それを信じ、従うならば命があります。御霊によって実を結ぶことができるのです。怠け者は、それを聖書を通して知らされても、一切行動しようとしません。御言葉を信じることをしないのです。彼に命はありません。
・「欲望」→熱望。喜ぶもの。(主観的に)満足。(客観的に)魅力。願い。(悪い意味で)欲望。
・「拒む」→強意語幹。
21:26 この者は一日中、自分の欲望に明け暮れる。しかし、正しい人は人に与えて惜しまない。
一日中、彼は、自ら熱望するものを強烈に熱望した。しかし、正しい者は、与えて、拒まない。
正しい者に対比される者について、その呼び名が記されていません。本節は、前節を受けています。彼は、安逸を貪り、それだけを求めています。
しかし、正しい人は、何が良いことかをわきまえています。人に与えることは、隣人を愛するからです。神の教えを守る人です。それが永遠の命をもたらすことをよく知っているのです。そして、彼は、求める人に拒みません。心から進んで良いことを求める人です。
21:27 悪しき者のいけにえは忌み嫌われる。悪意をもって献げるときは、なおさらのこと。
悪き者のいけにえは、忌み嫌われる。そのことは、悪のうちに捧げるときは、なおさらのこと。
悪者のいけにえは、忌み嫌われます。彼が、悪を行っている最中に捧げるときは、なおさらのことです。悪を行ったという罪を犯して、罪のための捧げ物を持ってくるのではなく、この悪は、意図的な悪です。神に背くことをしていながら、いけにえを持ってくることは、全てをご存じである神への冒涜です。
私たちが罪を隠したまま、神の前に出ることは、忌み嫌われることです。
21:28 偽りの証人は滅びる。しかし、よく聞く者は正しく語り続ける。
偽りの証人は、滅びる。しかし、人は、聞く者に最後まで力強く話す。
偽りの証人は、主が裁かれるので滅びます。しかし、その偽りの証言は、力強く語られるのです。人は、最後まで聞きます。彼が主の裁きを受けることを意に介しません。そして、その力強さによって、人は、偽りだと気付くことができないのです。
今日、神の言葉が、証言として取り次がれ語られます。教会において信者のために語られ、あるいは未信者のためにも語られます。しかし、それが偽りの証言である場合があるのです。人は、その言葉によく耳を傾け、真実だと思って聞きます。語る者を信頼しているからです。しかし、その証言は、意図しなくても、正しくないことがあるのです。語る者の責任は大きいのです。聞く者も吟味しなければなりません。
・「話す」→強意語幹。
21:29 悪しき者は厚かましいが、直ぐな人は自分の道をわきまえる。
悪き者は、顔を硬くする。しかし、直ぐな人は、自分のあらゆる道を打ち立てさせ、打ち立て続ける。
悪き者が顔を硬くすることは、主の言葉を聞こうとしないことを表しています。エゼキエル書三章七節参照。「厚かましい」では、その点が正しく伝わりません。
直ぐな人は、自分のあの道々、この道を、打ち立てさせますし、打ち立てます。打ち立てさせることは、打ち立てることに彼が積極的に関与していることを表しています。打ち立てることは、未完了形で、それが継続していることを表してます。
エゼキエル
3:7 しかし、イスラエルの家はあなたの言うことを聞こうとはしない。彼らがわたしの言うことを聞こうとしないからだ。イスラエルの全家は額が硬く、心が頑なだからだ。
3:8 見よ。わたしはあなたの顔を、彼らの顔に合わせて硬くし、あなたの額を、彼らの額に合わせて硬くする。
3:9 わたしはあなたの額を、火打石よりも硬いダイヤモンドのようにする。彼らを恐れるな。彼らの顔におびえるな。彼らは反逆の家なのだから。
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・「わきまえる」→真っ直ぐに立てる。打ち立てる。ヤキン。使役語幹+基本形。二語連なっている。打ち立てることが強意されている。
・「自分の道」→彼の道。「複数形+単数形」。二語連なっている。あらゆる道。
21:30 どんな知恵も英知も、はかりごとも、主の前では無きに等しい。
知恵も英知も、助言も、主のためには、何もない。
知恵は、主の言葉を受け入れ従う分別、英知は、御心をその通りに行う分別、助言は、主の言葉を教えること。主のためには何もないことは、人の状態がいかに霊的に乏しいかを教えています。
21:31 戦いの日のためには馬が備えられる。しかし、救いは主による。
馬は、戦いの日のために備えさせられる。しかし、主によって、助け(がある)。
人の備えにはよらず、主によって事はなります。