箴言20章
20:1 ぶどう酒は嘲る者。強い酒は騒ぎ立てる者。これにおぼれる者はみな、知恵がない。
葡萄酒は、嘲る者。強い酒は、騒ぐ者。迷い出る者は、知恵がない。
葡萄酒の影響で、嘲を口にする者があります。嘲は、神の言葉に対する嘲です。騒ぐのは、理性が正常に働かないからです。酒に酔った時に、神の御言葉を受け入れ従う知恵が働かないのです。それで、迷い出るのです。神の教えに適わないことをしてしまうのです。
・「おぼれる」→迷い出る。
20:2 王の恐ろしさは若い獅子がうなるよう。彼を怒らせる者は、代償としていのちを失う。
王の恐ろしさは、若い獅子の唸り声。王をひどく怒らせる者は、命を失う。
王には、権力があります。逆らう者を自らの判断で処罰することができます。王をひどく怒らせることは、命を失います。王は、主イエス様の比喩です。イエス様は、不信仰に対して怒られます。信仰を喜ばれ恵みを施されますが、不信仰に対しては、応えられることはありません。永遠の命としての報いはないのです。
・「怒らせる」→強意語幹。再帰。
20:3 争いを避けることは人の誉れ。愚か者はみな、争いを引き起こす。
争いを避けることは人の誉。愚か者はみな、自ら激しく噴き出す。
争いを避けることは、主の御心に適ったことで、主から栄光を受け、その人の誉となります。愚か者は、隣人を愛することを命じる神の教えを無視します。それで、彼は自ら怒りを激しく噴き出すのです。
・「引き起こす」→噴き出す。強意語幹。再帰。
・「愚か者」→霊的な愚かさ。神の知恵を頑なに無視する者。
20:4 怠け者は冬に耕さない。刈り入れ時に求めても、何もない。
怠け者は、冬に耕さない。刈り入れ時に求めても、求めても何もない。
冬に耕すことで、通気・排水性向上、病害虫や雑草の死滅、土壌の栄養の均質化などの効果が期待でき、収量が上がります。怠け者は、それが分かっていて何もしない人です。刈り入れ時になって、求めても、求めても何もありません。
将来に備えることは、イエス様がしばしばお話になったことです。天に宝を積むために備えることは大切なことです。冬の耕作は、御国での報いを望んで、地上にある間、御霊によって御心を行うことにあたります。それは、多くの報いをもたらします。しかし、怠け者は、聖書に記されているにもかかわらず、それに目を留めた行動をとることをしません。その時求めても、何も報いがないのです。
・「求めても」→求める。二語連なっている。「未完了形+接続法完了形」
20:5 人の心にある計画は深い水。英知のある人はこれを汲み出す。
人の心のうちにある(主の)御心は、深い水。英知のある人は、これを汲み出す。
人の心に神の教えとしての御心が蓄えられています。それは、律法をとおして示されていることです。それは、水に例えられているように、御言葉のことです。しかし、深いのです。簡単にそれを行動に移すことができません。英知のある人は、教えのとおりに行動する分別を持つ人です。心のうちにある御心を行う分別のある人が、その御心の教えを汲み出し、実行することができるのです。
申命記
32:28 まことに彼らは思慮の欠けた国民、彼らのうちに英知はない。
まことに彼らは、神の御心を知らない国民、彼らのうちには、御心を行う分別はない。
御心を知っているというのは、御心を行っていることを表します。しかし、御心を行なっていないので、それを知らない国民と言っています。彼らは、律法を受けているが、その教えのとおりに行動する分別としての英知がないからです。
--
・「計画」→助言。計画。こうすべきとの考え。御心。
・「英知」→教えのとおりに行動する分別。
20:6 多くの人は自分の親切を吹聴する。だれが忠実な人を見つけられるだろうか。
多くの人は、自分の神の目にかなった良いことを声高に言う。忠実な人を誰が見つけるだろうか。
人は、自分の行いを評価して、神の目にかなった良いことだと考え、自分を誇るためにそれを声高に言います。しかし、忠実であることは、神の評価です。自分の評価ではなく、また、肉の誇りのための評価ではなく、神の評価です。
・「忠実」→複数形。この人は、数々の忠実な歩みがある。
20:7 正しい人は誠実に歩む。彼の子孫はなんと幸いなことか。
正しい人は、自らを誠実な歩みに堅く歩ませる。幸いなるかな。彼の後に従って歩む彼の子たちは。
正しい人は、自らを誠実な歩みに堅く歩ませる。彼の後に続いて歩む彼の子たちは、幸なるかな。誠実な模範を見て、同じように歩むからです。
・「歩む」→強意語幹。再帰。
・「彼の子孫」→「彼」は、前置詞の人称による。「~のあと、後ろ等」。彼の後に従って「歩んで」いることを表す。前半の「歩む」と関連づけられている。
20:8 さばきの座に着く王は、自分の目ですべての悪をふるい分ける。
裁きの座に着く王は、自分の目で全ての悪をふるい分ける。
王は、籾殻をふるい分け散らして捨てるように、すべての悪を見分けます。主の目には、全ての悪は明らかであり、価値のないものとされます。
20:9 だれが、「私は自分の心を清めた。私は罪から離れ、きよくなった」と言えるだろうか。
誰が、言うことかできるだろうか。「私は、自分の心を徹底的に清めた。私は、自分の罪から清い。」と。
心の清さについて、人の評価は、神の前に全き者ということができません。その評価は、主によります。
今日、聖霊によって歩む者は、罪を犯しません。肉が現れる時、清さが損なわれることはあります。
ヨハネ第一
3:9 神から生まれた者はだれも、罪を犯しません。神の種がその人のうちにとどまっているからです。その人は神から生まれたので、罪を犯すことができないのです。
3:10 このことによって、神の子どもと悪魔の子どもの区別がはっきりします。義を行わない者はだれであれ、神から出た者ではありません。兄弟を愛さない者もそうです。
--
神の種は、聖霊のことです。新しく生まれた者は、聖霊によって歩んでいる人のことであり、罪を犯しません。
・「清めた」→強意語幹。
20:10 異なる二種類の重り、異なる二種類の升、そのどちらも主は忌み嫌われる。
異なる重り、異なる升。主は、どちらも忌み嫌われる。
人の目をごまかしても、主は、ご存じです。そのようなものを主は忌み嫌われます。
それとともに、石は、教えの比喩です。主の教えは、変わってはならないのです。いつでも同じ教えであるべきなのです。しかし、人は、自分の都合で変えてしまいます。聖書の解釈においてさえ、正しい教えで解釈されないことがあるのです。
エパ升は、
・「重り」→石と石。石を意味する語が二語連続している。
・「升」→エパ升。エパエパ。
20:11 幼子でさえ、何かするとき、その行いが純粋かどうか、真っ直ぐかどうかを識別する。
少年でさえ、何かをする時、その行いが、純粋か、真っ直ぐかを自らよく知っている。
・「幼子」→少年。幼児期から青年期の年代。
・「識別する」→強意語幹。再帰。
20:12 聞く耳と見る目は、二つとも主が造られた。
耳が聞くことと目が見ることは、二つとも主が造られた。
主が造られた、人の器官は、それによって表されている霊的機能として、耳が主の言葉に聞き従うため、目は、信仰により主の言葉を受け入れるためです。人は、そのために用いないで、多くの無益なことのためにそれを用います。
20:13 眠りを愛するな。貧しくならないために。目を開け。そうすればパンに満ち足りる。
眠りを愛するな。そうでないと貧しくされる。目を開け。そうすればパンに満たされる。
眠りは、外界の影響を絶って、安逸を貪ることの比喩です。この人は、神の教えを受け入れることは全くありません。眠っているからです。それを続けるならば、貧しくされます。主が与えようとしている恵みを何一つ自分のものにできないのです。実を結んで永遠の資産を受け継ぐことができません。
目を開けることは、信仰によって主の言葉を受け入れることの比喩です。そうすれば、命のパンに満ち足ります。主と一つになって歩み、永遠の命としての資産を受け継ぎます。
実際問題として、教会の集まりで居眠りをしていて、語られる勧めや教えを聞いていない人は、霊的に残念な状態にあります。
20:14 買う者は「悪い、悪い」と言うが、その場を離れると、それを自慢する。
買う者は、悪い。悪い。と言う。そこを去ってから、それを自ら大いに自慢する。
・「悪い」→悪。
・「自慢する」→強意語幹。再帰。
20:15 金があり、多くの真珠があっても、知識の唇こそ宝の器。
金があり、多くの真珠がある。しかし、知識の唇は、高価な器官。
金は、金属の中で最も価値あるもの。真珠は、聖書では、最も高価な宝石を表しています。そして、知識を語ることの価値が最も大きいことが示されています。これは、唇を金や真珠と比較しているのではありません。比較を表す文にはなっていません。唇という器官が知識を語る役割を担うものとして他の器官に比べて最も価値があることが示されています。知識は、神の言葉のことです。それを語ることで、他の人が良い影響を受けるのです。御言葉に教えられ、神の前に生きるようになります。非常に価値が高いのです。それを語ることができる人は、自分自身も神の言葉を受け入れ、従っている人です。それを他の人に教え、模範となることができる幸いな人です。他の器官については、自分自身の信仰に歩みに関係しますが、語る器官は、他の人の益となります。
20:16 他人の保証人となるときは、その人の上着を取れ。見知らぬ女のためにも、上着を抵当に取れ。
外国人を保証した者は、その人の上着を取れ。外国人の男たちと外国人の一人の女のためには、その人から抵当を取れ。
外国人は、契約を守る人ではありません。神を知らないのです。そのような人が、神を恐れ、正しく行動することは期待できません。そのような人を保証することは大変危険です。
また、外国人の男たちや、外国人の女は、信頼することができないのです。それで、抵当を取ります。
・「他人」→イスラエルと神との契約の領域の外にあるあらゆるもの――人物、物、礼拝、あるいは行い――を指す。
・「見知らぬ女」→外国人の男たちと女。イスラエルの契約の共同体から外れた人々、慣習、または物事を指す。「外国人:男性、複数。+外国人:女性、単数。」
・「取れ」→命令形。
20:17 だまし取ったパンはうまい。しかし、後でその口は砂利でいっぱいになる。
人にとって、騙し取ったパンは甘い。しかし、後でその口は、砂利で満たされる。
騙し取ったパンは、只で手に入ったものであり、そこに喜びがあります。しかし、その不正は、必ず主のご覧になられるところであり、彼は、不正の報いを受けなければなりません。
20:18 協議によって計画は確かなものとなる。すぐれた指揮のもとに戦いを交えよ。
助言によって考えは確かになる。優れた指導のもとに戦いをせよ。
助言は、神の教えのことです。それによって、人の考えは、確かにされます。優れた指導は、主の導きです。戦いは、肉との戦いです。その背後には、悪魔が働きます。
なお、「指揮」とした場合、その命令に服従するだけで、主体性がないことになります。ここでは、助言と指導であって、考え、行動することは、その助言を受け指導を受けた人によります。
・「協議」→助言。霊的に神の言葉。
・「計画」→考え。装置。計画。目的。発明品。
・「指揮」→案内。指導。手引き。指示。
20:19 人を中傷して回る者は秘密を漏らす。唇を開く者とは交わるな。
歩き回る中傷者は、秘密を漏らす。それで、唇を開いて(誤った道へ導く)中傷者とは、自らよく交わることをするな。
「唇」は、「彼の唇」で、中傷者を受けている。
中傷者は、語らなくてもよいことあるいは語ってはならないことを語ります。この秘密は、中傷者が語ることですから、正確な事実とは限らないのです。むしろ、偽りなのです。そのような話をする者と自ら積極的に交わってはならないのです。むしろ避けるべきです。聞いた情報を信じてしまうからです。
・唇を「開く」→他者を感情的、知的、あるいは霊的に「開く」行為、すなわち、その人を改心させ、説得し、誘惑し、あるいは誤った道へと導く行為。
20:20 自分の父や母をののしる者、そのともしびは、闇が近づくと消える。
父や母を軽んじる者(あるいは罵りや呪いを口にする者)、その灯火は、深い、深い闇の中で消される。
父や母を軽んじることは、神様を軽んじることであり、神に対する恐れはありません。そのような人に、真理の光としての灯火は、与えられず、消されるのです。しかも、深い、深い闇の中で消され、何の光も与えられないのです。
・「ののしる」→簡単なこと。軽いこと。人や物を軽視して扱う。罵りや呪いを口にすること。動作を機敏にしたり、急激にしたりすること。
・「深い」→深みを表す語が二語連なっている。
20:21 初めに急に得た相続財産は、終わりには祝福されない。
初めに、主の戒めを嫌い、自分のために急に得た相続財産は、終わりには、絶対に祝福に導かない。
信者でありながら、この世のものを命として求めて、得ても、その財産によって祝福されることは絶対ありません。例えば、イスラエルにとっては、異邦人との結婚です。
・「急に得た」→二語が連なっている。この動詞は、内面的な嫌悪感が、性急で衝動的な行動へとつながる様子を表している。それは「嫌悪」と「焦り」という二つの概念を結びつけ、主語が何かを嫌悪すると同時に、それを待つことのない状態を示している。聖書では、心が契約上の責任から背を向け、自己中心的な選択へと突き進む際に、この言葉が使われている。
・「祝福される」→強意語幹。能動態。絶対に祝福する。
20:22 「悪に報いてやろう」と言ってはならない。主を待ち望め。主があなたを救われる。
悪に必ず報いてやろうと言ってはならない。ひたすら主を待ち望め。そうすれば、主が救わせる。
悪に報いてやろうと絶対に思ってはならないし、言ってはならないのです。主に全てを委ねるのです。
・「報いる」→強意語幹。
・「待ち望め」→待つ。強意語幹。ひたすら待つ。主の介入の望みに心を結び付け、待つこと。結びつける。
・「救われる」→使役語幹。接続法完了形。~の結果、~となる。開く。救われる。解放される。比喩的に、安全である。
20:23 異なる二種類の重りは主に忌み嫌われる。欺きの秤は良くない。
石と石を主は忌み嫌われる。欺きの秤は、主の目に適わない。
後半の記述から、この石が天秤の重りであることがわかります。それも、欺きの重りです。商売でも、不正があるならば、主は忌み嫌われます。二重基準を持つこともそうです。
・「重り」→石と石。石を意味する語が二語連続している。
・「秤」→天秤。
20:24 人の歩みは主によって定められる。人はどうして自分の道を悟ることができるだろう。
人の歩みは、主からのもの。人は、どのようにして、自分の道に御心を実践するのか。
人の歩みは、主からのものです。悟ることは、御心を受け入れ実践することです。それを実現させてくださるのは、主の力によります。信仰に応えて、主は働かれます。今日、聖霊によって、御心を実践することができます。ですから、私たちは、信仰によって歩むべきなのです。
なお、進路の選択の問題であるならば、「主の御心であれば」と、主に委ねて歩む以外にありません。
・「悟る」→御心を実践すること。
20:25 軽々しく「これは聖なるもの」と言い、誓願を立てた後で吟味する者は、罠にかかっている。
軽率に何かを捧げようとしながら、後になってその誓いを徹底的に吟味すのは、人にとって罠である。
これは、誓願の捧げ物を捧げることについて記していて、それを捧げようと考えながら、後になってその誓いを徹底的に吟味して考えることをすることで、彼には、心から捧げる思いがないことが明らかになるのです。迷いが出てくるのです。
・「捧げる」→未完了形。捧げようとする意思。
・「吟味」→強意語幹。
20:26 知恵のある王は悪しき者をふるいにかけ、彼らの上で車輪を引き回す。
悪者を徹底的にふるいにかける知恵のある王は、続いて、彼らの上で車輪を引き回させた。
・「ふるいにかける」→強意語幹。
・「引き回す」→返す。車輪で、何度も轢かせること。未完了形接続法。
20:27 人間の息は主のともしび。腹の底まで探り出す。
人の腹の中まで探る人の霊は、主の灯火。
腹の中は、人の内面を表しています。そこを探るのは、人の霊です。その際、それが主の御心にかなっているかどうかを探るのです。人の霊は、主の教えを受け入れる座です。主の灯火としての教えに適っているかどうかを探るのです。
・「息」→息。風。霊。ここでは、霊。
・「腹」→腹。胎。
・「底」→内部の空間。小室。
20:28 恵みとまことは王を保つ。恵みによってその王位は支えられる。
主が契約を果たすことと、その真実は、王を保つ。主が契約を果たすことでその王座は、支えられる。
王座が堅く立つことは、契約によることであり、主は、契約により、また、その真実により、契約を徹底的に果たされてそれを実現されます。
ダビデとの契約で、恵みは取り去られることなく、王座が堅く立つことが告げられています。
サムエル第二
7:15 しかしわたしの恵みは、わたしが、あなたの前から取り除いたサウルからそれを取り去ったように、彼から取り去られることはない。
7:16 あなたの家とあなたの王国は、あなたの前にとこしえまでも確かなものとなり、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。』」
--
・「恵み」→契約に対する忠誠。
・「まこと」→真実。安定性。
20:29 若い男の栄誉は彼らの力。老人の輝きはその白髪。
若い男の栄誉は、彼らの力。老人の光栄は、その白髪。
その力ゆえに誉を受けることができるのは、若い時です。彼が主の目に適ってその力を発揮できることは幸いです。しかし、自らの努力によっても力は付き、発揮できるようになります。主によらずに、肉の力を発揮することは、価値がありません。
老人が白髪になることは、主が与えたこと。命を永らえさせ、今まで、黒く自分を覆って、主の前を歩んだ結果与えられた光栄です。烏のように黒いことは、覆うことの完全さを表し、白いことは、栄光に輝くことを表してます。
20:30 傷つくまで打てば、悪は取り除かれる。腹の底まで打ちたたけば。
傷つくまで打つことは、悪の中にある者を徹底的に磨かせる。そして、腹の中まで、打ち叩け。
悪の中にある者を、強く懲らしめることで、彼自身を清めさせることができます。悪は、自分で清めるのでなければ、効果はありません。打てば、自然に取り除かれるものではありません。
腹の中まで打つことは、外の行いだけでなく、心から悪を除き、磨くことを表しています。
・「傷」→傷。「打つ」ことと連語形になっている。
・「打て」→名詞。打撃によって残された目に見える痕――痣、あざ、腫れ、あるいは化膿した傷など。
・「取り除かれる」→動詞、使役語幹:磨く+名詞:磨くの名詞形。
・「底」→内部の空間。小室。内側。