箴言19章
19:1 貧しくても誠実に歩む者は、唇の曲がった愚かな者にまさる。
貧しさの中に全き者として歩む者は、唇の曲がった愚かな者より良い。
良いは、神の目に適って良いことを表しています。
・「誠実」→完全性。罪がないことではなく、神の言葉に対する告白と実行の一貫性。唇が曲がっていることと対比されている。曲がっていることは、神の言葉から離れたことを語ることです。また、都合によって言うことを変えることです。
・「まさる」→良い。神の目に適って良い。
19:2 たましいに知識がないことは良くない。急ぎ足の者は罪に陥る。
たましいに知識が伴っていないことは、良くないし、また、急ぎ足で罪を犯すことも。
たましいは、神の言葉に従う座です。そこに知識すなわち神の教えが伴っていないのでは、神の御心を正しく行うことはできません。熱心があったとしても、知識がないのですから、正しく行いようがありません。
また、急ぎ足の中に罪を犯すことも良くないのです。急ぎ足であることで、神の御心に適ったことであるかどうかを十分に吟味しないままに、行動してしまうようなことが起こるのです。その結果、罪を犯すことは良くないのです。
なお、急ぎ足の者が罪に陥る可能性があることを言っているのではなく、その結果として罪を犯すことがよくないのです。
・「~がない」→否定の副詞、分詞。伴っていない。
・「良く」→良い。神の目に適って良い。
19:3 人の愚かさは自らの道を滅ぼす。その心は主に向かって激しく怒る。
人の愚かさは、自分の道を滅ぼす。その心は、主に向かって怒りを爆発させる。
自らの道が滅びるのは、自分の愚かさによります。しかし、彼の怒りの吐口は主に激しく向かいます。正しく歩むならば祝福を受け継ぎます。苦難があるにしても、それは、主によることです。その中で、主にある幸いを経験するのです。
・「激しく怒る」→沸騰する。比喩的に、怒る。強意語幹。
19:4 財産は多くの友を増し加え、貧しい者はその友からも引き離される。
富は、多くの友を作る。貧しい者は、その友から離される。
人が人を惹きつけ、親しい交わりに入らせる動機には、富があります。この世の誉もその動機となります。貧しい者を敬い、親しい交わりを求める者は少ないのです。教会の中にも、そのようなことが起こるのです。
コリント第一
1:12 あなたがたはそれぞれ、「私はパウロにつく」「私はアポロに」「私はケファに」「私はキリストに」と言っているとのことです。
ヤコブ
2:1 私の兄弟たち。あなたがたは、私たちの主、栄光のイエス・キリストへの信仰を持っていながら、人をえこひいきすることがあってはなりません。
2:2 あなたがたの集会に、金の指輪をはめた立派な身なりの人が入って来て、また、みすぼらしい身なりの貧しい人も入って来たとします。
2:3 あなたがたは、立派な身なりをした人に目を留めて、「あなたはこちらの良い席にお座りください」と言い、貧しい人には、「あなたは立っていなさい。でなければ、そこに、私の足もとに座りなさい」と言うなら、
2:4 自分たちの間で差別をし、悪い考えでさばく者となったのではありませんか。
2:5 私の愛する兄弟たち、よく聞きなさい。神は、この世の貧しい人たちを選んで信仰に富む者とし、神を愛する者に約束された御国を受け継ぐ者とされたではありませんか。
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19:5 偽りの証人は罰を免れない。まやかしを吹聴する者も逃れられない。
偽りの証人は、罰せられないでは済まない。偽りを言うようにさせる者は、逃れられない。
偽りの証言に対しては、主は必ず罰します。偽りを言うようにさせる者は、逃れられないのです。聖書の言葉を取り次ぐことも、証言です。極めて重い真理の証言です。それゆえ、その取り扱いは極めて慎重でなければなりません。自分が語ることが正しいかどうか吟味する必要があります。意図しない間違いが入っても、その影響は甚大です。偽りの証言ををすることも、させることも罰を受けます。
・「吹聴する」→言う。使役語幹。言わせる。
19:6 高貴な人の好意を求める者は多い。だれもが、贈り物をしてくれる人の友となる。
高貴な人の好意を懇願する者は、多い。どんな友も贈り物を与える中にある。
友の関係は、贈り物を与える中にあります。すなわち、互いに贈り物を与える関係の中に成立するのです。この場合は、前半との関係で、高貴な人の好意を求めるのであれば、贈り物が必要であると言うことです。友の関係も築くことができます
信者にとって、高貴な人は、主イエス様です。その方の好意を得るためには、贈り物が必要です。主イエス様は、すでに友の関係として、いのちを捨てさらに御心を教えてくださいました。好意を得るための友の関係を築くためには、今度は、信者の側から贈り物をする必要があります。それは、自分を捨て主に従っていくことです。そして、御心を行い、互いに愛し合うことです。愛は、戒めの全てを含みます。
ヨハネ
15:8 あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになります。
15:9 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛にとどまりなさい。
15:10 わたしがわたしの父の戒めを守って、父の愛にとどまっているのと同じように、あなたがたもわたしの戒めを守るなら、わたしの愛にとどまっているのです。
15:11 わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたが喜びで満ちあふれるようになるために、わたしはこれらのことをあなたがたに話しました。
15:12 わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。
15:13 人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。
15:14 わたしが命じることを行うなら、あなたがたはわたしの友です。
15:15 わたしはもう、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべなら主人が何をするのか知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。父から聞いたことをすべて、あなたがたには知らせたからです。
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主の喜びは、信者が互いに愛し合うところにあります。そして、主の命じることを行うならば、私たちは主の友です。
19:7 貧しい者は自分のすべての兄弟たちに憎まれる。友人が彼から遠く離れるのは、なおさらのこと。彼がことばをもって追い求めても、彼らはいない。
事欠く貧しい者の全ての兄弟は、彼を憎んだ。なおさらのこと、彼の友は彼から遠く離れ去る。彼が言葉をもって追い求めても、彼らは、彼に決して(近づか)ない。
「彼が言葉をもって追い求めても」に続く語は、「~ない」を現す副詞が二個並び、後ろの副詞には、三人称単数すなわち彼がついています。そして、主語の「彼らは」記されていますが、動詞がありません。それで、その部分は、「友人が遠く離れる」ことと、同じ意味が来るはずです。「決して近づかない」と補足しました。以下の聖句参照。
箴言
17:17 友はどんなときにも愛するもの。兄弟は苦難を分け合うために生まれる。
どんな時にも愛しているのは友。兄弟は、分け合うために生まれる。
真の友は、環境に影響されず愛します。兄弟は、良いものでも、悪いものでも分け合うために生まれたのです。それが友であり、兄弟の関係です。
・「苦難」→原語にはない。
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19:8 良識を得る者は自分自身を愛する者。英知を保つ者は幸いを見つける。
神の御心を行う分別を得る者は、自分のたましいを愛する者。御心を真っ直ぐに行う分別を保つ者は、神の目に適った良いものを見つける。
たましいは、神の御心に従う座です。それは、いのちをもたらし、永遠の報いをもたらします。それで、そのような祝福を獲得するのですから、自分のたましいを愛する者なのです。
神の御心を行う力を保つ者は、神の目に適う良いものを見つけます。神様がそれを用意してくださるのです。
・「良識」→神の御心を行う分別。心。霊的活動の領域を指します。欲望を含まない。心臓。
・「自分自身」→自分のたましい。たましいは、神の言葉に従う座です。神の御心を行うことで、いのちを得ます。永遠の栄光を報いとして得ます。
・「英知」→知識に整合したことをまっすぐに行う力。
・「幸い」→良い。神の目に適った良いもの。
19:9 偽りの証人は罰を免れない。まやかしを吹聴する者は滅びる。
偽りの証言は、罰を受けないで済まされることはない。嘘を言わせる者は、滅びる。
イエス様の御在世当時、裁判の席で偽りの証言者が多数いましたが、偽りを証言した者も、それを画策した指導者もこのことを知らないはずがないのです。神に対する恐れがありませんでした。
これは、五節の句とほぼ同じことを語っています。
・「吹聴する」→言う。使役語幹。言わせる。
19:10 愚かな者にぜいたくな暮らしはふさわしくない。奴隷が君主を支配するのは、なおさらのこと。
愚か者に贅沢は相応しくない。なおさら、奴隷について、君主たちの間で支配するのは、相応しくない。
豊かな暮らしは、神様の祝福のように見られます。愚か者がそのように暮らすことは、人々の心に疑念を起こさせるのであり、相応しくないのです。奴隷については、服従すべき者です。彼が自らの立場を顧みずに支配者として振る舞うことはなおさらです。
信者であって、神に従わず、この世のものを求めて豊かであることは、他の信者にとって躓きとなります。アサフが金持ちを妬んだようにです。豊かであることは問題ありませんが、愚か者としての歩みは、躓きをもたらします。
信者は、奴隷です。主の奴隷です。しかし、人は分を超えて、君主である主を支配するのです。自分に主を従わせるのです。自分を第一に考え、自分の幸いをまず考えるのです。どのような時にも主イエス様を主人として従う心がないのです。
19:11 人に賢明さがあれば、怒りを遅くする。その人の栄誉は、背きを見過ごすことにある。
人に、神の御心適う行動をする分別があれば、怒りを遅くさせる。その人の栄誉は、背きを見過ごすことである。
背きを見過ごし、覆うことは、愛によります。それは、神の御心を行うことに適ったことです。柔和であることは、御霊の実です。柔和は、優しい力、抑制と優しさを持った力のことです。間違いを一つ一つ数え上げることが御心に適ったことではないのです。
ペテロ第一
4:8 何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。
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・「賢明さ」→神の啓示された御心に適う行動を判断する分別。単なる知性のことではない。
・「栄誉」→美。比喩としてのみの使用。良い意味で重い。栄誉ある。見た目の美しさではなく、重い、栄誉あること。
19:12 王の激しい怒りは若い獅子がうなるよう。しかし、その好意は草の上の露のよう。
王は、力ある支配者を表しています。その怒りは、若い獅子の唸りのよう。しかし、王に受け入れられることは、草の上の露のよう。
この王は、王としてのイエス・キリストの比喩です。この方は、義をもって世界を裁かれます。それと共に、この方の御心に適い、喜ばれるならば、草の上の露のように、いのちをもたらします。この方と共に歩み、永遠の報いをいただくことができます。それがいのちです。露は、御言葉の比喩でもありますが、さらに御心を示し、御業をなさしめ、いのちを増し加えてくださいます。
・「好意」→喜ぶこと。受け入れられること。
19:13 愚かな息子は父にとって破滅。妻のいさかい好きは、滴り続ける雨漏り。
愚かな息子は、父にとって破滅。妻のいさかいは、雨漏りが続くこと。
愚かな息子は、その子を従わせるべき父の証しを台無しにします。その意味で破滅です。父の心の痛みも大きいでしょうが。
妻のいさかいは、家を建てることができません。愛によって証しし、子らを導く業が破壊されます。滴り続ける雨のように、やがて家を腐らせます。
19:14 家と財産は先祖から受け継ぐもの。賢明な妻は主からのもの。
家と財産は、先祖から受け継いだもの。分別のある妻は、主からのもの。
家と財産を受け継ぐことは、その血筋によります。妻は、主が備えられます。しかし、それにもかかわらず、そこには、人の選択が介入します。分別のない女を選ぶ必要はないのです。しかし、人は、ヤコブがラケルをまず選んだように、外見で選ぶのです。分別ある妻を選ぶことは、主の目に適ったことです。
・「賢明な」→分別する。識別する。使役語幹、分詞。分別を働かせる者。
19:15 怠惰は人を深い眠りに陥らせ、怠け者は飢える。
怠惰は、人を眠りに陥らせ、怠けるたましいは、飢える。
前半は、肉体に関することです。怠惰である人は、やる気がありません。脳が活動しませんので、眠くなるのです。
たましいは、神の言葉に従う座です。怠けるたましいは、神の言葉に従って生きることをしません。それで、飢えるのです。
ヨハネ
6:35 イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。
7:37 さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立ち上がり、大きな声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
7:38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」
7:39 イエスは、ご自分を信じる者が受けることになる御霊について、こう言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ下っていなかったのである。
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飢えている者は、イエス様のもとに来て、信じることで、聖霊によって歩み満たされることができます。いのちを経験し、永遠の報いを受けるからです。しかし、怠けるたましいは、イエス様を信じて、聖霊によって歩むこととをしないのです。
19:16 命令を守る者は自分のたましいを保ち、自分の道を蔑む者は死ぬ。
命令を守る者は、自分のたましいを保つ。道を蔑む者は、死なせられるし、死ぬ。
命令を守ることで、その人は、御言葉に従うことが守られるのです。それを捉えて、後半では、それを道と表現しています。主の言葉に従う道を蔑む者は、主の言葉に従って生きることができないようさせられるし、そうなるのです。
ヨハネ
3:18 御子を信じる者はさばかれない。信じない者はすでにさばかれている。神のひとり子の名を信じなかったからである。
3:19 そのさばきとは、光が世に来ているのに、自分の行いが悪いために、人々が光よりも闇を愛したことである。
3:20 悪を行う者はみな、光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光の方に来ない。
3:21 しかし、真理を行う者は、その行いが神にあってなされたことが明らかになるように、光の方に来る。
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これは、御子を「信じている」者とそうでない者のことです。信じていない者は、すでに裁かれていて、光の方には来ないのです。彼は、死ぬのです。
・「死ぬ」→使役語幹、受動態、未完了形:死なせられる+基本形、能動態、未完了形:死ぬ。主から死に至らしめられるし、死ぬのです。
19:17 貧しい者に施しをするのは、主に貸すこと。主がその行いに報いてくださる。
貧しい者に喜んで応えることは、主に貸すこと。主がその行いに徹底的に報いてくださる。
貧しいと訳されている語は、貧しいことも表しますが、主にのみ頼る人のことを表しています。そのような人に、主と同じように求める者に喜んで応えるならば、主は喜ばれ、その行いに徹底的に報いられます。
・「貧しい」→貧しい ぶら下がる。(主にのみ)頼る人
・「施しをする」→(人が)懇願する。(主が)求めに対し喜んで答えること。このことは、御言葉に根拠がある。契約の条項です。ここでは、主の性質と同じように人が貧しい者に応えること。
・「報いてくださる」→報いる。強意語幹。
19:18 望みのあるうちに、自分の子を懲らしめよ。しかし、殺そうとまで考えてはならない。
望みのあるうちに、あなたの子を懲らしめよ。しかし、彼を死なせること(思い)を心に起こしてはならない。
子を愛しているならば、悪い方向に行かないように懲らしめます。思い通りに行かなくても、殺す思いを持ってはならないのです。
19:19 激しく憤る者は罰を受ける。たとえ彼を救い出しても、ただ、これを繰り返すことになる。
非常に激しくされた激しい憤りは、罰を受ける。なぜならば、もし、あなたが彼を救い出させても、あなたは再びそれをさせるからである。
激しく憤る者を一時的には宥めることができても、彼にいつまでもそれを抑えさせることはできません。再び激しく憤らせるのです。それで、罰を受けるのです。
憤りは、その人自身によって鎮められたり、増幅させられたりします。
・「激しく」→激しくする:強意語幹。受動態。+激しい:形容詞。非常に激しくされた激しい~。
・「救い出す」→救う。使役語幹。救わせる。
19:20 忠告を聞き、訓戒を受け入れよ。そうすれば、あなたは後で知恵を得る。
助言を聞き、、訓戒をよく受け入れよ。そうすれば、あなたは、将来、知恵ある者になる。
助言は、神の教えです。それを聞くのです。そして、訓戒をよく受け入れるのです。聞いて、受け入れ従うのです。そうすることで、知恵ある者になります。知恵自体が、神の言葉を受け入れ従う分別です。それを、繰り返しよく行うことで、その分別が身につき、知恵ある者となるのです。
・「受け入れ」→強意語幹。よく受け入れ。
19:21 人の心には多くの思いがある。しかし、主の計画こそが実現する。
人の心には、多くの考えがある。しかし、主の御心だけが実現する。
事は、自分の思い通りに実現するわけではありません。主の御心に委ねる事は良いことです。
ヤコブ
4:15 あなたがたはむしろ、「主のみこころであれば、私たちは生きて、このこと、あるいは、あのことをしよう」と言うべきです。
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・「思い」→考え。計画。意図。事業計画。芸術的意匠あるいは工夫。
・「計画」→助言。比喩的に計画。神の揺るぎない計画、目的、御心。人の変わりやすい考え、計画。人を欺く考え、計画。
19:22 人の欲望は自らへの辱め。貧しい人はまやかし者にまさる。
人が熱望することは、自分に契約が忠誠をもって果たされること。貧しい者すなわち霊的に貧しく飢えている者は、嘘を言う者より神の目に適って良い。
人が強く望むことは、主が契約を果たし、契約による祝福を与えることです。それは、ご自分の宝の民とし、永遠の報いを備えることです。アブラハムも天の都を望んでいました。
霊的に貧しく飢えている者は、その契約が果たされることをひたすら待ち望む謙った人です。それですから、契約にふさわしい、御言葉のうちを歩むことを求める人です。なお、経済的貧しさは、何の関係もありません。
まやかしを言う者は、真理を望まない人です。彼のうちにあるものが言葉となって出て来るのです。彼には、神の言葉を誠実に守ろうとする思いはありません。
それで、この霊的に貧しく飢えているものの方が、はるかに主の目に適って良いのです。
・「欲望」→熱望。喜び。満足。魅力。
・「慰め」→契約に対する忠誠。旧約聖書の他の多くの箇所では、「恵み」と訳されている語。
・「貧しい」→霊的に貧しく飢えている。経済的な貧しさ。
19:23 主を恐れるなら、いのちに至る。満ち足りて住み、わざわいにあわない。
いのち(のため)には、主への恐れ。満ち足りて住み、悪が来ない。
いのちの説明は、後半の部分です。満ち足りた状態が続くこと。また、悪が来ないことです。これは、主の目に適わないことが来ることがないことを表しています。信仰の躓きなどです。なお、主を恐れている者にも「わざわい」は来ます。主は、訓練のために試みを与えられるからです。しかし、その中にも、主は良いものを与え、栄光を現されます。それで、満ち足りるのです。災いが来ても揺るぐことがありません。
そのいのちのためには、主を恐れることが必要です。
・「いのち」→前置詞:~に関して。あるいは、~のため。+名詞:いのち。
・「住む」→留まる。夜を過ごす。宿泊する。一時的に滞在する。頑固のままでいる。
・「わざわい」→悪。
・「あわない」→訪れる。受動態。+否定の副詞。訪れられない。来ない。
19:24 怠け者は皿に手を伸ばしても、その手を口に持って行こうとさえしない。
怠け者は、皿の中に手を隠しても、その手を口に持って行こうとさえしなかった。
怠け者は、手を口に運ぶことで、体に良いもの、美味しいものを口に入れることができるのに、それをしません。そういう人を見たのです。手をボウルに伸ばして、それを始めても、完結しないのです。霊的な事柄においても、御言葉によって、御国に宝がいただけることがわかっても、それを自分のものにしようとしない人のようです。せっかくクリスチャンとして歩み出したのに、また、その良いものを知っているのに、心に留めないのです。
・「皿」→皿。浅鉢。へこんだもの。発育したもの。ここでの表現から、手が隠れる程度の深さのボウルのようです。
・「伸ばす」→覆う。隠す。この場合、ボウルに手を入れること。
・「持って行く」→返す。受動態。口が手を返される。手を口に持って行く。
19:25 嘲る者を打て。そうすれば、浅はかな者は賢くなる。悟りのある者を叱責せよ。そうすれば、彼は知識をわきまえ知ることになる。
嘲る者を打たせよ。浅はかな者を賢くさせよ。悟りのある者を叱責させよ。彼は、知識を悟っていく。
三つの段階にある人たちに対する扱い方を教えています。嘲る者は、打つようにさせるのです。神の言葉を嘲るのですから、懲らしめなければ分かりません。神の言葉を嘲る者が、自分から良い者になることを求めるようになることは期待できません。体に教えなければ分からないのです。
浅はかな者は、知識も薄く、それを身につけることも少ない人のことです。そのような人は、さらに知識を与え、それを自分のものにするように教えなければならないのです。
悟りのある人は、御言葉を受け入れ、それを実践している人です。それでも十分ではなく、さらに叱責するのです。そうすれば、もっと良くなります。神の言葉としての知識を実践する人になって行き、成長が期待できるのです。
・「打て」→打つ。使役語幹。未完了形。打たせよ。
・「賢くなる」→賢くなる。使役語幹。未完了形。賢くさせよ。
・「叱責せよ」→叱責する。使役語幹。未完了形。叱責させよ。
・「悟りのある者」→悟る。分詞。
・「わきまえ知る」→悟る。知識を実践すること。基本形。未完了形。この場合、継続、あるいは、進行中。
19:26 父に乱暴し、母を追い出す者は、恥と屈辱をもたらす子。
父にひどく暴行し、母を逃げ出させる息子は、恥させられ、ひどく恥を受けさせられる。
父と母に対する恐れのない行動は、主に対するものであり、主が、ひどく恥じさせます。
・「乱暴し」→暴行する。虐待する。強意語幹。ひどく暴行する。
・「追い出す」→逃げ出す。逃亡する。使役語幹。逃げ出させる。
・「恥」→恥じる。使役語幹。
・「恥辱」→強度の恥を受ける。使役語幹。
19:27 わが子よ、訓戒を聞くのをやめてみよ。あなたは知識のことばから迷い出ることになる。
我が子よ、訓戒を聞くことをやめよ。知識の言葉から迷い出ることに(なる)。
これは、強い警告です。訓戒は、懲らしめもあります。聞きたくないと思うこともあるかもしれません。しかし、聞かなければ、知識、すなわち神の教えから迷い出ることになります。
・「やめてみよ」→やめる。命令形。
・「訓戒」→訓戒。懲らしめ。
19:28 よこしまな証人は、さばきを嘲り、悪しき者の口は、不法を呑み込む。
不法の証人は、神の定めを嘲る。悪き者の口は、不正を飲み込む。
不法者は、価値のない者であり、彼の内には、神の教えがありません。それで、彼は、神の定めを嘲笑うのです。全く意に介しません。悪き者は、価値のない空しいものを飲み込みます。それは、不正であり、神の前に価値がない空虚なものを飲み込むのです。
・「よこしまな」→価値がない。不法の。ベリアル。
・「さばき」→公正。規定。
・「不法」→空虚。不正。悪意。偶像礼拝。神の前に空虚な価値のないこと。
19:29 さばきは嘲る者のために、むち打ちは愚かな者の背のために備えられている。
刑罰は、嘲る者のために備えられる。打つことは、愚か者の背のために。
嘲る者は、神の言葉を嘲るのですから、不法を行います。彼は、刑罰を受けるのです。
愚か者は、神の言葉を受けても、正しく従わないのです。その愚かさが、打たれて正されなければならないのです。
・「さばき」→裁きの刑罰の面を示す。