箴言18章
18:1 自らを閉ざす者は自分の欲望のままに求め、すべての知性と仲たがいする。
欲望のために、自らを閉ざす者はひたすら自分を追求し、全てのことにおいて、神の御心に対し自分を激しく吹き出す。
人が欲望によって生きようとする時、自らを閉ざし、神の言葉に耳を傾けることはありません。彼が求めることは、自分自身の追求です。彼は、全てのことにおいて、御心に対して自分を激しく主張します。
・「求め」→強意語幹。
・「知性」→神がなそうとすることすなわち御心。
・「仲違いをする」→吹き出す。強意語幹、回帰。
18:2 愚かな者は英知を喜ばず、自分の心がさらけ出されることを喜ぶ。
愚かな者は、教えによって行動する分別に喜びを持たず、自分の心を自ら曝け出すことに喜びを持つ。
愚かな者は、神の御心を行うことを喜びとしていません。彼の行動は、神の御心の通りに従うことを拒む心を曝け出す振る舞いとなるのです。
・「英知」→知識、教え通りに行動する分別。
・「さらけ出される」→覆いを取る。あらわす。強意語幹、再帰。自ら曝け出す。
18:3 悪しき者が来ると、侮りも来る。辱めとともに、そしりも。
悪き者が来ると、侮りも来る。そして、辱めと共に誹りも。
悪き者は、神の言葉を侮ります。それで、悪者は、辱めを受け、誹りも受けるのです。彼のしたことは、そのまま自分に返ってきます。正しい人は、辱めも、誹りも受けようがありません。正しく行なっているからです。
18:4 人の口のことばは深い水。知恵の泉は湧いて流れる川。
人の口の言葉は、深い水。知恵の泉を湧き出させる小川。
深いのは、知恵を湧き出すからで、浅はかな言葉ではないことを表しています。その人の中に形作られた神の教えから出てきます。単に神の言葉の知識ではなく、それがその人の教えとなり、判断基準になり、行動となって現れ、身についた教えです。御言葉の教えの中に生きた人でなければ、知恵を語ることはできません。
湧くという動詞は、言葉を口にすることも意味する動詞が使われています。知恵の泉は、人の口に語られる言葉として出てきます。しかも、それは、泉や川と表現されていて、聖霊の比喩になっています。知恵の言葉は、聖霊によって歩む人の口から語られるのです。
・「湧いて」→勢いよく流れ出る。噴出する。言う。口に出す。
18:5 悪しき者をえこひいきすることも、正しい人をさばきで退けることも良くない。
悪き者をえこひいきすることも、正しい者を裁きで曲げることも、神の目に適っていない。
・「退ける」→伸ばす。広げる。曲げる。傾ける。
18:6 愚かな者の唇は争い事に入って行き、その口はむち打つ者を呼び寄せる。
愚かな者の唇は、争いに加わり、その口は、打つために呼ぶ。
愚かな者は、争いごとに口を挟みます。その口は、打たれることになります。
18:7 愚かな者の口は自らの滅びを招き、その唇は自分のたましいの罠となる。
愚か者の口は、自らの滅び。彼の唇は、自分のたましいの罠。
人の語ることは、人のうちから出てきます。また、語ったことに反して行動することはあまりないのです。語ったとおりに行動するのです。語ったことが彼の道を決めるのです。それで、彼は、愚か者であり、神の言葉を受け入れない者であるので、滅びなのです。神の前に実を結ぶことなく、報いを受けることもありません。彼が口にした言葉は、神の言葉に従う座としてのたましいの罠になります。語ったことは、彼のうちから出たものであり、彼がそう判断したから語るのです。語ったことは、たましいの罠になります。たましいが正しく歩めないようにしてしまうのです。
今日、教会において監督として働く者が、聖書の正しい知識によらずに御言葉を語るとしたら、その人自身が躓くことになります。また、その言葉を聞く人たちは、哀れです。
18:8 陰口をたたく者のことばは、おいしい食べ物。腹の奥に下って行く。
陰口をたたく者の言葉は、自ら食いつくおいしい食べ物のよう。腹の奥に下っていく。
陰口は、それを聞く人にとって自ら喜んで聞く話です。他の人の悪いことに興味があるし、聞きたいのです。そして、それは、その人の内面に入って行きます。その言葉を信じてしまうのです。
・「陰口をたたく者」→中傷者。噂を広める人。陰口を言う人。粉々に砕くから。
・「自ら食いつく」→食べる。強意語幹、再帰。
18:9 自分の仕事をさえ怠ける者は、滅びをもたらす者の兄弟である。
自分の仕事を怠ける者は、主人にとって。荒廃をもたらす者の兄弟である。
直接的には、この怠け者は、主人の仕事や事業を損なうことになることを言っています。この主人は、神である主の比喩です。主は、人を通して御業を実行されます。そのために、人の肉にはよらず、御霊によって事をされます。全ての業が神によってなされ、神の栄光となるためです。しかし、人が自分自身の仕事を怠けるような者であるならば、そのような者は役に立ちません。自らにとってなすべきことであるのに、その必要が分かっていながら、行わないのです。まして、自分の仕事でない神の業をきちんと行うことはないのです。また、その人の生活がもはや神の証しを担うのふさわしくないのです。
テサロニケ第二
3:11 ところが、あなたがたの中には、怠惰な歩みをしている人たち、何も仕事をせずにおせっかいばかり焼いている人たちがいると聞いています。
3:12 そのような人たちに、主イエス・キリストによって命じ、勧めます。落ち着いて仕事をし、自分で得たパンを食べなさい。
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18:10 主の名は堅固なやぐら。正しい人はその中に駆け込み、保護される。
主の名は、堅固なやぐら。正しい者は、そこに駆け込み、高くされる。
主の名が、それを求める正しい人を高くします。主に信頼して、主の業に委ねる時、主がご自分の栄光にふさわしく、その人を高くします。その人を通して、主の栄光を現し、その人を高くするのです。
高くされるという動詞は、同時に安全であり、強くされることを意味しています。ただし、保護されると訳した場合、高い堅固なやぐらに駆け込むことで、高くされるという直接的な動きがわからなくなっています。
・「保護される」→高くする。安全、強い。
18:11 富む者の財産はその堅固な城。自分ではそそり立つ城壁のように思い描いている。
富む者の財産は、彼の力強い都市。自分では、そそり立つ城壁のように思い描いている。
街の繁栄は、富む者にとって財産です。彼にさらなる富をもたらします。彼は、その街を城に見立てて、そそり立つ城壁のように力強いと考えているのです。
しかし、この世のものは過ぎ去って行きます。神の前には、無力です。しかし、人はその富に頼ろうとするのです。
18:12 人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ。
人の心の高慢は、破滅に先立ち、謙遜は、栄誉に先立つ。
心の高慢は、神の言葉を受け入れる心が神の言葉に対して高ぶり、それを受け入れないことを表しています。その結果は、破滅です。彼は、実を結ぶことはできず、報いがありません。命がないのです。
謙遜は、前後の対比から心の謙遜です。それは、神の言葉を受け入れることに関して謙遜であり、神の言葉を受け入れる人のことです。そのような人は、神からの栄誉を受けます。永遠の資産としての栄誉を報いとして受け取るのです。
18:13 よく聞かないで返事をする者は、愚かであり、恥を見る。
よく聞かないで、言葉を返す者は、愚かであり、彼にとって恥である。
よく聞くことは、聞いた事を理解し、あるいは従う心で聞くことです。それをしないで、返事を返し、行動する者は、愚かです。語る者の意図から外れた事を語り、行動するからです。彼は愚かであることが明らかになり、恥です。
聖書の言葉に関しても、記されている事を正しく理解し、また、従う心で聞くことをしないならば、示されている御心を、自分が行うことができないし、また、他の人に正しく伝えることはできません。そのような人は、神から評価されることはありません。その働きがどんなに熱心なものであったとしても、神にとって何の価値もないのです。
18:14 人の霊は病苦も忍ぶ。しかし、打ちひしがれた霊はだれが担えるだろう。
人の霊は、病苦も忍び切る。しかし、苦しんでいる霊は、誰が担えるだろうか。
霊は、神様の言葉を受け入れる座です。神の言葉に立つならば、病苦も忍び切ります。しかし、霊が苦しんでいたら、人は、そのような苦しみを担うことができないのです。霊は、神の言葉に立つことができない時に苦しみます。確信がなく、苦しんでいるのです。
・「忍ぶ」→強意語幹。十分な容量があること。保つ、維持する、忍ぶ、提供する等の意味がある。
・「打ちひしがれた」→苦しんでいる。
18:15 悟りのある者の心は知識を得、知恵のある者の耳は知識を求める。
悟りのある者の心は、知識を得る。知恵ある者の耳は、知識を探り求める。
悟りがある者は、すでに神の言葉を受け入れ、従って実践している人のことです、そのような人は、さらに知識すなわち神の御心を得ることになります。
知恵ある者は、神の言葉を受け入れ従う分別のある人です。そのよなう人は、さらに知識を探り求めます。さらに分別を増すためです。
マタイ
4:25 持っている人はさらに与えられ、持っていない人は、持っているものまで取り上げられてしまうからです。
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これは、イエス様の話を聞くにあたって教えられたことです。悟りを持ち、知恵を持つ者は、さらに与えられます。
・「得」→得る。獲得する。
・「求める」→探し求める。見つけ出そうとする。
18:16 人の贈り物はその人のために道を開き、身分の高い人の前にも彼を導く。
人の贈り物は、その人のために道を開かせる。そして、偉大な人々の前に彼を導く。
贈り物は、人の心を宥めます。受け手にとって喜ばしいものであれば、受け手の好意を受け、その人の望みも叶います。神の前に、神を宥め喜ばす贈り物は、自分自身を捧げることです。神の御心を行う者として自分を捧げるのです。そうすれば、神は喜んで受け入れ、私たちは、御使いの前でその名を言い表されることになります。
ローマ
12:1 ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。
12:2 この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。
黙示録
3:5 勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。またわたしは、その者の名をいのちの書から決して消しはしない。わたしはその名を、わたしの父の御前と御使いたちの前で言い表す。
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・「身分の高い」→偉大な。
18:17 最初に訴える者は、相手が来て彼を調べるまでは、正しく見える。
人の争いの中で、最初の者は正しい。相手が来て、来て、彼を調べる。
争い事があった時、裁く者は、一方の言葉しか聞かないことは決してあってはならないのです。教会において争いを裁く時、当事者の双方を必ず調べなければなりません。思い入れのある一方の意見を聞くだけで事を決めたり、詳しい事情が分からないうちに事を決してはならないのです。
18:18 くじは争いをやめさせ、強い者の間に決着をつける。
くじは、争いを止めさせる。強い者たちを引き離す。
くじは、神の裁定です。強い者たちは、大きな力を持つ者たちです。しかし、神の裁定ですので従います。
今日、神様は、くじによって事を決めることをされません。
18:19 反抗する兄弟は堅固な城よりも近寄りにくい。争いは宮殿のかんぬきのようだ。
反逆する兄弟は、堅固な都市のよう。その主張は、その主張は、城のかんぬきのよう。
彼は、神の定めを犯している人です。彼を正そうとして責めても、堅固な都市のように揺るぐことがありません。彼の主張は、城門のかんぬきのように堅固であり、自分の考えを主張し、聞き入れることがありません。
・「反抗する」→反逆する。規則などを犯す。
18:20 人はその口の結ぶ実によって腹を満たし、その唇の収穫で満ち足りる。
人の口は、結ぶ実によって腹を満たす。彼の唇の産み出すものが彼を満たす。
人の語る言葉によって、聞いた人に変化が起こります。その変化が、結ぶ実であったり、産み出すものです。この世で、そのようななことは常に行われています。しかし、神の言葉を取り次ぐ者にとって、それは、危険なことです。自己満足のためにその働きを求めるようになるからです。神の言葉から、神の御心をそのままに伝える者でなければならないのです。聞く人に気に入られることを求めて語ってはなりません。自分の話を魅力あるものにするために、想像を入れて語ったり、推測で話を組み立てたり、自分の話の筋立てに沿って御言葉を利用し、本来の意味とは異なる意味で語ったりと枚挙にいとまがありません。このようななことをするのは、神の言葉を委ねられた預言者や教者としての役割を忘れ、自分の誉を求め、そこに満足を求めるからです。
18:21 死と生は舌に支配される。どちらかを愛して、人はその実を食べる。
死といのちは、舌の手の内にある。人々は、その一つを愛してその実を食べる。
舌が語ることは、その人の内から出たことです。その人のうちにあるものがその人の死といのちを決定します。死は、神の言葉に背くところにあります。いのちは、神の言葉を受け入れ従うところにあります。人は、どちらかを選んで、その結果を自分のものとするのです。
・「支配」→手。
18:22 妻を見つける者は幸せを見つけ、主から恵みをいただく。
一人の妻を見出す者は、神の目に適った良いものを見出す。そして、主から好意を得させる。
妻は、神の目に適った良いものです。それが神の御心です。ですから、主を、喜ばせます。
・「幸せ」→良い。主の目に適った良いもの。
・「恵み」→好意。喜び。旧約聖書の他の多くの場所で、「恵み:契約に対する忠誠」と訳されている語とは異なります。
・「いただく」→使役語幹。~させる。得る。獲得する。喜びを得させる。
18:23 貧しい者は哀願するが、富む者は荒々しく答える。
貧しい者は、熱心に祈る。富む者は、荒々しく答える。
貧しい者は、頼るものがありません。それで、主に頼るのです。そして、熱心に祈ります。
富む者は、荒々しく横柄に答えます。富に頼り、力があるので、自分を高くしているからです。
置かれた環境は、その人の霊的状態にも影響を与えます。経済的な豊かさは、その人を幸せにはしません。神の前に価値ある者と評価されることは幸いです。
・「哀願する」→話す。目的語が哀願。
18:24 多くの友に関わる人は身を滅ぼす。しかし、兄弟以上に親密な友人もいる。
人の友だちは、自らを全く滅ぼす。しかし、兄弟より強く結びつく一人の愛する者がいる。
友だちが健全であれは、ともに神の御心を行う道に歩むことができます。しかし、多くは、友達に誘われて、神の御心に歩めないことが起こるのです。それは、滅びです。
しかし、中には、兄弟よりも強く結びつく愛する者がいます。ともに信仰によって歩むダビデとヨナタンのように愛によって結びつく関係もあるのです。
・「滅ぼす」→強意語幹。
・「友人」→愛する。動詞、基本形、分詞。愛する者。