箴言16章
16:1 人は心に計画を持つ。しかし、舌への答えは主から来る。
人の計画について言えば、心にある。しかし、舌の答えは、主から来る。
人は、心にさまざまな思索に基づく計画があります。しかし、それが言葉となって語られる時、それは、主から来ます。すなわち、主の支配を受けていて、主が言葉を語らせるのです。
これは、今日でも、信仰者は、聖霊によって歩み、聖霊によって言葉を語るのと同じです。
・「計画」→熟慮から生まれる秩序立った配置を表す。この節では複数形(「計画群」)で用いられており、人の内面に湧き上がる多様な思索を強調している。
16:2 人には自分の行いがみな純粋に見える。しかし、主は人の霊の値打ちを量られる。
人の行いの全ては、彼の(両)目に純粋に見える。しかし、霊の値打ちを量ことは主による。
人は、自分の行いを評価します。純粋に見えるとあるように、主の言葉に適った行いをしていると判断するのです。しかし、主の言葉を受け入れる座としての霊を評価するのは、主によります。その人が、主の言葉を受け入れて、それに従って振る舞っているかどうかは、主の評価によるのです。
人は、教会や日常において、主に仕えていると考えます。しかし、その行いがいかに主の言葉を受け入れ、どれだけ御心に適ったものであるかを主は評価されるのです。時として、その行いは、自分を現すためのものであることがあるのです。外見的には、主に仕えていても、価値あると評価されない行いもあるのです。
16:3 あなたのわざを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画は堅く立つ。
あなたの業を主に委ねよ。すなわち、肉の力によるのではなく、主がなす業とせよ。そうすれば、あなたの計画は、堅く立つ。
・「ゆだねよ」→転がすことによって動き出したり、移動したり、位置を変えたりすること。この場合、行いが主によるものとすること。結果を委ねるのではなく、行いの原動力が主によること。
・「計画」→思考、計画、意図、策略、芸術的構想。
16:4 すべてのものを、主はご自分の目的のために造り、悪しき者さえ、わざわいの日のために造られた。
主は、全てのものをご自分のために造り、悪しき者さえ災いのために造られた。
全ては、主の御手の内にあります。
16:5 心の高ぶりはすべて主に忌み嫌われる。断じて罰を免れない。
誰でも心高ぶる者を、主が忌み嫌われる。(無罪とされることが)可能かというと、無罪とされることはできない。
心は、主の言葉を受け入れるところです。そこが高ぶることは、主の言葉に対する高ぶりであり、主の言葉を受け入れないのです。
16:6 恵みとまことによって、咎は赦され、主を恐れることによって、人は悪を離れる。
契約に対する忠誠と真実のうちに咎は贖われ、主への恐れのうちに悪から離れる。
咎の贖いは、主が契約を徹底的に果たし、真実をもって実現されることです。そのような主を恐れることで、悪を離れるのです。
・「恵み」→契約に対する忠誠。
・「赦され」→覆い、なだめ、贖い、和解。
16:7 主が人の行いを喜ぶとき、敵さえもその人と和らがせる。
主が人の道を喜ぶ時に、敵対している者さえ、彼と完全な関係にさせる。和らぐことは幸いですが、この語が示していることは完全性です。人の間の完全性は、自分と同じように互いを愛することです。
・「行い」→踏み潰したものとしての道。
・「和らがせる」→何かを完全に満足のいく形で完結させる行為を表す。それは、負債を返済すること、失われたものを回復すること、正義に報いること、あるいは敵意を解消して平和が支配するようにすることである。この動詞は主に二つの方向性を持つ:人間同士の責任(法的、社会的、関係性)と、神から人間への活動(裁き、報い、契約の忠実さ)である。いずれの領域においても、その根底にある考えは、公正な解決を通じて達成される完全性である。
16:8 正義によるわずかなものは、不正による多くの収穫にまさる。
義の中でのわずかなものは、規定を守らない中での多くの収穫にまさる。
義は、神に対する信仰によります。神の言葉を信じて受け入れ従うところにあります。それと対比して、その教えを受け入れず、従わないで得たものは、人の評価であり、神の前には価値がありません。
・「不正」→規定がない。すなわち、教えに従った行動がない。
16:9 人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、主が人の歩みを確かにされる。
人は、心に自分の道をひたすら編む、すなわちよく思い巡らす。しかし、主がその人の歩みをまっすぐに立てる。
人はどのように歩むかを心の中でひたすら思い巡らします。しかし、主が、その人がまっすぐな歩みをするようにされるのです。
・「思い巡らす」→強意語幹。編む。考える、計算する、見積もる、評価する、設計する、発明する、計画する。
・「確かにされる」→真っ直ぐ立てる。
16:10 王の唇には神々しさがある。さばくときに、その口は神の信頼を裏切らない。
王の唇には、信託があり、裁く時に、その口は、信頼を裏切らない。
この王は、神に対して誠実であり、彼自身神の信頼を得ています。そのような人に、神は、ご自分の御心の実現のために、ご自分の言葉を授けられます。今日でも、王のように神の言葉を取り次ぐ働きを委ねられた者たちは、神に信頼される者でなければなりません。
16:11 正しい天秤と秤は主のもの。袋の中の重り石もみな、主が造られたもの。
天秤と正しい秤は、主のためのもの。全ての袋の重りも、主が造り出した物。
天秤や秤、また、重りも、それが正しいものであることは、主のためです。正しい取引を行うことで主の栄光が現されます。また、人は、主を恐れるので、正しいものを造るのです。それも主に栄光を帰すことです。私たちの日常の行動が主を証しするものになるのです。
16:12 悪を行うことは王たちの忌み嫌うこと。王座は正義によって堅く立つからだ。
悪を行うことは、王たちの忌み嫌うこと。なぜならば、王座は、正義のうちに堅く立てられるからだ。
王たちは、不正が王座を危うくすることをわきまえています。それで、悪を行うことを忌み嫌うのです。王座を堅くするのは、主です。その目に適うことを求めることで、王座が堅く立ちます。
16:13 正しい唇は王たちの喜び。真っ直ぐなことを語る者は愛される。
王たちの喜びは、正しい唇。真っ直ぐなことを語ることを愛する。
エペソ
4:25 ですから、あなたがたは偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。私たちは互いに、からだの一部分なのです。
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16:14 王の憤りは死の使い。知恵のある人がそれをなだめる。
王の憤りは、死の使いたち。知恵のある人がそれを宥める。
彼の宥めは、彼が受け入れ歩んでいる御言葉に基づくものです。神の観点から宥めるのです。
16:15 王の顔の光にはいのちがある。彼のいつくしみは後の雨をもたらす密雲のようだ。
王の顔の光の中には、命がある。彼のいつくしみは、後の雨をもたらす雲の中にあるよう。
王は、民に対して正しいことを語り、顔の光としてそれを示すのです。それは、神の御心を語るのであり、命をもたらします。王によって愛され、いつくしみを受けることで、教えられたところに喜んで歩むことができます。それは、後の雨が豊かな実りをもたらすように、実を結ぶための強い動機付けになります。真の王は、主イエス様ですが、人の中にあってその役割を担う指導者は、同じようにすることは幸いです。
・「いつくしみ」→主の主権的意志から流れ出る恵み、あるいは神に喜ばれるように変えられる人間の意志。
16:16 知恵を得ることは、黄金を得るよりはるかに良い。悟りを得ることは、銀を得るよりも望ましい。
知恵を得ることは、黄金を得るよりはるかに良い。悟りを得ることは、銀から選ばれることより良いすなわち銀より好ましい。
知恵は、神の御心を受け入れ従う分別です。悟りは、御心を行うことで、御心の実践です。それらは、金や銀に勝ることが示されています。聖書では、比較の対象が、それよりも優れているものとして対比されている事柄に関連した比喩になっています。黄金は、義を表します。知恵は、神の御心を受け入れ従う分別を表しています。それは、信仰による義を表しています。そして、銀は贖いの比喩です。悟りは、御心を行うことです。実践が伴います。贖いは、肉にはよらず、新しく生まれた者として聖霊によって歩むことを表しています。
・「良い」→良い。(主の)目に適った。
・銀を「得る」→選ぶ。受動態。銀から「選ばれる。」すなわち、銀より好ましい。
16:17 直ぐな人の大路は悪から遠ざかっている。自分のたましいを守る者は自分の道を見張る。
直ぐな人の道は、悪から遠ざかっています。自分のたましいを守る者は、自分の道を守る者です。たましいがいかに健全に、躓くことなく歩むことができるかということに気を配り、守るのです。ですから悪から遠ざかります。
・「大路」→整備された道。
・「守る」→守る、保持する、見守る、保全する、観察する、従う、維持する。
・「見張る」→守る、保つ、見守る、維持する。
16:18 高慢は破滅に先立ち、高ぶった霊は挫折に先立つ。
破滅の前に、高慢がある。破滅の前に、高いすなわち高ぶった霊がある。
高慢は、高ぶった霊であり、神の言葉を受け入れる座としての霊が高ぶり、神の言葉を受け入れない状態です。むしろ自分の主張を正しいとするのです。
・「先立つ」→顔。表面。(時間的に)~の前。
・「高ぶった」→高さ。身長。ここでは、「霊」と連語形を構成し、「高い霊」。
・「挫折」→破滅。崩落。
16:19 へりくだって、貧しい者とともにいるのは、高ぶる者とともに分捕り物を分け合うのにまさる。
貧しい者と共にいて、霊を謙らせることは、高ぶる者と分捕り物を分けるのにまさる。
謙りは、霊と関連付けられています。それは、神の言葉を受け入れる謙りです。それは、この世的な物が何もなくても価値あることです。
16:20 みことばによく通じた者は幸いを見出す。主に拠り頼む者は幸いである。
御言葉によく通じた者すなわちよく理解している者は、主の目に適った良いものを見出す。主により頼む者は、幸なるかな。
御言葉に通じていることは、御言葉に教えられ、その中に生きる分別を持つ者とされていることです。単に知識を持っているということではありません。そのような人が、主の目に適った良いものを見出すのです。それは、命であり永遠の報いです。
・「幸い」→良い。主の目に適っている。
・「幸いである」→幸い。感嘆詞。幸なるかな。
16:21 心に知恵のある者は、悟りのある者と呼ばれ、そのことばの心地よさは理解を増し加える。
心に知恵のある者に関しては、御心の実践者と呼ばれ、その人の唇の言葉の心地よい甘さは、助言を増し加える。
知恵は、神の御心を受け入れ従う分別です。その人は、御心を実践する者となるので、そのように呼ばれるのです。そして、そのような人が語る言葉は、人を教え、それを増し加ることができます。自らそのうちに歩んでいる神の御心を語ることができるからです。
・「悟りある」→御心を行う。
・「ここちよさ」→快い甘さ。比喩になっていて、神の言葉が甘いことから、神の教え。助言。本文からも、その言葉が助言を増し加えるのであり、その言葉は、助言の言葉です。
・「理解」→受け取られることを意図した言葉の内容。教え、指導、あるいは説得的な助言。聖書はこれを主に、心に「取り入れられる」ように設計された神の賜物として提示し、人格と行動を形作る。
16:22 賢明さは、これを持つ者にはいのちの泉。愚かさは、愚か者への懲らしめ。
命の泉は、御心に適う行動を判断する分別を持つ者にある。そして、愚か者への懲らしめは、愚かさ。
神の御心を受け入れ、従う者に、命の泉があります。泉は、聖霊の比喩です。御霊によって歩むことで経験する命があります。
愚か者が愚かなことをするのは、懲らしめです。彼が、神の知恵を無視するので、神の教えに反した愚かな行動となって現れるのです。それゆえ、彼は、神の良い評価を受けることがありません。それは、人にとって最大の損失です。
・「賢明さ」→神の啓示された御心に適う行動を判断する分別。単なる知性のことではない。
・「持つ者」→所有者。主人。夫。
・「愚か者」→道徳的・霊的な愚か者を指す。その態度、言葉、行動は、神の知恵に対する頑なな無視として現れる。
・「愚かさ」→単なる知的能力の欠如ではなく、道徳的・霊的な愚かさを指す。それは真理への故意の抵抗、神を中心とした知恵の拒絶。
16:23 知恵のある者の心はその口を賢くし、その唇に洞察を深める。
知恵ある者の心は、その口に洞察力を与えさせ、その唇に教えを増し加えさせる。
知恵は、神の御心を受け入れ従う分別です。それがある心は、口から語る言葉によって、聞く人々に洞察力を与え、教えを受けるようにします。口を制御しているのは心です。心に知恵があって初めて神の御心に適った教えを語ることができるのです。
教会において教えをなすのであれば、心に神の御心を受け入れ従う分別があることが必要です。自らがそれを持たないで、人に教えることはできません。
・「賢くする」→洞察力を与える。使役語幹。
・「洞察」→受け取られることを意図した言葉の内容。教え、指導、あるいは説得的な助言。聖書はこれを主に、心に「取り入れられる」ように設計された神の賜物として提示し、人格と行動を形作る。
・「深める」→加える。継続する。再び行う。増加する。使役語幹、
16:24 親切なことばは蜂蜜、たましいに甘く、骨を健やかにする。
契約に基づく祝福を語る言葉は、蜂の蜜。それは、たましいに甘い。骨を健やかにする。
たましいは、神の言葉に従う座です。神の言葉に従って生きることで祝福を受け継ぎ、永遠の報いを受けるのです。それを覚える時、たましいにとっては甘いのです。
それは、骨として示されているその人の持つ教えを健やかにします。御言葉に従って生きることで、祝福を獲得できることを知るので、神の言葉を喜んで自分のものにしようとするからです。そして、その人の行動や判断の基準になる教えが神の言葉に整合するようになり、御心を行うことができるように健全さが与えられるのです。
イエス様が「天に宝を積みなさい」と言われたように、御国で報いを受けられることを語ることは大切なことです。それを聞く人が、神の御心を喜んで受け入れ、その中に生きるようになるからです。
・「親切な」→契約に基づく祝福。新約聖書では、「恵み」で、信仰により獲得できます。
参考
ゼカリヤ
11:10 私は、私の杖、慈愛の杖を取り上げ、それを折った。私がすべての民と結んだ私の契約を破るためである。
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「慈愛」が該当。これは、イスラエルとの契約を破棄し、契約によってもたらされる祝福すなわち、ご自分の民への祝福を捨てることを表しています。
16:25 人の目にはまっすぐに見えるが、その終わりが死となる道がある。
人が見てまっすぐに見える道がある。しかし、その終わりは、死の道となる。
人が見て判断する道でまっすぐに見える道があるのです。その終わりが死の道です。死となる道ではなく、その道の終わりは、死んでいます。すなわち、真っ直ぐでなく、神の前に死んだ道なのです。
16:26 苦労する者は食欲のために働く。その口が彼を駆り立てるからだ。
たましいは、労苦して働らいた。なぜならば、彼の口が彼を駆り立てたからだ。
たましいは、自分を満たすもののためには労苦を厭いません。それを獲得することを強く願うからです。たましいが、神の御心を行うことで、永遠の報いがあります。それを強く望むならば、たましいは、労苦してもその道を歩むのです。私たちが、御国で報いを受けることを強く望むならば、御心を行う熱心な者になります。
・「者」→たましい。
16:27 よこしまな者は悪を企む。その唇の上にあるものは焼き尽くす火のようだ。
邪な者は、悪を企む。その唇の上には燃える火がある。
火は、神の評価の比喩です。しかし、悪者は、その言葉によって神の評価と裁きの立場をとります。そして、人を害するのです。
・「よこしまな」→無価値な。無法な。
16:28 ねじれ者は争いを巻き起こし、陰口をたたく者は親しい友を離れさせる。
ねじれ者は、争いをぶち撒き、陰口を叩く者は、友を離れさせる。
彼は、神の言葉に対して真っ直ぐでないのです。受け入れて従うことがありません。自分の振る舞いの影響など考えないのです。他の人の霊的成長を図ることなどできません。
陰口を叩く者は、友を離れさせます。友の陰口を言うことはなくても、彼に信頼することはできません。自分の陰口を言われる可能性を考える時、友として付き合っていくことは難しいのです。
16:29 暴虐を行う者は自分の隣人を惑わし、良くない道へ導く。
「暴虐→過ちすなわち契約に背くこと」を行う者は、自分の隣人を大いに惑わす(強意語幹)。主の目に適った良い道へ導かせることはでない。
主の目に悪いことを行うことで、隣人はそのようなことをしても良いと思ってしまい、惑わされるのです。そして、主の目に適った良い道へ導かせることはできません。自分が悪いことを行なっている者が、人を良い道に導くことはできないのです。
・「暴虐」→身体的残虐行為、社会的抑圧、不当な利益、過ち(契約に対する背き)。
16:30 目で合図する者はねじれごとを企み、唇をすぼめる者は悪をやり遂げた者だ。
目で合図する者は、ねじれごとを企む。唇をすぼめる者は、悪をやり遂げた者だ。
・「やり遂げる」→強意語幹です。
16:31 白髪は栄えの冠。それは正義の道に見出される。
白髪は、栄えの冠。それは、義の道に見出される。
白髪は、神の栄光の現れの比喩です。単に長生きしたということではありません。栄の冠とありますが、神様から栄光を受け、それを現していることを表します。そのような栄誉は、義の道を歩んだ者に与えられます。
16:32 怒りを遅くする者は勇士にまさり、自分の霊を治める者は町を攻め取る者にまさる。
怒りを遅くする者は、勇者に勝り、自分の霊を治める者は、町を攻め取る者にまさる。
怒りを遅くすることは、霊を治めることとして記されています。霊は、神の御心を受け入れる座です。怒りは、感情ですが、霊がそれによって左右されないことが優れたことであるのです。それが霊を治めることです。あくまでも、神の御心に適った行動を取るように治めるのです。
16:33 くじは膝に投げられるが、そのすべての決定は主から来る。
くじは、膝に投げさせられるが、全てのその決定は、主から。