箴言13章

13:1 知恵のある子は父の訓戒を聞き、嘲る者は叱責を聞かない。

 神の御心を受け入れ、従う分別のある子は、父の懲らしめの指導を聞き入れます。

 対比して、嘲る者は、神の言葉を嘲る者です。それを価値あるものとしないので嘲るのです。そのような者は、その人の不正に対する叱責を聞き入れません。

・「知恵のある」→知恵は、神の御心を受け入れ、従う分別を表す。それを持つことを意味する形容詞。

・「訓戒」→規律、矯正、懲らしめ、そして人格形成のための指導。

・「叱責」→力強い言葉による介入。

13:2 人はその口の実によって良きものを食べるが、裏切り者は不法を貪る。

 口の実は、口から出る言葉です。それは、心から出てきます。彼が食べるものは、「良きもの→主の目に適った良いもの」です。彼の心が主に適っているので、それに相応しい言葉が口から出て来るのです。そのような人は、神の目に適った良いことを行うのです。それはまた、その良い行いに対する報いを受けます。御国において、永遠の栄光を資産として受け継ぐのです。それで、良いものを「食べる」と表現されています。その良い心から出た行いは、その人自身の報いとして帰って来るからです。

 裏切り者と言われる神の言葉に背く「者→たましい」は、不法です。訳では、「貪る」と補足されています。彼は、神の言葉に背いて歩む人です。たましいは、教えに従って歩む座です。この人は、神の言葉に背いて自分の悪い考えで歩む人を表しています。その結果、不法を行うのです。そして、不法に対する報いを受けるのです。

 なお、「貪る」と補足することで、意味が分かりにくくなっています。「貪る」は、不法をひたすら行うという意味になりますが、それだけではないのです。後半の省略部分は、前半の比喩の構成が後半に適用されることを表しています。それとともに、後半の「たましい」という語によって、前半の「食べる」が、自分が受けるだけではなく、対比関係から、その前段として歩みが伴っていることが意味されています。

 なお、口の言葉は、その人の心から出て来ることは、以下の聖句に記されています。

マタイ

15:18 しかし、口から出るものは心から出て来ます。それが人を汚すのです。

15:19 悪い考え、殺人、姦淫、淫らな行い、盗み、偽証、ののしりは、心から出て来るからです。

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・「裏切り」→信頼の裏切りを意味する——神に対するものであれ人に対するものであれ、関係における約束を故意に破るあらゆる行為を指す。

・「不法」→身体的残虐行為、社会的抑圧、不当な利益、道徳的過ちを指し示す。

13:3 自分の口を見張る者はたましいを守る。唇を大きく開く者には滅びが来る。

 自分の口を見張ることは、口に言葉を語らせる心を見張ることです。その心に人の判断基準としてのその人の持つ教えが収められています。それを見張るのです。それが、神の言葉に整合していることは幸いです。常に神のみ心に適っているかどうかを見張るのです。それによって、その教えに従って歩むたましいを守ることになります。

 唇を大きく開く者は、口から出す言葉についてよく吟味しないのです。それが、神の教えに適っているかどうかを考えません。すなわち、見張らないのです。大きく開けることは、その言葉によって、自分の主張を大いに語ることを意味しています。そのような人は、自分の考えを語ることが多いのです。神の言葉によって教えられていないし、また、自分の持つ教えを御言葉に整合しようとはしないので、彼は、神の御心に敵わないことを行うのです。その結果、彼は、滅びを刈り取ります。信仰者であれば、永遠の滅びに入ることはありませんが、神の前に生きた歩みをすることができません。御心を行い、神と一つになって歩む命を経験できないのです。当然、御国における報いもありません。それが滅びです。

13:4 怠け者の心は欲を起こしても何も得ない。勤勉な者の心は豊かに満たされる。

 怠け者のたましいは、強く望んでも何もない。勤勉な者のたましいは、全く「灰」にされます。灰は、祭壇に捧げられた脂肪の燃えかすです。燃えた脂肪は、聖霊の比喩です。主イエス様が聖霊によって父の御心を行ったことを、神様は宥めの香りとしかがれました。それが、神様を満たされました。その灰は、器としてご自身を捧げられたイエス様の偉大さを表しています。同様に、聖霊によって歩んだたましいは、自分を捨てて、御心だけを行います。そして、父に栄光を帰します。そして、そのたましいは、主とひとつになって歩んだ命を経験し、また、永遠の報いを栄光とし受けることの比喩です。強意語幹によって、強く強調されています。

・「心」→たましい。

・「欲を起こし」→望む。強意語幹。再帰。自ら、強く望むこと。

・「勤勉な者」→勤勉な者。

・「満たされる」→灰にされる。動詞。強意語幹。受動態。

13:5 正しい人は偽りのことばを憎む。悪しき者は悪臭を放ち、恥ずべきふるまいをする。

 正しい人は、偽りの言葉を憎みます。しかし、悪き者は、悪臭を放たさせ、恥をかかせます。使役語幹が使われることで、悪者が自分で、悪臭を放たさせ、恥をかかせるのです。

・「悪臭を放ち」→悪臭を放つ。使役語幹。能動態。

・「恥ずべき振る舞いをする」→恥をかく。使役語幹。能動態。

13:6 義のわざは誠実な道を保ち、悪のわざは道を誤らせて罪に導く。

 義は、完全な道を守り、悪は、罪人をひっくり返す。

 守り、保つことと、ひっくり返すことが対比されています。人が完全な道を歩み続けることができるのは、義によります。信仰による行いなのです。罪人は、神に背いて歩むのです。神がその罪人をひっくり返されます。神の御心を行っていない者が保たれることはないのです。

・「誠実な」→道徳的な完全性、すなわち神の前で偽りなく生きる分かたれぬ心を表す。罪のない完璧さではなく、告白と行いの整合性、主の前で「完全な」人生を指す。この言葉は「正直」「義」「非難の余地なき」と並ぶが、外見の信頼性を生み出す内面の誠実さを特に強調する。

・「保ち」→守る、保つ、見守る、維持する。

13:7 富んでいるふりをして、何も持たない者がいる。貧しいふりをして、多くの財産を持つ者がいる。

 自らを大いに富ませるが、全く何もない者がいる。自らを大いに貧しくなすが、大いなる富を持つものがいる。

 自らを大いに富ますとは、自分の意思で、その目的を果たし、富む者になることを表しています。貧しくすることもそうです。そこに意志が働いています。それを求めたのです。富むことを求めた者は、この世のものを求めたのです。貧しい者は、それを求めませんでした。しかし、この世のものを求めても、神の前には全く何も持たず、空しいのです。この世のものを求めず、貧しいが神の御心を行うことを求める者は、多くの富を持つのです。それは、神が与える永遠の資産を受け継ぐからです。

 なお、「ふりをする」は、補足です。ふりをするという意味があるとすれば、変わり者です。

・「富んでいるふりをして」→富む。強意語幹。再帰。自らを大いに富ませる。

・「貧しいふりをして」→貧しくなる。強意語幹。再帰。自らを大いに貧しくなす。

13:8 富はその人のいのちの身代金である。しかし、貧しい者は脅しを聞くこともない。

 人のたましいの身代金は、富です。しかし、貧しい者は、叱責を聞きません。

 身代金と訳されている語は、贖いを意味しています。たましいは、神の言葉に従う座です。そのたましいが信仰によって歩み、御心を行うことに対して与えられるものがこの身代金です。たましいが神の言葉に従うことを強く動機づけます。彼は、その報いとして与えられる富を望みとしていますので、この地上を熱心に歩みます。

 しかし、貧しい者は、対比して、その富のない者です。それを自分のものにしようと願っていない人のことです。そのような人は、叱責を聞きません。叱責は、神の御心に適った歩みに導き、その人にとって豊かな富を得させるためのものです。その叱責を聞かないのです。

・「いのち」→たましい。

・「身代金」→保護用のピッチの塗膜、身代金または補償金、香り高いヘナ植物。各意味は「覆い」または「交換」の概念を持ち、神の贖いの備えに対する統一的な証しとなっている。

・「脅し」→叱責。神、人間の父、あるいは賢明な助言者による力強い言葉による介入。

13:9 正しい人の光は輝き、悪しき者のともしびは消える。

 正しい人の光は、後半との対比で「ともしび」として照らすためのものです。正しい人は、正しい道を歩んでいるのです。その道は、光輝く光によって照らされます。ますます、歩むべき御心をよく示されるのです。

 悪き者は、正しいことを行うことをしない人です。そのような人は、歩むべき道が照らし出されなくなるのです。消えてしまいます。神様は、御心を行おうとはしない人にその御心を示すことはされません。

13:10 高ぶりがあると、ただ争いが生じるだけ。知恵は勧告を聞く者とともにある。

 高ぶりがあるとただ争いが生じる。助言されると、知恵が生じる。

 高ぶりは、本質的には神の言葉に対する高ぶりです。神を恐れないないのですから、人の欲望のままの行動から生じるのは争いです。

 助言は、神の言葉による教えです。神の言葉を受け入れるところに、知恵があります。それを受け入れ従うことが知恵であるからです。それは永遠の祝福をもたらします。

13:11 急に得た財産は減るが、少しずつ集める者は、それを増す。

 神の前に無価値な財産は、少なくなる。手で集めることで、増大する。

 神の前に無価値なことから得た財産は、減ります。それは、御国において何の価値も持ちません。永遠の資産としての報いはないのです。しかし、手で集めることは、神の前に価値ある業として記されています。文の前半と後半は、対比されていて、前半に「価値がないもの」という名詞が記されていることで、後半は、価値があるものを手で集めることとして記されているのです。それは、御国において永遠の栄光という朽ちない財産をもたらします。

・「急に得た」財産→神の目に空しいもの。儚いもの。欺瞞的なもの。無価値なもの。前置詞が「~から」があります。空しいことで得た財産のことです。

・「減る」→数、資源、影響力、あるいは人々が「減少する」「縮小する」あるいは「少なすぎる」。

13:12 期待が長引くと、心は病む。望みがかなうことは、いのちの木。

 期待が長ーく引き延ばされると、心を病にさせる。渇望が叶うことは、いのちの木です。

 人の叶うあてのない期待と、信仰者の渇望は叶い、もたらされるものの尊さが対比されています。人は、叶うことのない期待の中で心を病みます。しかし、信仰者には、渇望したものが叶い、いのちの木が与えられます。それは、御座から流れ出るいのちの水の川の両岸に植えられた木から実を食べることができることです。それは、神の御心を行い、勝利した者が食べることができる実であり、神の目に適った行いに対する報いなのです。信仰者は、それを渇望しています。それは、与えられるのです。

黙示録

2:7 耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞きなさい。勝利を得る者には、わたしはいのちの木から食べることを許す。それは神のパラダイスにある。』

22:2 都の大通りの中央を流れていた。こちら側にも、あちら側にも、十二の実をならせるいのちの木があって、毎月一つの実を結んでいた。その木の葉は諸国の民を癒やした。

22:14 自分の衣を洗う者たちは幸いである。彼らはいのちの木の実を食べる特権が与えられ、門を通って都に入れるようになる。

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13:13 みことばを蔑む者は身を滅ぼし、命令を尊ぶ者は報われる。

 御言葉を蔑む者は、滅ぼされる。命令に対する恐れを持つ者は、必ず完全にされる。

・「報われる」→完全にする。義に報いる。強意語幹、受動態。

・「尊ぶ」→恐れる。

13:14 知恵のある者のおしえはいのちの泉。これによって、死の罠から逃れることができる。

 知恵のある者の神の教えは、いのちの泉です。そのいのちは、主と一つになって歩むことで経験するいのちであり、永遠のいのちとしての報いをもたらします。泉は、聖霊の比喩であり、聖霊によって歩むことで、その命を得ます。

 それと対比して、死は、神の教えから離れた死んだ行いを表しています。それは、罠として備えられています。悪魔の働きにより、肉によって誘惑されて、その罠に落ちるのです。

 知恵ある者は、すでに神の言葉を受け入れ、その中に生きている人です。その人が教える神の言葉は、実践に裏打ちされたものです。たしかなおしえなのです。泉は、聖霊の比喩です。そのような人の教えを受け入れ、神の言葉を恐れて従うならば、そこには、いのちの泉としての聖霊が働きます。そのように、神の言葉を自らの歩みとしている人は、罠を逃れるのです。

・「教え」→教え。トーラー。一般に「律法」と訳されるが、その意味の範囲は、契約の民を信仰と実践において導く教え、指示、啓示を含む。

13:15 深い思慮は好意を生む。裏切り者の道は滅びに至る。

 神の御心に適う行動を判断する分別は、神の目に適う。裏切の道は、いつまでも続いて。。。(神の目に適うことはない。)

・「深い思慮」→聡明、賢明とも。神の啓示された御心に適う行動を判断する分別。単なる知性のことではない。

13:16 すべて賢い人は知識によって行動し、愚かな者は自分の愚かさを言い広める。

 賢い人は、知識によって行動します。この知識は、神の言葉の知識です。それは、神の御心に適う分別を持っているからです。

 愚かな者は、その分別を持ちません。彼の振る舞いは、肉から出てきます。それで、その愚かさは、他の人の知ることとなり、広まるのです。

 人が神の御心を求めて歩んでいるのか、肉に従って行動しているのかは、他の人にも明らかになるのです。

・「賢い」→賢明な。形容詞。神の啓示された御心に適う行動を判断する分別。単なる知性のことではない。

13:17 悪い使者はわざわいに陥り、忠実な使者は人を癒やす。

 悪い使者は、悪に落ちます。死者が悪の状態になることです。この使者は、主によって遣わされた者です。主の権威を帯びています。しかし、悪い使者として働くことで、悪に落ち、正しいことを行うことができない者になるのです。悪い使者とは、神の言葉をそのままに伝えることをしない者です。

 忠実な伝達者は、完全な者になります。彼の役割は、伝達者で言葉をそのまま伝える者を意味する語が当てられています。これは、神から遣わされた者の正しい姿です。神の言葉をそのまま伝える者であるべきなのです。そのような人は、神の目的を果たすのです。彼は、主を恐れて、伝えるべきことをそのまま伝える人です。彼自身がその言葉の中に生きているからこそ、それができるのです。そのような人自身が、神の言葉に適った完全な者とされます。

・悪い「使者」→神の目的を達成するために遣わされた使者。

・忠実な「使者」→知らせを運ぶ者。伝達。蝶番。出産の苦しみ。

・「わざわい」→悪。

・「癒す」→癒し、健康、治療、回復、平穏、完全性。

13:18 貧乏と恥は訓戒をなおざりにする者に来る。しかし、叱責を大事にする者は誉れを得る。

 貧乏と恥は、誉と対比されています。訓戒を聞かず離れる者は、神の評価において、貧しく、恥を被る者になります。彼は、御国において報いを受けることがありません。神の評価では、価値のない者としての評価を受けることになります。その時、彼は恥いることになります。

 しかし、叱責を大事にする者は、自分の不正を正します。彼は、良い歩みをする者になるのです。彼は、主から誉を受けます。それは、永遠の資産です。

13:19 望みがかなえられるのは心地よい。愚かな者は悪から離れることを忌み嫌う。

 望みが実現することは、たましいにとって喜ばしいこと。この望みは、たましいが神の言葉に従って生きることでもたらされる永遠の報いのことです。これは、この世における望み全般を指しているわけではありません。

 それと対比して、愚かな者は、悪から離れることを忌み嫌います。そのようにしていては、決して永遠の報いを獲得できないのに、決して離れないのです。離れることを忌み嫌うのです。それで愚か者なのです。

・「心地よい」→喜ばしい。

13:20 知恵のある者とともに歩む者は知恵を得る。愚かな者の友となる者は害を受ける。

 知恵のある者は、神の言葉を受け入れて従う分別を持って歩んでいる人です。その人と共に歩むならば、神の言葉を受け入れ、従うことを学ぶことができます。

 愚かな者の仲間になる者は、悲嘆の叫びを上げることになります。

・「害を受ける」→叫ばされる。受動態。ここでは、悲嘆の叫び。

13:21 わざわいは罪人を追いかけるが、正しい人は幸いで報われる。

 罪人は、悪をしきりに追求する。

 正しい人は、主の目に適った良いことを完全なものにする。すなわち、彼は、神の前に完全な者になります。

・「わざわい」→悪。

・「追いかける」→追跡する。追い求める。強意語幹。

・「幸い」→主の目に適った良いこと。

・「報われる」→完全にされる。

13:22 善良な人は子孫に遺産を残す。罪人の財産は正しい人のために蓄えられている。

 神の目に適った良いことは、子孫に資産を受け継がせる。その人のなした良い行いは、子孫に受け継がれ、彼らは、御国で報いを受ける者になります。

 罪人の財産は、正しい人のために隠されている。正しいことを行わず、罪を犯している人々は、報いを受けることができません。その人たちを通してなされるはずの良いことは、良いことを行う人たちが受け継ぎ、その人たちの報いとなります。一ミナ預かった者がその一ミナを取り上げられ、もっと実を結ぶ者に与えられように、良い行いは、良い行いをする人に委ねられ、その人の報いとなります。

13:23 貧しい者の耕地に、多くの食糧があっても、それは不当に取り去られる。

→「神を求める者の耕地には、多くの食料があり、そして、そこには、取り去られることがない中に、公正(規定:神の言葉に適った行い)がある。」

 この貧しさは、霊的に貧しく飢えていることを表しています。彼は、神を求める人です。霊的な満たしに渇いている人です。そのような人は、神の定めとしての規定の中に歩む人です。その霊的な満たしは豊かであり、取り去れられことがないのです。

・「貧しい」→経済的に貧しい。霊的に貧しく飢えている。

・「取り去られる」→主に二つの方向性がある。一掃的な破壊による除去と、既に存在するものの追加または蓄積である。強化を強調する。すなわち、拭い去ることで裁きを強化するか、既存のものに加えることで量を強化する。

13:24 むちを控える者は自分の子を憎む者。子を愛する者は努めてこれを懲らしめる。

 棒を控える者は、自分の子を憎む者。棒は、懲らしめのためです。懲らしめなければ、子は、わがままに育ちます。

 子を愛する者は、努めてこれを懲らしめます。子を愛しているならば、懲らしめなければなりません。

・「むち」→棒。

13:25 正しい人は食べてその食欲を満たし、悪しき者は腹をすかせる。

 正しい者は、たましいの満たしのために食べる。食べることは、食事をすることを直接に指しているのではなく、比喩的表現です。彼が求めて、内に受け入れるものを表しています。それは、たましいのためです。自分の欲のためではないのです。肉を殺し、神の御心のために生きることを求めているのです。それによってたましいは、満たされます。

 悪き者の霊は、欠乏する。悪き者は、神の御心を示されることさえありません。霊は、御言葉を受け入れる座です。しかし、悪き者は、御言葉を示されることもないし、たといそれに触れても、受け入れることがないのです。彼の霊は欠乏します。

・「食欲」→たましい。

・「腹」→霊。下腹部。胎。胃。体。ここでは、体のことではなく霊。