箴言11章
11:1 欺きの秤は主に忌み嫌われ、正しい重りは主に喜ばれる。
秤や錘は、商取引などで用いられます。欺きの秤が主に忌み嫌われるのは、それを主が見ておられることを心に留めないからです。彼に、主への恐れはありません。正しい錘は、主を恐れていることの証しです。それで、主に喜ばれます。
11:2 高ぶりが来れば、辱めも来る。知恵はへりくだる者とともにある。
高ぶりは、後半の知恵と対比されています。知恵は、御言葉を受け入れ従う分別です。高ぶりは、神の言葉に対する高ぶりです。高ぶりが来た時、不名誉が来た。
高ぶることなく、神の言葉を受け入れて従うことができる人は、謙る人です。自分の考えや思いを主張するのではなく、主の言葉をそのまま受け入れることができる人です。
・「辱め」→公の不名誉、非難、屈辱。内面的な感情以上に、見ている人々の前での、そして最終的には行いを評価する主の前での、目に見える不名誉。
・辱めも「来る」→連続不完了体。完了形のように機能して、完了した動作を表します。
11:3 直ぐな人の誠実は、その人を導き、裏切り者のよこしまは、その人を破滅させる。
直ぐな人の誠実は、その人を導きさせ、裏切り者のよこしまは、その人を破滅させます。直ぐな人は、神の言葉に対して真直ぐなのです。そして、その言葉に対して誠実です。その誠実が、神の手を動かします。その人を導くようにさせるのです。
裏切り者は、神の言葉を知らないのではなく、知っていて裏切るのです。そのように示されたことに対して真っ直ぐでなく、曲がっていることで、破滅します。
・「裏切り」→動詞。信頼に対する裏切り、つまり神に対するものであれ、人々に対するものであれ、人間関係の約束を意図的に破ることを表す。
11:4 財産は御怒りの日には役に立たない。義のわざは人を死から救い出す。
富は、御怒りの日に役に立ちません。神はそのようなことに目を留められません。正しさは、人を死から救い出します。御怒りの日は、神の裁きの日です。人が評価される時が来るのです。たとえ財産を持っていたとしても、御怒りに対してこれを宥めることはできません。財産は、この世のものです。
義の業は、正しく、その正しさが評価されます。神を満足させます。価値のない者として退けられることはないのです。御怒りを受けることはないのです。
11:5 誠実な人の義なるわざは、その人の道を平らにし、悪しき者は、自分の悪事によって倒れる。
完全な義は、その人の道を真っ直ぐにし、悪しき者は、自分の悪事の中に倒れる。
・「誠実な」→全き。完全な。
・「義なるわざ」→義。創15:6「義とされた。」
・「平にし」→真っ直ぐにする。適合する。神の御心に適っている。
11:6 直ぐな人は、その正しさによって救い出され、裏切り者は、自分の欲によって捕らえられる。
直ぐな人の義は、その人を救い出し、裏切る者は、その欲の中で捕えられる。
・「直ぐな」→真っ直ぐな。前節「平らにし→真っ直ぐにし」の形容詞形。
・「正しさ」→義。
・「裏切り」→動詞。信頼に対する裏切り、つまり神に対するものであれ、人々に対するものであれ、人間関係の約束を意図的に破ることを表す。
11:7 悪者が死ぬとき、その望みは消え失せ、財力への期待も消え失せる。
→「悪者は、人を死の中で滅し、彼の期待と望みは、悪が滅ぼす。」
前半と後半で滅ぼすことが取り上げられています。悪者は、人を死に至らしめて滅ぼします。しかし、その悪者の期待と望みは、自分の罪によって滅ぼされます。
本訳では、他の節と異なり、単純な文で、対比がありません。
・「財力」→アーベン。悪。道徳的な倒錯、内面的な欺瞞、外面的な抑圧、儀式的な偶像礼拝、そしてそれぞれに付随する虚しさを表す包括的な用語。契約の忠実さとは正反対の状態を示している。
11:8 正しい人は苦しみから救い出され、彼に代わって悪しき者がそれに陥る。
正しい人は、苦難から救い出され、悪き者はそれに代わります。
・「苦しみ」→苦難。
11:9 神を敬わない者は、その口によって友を滅ぼし、正しい人は、知識によって助け出される。
神を恐れない偽り者は、その口の言葉で隣人を滅ぼします。彼自身が神を恐れていないのです。語る言葉は、自分の歩みを正当化するような言葉なのです。そうでなければ自分を裁くことになります。そのような人の語る言葉を受け入れたならば、その人は、神を恐れない歩みをし、実を結ぶことがないのです。その意味で滅びなのです。
正しい人は、知識によってその滅びから救出されます。神の正しい知識を身につけている人は、神を恐れない人の言葉によって惑わされることはないのです。
・「神を敬わない者」→外見的には契約の共同体に関わりながら、内面的には不遜、道徳的妥協、実際的な無神論によってゆがんでいる人々を指す。この言葉には「神を恐れぬ」と「偽善的な」という二重の意味があり、真の敬虔さの欠如と偽りの代用品の存在の両方を露呈している。
・「友」→隣人。
11:10 町は、正しい人の繁栄に小躍りし、悪しき者が滅びると、喜びの声をあげる。
町は、正しい人が繁栄の中にあることを小躍りし、悪しき者が滅びることに歓喜の叫びが上がります。人が真に喜びとするものが何かをよく表しています。
11:11 直ぐな人の祝福によって、町は高く上げられ、悪しき者の口によって、破壊される。
前節の理由が示されています。直ぐな人の祝福によって町は高く上げられるのです。悪しきものの口すなわち、その教えによって破壊されます。
教会においても同じように、その繁栄は、一人ひとりの信仰者の敬虔な歩みにかかっています。その一方で、悪しき者が真理から外れたことを語ることで、教会は、破壊されます。ただし、彼らは、自分こそ真理を語る者であると考えていますので、それを気づかせることは困難です。
11:12 隣人を蔑む者は良識がない。英知のある者は沈黙を守る。
隣人を蔑む者は、霊的なことがらを理解していないのです。霊的なことがらを扱う心がないのです。
それと対比して、神の御心をわきまえそれをまっすぐに行う分別のある人は、そのような蔑みを口に出すことなく、静かにしています。これは、良いことにも口を閉ざすことを意味していません。
「良識がない」と訳されている語は、「英知のある」ことと対比されていて、神の御心を行う分別がないことを表しています。
・「良識」→心。霊的活動の領域を指します。心臓。欲望を含まない。「良識がない」と訳されている語は、「英知のある」ことと対比されていて、神の御心を行う分別がないことを表しています。
・「英知」→英知→霊の働き、知識に整合したことだけをまっすぐに行う分別。
11:13 人を中傷して回る者は秘密を漏らすが、霊が忠実な人は事を秘める。
人を中傷して回る者は、話してはならないことまで話し、秘密を漏らします。
忠実にされるた人は、事を秘める。信仰によって歩み、忠実な者とされた人は、秘密を漏らすような信頼の置けない人になることなく、事を秘めます。これは、何でも隠す人のことを意味していません。
・「霊が忠実な人」→動詞。信じる。受動態。
11:14 指導がないことによって民は倒れ、多くの助言者によって救いを得る。
良い助言がないことで、民は倒れます。多くの助言者によって救いを得ます。助言は、神の教えに基づく勧めです。人は、自ら学ぶのでない限り、いつでも神の教えを受けることで救われます。そのために教えをする者は、大切な役割を果たしているのです。それによって、人々は、神の教えに適う歩みをすることができ、救いを得ます。
・「指導」→良い助言。
・「助言者」→動詞、分詞。助言する。
11:15 他人の保証人になると苦しみにあう。保証を嫌う者は(確かに)安全だ。
確かなことは、見知らぬ人の保証人になるならば、苦しみを受ける。補償を嫌う者は、確かに安全だ。それは、人には、それを保証する力はないからです。神様だけがその力をもたれます。
・「他人」→宿泊者。知らない人。
・「(確かに)」→音を放つ(ラッパの音、拍手)、何かを所定の位置に打ち付ける(テントの釘、武器)、関係を封印する(誓いの手を打つ)などの決定的な行為を表す。耳に聞こえるものであれ、物理的なものであれ、この動詞は一貫して、明瞭さ、約束、永続性をもたらす力を伝えている。
11:16 優しい女は誉れをつかみ、横暴な者は富をつかむ。
神の目に適った女は、誉を堅く掴みます。彼女は、女であって力がないにしても、それを与えるのは神であり、誉を確かに受けるのです。それは、永遠の栄光という誉です。
力ある者は、富を固く掴みます。しかし、それは肉の力によって獲得するのであり、掴む物は、この世のものです。
・「優しい」→目に適う。恵み。好意。
・「つかむ」→堅く守る。
11:17 誠実な人は自分のたましいに報いを得るが、残忍な者は自分の身にわざわいをもたらす。
「報い」と訳されている語は、契約に対する忠誠を表す語で、その人に神様が契約を徹底的に果たすことを表しています。「誠実な人」と訳されている語は、御心を成し遂げる人のことを表しています。たましいという語が使われていることで、それが霊的な歩みを指していることが分かります。そのように、神の御心に従って歩み、御心を成し遂げる人に神は契約を徹底的に果たされるのです。それは、御国での報いを受けることです。
それとは反対に、「残忍な者→道徳的混乱をもたらすような者」は、自分の肉に神の厳しい裁きを受けます。彼が肉によって生きたことに対して、裁きを受けるのです。
「たましい」と「肉」が対比されています。たましいは、単に生き物や命を表す言葉でなく、人の内面の座であるたましいを表しています。ここでは、肉に従って生きることと、たましいの歩みが明確に対比されています。
・「誠実な人」→動詞、分詞。未完成から完成への動きを伝える。どのような場面でも、この動詞は定められた目的に至る過程を表す。
・「報い」→恵み。
・「残忍な者」→苦痛、災難、道徳的混乱をもたらす行為。
・「災い」→冷酷な振る舞いをする人間の心の能力と、執拗な反逆を裁く際に厳しい手段を用いる主の正義の両方を表す。
11:18 悪しき者は偽りの報酬を得るが、義を蒔く者は確かな賃金を得る。
悪しき者がなす業は、偽り。すなわち、後半と対比されていて、その業は空しく何も評価されず、報いがないのです。
義を蒔く者は、信仰により義の行いをする人です。アブラハムが信じた時、主はこれを義とされました。彼は、確かな報いを受けます。義の行いに対して報いを受けることは、旧新訳聖書で一貫しています。
・「偽り」→偽り、欺き、詐欺、偽証など。
・「賃金」→労働や奉仕によって得た賃金、報酬、利益を表す。聖書では、物質的、道徳的、あるいは霊的な報酬の原理を表している。
11:19 実に、義を追い求める者はいのちに至り、悪を追い求める者は死に至る。
義が命に関わるように、悪を追い求めることは、死に関わる。神を信じて、御心を行う義は、命です。悪には、命はなく、死です。そこには、神とともに歩む命はなく、実を結ぶこともなく、報いもありません。
11:20 心の曲がった者は主に忌み嫌われ、まっすぐな道を歩む者は主に喜ばれる。
心が曲がっていて主の道に正しく歩まない者は、忌み嫌われます。
しかし、完全な道は、主に喜ばれます。
・「忌み嫌われ」→神にとって全く憎むべきもの、すなわち、神の神聖さに反する行為、物、動機、人物を表します。
・「心の曲がった者」→道徳的な曲り、倒錯、神の定めたまっすぐな道の歪みを表す。
・「喜ばれる」→喜び、好意、好意、受け入れ。
・「まっすぐな」→全体的なもの、健全なもの、完全なものを表す。
11:21 悪人が罰を免れることは決してない。正しい人の裔は救いを得る。
悪者は、その手のためにすなわちその行いのために無罪とはされない。
正しい人の裔は、救い出された。救い出されることは、完了形で記されています。これは、歴史が物語っていることです。
・「救いを得る」→完了形。
11:22 豚の鼻にある金の輪。美しいが、たしなみのない女。
嗜みのない女は、豚と同じ。豚の鼻に金の輪をつけて飾っても、価値がない。嗜みのない女は、美しさをもっていたとしても、価値がない。
11:23 正しい人の願いは、ただ良いこと。悪しき者の望みは、激しい怒り。
正しい人の願うことはただ神の目に適った良いことだけです。悪しき者が望みとして期待していることは神の目に適わないことであるので、激しい怒りを招くのです。
・「良いこと」→主の目に適った良いこと。
・「望み」→紐。確信に満ちた期待。
11:24 気前よく施して、なお富む人があり、正当な支払いを惜しんで、かえって乏しくなる者がある。
散らしてなを増やされる人がいる。正しいことを控えてかえって乏しくなる人がいる。
11:25 おおらかな人は豊かにされ、他人を潤す人は自分も潤される。
寛大なたましいは、豊かにされ、また、豊かに満たさせる人は。自分も豊かに返させられる。
11:26 穀物を売り惜しむ者を民は呪う。しかし、それを売る者の頭には祝福がある。
穀物を(売り)控える者を民は呪います。後半に売るという語が記されていますので、これが穀物を売り控えることであることが分かります。しかし、それを売る者の頭には、祝福があります。これは、穀物を売るという行為ですが、それを正当に続けることで祝福を受けるのです。それが民の必要を満たし、社会の必要を満たすからです。
11:27 熱心に善を求める者は恵みを慕い求める。悪を求める者には悪が来る。
主の目に適う良いことを探し求める者は、主に受け入れられることを探し求める。悪を探求する者には、それが来る。
・「善」→主の目に適った良いこと。
・「恵み」→(いけにえが)受け入れられること。神の恵み。神の喜び。人の応答。
・「求める」→三種類の異なる原語が使われている。
11:28 自分の富に拠り頼む者は倒れ、正しい人は若葉のように芽を出す。
自分の富に頼る者は、倒れます。しかし、正しい人は、葉のように成長します。
11:29 自分の家族にわざわいをもたらす者は、風を相続し、愚か者は、心に知恵のある者のしもべとなる。
自分の家族に災いをもたらすことをする者は、風を相続します。すなわち、相続するものがないのです。相続は、神様から与えられる報いの比喩です。彼自身のみならず、家族の者を神に従わせることをしないので、家族が神の裁きを受けることになるです。そのような生き方をする者に対して、報いが備えられることはないのです。
愚か者は、神の言葉に対して、これを無視する者です。神の言葉を知っているにも関わらず、聞いて従うことをしない者のことです。彼が高く上げらることはありません。むしろ、心に知恵のある人こそ、神の高い評価を受けるのです。しもべとなると表現されていますが、主によって低くされることを表しています。心に知恵のある人は、神の言葉を受け入れ、従う分別のある人のことです。
・「わざわい」→個人、家族、部族、あるいは国家に苦難、災厄、あるいは道徳的混乱をもたらす行為。
・「愚か者」→道徳的・霊的な愚か者を指す。その態度、言葉、行動は、神の知恵に対する頑なな無視の態度をとる者。単なる無知な者とは異なり、これは罪です。真理を知ることができるにもかかわらず、それを拒絶しているからです。
11:30 正しい人の結ぶ実はいのちの木。知恵のある者は人の心をとらえる。
知恵のある者は、たましいを捉えます。神の言葉に従う座であるたましいが求めていることは、命です。彼にとっては、それは、魅力的であり、獲得したいものであるのです。知恵のある人は、正しい人です。その結ぶ実は、命の木です。そこに惹かれるのです。
11:31 正しい人が地で報いを受けるなら、悪しき者や罪人はなおさらのこと。
正しい人が地で報いを受けるならば、悪しき者や罪人も(なおさら報いを受ける)。
・「悪しき者」→道徳的に誤った者、神の基準に敵対する者、神の裁きを受けるべき者を指す。契約上の義務に背き、主への畏れを軽んじる者。
・「なおさらのこと」→接続詞。節を連結し、神の行為を説明し、命令の根拠を示し、条件を明示し、時間要素を導入し、あるいは強調を加える。どこに置かれようと、「なぜ」「いつ」「それゆえ」「もし」「確かに」といった点を明らかにしようとしている。ここでは、「もし」に対応している強調。もう一つの接続詞「アーフ:~もまた」がその意味を明らかにしている。