民数記16章
16:1 レビの子であるケハテの子イツハルの子コラは、ルベンの子孫であるエリアブの子ダタンとアビラム、およびペレテの子オンと共謀して、
16:2 モーセに立ち向かった。イスラエルの子らで、会衆の上に立つ族長たち、会合から召し出された名のある者たち二百五十人も、彼らと一緒であった。
レビ族のコラは、モーセに立ち向かいました。彼は、ルペン族の三人を取りました。それとともに、会衆の上に立つ族長たち、また、神によって召し出された名のある者たちがともにモーセに向かって立ちました。
コラは、祭司の働きを要求していたのです。そのことは、十節に記されています。
ルベン部族からの三人は、コラが選んだ人たちです。ルベンは、長子でした。その他の人たちも誘われて仲間に加わりましたが、神の選びによりその立場にある人たちでした。
ルベンの子たちが仲間に加わったのは、モーセたちが指導者として振る舞っていることへの不満でした。十三節には、「君臨している」と言っています。そのようなことを口にするのは、彼ら自身がそのような立場に与ることを望んでいるからです。他の名のある者たちにも、そのような思いがあったのです。自分に与えられた役割に満足していたのであれば、このような行動は取らないのです。また、ルベンの子たちは、モーセが乳と蜜の流れる地に導き入れることはできないと不信仰になっていました。信仰によって歩むことのない者にとって、その不満は、目の前の指導者に向けられます。主を恐れて、信仰によって歩むことがないからです。この世の事柄に目が向くのです。
・「会合から」→これは神によって定められた機会——集いの場所、聖なる集会、祭りの日付、あるいは歴史における神が定めた瞬間——を指す。会衆の選出ではない。
16:3 彼らはモーセとアロンに逆らって結集し、二人に言った。「あなたがたは分を超えている。全会衆残らず聖なる者であって、主がそのうちにおられるのに、なぜ、あなたがたは主の集会の上に立つのか。」
彼らの主張は、モーセとアロンが分を超えているというものです。その理由は、全会衆が残らず聖なる者であり、主がそのうちにおられるからで、主の集会の上に立つことは、分を超えているというものです。
彼らの主張には、誤りが含まれています。一つは、全会衆が聖なるものであるという点です。果たして、神様がその働きに用いるに相応しい者として聖さが民にあったでしょうか。
もう一つは、この出来事によって明確に示されることですが、主が選んだ者がその働きをすることです。人間的なものが入ってはならないのです。
ただし、アロンには、不正がありました。彼がその点を指摘されたならば、答えようがありません。彼は、偶像礼拝をしたのです。彼は、本来ならば、その働きに最もふさわしくない者です。
16:4 モーセはこれを聞いてひれ伏した。
モーセは、主の前にひれ伏しました。主の前に自分を低くする人です。次節以降で、モーセは、主からの言葉を告げますので、モーセは、御心を問い、主が答えられたことがわかります。
16:5 それから、コラとそのすべての仲間とに告げた。「明日の朝、主は、だれがご自分に属する者か、だれが聖なる者かを示し、その人をご自分に近寄せられる。主は、ご自分が選ぶ者をご自分に近寄せられるのだ。
モーセは、主がご自分から、誰がご自分に属する者か、また、誰が聖なる者かを示されることを告げました。
主は、ご自分が選ぶ者をご自分に近寄らせることを告げました。今日、教会の長老は、聖霊の選びによります。
使徒
20:28 あなたがたは自分自身と群れの全体に気を配りなさい。神がご自分の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、聖霊はあなたがたを群れの監督にお立てになったのです。
--
16:6 こうしなさい。コラとそのすべての仲間よ。あなたがたは火皿を取り、
16:7 明日、主の前でその中に火を入れ、その上に香を盛りなさい。主がお選びになるその人が、聖なる者である。レビの子たちよ、あなたがたが分を超えているのだ。」
火皿を取り、その中に火を入れ、香を盛るように命じました。それは、彼らがしていることは、主の選びによらず、主の御心に適ったことを行っているのではないことを示すためです。全く同じ条件で捧げて、主が受け入れられる者を示すためです。
16:8 モーセはコラに言った。「レビの子たちよ、よく聞きなさい。
16:9 あなたがたは、何か不足があるのか。イスラエルの神が、あなたがたをイスラエルの会衆から分けて、主の幕屋の奉仕をするように、また会衆の前に立って彼らに仕えるように、ご自分に近寄せてくださったのだ。
モーセは、コラがレビの子として主に仕える者とされた尊さについて覚えさせました。彼らは、イスラエルの会衆から分け取られて、主の幕屋の奉仕をするようにしてくださいました。会衆の前に立って仕えるようにし、主に近づくことができる者としてくださったのです。会衆の他の者は、近づくことができません。特別な者として扱われているのです。
16:10 こうしてあなたを、そして、あなたの同族であるレビ族をみな、あなたと一緒に近寄せてくださったのだ。それなのに、あなたがたは祭司の職まで要求するのか。
コラも、レビ人も主に近寄らせてくださったのです。それなのに、彼らは、祭司の働きを要求したのです。彼らは、会衆が全員聖なる者であり、あなたがたはその主の集会の上に立つのか、と非難しましたが、彼ら自身が祭司になりたい思いからそのように言っているのです。
・「祭司職」→祭司の務め。神によって定められた務め、特権、および責任を指す。生活のために行う仕事の意味はない。
16:11 事実、一つになって主に逆らっているのは、あなたとあなたの仲間全員だ。アロンが何だからといって、彼に対して不平を言うのか。」
そして、祭司の務めは、アロンに与えられていましたが、それは、神の定めたことです。それに異を唱えることが主に逆らうことであるのです。アロンが主によって立てられていることを認めないので、また、主の権威を認めないので逆らっているのです。
教会に立てられている監督である長老たちは、聖霊が立てたのです。神様の権威を認めない人は、長老に逆らいます。ただし、以下の聖句のように、明確な証拠があれば、長老に対する訴えは、受理されます。
テモテ第一
5:17 よく指導している長老は、二倍の尊敬を受けるにふさわしいとしなさい。みことばと教えのために労苦している長老は特にそうです。
5:19 長老に対する訴えは、二人か三人の証人がいなければ、受理してはいけません。
5:20 罪を犯している者をすべての人の前で責めなさい。そうすれば、ほかの人たちも恐れを抱くでしょう。
長老に対する訴えは、二人か三人の証人がなければ、受理してはいけません。それが正確な事実に基づくと証明されて初めて、受理されるのです。
それを受理した場合、罪を犯している長老をすべての人の前で責めます。指導者という立場にあって罪を犯したのですから、皆の前で明らかにし、責めることになります。それは、教会の監督に関わることですから、公に責めます。隠れたところで処罰されたとしても、この人の監督を受ける人たちに知らされないのであれば、納得されないのです。教会の監督を正常に行うためには、公の処罰が必要です。
そのように、罪に対して処罰があることが示されることで、他の人が恐れを抱くようになります。
--
16:12 モーセは人を遣わして、エリアブの子のダタンとアビラムとを呼び寄せようとしたが、彼らは言った。「われわれは行かない。
16:13 あなたは、われわれを乳と蜜の流れる地から連れ上って、荒野で死なせようとし、そのうえ、われわれの上に君臨している。それでも不足があるのか。
エリアブの子ダタンとアビラムは、モーセの呼び出しを拒みました。彼らの不満は、乳と蜜の流れる地に導き入れることをせず、荒野で死なせようとしていること、また、モーセとアロンが彼らの上に君臨していることです。彼らにとっては、エジプトが乳と蜜の流れる地であると言い表しています。彼らは、より優れたカナンの地を望まないので、現状の荒野を死の地と考えており、この世を表すエジプトを乳と蜜の流れる地と考えているのです。モーセたちがより良い国を目指して連れ上ろうとしていることが、不満でした。それは、彼らがこの世のものを求めていたからです。彼らは、荒野の先にある乳と蜜の流れる地を望んでいないのです。彼らは、エジプトを懐かしんでいるのです。彼らの考えに合わないので、指導者としてのモーセを認めないのです。
今日でも、肉の欲望に従い、この世の生活を中心に考え、御国の報いを望むことがない信者は、御言葉に従って生きることを教える指導者を好きになれません。御国の報いを望み、肉を殺し、御霊によって生きることを教えるからです。
16:14 しかも、あなたは、乳と蜜の流れる地にわれわれを導き入れず、畑とぶどう畑を、受け継ぐべき財産としてわれわれに与えてもいない。あなたは、この人たちの目をくらまそうとするのか。われわれは行かない。」
また、彼らは、忍耐することができませんでした。今、何も与えていないことへの不満もあったのです。その地に導き入れることができないのではないかという疑いもあったのです。この人たちの目をくらまそうとしているのか、と問いましたが、かれらは、モーセたちには、導き入れることはできないと考えているのです。彼らは、主の言葉を信じないのです。神の約束を信じているのであれば、このような不満は出てこないのです。信じていないので、エジプトを懐かしみ、導き入れるために働く指導者を認めないのです。その地を受け継ぐかどうかは、その人の信仰にかかっているのに、指導者に対する不満を言うことで、自分たちの不信仰を棚上げしているのです。
16:15 モーセは激しく怒った。そして主に言った。「どうか、彼らのささげ物を顧みないでください。私は彼らから、ろば一頭も取り上げたことはなく、彼らのうちのだれも傷つけたことがありません。」
モーセは、激しく怒りました。彼らの不信仰を見たからです。そして、その不信仰を会衆の前で現したからです。それを、主に訴えました。彼らの捧げ物を顧みないでください、と。その人の心をご覧になられるのは、主です。その不信仰をご覧になられたのであれば、捧げ物をしても信仰から出ていないのです。そして、モーセ自身は、彼らに対して何も不当なことはしていないことを言い表しています。彼らの不平は、モーセの行いに関しては何ら関係のないことであるのです。
16:16 それからモーセはコラに言った。「明日、あなたとあなたの仲間はみな、主の前に出なさい。あなたも彼らも、そしてアロンも。
モーセは、コラに、コラとその仲間は皆、主の前に出るように言いました。場所としては、会見の天幕の前ですが、モーセは、主の前に出るように言ったのです。コラは、肉的な思いで行動していましたが、彼は、主を恐れて、主の前を歩む者ではなかったのです。しかし、すべては、主の前に出て判断されるのです。
16:17 あなたがたは、それぞれ自分の火皿を取り、その上に香を盛り、それぞれ主の前に持って行きなさい。二百五十の火皿を、あなたもアロンも、それぞれ自分の火皿を持って行きなさい。」
そして、「それぞれ自分の火皿」を取り、その上に香を盛り、「それぞれ」主の前に持って行くように言いました。一人一人が主の前に評価されるのです。
16:18 彼らはそれぞれ自分の火皿を取り、それに火を入れて、その上に香を盛った。そしてモーセとアロンと一緒に会見の天幕の入り口に立った。
それぞれ自分の火皿を取り、火を入れて、その上に香を盛りました。彼らは、会見の天幕の入り口に立ちました。彼らのしたことは、皆同じです。主が評価されるのは、為したことよりも、その動機です。
16:19 コラは、二人に逆らわせようとして、全会衆を会見の天幕の入り口に集めた。そのとき、主の栄光が全会衆に現れた。
コラは、人々の賛同を得て、自分の行動を正当化するために、会衆を二人に逆らわせようとして、全会衆を集めました。神の前に出て、神の判断を仰ぐのではなく、人々に取り入り、自分の正しさを正当化しようとしていたのです。
そして、主の栄光が全会衆に現れました。主の栄光が現れたのは、コラが民の力を借りて、自分を正当化しようとしていることに対して、主が介入されたのです。
16:20 主はモーセとアロンに告げられた。
16:21 「あなたがたはこの会衆から離れよ。わたしは彼らをたちどころに滅ぼし尽くす。」
主は、会見の天幕の前に集まった会衆を立ち所に滅ぼし尽くすと言われました。コラの呼び掛けに応じたからです。彼らは、自分で正しい判断をすることができない者たちです。言われるままに、扇動されて動く人たちであるのです。しかし、責任は免れません。
16:22 二人はひれ伏して言った。「神よ、すべての肉なるものの霊をつかさどる神よ。一人の人が罪ある者となれば、全会衆に御怒りを下されるのですか。」
二人は、平伏して言いました。神よ、と呼びかけ、主権者である方として言い表しています。全ての者の霊を司る方です。霊は、神の御心を受け入れる座を指しています。それを評価される方です。その方は、御心に背いて罪を犯すならば、裁く方です。ただし、この会衆は、コラの呼び掛けに応じましたが、具体的な罪を犯したわけではありません。主は、彼らの心をご存知ですが、まだ、罪を犯してはいませんでした。その点を取り上げ、ここに集まった全会衆に怒りを下されるのですかと、問うています。
16:23 主はモーセに告げられた。
16:24 「会衆に告げて、コラとダタンとアビラムの住まいの周辺から引き下がるように言え。」
主は、モーセの言葉を受け、会衆が主の言葉に従うことで、裁きを免れる道を示しました。コラとダタンとアビラムの住まいの周辺から引き下がることで、その裁きを免れます。
16:25 モーセは立ち上がり、ダタンとアビラムのところへ行った。イスラエルの長老たちもついて行った。
多くの族長たちがコラに付きましたが、長老たちは、モーセとともにありました。
16:26 そして会衆に告げた。「さあ、この悪い者どもの天幕から離れなさい。彼らのものには何もさわってはならない。彼らのすべての罪のゆえに、あなたがたが滅ぼし尽くされるといけないから。」
モーセは、コラたちの天幕から離れるように言いました。何も触れてはいけないと。触れることは、彼らに関与することを意味しています。そうなれば、会衆が滅ぼされます。
16:27 それでみなは、コラとダタンとアビラムの住まいの周辺から離れ去った。ダタンとアビラムは、妻子、幼子たちと一緒に出て来て、自分たちの天幕の入り口に立った。
皆は、コラたちの住まいの周辺から離れました。彼らは、神様の警告を受け入れたのです。そのような中で、ダタンとビラムは、妻子とともに天幕の入り口に立ちました。この時、彼らには、主への恐れはありませんでした。彼らは、平然と天幕の入り口に立ったのです。
16:28 モーセは言った。「私を遣わして、これらのわざを行わせたのは主であり、私自身の考えからではないことが、次のことによってあなたがたに分かる。
16:29 もしこの者たちが、すべての人が死ぬように死に、すべての人の定めにあうなら、私を遣わしたのは主ではない。
16:30 しかし、もし主がこれまでにないことを行われるなら、すなわち、地がその口を開けて、彼らと彼らに属する者たちをことごとく呑み込み、彼らが生きたままよみに下るなら、あなたがたはこれらの者たちが主を侮ったことを知らなければならない。」
モーセがこのように宣言したのは、主によることです。主は、この裁きののちに起こる民の不平の言葉をご存知でした。
モーセは、この裁きをなすのは、主であることを明確にしました。それは、コラたち反抗した者たちと彼らに属する者たちが地に呑み込まれることです。彼らは、生きたままよみに下ると言いました。よみは。死後の世界のことで、善人と悪人の行き先は異なります。
16:31 モーセがこれらのことばをみな言い終えるやいなや、彼らの足もとの地面が割れた。
16:32 地は口を開けて、彼らとその家族、またコラに属するすべての者と、すべての所有物を呑み込んだ。
16:33 彼らと彼らに属する者はみな、生きたまま、よみに下った。地は彼らを包み、彼らは集会の中から滅び失せた。
主は、モーセが語ったように、彼らへの裁きは特別な奇跡が伴いました。地のものを求めた彼らは、地に呑み込まれました。彼らは、集会の中から滅び失せました。彼らは、神の民としての証しを担い、神とともに歩むことが許されなかったのです。彼らは、除かれました。彼らがモーセとアロンに逆らって立ったように、神様が立てた者を認めないことには、大きな責任が伴います。
16:34 彼らの周りにいたイスラエル人はみな、彼らの叫び声を聞いて逃げた。「地がわれわれも呑み込んでしまわないか」と人々は思ったのである。
彼らの周りにいたイスラエル人は、逃げました。彼らが正しくあるならば、恐れる必要はなかったのです。彼らは、天幕から離れてはいましたが、コラの呼びかけに応じた者たちもいたのです。
16:35 また、火が主のところから出て、香を献げていた二百五十人を焼き尽くした。
火が、主のところから出て、香を捧げていた二百五十人を焼き尽くしました。彼らは、主に受け入れられなかったのです。火が表すものは、主の評価です。彼らは、主の評価を受け、焼き尽くされなければならなかったのです。
16:36 主はモーセに告げられた。
16:37 「あなたは、祭司アロンの子エルアザルに命じて、炎の中から火皿を取り出し、火を遠くにまき散らさせよ。それらは聖なるものとなっているから。
その火皿は、主の火によって聖なるものとされました。まだ、皿の中にあった火は、遠くに撒き散らされました。不純なものは、焼き尽くされたのです。それで主のものとして、聖なるものとして受け入れられたのです。
イザヤの唇に祭壇の炭が当てられたときも、主に評価され、咎と罪が取り除かれて、彼は神の言葉を語ることができました。
私たちが語る言葉は、主の評価を受け、汚れたものが取り除かれる必要があります。そうして初めて、神の言葉を取り継ぐことができます。
イザヤ
6:5 私は言った。「ああ、私は滅んでしまう。この私は唇の汚れた者で、唇の汚れた民の間に住んでいる。しかも、万軍の主である王をこの目で見たのだから。」
6:6 すると、私のもとにセラフィムのひとりが飛んで来た。その手には、祭壇の上から火ばさみで取った、燃えさかる炭があった。
6:7 彼は、私の口にそれを触れさせて言った。「見よ。これがあなたの唇に触れたので、あなたの咎は取り除かれ、あなたの罪も赦された。」
--
16:38 いのちを失うことになったこれらの罪人たちの火皿は、打ちたたいて延べ板とし、祭壇のためのかぶせ物とせよ。それらは、主の前に献げられたので、聖なるものとなっているからである。これらはイスラエルの子らに対するしるしとなる。」
彼らは、神の前には、御心に適う動機で捧げることをしなかったので、その行いは死んでいたのです。それで、命を失いました。次節では、「焼き殺された者たち」と表現されています。客観的事実としてはそうなのですが、主は、「命を失うことになったこれらの罪人」と言われました。主の前に命がなかったのです。
彼らは、香を主に捧げましたが、その香の捧げ物は、主が受け取り、評価し、焼き尽くしました。火皿は、火によって聖められ、主のものとされました。それは、主に捧げられたものでした。身も、器も、香も主に捧げられたのです。しかし、彼らは、身を捧げてはいませんでした。香も、主の忌み嫌うものとなりました。火皿も主に捧げられた器です。火によって聖めご自分のものとされました。その火皿は、祭壇の被せ物とされ、イスラエルの子らに対するしるしとされました。
16:39 そこで祭司エルアザルは、焼き殺された者たちが献げた青銅の火皿を取り、それを打ち延ばして祭壇のためのかぶせ物とし、
16:40 そのことがイスラエルの子らに覚えられるようにした。これは、アロンの子孫以外の資格のない者が、主の前に進み出て香をたくことのないようにするため、その人が、コラやその仲間のような目にあわないようにするためである。主がモーセを通してエルアザルに言われたとおりである。
その着せ金は、イスラエルがアロンの子孫以外の者には、主の前に進み出て香を炊くことができないことを示すためで、それを侵して死ぬことがないためです。
16:41 その翌日、イスラエルの全会衆は、モーセとアロンに向かって不平を言った。「あなたがたは主の民を殺した。」
その翌日にイスラエルの全会衆がモーセとアロンに向かって不平を言いました。その内容は、彼らが主の民を殺したというものです。彼らが目にした事実から、コラたちが死んだのは、主によることは明らかです。しかし、会衆の不満は燻り続けていたのです。コラたちが滅ぼされてもモーセたちが彼らの指導者として立っていることを不満に思っていたのです。
16:42 会衆がモーセとアロンに逆らって結集したとき、二人が会見の天幕の方を振り向くと、見よ、雲がそれをおおい、主の栄光が現れた。
16:43 モーセとアロンは会見の天幕の前に来た。
会衆は、モーセとアロンに逆らい、結集しました。そのとき、会見の天幕を雲が覆い、主の栄光が現れたのです。二人は、主の御心を仰ぐため、会見の天幕の前に来ました。
16:44 主はモーセに告げられた。
16:45 「あなたがたはこの会衆から離れ去れ。わたしはこの者どもをたちどころに絶ち滅ぼす。」二人はひれ伏した。
主は、モーセに告げられました。この会衆を断ち滅ぼす、と。
16:46 モーセはアロンに言った。「火皿を取り、祭壇から火を取ってそれに入れ、その上に香を盛りなさい。そして急いで会衆のところへ持って行き、彼らのために宥めを行いなさい。主の前から激しい御怒りが出て来て、神からの罰がもう始まっている。」
モーセは、もう執り成しが効かないことを知りました。会衆が逆らうのは、昨日について二度目です。そして、主ももう裁きを始められました。すでに始まった主の裁きを止めることが必要です。それで、主を宥めるために、祭壇の火を火皿に取り、その上に香を盛って、主の裁きが行われている会衆のところへ行くようにアロンに言いました。
16:47 モーセが命じたとおり、アロンが火皿を取って集会のただ中に走って行くと、見よ、神の罰はすでに民のうちに始まっていた。彼は香をたいて、民のために宥めを行った。
16:48 彼が死んだ者たちと生きている者たちとの間に立ったとき、主の罰は終わった。
アロンは、走りました。彼は、香を炊いて民のために宥めを行いました。死んだ者たちと生きている者たちとの間に立ったとき、主の罰は終わりました。主は、その香の香りで宥めを受けられました。その香は、主イエス様の栄光を表しています。父は、それを受けられて宥めを受けられたのです。それは、祭壇の火によって評価され、主の前に芳ばしい香りを捧げられたイエス様の栄光です。
16:49 コラの事件で死んだ者とは別に、この主の罰で死んだ者は、一万四千七百人であった。
16:50 アロンが会見の天幕の入り口にいるモーセのところへ戻ったときに、主の罰は終わっていた。
この罰で死んだ者は、一万四千七百人でした。数字の比喩としては、千が四と十、七つの百です。千は、牛の頭と同じ語でしもべを表しています。四は、あまねくを表し、十は、到達する意味での完全さです。しもへとしてあらゆる点において服従し完全であることが表されています。百は、聖別を表し、七は、満たす意味での完全を表します。完全に聖別されたことを表します。会衆に求められていたことは、神の御心に対して服従し、完全であること、そして、完全に神のものとして聖別されることであったのです。主は、その数によって民に御心を示されました。
アロンは、宥めの役割を終えて、会見の天幕に戻りました。