民数記15章
15:1 主はモーセにこう告げられた。
15:2 「イスラエルの子らに告げよ。わたしがあなたがたに与えて住まわせる地にあなたがたが入り、
15:3 食物のささげ物を主に献げるとき、すなわち、特別な誓願を果たすためであれ、進んで献げるものとしてであれ、例祭としてであれ、牛か羊の群れから全焼のささげ物かいけにえをもって、主に芳ばしい香りを献げるとき、
15:4 そのささげ物をする者は、穀物のささげ物として、油四分の一ヒンを混ぜた小麦粉十分の一エパを、主に献げなければならない。
全焼の捧げ物か捧げ物を捧げる時、捧げ物とともに捧げる物について、その量が規定されています。全焼の捧げ物とその他の捧げ物は、区別されています。全焼の捧げ物は、主の食物として捧げられます。それは、父が御子の栄光を覚えて満たされることを表しています。
穀物の捧げ物の量と混ぜられる油の量は、比喩になっています。捧げ物の種類ごとにその量は異なります。この捧げ物について、次節から子羊に関する規定であることが分かります。子羊は、独り子の御子を表しています。
油は、聖霊の比喩です。小麦粉は、人としての歩みを表しています。四分の一は、四と一に意味があります。この語は、四番目や四分の一を表します。単数形で一を表します。四は、あまねくをあらわし、あらゆる点において聖霊によって業を行われたことを表しています。なす業の全ては、父がイエス様の内にあってなされる業であるのです。そのようにして、独り子の御子の栄光を現されました。
小麦粉の十分の一は、十と一に意味があります。十番目の部分や十分の一を表します。ここでは、単数形で一を表しています。一は、独り子の御子を表しています。十は、到達点に達する意味での完全さを表しています。すなわち、成し遂げられたのです。この地上で父の業を成し遂げられました。そのようにして、独り子の御子の栄光を現されました。
15:5 また全焼のささげ物、またはいけにえに添えて、子羊一匹のための注ぎのささげ物として、四分の一ヒンのぶどう酒を献げなければならない。
ぶどう酒は、自分を捨てることを表しています。あらゆる点において、自分を捨てたのです。そのようにして、独り子の御子の栄光を現されたのです。
ピリピ
2:6 キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、
2:7 ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、
2:8 自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。
2:9 それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました。
2:17 たとえ私が、あなたがたの信仰の礼拝といういけにえに添えられる、注ぎのささげ物となっても、私は喜びます。あなたがたすべてとともに喜びます。
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キリストの模範を示し、自分を捨てることを教えました。肉によって二人の姉妹に不一致が生じたからです。キリストは、神であられますがご自分を捨てて十字架の死にまでも従われました。それゆえ、全ての何まさる栄光を受けられました。
パウロは、キリストと同じようにピリピの信者のために命を捨てる模範を示し、それを注ぎの捧げ物と言いました。注ぎの捧げ物は、キリストがご自分を捨てた、最も偉大な栄光を表します。
15:6 雄羊の場合には、穀物のささげ物として、油三分の一ヒンを混ぜた小麦粉十分の二エパを献げ、
15:7 さらに注ぎのささげ物として、ぶどう酒三分の一ヒンを献げなければならない。これは、主への芳ばしい香りである。
雄羊は、人としてのイエス様の比喩です。
油三分の一について、三は、欠けのない完全さを表しています。一は、独り子の御子の栄光を現しています。聖霊によって歩まれたことは、父だけが評価できることです。また、ぶどう酒が表す三分の一もそうです。
小麦に関しての十分の二は、人としての歩みによる証しを表しています。完全であることでの証しです。
15:8 また、あなたが特別な誓願を果たすために、若い牛を全焼のささげ物、もしくはいけにえとする場合、あるいは交わりのいけにえとして主に献げる場合は、
15:9 その若い牛に添えて、油二分の一ヒンを混ぜた小麦粉十分の三エパの穀物のささげ物を献げ、
15:10 また注ぎのささげ物として、ぶどう酒二分の一ヒンを献げなければならない。これは主への食物のささげ物、芳ばしい香りである。
牛は、しもべとしてのイエス様を表しています。油は、聖霊の比喩です。その量は、半分です。半は、贖いを表しています。聖霊によって贖われた者としての歩みをしたことを表しています。すなわち、肉に死んで御霊による歩みを表しています。イエス様の歩みは、そのようでした。
小麦粉十分の三は、十によって到達点としての完全さが表され、三によって欠けのない完全さが表されています。しもべとして、その御心に完全に従われたことによって、御心を成し遂げ、到達点としての完全さを現し、為すべき御心を何一つ欠けのないものとして行うことで、欠けのない完全さを現されました。
ぶどう酒の半は、贖われた者としての歩みを表し、肉にはよらず聖霊によって自分を捨てたことを表しています。
・「二分の一」→半分。
15:11 牛一頭、雄羊一匹、いかなる羊、やぎについても、このようにしなければならない。
15:12 あなたがたが献げる数に応じて、それらの数にしたがって、一頭、一匹ごとにこのようにしなければならない。
15:13 すべてこの国に生まれた者が、主への芳ばしい香りの、食物のささげ物を献げるには、このようにこれらのことを行わなければならない。
すべての捧げられる捧げ物についてその数に応じてそれぞれにこのように添えられます。添えて捧げられる物は、主への香ばしい香りの、食物の捧げ物です。それらは、全てイエス様の栄光を表しています。それが父なる神様にとって芳ばしい香りであり、父を満たす食物であるのです。全てにそれを添えるように求められていますが、父が最も望んでおられるのは、御子を覚えることです。御子の栄光です。
15:14 また、あなたがたのところに寄留している者、あるいは、あなたがたのうちに代々住んでいる者が、主への芳ばしい香りである、食物のささげ物を献げる場合には、あなたがたがするようにその人もしなければならない。
15:15 一つの集会として、掟はあなたがたにも、寄留している者にも同一であり、代々にわたる永遠の掟である。主の前には、あなたがたも寄留者も同じである。
15:16 あなたがたにも、あなたがたのところに寄留している者にも、同一のおしえ、同一のさばきが適用されなければならない。」
そして、寄留者に関しても、同じようにすることを求められました。例外はないのです。父にとって、御子の栄光を表すものを父が望んでおられるのです。他の掟についても、同様の扱いであることが示されています。
15:17 主はモーセにこう告げられた。
15:18 「イスラエルの子らに告げよ。わたしがあなたがたを導き入れようとする地にあなたがたが入り、
15:19 その地のパンを食べるようになったら、あなたがたは主に奉納物を献げなければならない。
イスラエルの子らが、主が導き入れた地に入り、その地のパンすなわちその地で収穫したものを食べるようになった時、主に奉納物を捧げます。
15:20 初物の麦粉で作った輪形パンを奉納物として献げ、打ち場からの奉納物として献げなければならない。
15:21 初物の麦粉のうちから、あなたがたは代々にわたり、主に奉納物を献げなければならない。
それは、初物の麦粉から作った輪形のパンで、脱穀麦の奉納物です。それは、粉にされたものです。これは、脱穀によって、粉にされたものです。初穂の捧げ物は、主イエス様のよみがえりを表しています。ここでは、初物を粉にした者が捧げられます。これは、信者を表しています。初物として初穂と関連づけられていて、信者が主イエス様がよみがえられたように、贖われた者としての歩み、すなわち、肉にはよらず御霊によって歩むことの比喩です。
15:22 あなたがたが迷い出て、主がモーセに告げたこれらすべての命令、
15:23 すなわち、主が命じた日以後、代々にわたって、主がモーセを通してあなたがたに命じたすべてのことを行わないとき、
15:24 もしそのことが、会衆が気づかずになされたのなら、全会衆は、主への芳ばしい香りのための全焼のささげ物として若い雄牛一頭、また、定めにかなう穀物のささげ物と注ぎのささげ物、さらに罪のきよめのささげ物として雄やぎ一匹を献げなければならない。
全会衆が迷い出て、主の定めを犯し、しかも、そのことに気づかなかった場合、全焼の捧げ物と、罪のための捧げ物を捧げます。全焼の捧げ物は、雄牛一頭で、穀物の捧げ物と注ぎの捧げ物が定めの通りに捧げます。罪のための雄山羊を一匹です。
雄牛は、しもべとしてのイエス様を表しています。イスラエルの子らが主の定めを行わなかったことに対して捧げられる捧げ物は、神のしもべとして御心を完全に行われた方としてのイエス様のゆえに、神様が受け入れることを表しています。雄牛につく、穀物の捧げ物と注ぎの捧げ物は、御霊によって御心を行われ、ご自分の捨てて歩まれた御子の栄光を表しています。
雄山羊は王としてのイエス様を表しています。王が罪のために命を捨てたことを表しています。
一つは、独り子の御子の栄光を表しています。
15:25 祭司がイスラエルの全会衆のために宥めを行うなら、彼らは赦される。それは過失であり、彼らが自分たちの過失のために、自分たちのささげ物、すなわち主への食物のささげ物と罪のきよめのささげ物を、主の前に持って来たからである。
なぜならば、祭司がイスラエルの子らの全会衆ために宥めをするからです。なぜならば、それは、過失であり、彼らが自分たちの過失のために、火による捧げ物と罪の捧げ物を持って来させたからです。
15:26 イスラエルの全会衆も、あなたがたの間に寄留している者も赦される。それは民全体の過ちだからである。
それによって、イスラエルの全会衆も、寄留者も赦されます。
15:27 もし個人が気づかずに罪に陥ってしまったのなら、一歳の雌やぎ一匹を罪のきよめのささげ物として献げなければならない。
15:28 祭司は、気づかずに罪に陥ってしまった者のために、主の前で宥めを行う。彼のために宥めを行い、その人は赦される。
15:29 イスラエルの子らのうちのこの国に生まれた者でも、あなたがたの間に寄留している者でも、気づかずに罪を行ってしまった者には、あなたがたと同一のおしえが適用されなければならない。
個人が気づかずに罪を犯した場合、一歳の雄山羊一匹を罪のための捧げ物として捧げます。神が王として遣わされた、独り子の御子が罪のために捧げ物となったことを表しています。
15:30 この国に生まれた者でも、寄留者でも、故意に違反する者は主を冒涜する者であり、その人は自分の民の間から断ち切られる。
15:31 主のことばを侮り、その命令を破ったのであるから、必ず断ち切られ、その咎を負う。」
故意に罪を犯す者は、イスラエルの子でも、寄留者でも断ち切られます。すなわち、民とは見做されません。殺されるのです。咎を負い、その処罰を受けるのです。
15:32 イスラエルの子らが荒野にいたとき、安息日に薪を集めている男が見つかった。
15:33 薪を集めている者を見つけた人たちは、その人をモーセとアロンおよび全会衆のところに連れて来た。
15:34 しかし、その人をどうすべきか、はっきりと示されていなかったので、彼を留置しておいた。
15:35 すると、主はモーセに言われた。「この者は必ず殺されなければならない。全会衆は宿営の外で、彼を石で打ち殺さなければならない。」
15:36 そこで、全会衆は主がモーセに命じられたように、その人を宿営の外に連れ出し、石で打ち殺した。
安息日に薪を集めることは、安息日を聖なるものせよ、との戒めに反することです。それは、将来の安息の時に、労働が止むことを比喩として示しています。それで、働いてよいのは、六日間だけで、安息日には休むように命じられたのです。しかし、この人は、それを軽んじました。薪を集めることは、どうしてもその日にしなければならないことではありませんでした。安息日が来ることが分かっているのですから、それ以前の日に済ましておけばよいことです。安息日を尊ぶ心があれば、そのための備えは、事前にしておくことができます。
イスラエルの人々にとって、その人をどうすべきか判断がつきませんでした。その処置については、はっきりと示されていなかったからです。安息日は、民にとっても幸いなものです。彼らは、永遠の祝福を証しすることができますし、安息日に主を覚えることができます。しかし、この人にとっては、薪を集めること以下の価値しかありませんでした。主は、処罰の恐ろしさによってそれを守るようにはされていなかったのです。しかし、安息日を守ることの価値は、死をもって償うべき大切なことであることが示されるのです。
今日、教会が集い、主を覚えることが命じられています。その価値は、軽んじられてはなりません。信者にとって大いなる祝福です。そして、父は、信者が御子の栄光を共に覚えることを望んでおられます。神様にとって、非常に尊いことであるのです。
15:37 主はモーセに告げられた。
15:38 「イスラエルの子らに告げて、彼らが代々にわたり、衣服の裾の四隅に房を作り、その隅の房に青いひもを付けるように言え。
15:39 その房はあなたがたのためであって、あなたがたがそれを見て、主のすべての命令を思い起こしてそれを行うためであり、淫らなことをする自分の心と目の欲にしたがって、さまよい歩くことのないようにするためである。
15:40 こうしてあなたがたが、わたしのすべての命令を思い起こして、これを行い、あなたがたの神に対して聖なる者となるためである。
15:41 わたしが、あなたがたの神、主であり、わたしがあなたがたの神となるために、あなたがたをエジプトの地から導き出したのである。わたしはあなたがたの神、主である。」
イスラエルの子らは、世々にわたり、彼ら自身のために、衣服の裾に房を作り、房に青い紐を付けます。その房は、彼らがそれを見て、主のすべての命令を思い起こしてそれを行うためです。契約に反することをする自分の心と目の欲に従って行かないためです。主のすべての命令を思い起こし、行うことで、聖なるものとされます。この方は、彼らの神であり、主です。彼らの神となるためにエジプトの地から導きだれました。それですから、神にふさわしく聖なることが求められています。
衣は、肉を覆うことを表しています。青い紐は、聖霊の比喩です。今日、私たちは、肉にはよらず、聖霊よって御心を行うことで聖なるものとされることを表しています。
・「四隅」→外縁、末端。翼。
・「淫らなこと」→売春。比喩として契約違反。