民数記14章
14:1 すると、全会衆は大声をあげて叫び、民はその夜、泣き明かした。
全会衆は、悪く言いふらす者たちの言葉によって、大声を上げ泣き叫び、一晩中泣きました。それほど衝撃は大きかったのです。
14:2 イスラエルの子らはみな、モーセとアロンに不平を言った。全会衆は彼らに言った。「われわれはエジプトの地で死んでいたらよかった。あるいは、この荒野で死んでいたらよかったのだ。
彼らは、まだ戦っていないのに、死に方について不平を言っています。エジプトで、あるいは、荒野で死んでいたほうがましだと言いました。
14:3 なぜ主は、われわれをこの地に導いて来て、剣に倒れるようにされるのか。妻や子どもは、かすめ奪われてしまう。エジプトに帰るほうが、われわれにとって良くはないか。」
彼らは、剣で殺されたくないと考えたのです。また、妻や子供は、奪われると考えました。彼らの思いには、主が乳と蜜のと流れる地を与えるという約束に対する信仰はありませんでした。その地を相続することを信じていないのです。
その戦いは、肉との戦いの比喩です。相続は、御国での報いの相続の比喩です。肉に勝利して、肉にはよらず、御心を行って歩むことで、大いなる栄光を受けることの比喩です。しかし、多くの人が肉に対して死に、御霊によって歩み、その報いを相続できると信じないのです。それは、不可能であると考えています。
14:4 そして互いに言った。「さあ、われわれは、かしらを一人立ててエジプトに帰ろう。」
彼らは、一人のかしらを立ててエジプトに帰ろうと言い出しました。彼らを導いてきた二人を無視したのです。彼らの思いに合わない時、彼らの指導者を認めませんでした。自分たちの考えに合う別の指導者を立てようと言ったのです。
テモテ第二
4:3 というのは、人々が健全な教えに耐えられなくなり、耳に心地よい話を聞こうと、自分の好みにしたがって自分たちのために教師を寄せ集め、
御言葉を宣べ伝える理由は、人々が健全な教えにとどまることをしなくなり、耳に心地よい話を求めて、自分の強い願望によって自分たちのために教師を寄せ集めるからです。健全な教えは、肉による歩みを認めません。彼らの求めることは、自分自身のためです。さらにいうならば、自分の肉のためです。それで、自分に都合のよいことを語る教師を寄せ集めるのです。
・「耐えられなくなり」→「とどまる」ことができなくなる。耐えるとした場合、教えがきつすぎて耐えられないというような印象を与えますが、そうではありません。自分の願望に合わないので、我慢出来ないのです。
・「自分の好みにより」→「自分の強い願望によって」
・「耳に心地よい話を聞こうと」←「耳をかく」。痒いところをかく。動詞は、中態。自分が心地よいことを求めるし、また、提供されるのです。
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14:5 そこで、モーセとアロンは、イスラエルの会衆の集会全体の前でひれ伏した。
モーセとアロンは、民がしていることが主の前にしてはならない重大な背きであるのを見て、主の前にひれ伏しました。
14:6 すると、その地を偵察して来た者のうち、ヌンの子ヨシュアとエフンネの子カレブが、自分たちの衣を引き裂き、
14:7 イスラエルの全会衆に向かって次のように言った。「私たちが巡り歩いて偵察した地は、すばらしく、良い地だった。
14:8 もし主が私たちを喜んでおられるなら、私たちをあの地に導き入れ、それを私たちに下さる。あの地は乳と蜜が流れる地だ。
ヨシュアとカレブは、自分たちの衣を引き裂きました。彼らの考えを正すために、彼らに強く訴えたのです。これは、教会で教えによって導く指導者の比喩です。
彼らは、民に、主が与えた地が良い地であることを覚えさせました。彼らは、それを自分の目で見たのです。民は、その証拠の品を見ました。その上で、もし、主が私たちを喜んだなら、その結果、私たちをあの地に導き入れ、それをくださる、と。その地は、主の約束通りの乳と蜜の流れる祝福に満ちた地であることを示し、彼らが主に喜ばれるものとなることを薦めたのです。
御国の相続は、主に喜ばれる者に与えられます。主の御心を行う者が相続できるのです。
・「喜んでおられるなら」→完了形。
・「導き入れ」、「下さる」→接続法完了形。ある出来事の明確な結果を示す。主が私たちを喜んだならば、その結果、あの地に導き入れ、与えてくださるのです。
14:9 ただ、主に背いてはならない。その地の人々を恐れてはならない。(なぜならば)彼らは私たちの餌食となる。彼らの守りは、すでに彼らから取り去られている。主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。」
ですから、主に背いてはならないと警告しました。主に背いたらそれを相続できないのです。
ヘブル
10:35 ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはいけません。その確信には大きな報いがあります。
10:36 あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは、忍耐です。
10:37 「もうしばらくすれば、来たるべき方が来られる。遅れることはない。
10:38 わたしの義人は信仰によって生きる。もし恐れ退くなら、わたしの心は彼を喜ばない。」
10:39 しかし私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。
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恐れ退く者は、神の前に実を結ぶことできず、報いがないのです。その意味で滅びなのです。命を保つとは、永遠の報いを相続することです。
その地の人々を恐れてはならないと示しました。なぜならば、彼らはすでに自分たちの餌食になっているからです。彼らの守りはすでに取り払われています。大きな城壁も意味がないのです。それは、主が私たちと共におられるからです。この方に対する信仰が求められているのです。それで、この方を信じるならば、恐れることはないのです。
14:10 しかし全会衆は、二人を石で打ち殺そうと言い出した。すると、主の栄光が会見の天幕からすべてのイスラエルの子らに現れた。
しかし、全会衆は、その言葉を聞こうとしませんでした。御心に適った言葉を聞こうとしないのです。彼らの考えを変えることはできませんでした。彼らは、恐れ退いたのです。信仰によって立つことができませんでした。
彼らは、聞かなかっただけでなく、その正しい言葉を語る者を石で打ち殺そうと言い出したのです。自分の考えに合わないことを語ることを固く拒み、それだけでなく、その語る者の口を封じようとしたのです。
民が、二人の言葉を受け入れなどころか、殺そうとしたことに対して、主が直接介入されました。
14:11 主はモーセに言われた。「この民はいつまでわたしを侮るのか。わたしがこの民の間で行ったすべてのしるしにもかかわらず、いつまでわたしを信じようとしないのか。
民のしていることは、主を侮ることです。主を軽く見て、馬鹿にしていることであるのです。彼らは、主を恐れてはいませんでした。彼らは、自分たちの間で行われたしるしをいくつも見たにも関わらず、いつまでも信じようとしなかったのです。
14:12 わたしは彼らを疫病で打ち、ゆずりの地を剥奪する。しかし、わたしはあなたを彼らよりも強く大いなる国民にする。」
主は、彼らを疫病で打ち、譲りの地を剥奪すると言われます。彼らのためにもう備えておられたのです。しかし、それを奪い取るのです。しかし、モーセに関しては、彼らよりも強く大いなる国民にすると言われます。
彼らが主に背いているので、疫病で打たれます。もはや健全な歩みができないことの比喩です。彼らは、滅びるのです。神の前に生きた者としての歩みを失い、実を結ぶことがいなようにされます。そして、報いを失うのです。これは、相続地を剥奪すると記されているように、御国での永遠の報いの相続を失うことの比喩です。
14:13 モーセは主に言った。「エジプトは、あなたが御力によって、自分たちのうちからこの民を導き出されたことを聞いて、
モーセは、主に言いました。エジプトは、それを聞くでしょうと。なぜならば、あなたが御力によってこの民を彼らの間から導き出したからです。
エジプトは、主がイスラエルを彼らの間から導き出したのを見たのです。その時、大きな力を働かせました。ですから、彼らの行く末がどうなるかについては、強い関心がありました。
14:14 この地の住民に告げるでしょう。事実、住民たちは聞いています。あなた、主がこの民のうちにおられ、あなた、主が目の当たりにご自身を現されること、またあなたの雲が彼らの上に立ち、あなたが昼は雲の柱、夜は火の柱の内にあって、彼らの前を歩んでおられることを。
それで、この地の住民に告げるでしょう。事実、この地の住民は、聞いています。主が目の当たりにご自身を現されること、雲の柱が立ち、夜は火の柱となり、主はその中にあって彼らの前を進んでいることを聞いているのです。彼らは、主が共におられることをよく聞いて知っているのです。
14:15 もし、あなたがこの民を一人残らず殺すなら、あなたのうわさを聞いた異邦の民は、このように言うに違いありません。
14:16 『主はこの民を、彼らに誓った地に導き入れることができなかったので、荒野で殺したのだ』と。
モーセは、主に申し上げました。主がこの民を一人残らず殺したならば、異邦の民は、主がこの民を、彼らに誓った地に導き入れることができなかったので、荒野で殺したのだというに違いない、と。
そのようにすれば、主の御名が蔑まれることになります。
14:17 どうか今、あなたが語られたように、わが主の大きな力を現してください。あなたは言われました。
どうか今、偉大であってください、と。主の御名が蔑まれることにならないように、偉大であることを謙虚な態度で求めました。偉大であることは、彼らを赦し、誓った地に導くことで現されます。あなたが語っておられたよに、我が主の力により、と。この力は、民を誓った地に導くことで現される力のことです。それによって、主の偉大さが現されるのです。
14:18 『主は怒るのに遅く、恵み豊かであり、咎と背きを赦す。しかし、罰すべき者を必ず罰し、父の咎を子に報い、三代、四代に及ぼす』と。
あなたが言われたように、「主は怒るのに遅く。。。」と。前節の最後の文は、本節の引用部分を指しています。
14:19 この民をエジプトから今に至るまで耐え忍んでくださったように、どうかこの民の咎をあなたの大きな恵みによって赦してください。」
今まで忍耐してくださったように、彼らの咎をあなたの契約に対する忠誠によって赦してくださいと願いました。それは、十八節の引用句に記されている「恵み豊かであり」に基づく願いです。
・「恵み」→契約に対する忠誠。
14:20 主は言われた。「あなたのことばどおりに、わたしは赦す。
主は、モーセの言葉通りに赦すと言われました。すなわち、彼らの全てを今すぐ滅ぼすことをしないのです。これは、主を信じた者たちの罪の赦しの比喩です。彼らは、過越を通して信仰を現した人たちです。
14:21 しかし、わたしが生きていて、主の栄光が全地に満ちている以上、
14:22 わたしの栄光と、わたしがエジプトとこの荒野で行ったしるしとを見ながら、十度もこのようにわたしを試み、わたしの声に聞き従わなかった者たちは、だれ一人、
14:23 わたしが彼らの父祖たちに誓った地を見ることはない。わたしを侮った者たちは、だれ一人、それを見ることはない。
しかし、主に聞き従わなかった者は、誰一人主が父祖たちに誓った地を見ることはできないと言われました。彼らが相続することは、決してないのです。これは、罪赦された者ではあるが、主を信じて、主の言葉に従うことがなかった者たちが、御国での報いを相続できないことの比喩です。
民は、エジプトと荒野でしるしを見ながら、主を十度も試み、聞き従わなかったのです。主が生きておられ、主の栄光が全地に満ちていました。そのしるしを「見て」、聞き従いませんでした。それで、誓った地を「見ない」と言われました。
今日、主が生きておられ、主の栄光が全地に満ちていることは、信仰によって知ることです。それを信じて主の言葉に従う者は、報いを受けます。しかし、それを信仰によって認めることがなく、信仰によって歩むことがない人は、報いを受けることはありません。
14:24 ただし、わたしのしもべカレブは、ほかの者とは違った霊を持ち、わたしに従い通したので、わたしは、彼が行って来た地に彼を導き入れる。彼の子孫はその地を所有するようになる。
偵察に行った者のうち、カレブは別でした。彼は、他の者とは、違った霊を持っていました。彼は、神の言葉をそのままに受け入れる霊を持っていたのです。それで、主に従い通しました。彼は、誓った地に入り、その地を所有するようになります。これは、神の言葉を信仰によって受け入れ、それに従い通すことで、御国において永遠の報いを相続することの比喩です。
14:25 平地にはアマレク人とカナン人が住んでいるので、あなたがたは、明日、向きを変えてここを旅立ち、葦の海の道を通って荒野へ行け。」
主は、イスラエルの民をそのまま、誓った地に進ませることをされませんでした。彼らが戦いを嫌ったので、戦いのない荒野に進ませようとしました。肉との戦いを拒むならば、主は、それを許されます。しかし、それは、不毛の地での滅びを意味しています。相続すべきものを何も得ることはできません。
14:26 主はモーセとアロンに告げられた。
14:27 「いつまで、この悪い会衆は、わたしに不平を言い続けるのか。わたしは、イスラエルの子らがわたしにつぶやく不平を聞いた。
14:28 彼らに言え。わたしは生きている──主のことば──。わたしは必ず、おまえたちがわたしの耳に語ったとおりに、おまえたちに行う。
14:29 この荒野におまえたちは、屍をさらす。わたしに不平を言った者で、二十歳以上の、登録され数えられた者たち全員である。
会衆は、いつまでもつぶやいていました。主はそれを聞かれ、宣言されました。荒野で死んだ方がましだと言ったその言葉の通りにすると言われます。彼らは、荒野に屍を晒すのです。その対象となるのは、二十歳以上の登録されたものたち全員です。彼らは、戦う戦士として登録されました。彼らに求められていたことは戦うことです。これは、肉と戦うべき者として信仰者が召されていることの比喩です。肉と戦って勝利を得ることが求められているのです。人々は、できないと言ったので、不毛の荒野で相続すべきものを得ずに死ぬのです。信仰者も、それができないと言うことは、肉に従うことであり、滅びなのです。御国の相続に値するものを何も得ることができないのです。
14:30 エフンネの子カレブと、ヌンの子ヨシュアのほかは、おまえたちを住まわせるとわたしが誓った地に、だれ一人入ることはできない。
戦いの勝利の秘訣は、カレブとヨシュアのように、信仰に立つことです。この戦いは、主の戦いです。それを信じる者が勝利できるのです。信仰による人たちが、御国を相続します。
14:31 おまえたちが『かすめ奪われてしまう』と言った、おまえたちの子どもについては、わたしは彼らを導き入れる。彼らはおまえたちが拒んだ地を知るようになる。
彼らの子供たちがその地を知るようになります。彼らは、自分たちのものとして体験するのです。背いた不信の人たちは、乳と蜜の流れる地と聞いたし、その証拠を見ましたが、彼らは、自分たちのものとして体験することはできないのです。
14:32 しかし、おまえたちはこの荒野に屍をさらす。
14:33 おまえたちの子どもは、この荒野で四十年の間羊を飼う者となり、おまえたちがみな、屍となるまで、おまえたちの背信の責めを負わなければならない。
14:34 おまえたちが、あの地を偵察した日数は四十日であった。その一日を一年と数えて、四十年の間おまえたちは自分の咎を負わなければならない。こうして、わたしへの反抗が何であるかを思い知ることになる。
彼らの子供たちは、四十年間荒野で羊を飼う者になります。それは、主に逆らった背信の罪の責を負うことです。逆らった者たちが死ぬまでです。それとともに、次の世代である子たちは、誓った地の相続の時まで、荒野で羊を飼うのです。それは、信仰者が御国の相続を待ち望みつつ、牧会の働きをすることの比喩でもあります。
14:35 主であるこのわたしが言う。一つになってわたしに逆らったこの悪い会衆のすべてに対して、わたしは必ずこうする。この荒野で彼らは死に絶える。
主に逆らった悪い会衆は、この荒野で死に絶えるのです。彼らに相続はありません。
14:36 また、モーセがあの地の偵察のために遣わした者で、帰って来て、その地について悪く言いふらし、全会衆にモーセに対する不平を言わせた者たちもだ。」
また、特に、偵察に行った者で、その地について悪く言いふらした者たちについても、同じです。彼らの言動は、全会衆にモーセに不平を言わせる結果になったのです。民を惑わしたという大きな罪を犯したのです。
14:37 こうして、その地を悪く言いふらした者たちは、主の前に疫病で死んだ。
14:38 しかし、あの地を偵察しに行った者のうち、ヌンの子ヨシュアと、エフンネの子カレブは生き残った。
その地を悪く言いふらした者たちは、疫病で死にました。彼らには、民のかしらとして、主の言葉をそのままに教えて導く健全さがありませんでした。自分が肉に従って生きているその生き方に従って言葉を語り、民を指導していたのです。その不健全さのゆえに、疫病で死んだのです。ヨシュアとカレブは残りました。
彼らが敵と戦い勝利することが出来ないと考えたことは、比喩になっていて、肉との戦いで肉に勝つことが出来ないと考えることです。今日、指導的立場にある者が、人は肉があるので肉に従うことは仕方がないと公言し、肉を殺し御霊によって満たされて歩むことを教えないことがあります。そのようなことはできないと考えているからです。彼らは、偵察に行ったかしらたちと同じです。信仰によってそれができると証ししないのです。肉の力によって神の御心を行うことはできません。信仰により、御霊の働きによって可能なのです。以下の聖句のように、イエス様は、その完全な模範を示され、そのために栄光を受けられた方です。同じように、肉との戦いのための苦しみを経験し、欲望によってではなく、神の御心のために生きるべきなのです。
ペテロ第一
3:20 かつてノアの時代に、箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに従わなかった霊たちにです。その箱舟に入ったわずかの人たち、すなわち八人は、水を通って救われました。
3:21 この水はまた、今あなたがたをイエス・キリストの復活を通して救うバプテスマの型なのです。バプテスマは肉の汚れを取り除くものではありません。それはむしろ、健全な良心が神に対して行う誓約です。
3:22 イエス・キリストは天に上り、神の右におられます。御使いたちも、もろもろの権威と権力も、この方に服従しているのです。
4:1 キリストは肉において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。肉において苦しみを受けた人は、罪との関わりを断っているのです。
4:2 それは、あなたがたが地上での残された時を、もはや人間の欲望にではなく、神のみこころに生きるようになるためです。
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キリストが肉において受けた苦しみは、肉との戦いの苦しみです。肉体に苦しみを受けたことを言ってはいません。肉体の苦しみを受けることで罪との関わりを断つことができるとすれば、苦行に意味があることになりますが、そうではありません。これは、もはや人間の欲望にではなく、神の御心に生きるための肉との戦いです。
14:39 モーセがこれらのことばを、すべてのイスラエルの子らに告げると、民は嘆き悲しんだ。
14:40 翌朝早く、彼らは山地の峰の方に上って行こうとして言った。「われわれはここにいるが、とにかく主が言われた場所へ上って行ってみよう。われわれは罪を犯してしまったのだ。」
この言葉を聞いたイスラエルの子らは、嘆き悲しみました。彼らは、戦いを拒み、エジプトに戻ろうと言ったのに、また、荒野で死んだ方がましだと言ったのに、誓った地に入れないことを嘆き悲しんだのです。彼らは、山地の方へ上って行こうとしました。彼らは、その地を望んでいたのです。しかし、不平を言うことで、もっと楽な道を探ろうとしていて、不平を言ったのです。しかし、肉を殺して勝利する以外の道はないのです。
これは、肉を温存したまま、安楽な信仰生活をしていても、御国で報いを相続する道を探る信者の考えです。そのような信者は、永遠の滅びに入ることはありませんが、御国で報いを相続することはありません。
14:41 モーセは言った。「あなたがたはいったいなぜ、主の命令を破ろうとするのか。それは成功しない。
14:42 上って行ってはならない。主があなたがたのうちにおられないのだから。あなたがたは敵に打ち負かされてはならない。
14:43 そこには、あなたがたの前にアマレク人とカナン人がいて、あなたがたは剣で倒される。あなたがたが主に背いたから、主はあなたがたとともにはおられない。」
モーセは、彼らのしていることは、主の命令に背くことであることを指摘しました。主の言葉ではなく、自分の考えに立った行動は、主の命令を破ることです。彼らは、決して勝利できません。なぜならば、主が共におられないからです。これは、肉の努力によって、御国の報いを相続しようとする信者の比喩です。主が報いられるのは、信仰に答えてなされる業に対してだけです。そこに主が働くので、主の栄光が現され、報いを受けるのです。肉の働きによっては、決して報いを受けることはありません。
アマレクやカナン人は、肉の比喩です。主に背いて、主が共におられない人が、肉に勝つことはできません。
14:44 しかし、彼らはかまわずに山地の峰の方に上って行った。主の契約の箱とモーセは、宿営の中から動かなかった。
彼らは、峰に向かいましたが、主の契約の箱とモーセは留まりました。動かなかったのです。主の契約の箱は、神の臨在を表しています。モーセは、指導者です。彼らと共に主がおられないことは明らかでした。
14:45 山地に住んでいたアマレク人とカナン人は、下って来て彼らを討ち、ホルマまで彼らを追い散らした。
彼らは、アマレクとカナン人に討たれました。ホルマは、忠実という意味です。不信によっては、敗北です。彼らが主の言葉に対して忠実を示して初めて敗北から救われるのです。