歴代誌第二8章

8:1 ソロモンが主の宮と自分の宮殿を二十年かけて建て終えたとき、

8:2 ソロモンは、ヒラムが彼に返した町々を建て直し、そこにイスラエル人を住まわせた。

8:3 ソロモンはハマテ・ツォバに出て行き、これに打ち勝った。

 宮と王宮の建設の後、ソロモンのなしたことが記されていて、町々を建てたことです。これは、王国を建て上げることを表しています。

 ヒラムに提供した町は、ヒラムにとつて価値のないものでした。町は、命の活動があるところで、聖書の裁きの記述では、町が廃墟になることが記されています。ヒラムは、価値を見出すことができなかったのです。しかし、ソロモンは、それを放置することなく、命の活動が行われる町として再建したのです。そこには、イスラエル人が住みました。

 これは、比喩としては、ヒラムが神殿建設に大きく寄与したように、教会を建て上げることに関与しているが、それに対する報いの相続について、その価値を見出すことができないことの比喩です。主イエス様に仕えることをしますが、御国での報いに関心が薄い人の比喩です。その価値を知ることがないのです。その働きを世の価値判断で判断しているからです。

 また、戦いもありました。ハマテ・ツォバは、ダマスカスの北にあります。それは、異邦人との戦いで、敵すなわち悪魔の支配下にあるものとの戦いです。それに勝利しました。

 

8:4 彼は荒野にタデモルを建て、倉庫の町々をすべてハマテに建てた。

 さらに荒野に町を建てました。荒野は、不毛の場所です。しかし、そこに町を建てることで命があるようになったのです。

 倉庫の町々は、結ばれた実を保存するところです。それは、比喩としては、豊かな実を結ぶことです。

8:5 彼はまた、上ベテ・ホロンと下ベテ・ホロンを建てた。これは、城壁と門とかんぬきのある防備の町々であった。

 さらに、防備の町々を建てました。これは、国を敵から守るためです。

 教会も悪魔の攻撃から守られなければなりません。

8:6 さらにバアラテ、およびソロモンが所有するすべての倉庫の町、戦車のためのすべての町、騎兵のための町々、またソロモンがエルサレム、レバノン、および彼の全領地に建てたいと切に願っていたすべてのものを、彼は建てた。

 ソロモンが建てたいと願ったものは、倉庫の町、戦いのための戦車の町また騎兵の町。それらは、王国のために必要なものでした。ソロモンは、それらの建てたいものを建てたのです。

 これは、主イエス様が御心のままに、その働きのために事をなすことを表しています。

 

8:7 イスラエルの出ではない、ヒッタイト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の生き残りの民すべて、

8:8 すなわち、この地に残されていた人々、イスラエル人が滅ぼし尽くさなかった人々の子孫に当たる者たちを、ソロモンは苦役に徴用した。今日に至るまで、そうである。

 これらの異邦人の残りの者たちは、本来滅ぼされるべき者たちでした。そのような人々を労働に引き上げさせました。彼らには、相続地がなく、滅びの民でしたのに、王に仕える働きのために引き上げられたのです。

 これは、契約からは除外されていた異邦人に対する祝福を表しています。望みのなかった者たちが、主に仕える者とされ、御国を相続する報いをいただく者とされたことの比喩です。信者は、主の奴隷として、主の御心のままに仕える者であるのです。

・「徴用した」→上げる。上へ行く。使役語幹、能動態。上げさせた。

8:9 しかし、ソロモンはイスラエル人を自分の労働のための奴隷とはしなかった。彼らは戦士であり、彼の補佐官の長であり、戦車隊や騎兵隊の長だったからである。

 しかし、それと対比して、イスラエル人は、彼の働きのための奴隷とはされません。彼らは、ソロモンと共に戦う者とされました。

 比喩としては、役割の違いを表しています。キリストと共に戦う者を表しいます。

8:10 ソロモン王には監督をする長が二百五十人いて、彼らは民を指揮していた。

 監督は、王であるイエス・キリストのもとにあって監督する者を表しています。彼らは、民を指揮するのです。

8:11 ソロモンはファラオの娘を、ダビデの町から彼女のために建てた家に連れ上った。「私の妻はイスラエルの王ダビデの家に住んではならない。主の箱が入れられたところは聖だからである」と彼が考えたからである。

 ソロモンは、妻であるファラオの娘が聖なる所に住んではならないと認識していました。はじめは、デビでの町に住ませたのですが、そこがふさわしくないと判断し、彼女のための家に住まわせました。これによって、ソロモンは、異教的なものを持ち込むことがないことを明確にしました。

 それと共に、比喩としては、ダビデの家は、主の箱が入れられたから聖であると説明されているように、掟が置かれたのです。ファラオの娘は、教会の比喩です。教会は、律法の掟に従って歩むものではありません。それが適用されない新しい、御霊による歩みなのです。

8:12 それからソロモンは、玄関の前に築いた主の祭壇の上に、主のために全焼のささげ物を献げた。

 そして、ここからは、宮での奉仕について記されています。宮の完成のためには、そこで仕えることが正しく行われる必要があります。

 「主の祭壇」と「主のために」という記述によって、これが主の栄光のために捧げることであることが強調されています。祭壇に捧げられるものは全て主イエス様を表しています。父は、主イエス様を覚えることによって宥めを受けられます。

 私たちは、パンを裂くために集まる時、主イエス様を覚えるのです。それを父に捧げます。また、その歩みにおいても、私たちのうちにあって働かれる主イエス様の業により、父に栄光を帰すのです。

 私たち自身が主イエス様のように変えられることも、教会での奉仕も、全て主の栄光のためです。その働きの全ては、うちに住まわれる主イエス様の業であり、御霊による働きです。

8:13 また、モーセの命令どおりに、安息日ごと、新月の祭りごと、年三回の例祭、すなわち、種なしパンの祭り、七週の祭り、仮庵の祭りごとに、日ごとの定めにしたがって献げた。

 そして、捧げることは、「モーセの命令通り」にされたことで、神様の命令が正しく守られてなされたことであることが示されています。その定められた通りに捧げられました。教えに適っていることこそ大切なことです。 

8:14 彼は父ダビデの定めにしたがい、祭司たちの組分けを定めてその務めに就かせ、レビ人もその任務に就かせ、日ごとの定めとして、祭司たちの前で賛美と奉仕をさせた。門衛たちも、その組分けにしたがって、それぞれ門に立たせた。神の人ダビデの命令がこうだったからである。

 そして、祭司たちの組分け、レビ人たちの任務は、「ダビデの命令」に従ったことが記されています。レビ人の奉仕は、キリストのもとにあって仕える奉仕者の比喩になっています。

 ダビデの命令は、主の御霊によって示されたものであり、神の命令です。それは仕様書としてソロモンに授けられました。

歴代誌第一

28:11 ダビデはその子ソロモンに、玄関広間、神殿、宝物室、屋上の間、内部屋、贖いの間などの設計図⇢型すなわち仕様書を授けた。

28:12 設計図は、すべて御霊によって彼に示された。すなわち、主の宮の庭のこと、周囲のすべての脇部屋のこと、神の宮の宝物倉のこと、聖なるささげ物の宝物倉のこと、

28:13 祭司とレビ人の組分けのこと、主の宮の奉仕のすべての仕事のこと、主の宮の奉仕に用いるすべての用具のことである。

28:14 金については、各種の奉仕に用いるすべての器具に使う金の重さが、すべての銀の器具については、各種の奉仕に用いるすべての器具の重さが示され、

28:15 金の燭台とその上にある金のともしび皿の重さは、一つ一つの燭台とその上にあるともしび皿の重さが、銀の燭台については、一つ一つの燭台の用途別に燭台とその上にあるともしび皿の重さが示されていた。

28:16 並べ供えるパンの机の金の重さは、一つ一つの机ごとに、銀の机に用いる銀の重さとともに示されていた。

28:17 肉刺し、鉢、壺は純金であるが、金の杯については、それぞれの杯の重さ、銀の杯についても、それぞれの杯の重さ、

28:18 香をたく祭壇については、精錬された金の重さが示されていた。また、翼を広げて主の契約の箱をおおう金のケルビムの車の設計図も示されていた。

28:19 「これらすべては、私の上に臨んだ主の手によって書き物になっていて、仕事の全貌が理解できるはずだ。」

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 なお、「設計図」となっていますが、祭司の組分けなどは、設計図として示されるものではありません。この「設計図」と訳されている語は、「型」と他の箇所では訳されている語で、ヘブル書では、それを捉えて幕屋は、「型」であり、本体ではないことが示されています。

8:15 彼らは、王がすべてのことにつき、また宝物倉のことについて、祭司たちとレビ人たちに命じたことからそれることはなかった。

 そして、彼らは、命令からそれることがありませんでした。すべて神の御心に適って行われたのです。このことは、神殿は、完全に神の御心に適ったものであり、祭司、レビ人の奉仕も完全に神の御心に従ったものであることが示されているのです。捧げ物も、律法に基づくことが示されています。神殿とその奉仕の正当性がここで示されています。このことは、特にバビロンからの帰還者に神殿とそこでの奉仕が神の御心かなったことであることを教えるためのものです。

8:16 ソロモンの工事全体は、主の宮の礎を据える日から完成まで確かに遂行され、主の宮は完成した。

 ここには、工事全体の完成について記されています。ここにそのことが記さていることは、宮の建設の最初から、前節までの範囲が、彼の工事全体ということとして捉えることができます。本章の前半は、工事の建設についての記述で、後半は、建物としての宮が建てられただけてなく、宮の目的が主の定めのとおりに果たされていることが記述れ、真の意味で完成したことが証しされています。

 今日、宮の建設は、信者が主を信じて体なる教会に加えられることとして覚えることができます。しかし、それだけでは完成ではなく、定めのとおりに仕え、主イエス様の栄光が覚えられ、主イエス様ご自身が正しく覚えられなければならないのです。そして、信者自身がキリストのさまに変えられなければならないのです。

 

8:17 それから、ソロモンはエドムの地の海岸にあるエツヨン・ゲベルとエイラトへ行った。

8:18 ヒラムは、自分のしもべたちに託して、船団と海に詳しい水夫たちを彼のもとに送り込んだ。彼らは、ソロモンのしもべたちとともにオフィルへ行き、そこから金四百五十タラントを取って、ソロモン王のもとに運んだ。

 その後、さらにソロモンは、金を取って来ました。これは、義の実を求めたことを表しています。四百五十は、四つの百と、五の十倍数です。百は、聖別で、四は、あらゆる方面を表しています。あらゆる点において聖別されることを表しています。五は、御心を行うことを表しています。十は、完全を表しています。御心を完全に行い、あらゆる点において聖別されることを表しています。それが、義の実を結ぶことです。