歴代誌第二35章
35:1 さて、ヨシヤはエルサレムで主に過越のいけにえを献げた。人々は第一の月の十四日に過越のいけにえを屠った。
主に捧げられた「過越のいけにえ」は、祭壇に捧げられた物を指しています。
民数記
28:19 あなたがたは、主への食物のささげ物、全焼のささげ物として、若い雄牛二頭、雄羊一匹、一歳の雄の子羊七匹を献げなければならない。それはあなたがたにとって傷のないものでなければならない。
28:20 それに添える穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉を、雄牛一頭につき十分の三エパ、雄羊一匹につき十分の二エパとする。
28:21 子羊七匹については、一匹につき十分の一エパとする。
28:22 あなたがたのために宥めを行うには、罪のきよめのささげ物として、雄やぎ一匹とする。
28:23 常供の全焼のささげ物である朝の全焼のささげ物のほかに、これらのものを献げなければならない。
--
人々が屠った「過越のいけにえ」は、各家庭での過越の羊です。
出エジプト記
12:1 主はエジプトの地でモーセとアロンに言われた。
12:2 「この月をあなたがたの月の始まりとし、これをあなたがたの年の最初の月とせよ。
12:3 イスラエルの全会衆に次のように告げよ。この月の十日に、それぞれが一族ごとに羊を、すなわち家ごとに羊を用意しなさい。
12:4 もしその家族が羊一匹の分より少ないのであれば、その人はすぐ隣の家の人と、人数に応じて取り分けなさい。一人ひとりが食べる分量に応じて、その羊を分けなければならない。
12:5 あなたがたの羊は、傷のない一歳の雄でなければならない。それを子羊かやぎのうちから取らなければならない。
12:6 あなたがたは、この月の十四日まで、それをよく見守る。そしてイスラエルの会衆の集会全体は夕暮れにそれを屠り、
12:7 その血を取り、羊を食べる家々の二本の門柱と鴨居に塗らなければならない。
12:8 そして、その夜、その肉を食べる。それを火で焼いて、種なしパンと苦菜を添えて食べなければならない。
12:9 生のままで、または、水に入れて煮て食べてはならない。その頭も足も内臓も火で焼かなければならない。
12:10 それを朝まで残してはならない。朝まで残ったものは燃やさなければならない。
--
35:2 彼は祭司たちをその任務に就かせ、彼らを力づけて、主の宮の奉仕に当たらせた。
ヨシヤは、祭司たちを任務につかせましたが、その時、彼らを力づけました。それは、祭司がその働きを自ら進んで熱心に行うためです。
私たちは、祭司とされています。レビ人との対比と考えるならば、礼拝者とされています。キリストご自身の栄光を父に捧げ、父に栄光を帰すのです。その大いなる役割を果たすべきです。私たちは、主イエス様を知り、主イエス様の栄光を父の前に言い表し、あるいは、行いによって自分を捧げることによって、父に栄光を帰すのです。それらは、賛美の生贄であり、霊的礼拝です。
35:3 王は、全イスラエルを教え導く、主に聖別されたレビ人たちに言った。「聖なる箱を、イスラエルの王ダビデの子ソロモンが建てた宮に据えなさい。もはやあなたがたはそれを肩に担ぐことはない。今、あなたがたの神、主と、その民イスラエルに仕えなさい。
そして、全イスラエルを教え導く奉仕者としてのレビ人には、組分けに従って準備するように命じました。彼らがその役割を果たさなければ、十分な奉仕ができないのです。
レビ人については、「全イスラエルを教え導く」者たちとして表現されています。また、彼らは、「主に聖別された」者たちです。主のために取り分けられたのです。それは、主の教えの通りに民を導くためです。彼ら自身が主の教えに通じていて、その教えに適った行動を取ることで、主に受け入れられるのです。
奉仕の役割を担う者たちは、主の教えに通じていなければなならないとわかります。自分自身が教えに通じていなければ、他の者を教えることはできないのです。正確に教えられていない者が民を導くならば、かえって惑わすことになります。
ヨシヤの言葉の初めは、聖なる箱を宮に据えもはやそれを担ぐ必要はないということです。このことは、かつてダビデによって語られたことです。
歴代誌第一
23:25 ダビデがこう言ったからである。「イスラエルの神、主は、御民に安息を与え、とこしえまでもエルサレムに住まわれる。
23:26 レビ人も、幕屋を運んだり、奉仕に用いるすべての器具を運んだりする必要はない。」
--
箱は、宮に据えられていたのです。箱を宮に運び込むという記事は記されていません。「聖なる箱を宮に据えなさい。」という表現は、比喩です。主の箱は、主の臨在を表しています。彼らは、その主の前に仕える者であることを明確にしました。それは、形式的な仕え方ではなく、主の臨在を覚えて仕えることを意識させたのです。そして、彼らが新たに与えられている役割を果たすのです。
このことは、教会における奉仕やその他の奉仕が形式的になることへの警告です。主は、その集まりの中心です。形式的な奉仕、人間的な思いでの奉仕など、改めなければなりません。
35:4 あなたがたは、イスラエルの王ダビデの文書とその子ソロモンの書きつけのとおり、父祖の家ごとに、組分けにしたがって準備をしなさい。
彼らに求められたことは、ダビデの文書とソロモンの書き付けの通りに組分けに従って準備することです。この時に彼らの役割は、モーセの律法によるのではなく、ダビデとソロモンに示された神様の言葉によるのです。
35:5 あなたがたの兄弟である、この民の者たちが属している父祖の家の区分にしたがって、聖所に立ちなさい。レビ人にとって、一族の分があるようにしなさい。
父祖の家の区分に従って仕えることが繰り返されています。彼らが聖所で実務を果たすならば、彼らは、捧げ物の分配に与るのです。それは、一族を養うことになります。それが彼らの相続分でした。彼らが御言葉通りに仕えることは、彼ら自身の利益になることでした。神様がそう定められたからです。
私たちが神の言葉に従って主に仕えるならば、私たちは、その報いを相続するのです。
35:6 それから、過越のいけにえを屠り、身を聖別し、あなたがたの同胞のために準備をして、モーセを通して示された主のことばのとおりに行いなさい。」
そして、過越のいけにえを屠るように命じました。そのために、身を聖別するのです。神に仕える者は、身を聖別しなければなりません。彼らは、主のために仕えるのです。それと共に、それは、同胞のためでした。民が主に仕えることを喜びとするためです。
その務めは、モーセに示された主の言葉通りにするのです。そうでなければ、主の御心に敵わないのです。祝福されることはありません。
35:7 ヨシヤは民の者たちに、群れの中から子羊とやぎの子を提供した。これらはみな、そこにいたすべての人の過越のいけにえのためであった。その数は三万匹、牛は三千頭。これらは王の財産の中から出された。
ヨシヤは、そこにいた民のために、過越のいけにえとして彼らが食べるために、子羊と山羊を提供しました。
牛も与えられましたが、これは、過越の食事のためではありません。次の節から分かりますが、これは、進んで捧げる捧げ物とするためです。全焼のいけにえや、和解のいけにえのためです。
子羊について、過越の食べ物となる子羊は、独り子の御子の栄光を表しています。その数は、三万で、千という単位で三十で、三十は、三の十倍数です。千は、牛の頭も表す語です。ここから、しもべとして従うことの比喩です。三は、欠けのない完全さを表し、御心を一つも欠けることなく行う完全さの比喩です。十は、到達点としての完全さです。御心を成し遂げることの比喩です。イエス様がしもべとして従い、完全であったことが強調されています。
牛について、これは、しもべとしての主イエス様の栄光を表しています。その数三千は、千の単位が三つです。三は、欠けのない完全さを表しています。神に従うことにおいて、一点の落ち度もなかった完全さが表されていて、それがイエス様の栄光となっています。
35:8 王の高官たちも、民、祭司、レビ人のために、進んで献げるものを提供した。神の宮のつかさたち、ヒルキヤ、ゼカリヤ、エヒエルも、祭司たちに過越のいけにえとして羊二千六百匹、牛三百頭を与えた。
王の高官たちも、民、祭司、レビ人のために進んで捧げる捧げ物を提供しました。神の宮の司たちも、提供しました。
羊は、人としてのイエス様の栄光を表しています。その数について、千が二つと六百です。千は、しもべを表し、二は、証を表しています。しもべとして従うことで証しを立てるのです。
六百は、百が六つです。百は、聖別を表します。六は、人を表しています。人として歩み、聖別されました。
牛は、百が三つです。しもべとして仕え、その聖別が完全であったことを表しています。
35:9 さらに、レビ人の長たち、すなわち、カナンヤとその兄弟シェマヤ、ネタンエル、およびハシャブヤ、エイエル、エホザバデも、レビ人に過越のいけにえとして羊五千匹、牛五百頭を提供した。
レビ人の長たちは、レビ人に提供しました。
羊は、五千で、千が五つです。千は、しもべとして従うこと、五は、御心を行うことを表しています。
牛五百は、百が五つで、牛は、しもべ、百は、聖別、五は、御心を行うことを表しています。しもべとして御心を行い、聖別されることを表しています。
35:10 奉仕の用意ができたので、王の命令のとおりに、祭司たちはそれぞれの定めの場所に、レビ人はそれぞれの組分けにしたがって立った。
事は、王の命令通りに実行され、祭司、レビ人は、定めの通りに立ちました。
35:11 彼らが過越のいけにえを屠ると、祭司たちは彼らの手から受け取った血を振りかけ、レビ人は皮を剥いだ。
はじめに、過越のいけにえが全焼の捧げ物として捧げられました。
35:12 彼らは全焼のささげ物を取り分け、それを父祖の家の区分ごとに民の者たちに渡し、モーセの書に記されているとおりに主に献げさせた。牛についても同様にした。
次に、民の進んで捧げる全焼の生贄が捧げられました。それは、父祖の家の区分ごとに民に渡されました。全焼のいけにえとして捧げられました。
35:13 彼らは定めにしたがって、過越のいけにえを火で焼き、聖なるささげ物を、鍋、釜、平鍋で煮て、民の者たちすべてに急いで配った。
過越のいけにえは、子羊と子山羊です。それは、火で焼いて食べます。そして、それは、水で煮て食べてはなりません。聖なる捧げ物は、「交わり→完全さ」のいけにえです。
35:14 その後で、彼らは自分たちや祭司たちのための用意をした。アロンの子らである祭司たちは、夜になるまで、全焼のささげ物と脂肪を献げていたからである。そこでレビ人は、自分たちや、アロンの子らである祭司たちのための用意をした。
彼らは、民のために奉仕して後、祭司と自分たちのために用意しました。
35:15 アサフの子孫である歌い手たちは、ダビデ、アサフ、ヘマン、および王の先見者エドトンの命令のとおりにその役目に就いていた。また、門衛たちはそれぞれの門を守っていた。彼らのうちだれも、その奉仕を離れる必要がなかった。彼らの兄弟であるレビ人が彼らのための用意をしたからである。
レビ人は、歌歌いや門衛のために用意をしました。歌い手と門衛はその奉仕を離れることなく、その任務についていたのです。
35:16 こうしてその日、ヨシヤ王の命令のとおりに、主の祭壇で過越のいけにえを献げ、全焼のささげ物を献げるための、主への奉仕の用意はすべて整った。
35:17 そこにいたイスラエルの子らは、そのとき、過越のいけにえを献げ、七日間にわたって種なしパンの祭りを行った。
ここでは、捧げ物を捧げることについて、王の命令通りに実行されたことがもう一度繰り返されています。主への奉仕の用意が全て整ったこと、また、神の民を表すイスラエルの子孫は、過越のいけにえを捧げ、種無しパンの祭りを行ったのです。
35:18 預言者サムエルの時代以来、イスラエルでこのような過越のいけにえが献げられたことはなかった。イスラエルのどの王も、ここでヨシヤが、祭司とレビ人、そこにいた全ユダとイスラエル、そしてエルサレムの住民とともに献げたような過越のいけにえを献げたことはなかった。
ここで捧げられた過越のいけにえは、前の時代には捧げられませんでした。それは、全く捧げられなかったということではなく、その規模の違いです。律法の規定に基づく捧げ物のほかに、進んで捧げる捧げ物が非常にたくさんありました。それらは、王と司、また、レビ人の長たちによって与えられた物が捧げられたからです。
35:19 ヨシヤの治世の第十八年に、この過越のいけにえが献げられた。
35:20 このようにヨシヤが宮を整えた後、エジプトの王ネコが、ユーフラテス河畔のカルケミシュで戦うために上って来た。そこで、ヨシヤは彼を迎え撃つために出陣した。
ネコの出陣は、アッシリアと共にバビロン、メディア、スキタイ連合を迎え撃つための戦いのためでした。しかし、大敗します。アッシリアは、独立を失うのです。
エレミヤ書
46:1 諸国の民について、預言者エレミヤにあった主のことば。
46:2 エジプトについて、すなわちユーフラテス河畔のカルケミシュにいたエジプトの王ファラオ・ネコの軍勢について。ユダの王、ヨシヤの子エホヤキムの第四年に、バビロンの王ネブカドネツァルがこれを打ち破った。
46:3 「盾と大盾を整えて、戦いに向かえ。
46:4 騎兵たちよ、馬に鞍をつけて乗れ。かぶとを着けて配置につけ。槍を磨き、よろいをまとえ。
46:5 何ということか、この有様は。彼らはおじ惑い、うしろに退く。勇士たちは打たれ、うしろも振り向かずに逃げ去る。恐怖が取り囲んでいる。──主のことば──
--
35:21 ところが、ネコは彼に使者を遣わして言った。「ユダの王よ、私とあなたと何の関係があるのか。今日は、あなたを攻めに来たのではない。私が戦っている王家に向かって行くところなのだ。神は、早く行くように命じておられる。私とともにおられる神に逆らうことはやめよ。さもなければ、神があなたを滅ぼされる。」
ネコは、早くカルケミシュに行くことを願っていました。ヨシアとの戦いで時間を取られ、戦力を失うことは、避けたいところでした。
35:22 しかし、ヨシヤは身を引かず、かえって彼と戦おうとして変装し、神の御口から出たネコのことばを聞かなかった。そして、メギドの平地で戦うために出かけた。
ヨシヤが神の御心を伺ったならば、彼は、身を引いたでしょう。しかし、彼は、そうせず、戦いに出て行ったのです。エジプトは、海岸沿いに北上していたのです。ですから、エジプトが戦いを避けているのであれば、あえて出陣する必要はなかったのです。それにエジプトは、多くの軍隊だったのです。戦略的に考えても、戦いを避けることができるならば、そうした方が良かったのです。
35:23 射手たちがヨシヤ王を射抜いたので、王は家来たちに言った。「私を運び出してくれ。ひどい傷を負ってしまった。」
35:24 家来たちは王を戦車から降ろし、彼が持っていた第二の車に乗せてエルサレムに連れ帰った。彼は死に、その先祖たちの墓に葬られた。全ユダとエルサレムは、ヨシヤのために喪に服した。
35:25 エレミヤはヨシヤのために哀歌を作った。男女の歌い手は、ヨシヤのことをその哀歌で語り伝えるようになり、今日に至っている。これはイスラエルの慣例となり、まさしく哀歌に記されている。
ゼカリヤ書
12:9 その日、わたしはエルサレムに攻めて来るすべての国々を根絶やしにしよう。
12:10 わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと嘆願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見て、ひとり子を失って嘆くかのように、その者のために嘆き、長子を失って激しく泣くかのように、その者のために激しく泣く。
12:11 その日、エルサレムでの嘆きは、メギドの平地のハダド・リンモンのための嘆きのように大きくなる。
--
メギドの平地のハダド・リンモンのための嘆きは、ヨシヤ王のための嘆きです。
35:26 ヨシヤについてのその他の事柄、主の律法に記されているところに基づいた彼の誠実な行い、
35:27 またその事績は、最初から最後まで、『イスラエルとユダの王の書』にまさしく記されている。
ヨシヤについては、主の律法の書に記されているところに基づいた誠実な行いが評価されています。