歴代誌第二34章

34:1 ヨシヤは八歳で王となり、エルサレムで三十一年間、王であった。

34:2 彼は主の目にかなうことを行い、父祖ダビデの道に歩み、右にも左にもそれなかった。

 ヨシヤは、若くして王になりました。彼への評価は、ダビデの道になぞらえられていて、主の目に適うことを行ったと評価されています。ダビデの道に歩み、それなかったと高く評価されています。

34:3 彼の治世の第八年、まだ若いころに、彼は父祖ダビデの神を求めることを始め、第十二年にユダとエルサレムをきよめて、高き所、アシェラ像、刻んだ像、および鋳像を除き始めた。

 彼は、八歳で王となり、十六歳ころから神を求めることをはじめました。「まだ若い頃」と記さていますが、このように若くして神を求めることは幸いなことです。

 神については、父祖ダビデの神と表現されています。彼は、ダビデがその御前に歩んだ神を求めたのです。ダビデの歩みについては、年代記に記され、詩篇に霊的な歩みについて詳しく記されています。ダビデは、幸いな模範を残したのです。

 彼が行動を起こしたのは、治世の十二年です。主を求め始めてから、行動を起こすまで、四年ほどの期間があります。これは、必要なことで、救われた人がすぐに働き人となることは、危険を伴います。自らが御言葉によって養われて、御言葉に従って生きることが確立する必要があります。

 なお、八年は、新しい始まりを表し、主を求めるという新しく生まれた者の歩みを表しています。

 十二は、神の支配を表していて、神に服従して生きることを表しています。

34:4 人々は彼の前でバアルの神々の祭壇を打ち壊した。彼は、その上にあった香の台を切り倒し、アシェラ像と刻んだ像と鋳像を打ち砕いて粉々にし、これらのいけにえを献げた者たちの墓の上にまき散らした。

 バアルの祭壇を打ち壊したのは、「人々」です。彼は、先頭に立ってそれを行ったし、人々もそれをしました。民が自ら進んでそのことをするようにしたのです。

 彼も、祭壇の上にあった香の台を切り倒しました。また、偶像を粉々に打ち砕いて、その偶像にいけにえを捧げた人々の墓の上に撒き散らしました。そのようにして、偶像に関わる汚れたものを墓に撒き散らすことで、汚したのです。

 祭壇は、神の評価を表しています。そこに捧げられるものを神が評価されるのです。その捧げ物に満足されるので、人と交わることができます。捧げものを通して、神と人との交わりの接点となるところです。

 香の台は、香が放つ香りによって、神を満足させます。香自体が神にとって価値あるものであるのです。

 像は、神を表すものです。彼らは、その像を神として拝むのです。

 それらは、主が定めた儀式に似せてありますが、すべて偽りであり、まことの神とはかけ離れたものです。人々は、実在しない神を神としていたのです。撒き散らすことで、それらが全く空しい、実在しないものであることを示したのです。

34:5 彼はまた、祭司たちの骨を彼らの祭壇の上で焼き、ユダとエルサレムをきよめた。

 祭司の骨を焼いたことは、ユダとエルサレムのきよめ関係していることが記されています。骨は、その人の持つ教えを表しています。祭司の骨だけが焼かれたことは、民に教えをなす者としての祭司の持つ教えを虚しいものとしたのです。比喩的な行為です。

34:6 また、マナセ、エフライム、シメオン、さらにはナフタリに至る町々や、その周辺の荒れた地方でも同様にした。

 ヨシヤは、もと北王国イスラエルを神の家と考えていたので、はるばる北王国をきよめたのです。

・「さらにはナフタリに至る町々」→「ナフタリのように離れたところ」

・「その周辺の荒れた地方でも同様にした。」→彼らの破壊の道具をもって、その周辺の全ての家で(すなわち神の家あるいは家族の中で)、(同様にした:補足)」

34:7 彼はイスラエルの全地で祭壇を打ち壊し、アシェラ像と刻んだ像を粉々に砕き、すべての香の台を切り倒して、エルサレムに帰った。

 破壊の内容については、同じです。祭壇、像、香の台を破壊しました。

34:8 その治世の第十八年に、ヨシヤはこの地と宮をきよめるために、アツァルヤの子シャファン、この町の長マアセヤ、エホアハズの子である史官ヨアフを遣わして、自分の神、主の宮を修理した。

「この地と宮をきよめために」→「この地と家すなわち神の家あるいは家族をきよめるため、」「宮」は、六節の「荒れた地方」と同じ語(H1004)です。

 彼にとっては、自分の神、主です。

34:9 彼らは大祭司ヒルキヤのもとに行き、神の宮に納められていた金を渡した。これは入り口を守るレビ人が、マナセとエフライム、すべてのイスラエルの残りの者、および全ユダとベニヤミンから集めたものであった。それから彼らはエルサレムに戻り、

34:10 主の宮で工事をしている監督者たちにそれを手渡した。監督者たちは、神殿を繕い、修理するために、主の宮で行われている工事をしている者たちにそれを渡した。

 直訳としては、「彼らは大祭司ヒルキヤのもとに行き、そして、彼ら(金を管理している人々)は、神の宮に納められていた金を渡した。」となります。宮の金を管理している責任者は、大祭司です。そして、金を渡したのは大祭司自身ではなく、直接金を管理している者たちです。その金は、ユダ、ベニヤミンだけでなく、もと北王国の人々から集められたものでした。

 その金は、宮を修理する監督者に渡され、工事をしている者に渡されました。

34:11 彼らは、大工や建築する者たちにそれを渡した。切り石やつなぎ材を買い、ユダの王たちが荒れさせた家々に梁を置くためであった。

 その金は、大工や建築する者たちに渡されました。その能力を持つ者たちがそれをしたのです。

 直訳としては、「石を買い、梁のための材木を切り、ユダの王たちが荒れ果てさせた家々に板を張るためであった。」

 石は、教えの比喩です。

 梁の材木は、キリストご自身を表しています。頭としてのキリトストです。家々には、これがありませんでした。

 板は、神殿の内側に貼られますが、人となられた主イエス様を表しています。教会には、人をとうして主御自身が現されなければならないのです。

歴代誌第二

3:1 ソロモンは、エルサレムのモリヤの山で主の宮の建築を始めた。そこは、主が父ダビデにご自分を現され、ダビデが準備していた場所で、エブス人オルナンの打ち場があったところである。

3:2 ソロモンが建築を始めたのは、その治世の第四年、第二の月の二日であった。

3:3 神の宮を建てるために、ソロモンが据えた礎は次のとおりである。長さは、古い尺度のキュビトによると六十キュビト、幅は二十キュビト。

3:4 前に付く玄関は、長さが神殿の幅と同じ二十キュビト、高さは百二十キュビトとし、その内側を純金でおおった。

3:5 この広間はもみの木の板を張り、良質の金でおおい、さらにその上になつめ椰子の木の彫刻と鎖を置き、

3:6 また、この神殿は宝石で美しく飾った。金はパルワイムの金であった。

−−

 家々と記されていて、神殿の本殿単独だけでなく、神殿の建物全体を指しています。それは、地方教会についての比喩です。八節の宮は、単数で体なる教会の比喩です。

34:12 この人々は忠実に仕事を行った。彼らの上には、メラリ族のレビ人ヤハテとオバデヤ、ケハテ族のゼカリヤとメシュラムが監督として任命された。レビ人たちはみな、楽器を奏でるのが得意な者たちであったが、

34:13 荷を運ぶ者たちも管理し、各分野の仕事に当たるすべての職人たちの指揮も執った。レビ人の中には、書記、つかさ、門衛などもいた。

 その働き人は、忠実に働きました。これは、幸いなことです。

コリント第一

4:1 人は私たちをキリストのしもべ、神の奥義の管理者と考えるべきです。

4:2 その場合、管理者に要求されることは、忠実だと認められることです。

−−

34:14 彼らが、主の宮に携え入れられていた金を取り出していたとき、祭司ヒルキヤは、モーセを通して示された主の律法の書を見つけた。

34:15 ヒルキヤは書記シャファンに知らせて、「主の宮で律法の書を見つけました」と言った。ヒルキヤがその書物をシャファンに渡すと、

34:16 シャファンは、その書物を王のもとに携えて行き、さらに王に次のように報告した。「しもべたちに委ねられたことは、すべてやらせております。

34:17 彼らは主の宮にあった金を取り出して、これを監督者たちの手と、工事をしている者たちの手に渡しました。」

34:18 さらに書記シャファンは王に告げた。「祭司ヒルキヤが私に一つの書物を渡してくれました。」シャファンは王の前でそれを朗読した。

 彼らは、律法の書を見つけました。それは、もともとそこにあったのです。金をそこに納めるときにもあったのです。しかし、そのときには見出すことはありませんでした。神様は、彼らが主を求めたとき、御言葉を示されました。

 今日、聖書は、私たちの手元にあります。しかし、その聖書の言葉に気づかないことがどれほどあるでしょうか。自宅で聖書を読んでいても、全く心に響きません。教会で聖書が朗読されても、教えがされても、聞くことはないのです。

エゼキエル

33:30 人の子よ。あなたの民の者たちは城壁のそばや家々の戸口で、あなたについてこう語り合っている。『さあ、どんなことばが主から出るか聞きに行こう。』

33:31 彼らは群れをなしてあなたのもとにやって来る。そして、わたしの民はあなたの前に座り、あなたのことばを聞く。しかし、それを実行しようとはしない。彼らは口で甘いことばを語り、心で利得を追っている。

33:32 あなたは彼らにとっては、音楽に合わせて美しく歌う恋の歌のようだ。彼らはあなたのことばを聞くが、それを実行しようとはしない。

33:33 しかし、あのことは起こり、もう来ている。彼らは、自分たちの間に一人の預言者がいたことを知る。」

−−

34:19 王は律法のことばを聞いたとき、自分の衣を引き裂いた。

 王は、律法の言葉を聞いたとき、非常に激しく反応しました。

34:20 王はヒルキヤ、シャファンの子アヒカム、ミカの子アブドン、書記シャファン、王の家来アサヤに次のように命じた。

34:21 「行って、見つかった書物のことばについて、私のため、イスラエルとユダの残りの者のために、主を求めよ。私たちの先祖が主のことばを守らず、すべてこの書に記されているとおりに行わなかったために、私たちの上に注がれた主の憤りが激しいからだ。」

 彼は、主がその言葉通りになさることをよくわきまえていました。先祖が主の言葉どおりに行ってこなかったので、主が憤られていることを自分と民のこととして受け止めたのです。聖書の言葉は、自分に語られている言葉として受け取ることは、幸いです。

34:22 そこで、ヒルキヤと王が指名した人々は、女預言者フルダのもとに行った。彼女は、ハスラの子トクハテの子である装束係シャルムの妻で、エルサレムの第二区に住んでいた。彼らが事の次第を彼女に伝えると、

 ヨシヤが尋ねさせたのは、女預言者でした。八節から、ヨシヤの治世の十八年のこの時、エレミヤもいましたが、そのとき、主の御心は、フルダによって伝えられたのです。

エレミヤ書

1:1 ベニヤミンの地、アナトテにいた祭司の一人、ヒルキヤの子エレミヤのことば。

1:2 このエレミヤに主のことばがあった。ユダの王、アモンの子ヨシヤの時代、その治世の第十三年のことである。

1:3 それはさらに、ユダの王、ヨシヤの子エホヤキムの時代にもあり、ユダの王、ヨシヤの子ゼデキヤの第十一年の終わりまで、すなわち、その年の第五の月、エルサレムの民の捕囚まで続いた。

−−

34:23 彼女は彼らに答えた。「イスラエルの神である主はこう言われます。『あなたがたをわたしのもとに遣わした人に言え。

34:24 主はこう言われる。見よ。わたしはこの場所とその住民の上にわざわいをもたらす。ユダの王の前で読みあげられた、その書物に記されているすべてののろいをもたらす。

34:25 彼らはわたしを捨て、ほかの神々に犠牲を供え、自分たちのすべての手のわざで、わたしの怒りを引き起こした。わたしの憤りはこの場所に注がれ、消えることはない。』

 主の御心は、明確でした。イスラエルの神として、犯された罪に対して裁きを行うことを宣言されました。

34:26 主に尋ねるために、あなたがたを遣わしたユダの王には、こう言いなさい。『あなたが聞いたことばについて、イスラエルの神である主は、こう言われる。

34:27 あなたがこの場所とその住民について神のことばを聞いたとき、あなたは心を痛めて神の前にへりくだり、わたしの前にへりくだって自分の衣を引き裂き、わたしの前で泣いたので、わたしもまた、あなたの願いを聞き入れる──主のことば──。

34:28 見よ、わたしはあなたを先祖たちのもとに集める。あなたは平安のうちに自分の墓に集められる。あなたは自分の目で、わたしがこの場所とその住民にもたらす、すべてのわざわいを見ることはない。』」彼らはそれを王に報告した。

 主は、ヨシヤが主の言葉を聞いた時、心を痛めて、神の前に謙り、「わたし」の前に謙り、「わたし」の前で泣いたので、「わたし」もまた、あなたの願いを聞き入れる、と言われました。主は、ヨシヤが真実な心で、主の前に示した態度を喜ばれました。形式的なものでなく、主の前に真実であることを「わたし」という、通常記されない言葉が用いられることでそのことを表しています。それに応えて、主も「わたしが」と、事をなすのがご自分であることを強調されて、確かな言葉として語られます。

 主は、ヨシヤの願いを聞かれて、このことを語られたことが分かります。ヨシヤの願いは、彼の治世の間、彼が「平安→全き」内に歩み、すなわち、主の御心に適った完全な者として歩み、主の裁きの災いを見ないことです。彼が、主の目に適わないことで裁きを受けることがないことを願っていたのです。

 主は、彼を先祖たちのもとに集め、それで(その結果:接続法完了形)完全さのうちに墓に自分の墓に集められます。彼の死は、エジプト王に戦場で殺されるというものですが、彼の主の前における歩みは、完全でした。

34:29 王は使者を遣わして、ユダとエルサレムのすべての長老たちを集めた。

34:30 王は、ユダのすべての人々、エルサレムの住民、祭司とレビ人、および上の者から下の者まで、すべての民とともに主の宮に上り、主の宮で見つかった契約の書のことばをすべて彼らに読み聞かせた。

34:31 それから王は定めの場所に立ち、主の前に契約を結び、主に従って歩み、心を尽くし、いのちを尽くして主の命令と証しと掟を守り、この書物に記されている契約のことばを行うことを誓った。

 まず、主の言葉を読み聞かせました。そこは主の宮でした。主が御名を置くと定めたところです。

 彼らは、主の前に契約を結びました。今まで、主に従ってこなかったのです。彼らは、主に従うのです。具体的には、その御言葉を受け入れ。従うのです。

 「心を尽くして、いのちを尽くして」は、直訳では、「心を尽くし、たましいを尽くし」です。心は、御言葉を受け入れる部分であり、たましいは、受け入れた御言葉に従う部分です。

34:32 王はエルサレムとベニヤミンにいるすべての者をこの契約に加わらせた。エルサレムの住民は、その父祖の神である神の契約にしたがって行動した。

 その契約に加わったのは、エルサレムとベニヤミンにいる全ての者です。彼らは、契約に従って行動しました。

34:33 ヨシヤはイスラエルの子らのものである全地から、忌み嫌うべきものを取り除き、イスラエルにいるすべての者を自分の神、主に仕えさせた。彼の生きている間、彼らはその父祖の神、主に従う道から外れなかった。

 そして、その時イスラエル子らのものとして所有されていた地から忌み嫌うべき物を除きました。そして、イスラエルにいる全ての者を主に仕えさせました。北王国の残りの民も従わせたのです。

 ヨシヤが生きている間、その民は、主に従う道から外れませんでした。ヨシヤの影響力が大きかったとわかります。