歴代誌第二18章

18:1 ヨシャファテには富と誉れが豊かに与えられたが、彼はアハブと姻戚関係に入った。

 ヨシャパテに富と誉が与えられたのは、神様の祝福と言えます。文の後半は、主の御心に適わない事柄です。アハブは、神の前に悪を行う者です。そのような者と姻戚関係を結んだことは、ヨシャパテの失敗です。

 前半と後半の間には、「姻戚関係に入る」という動詞に接続詞が付加されていて、通常「そして」、「しかし」と訳されます。原語では区別できないので、内容から判断することになります。ここでは、「しかし」となります。強調するならば「それにも関わらず」ということになります。

18:2 数年後、彼がサマリアのアハブのところに下って行くと、アハブは彼および彼とともにいた民のために、おびただしい数の羊や牛を屠り、ラモテ・ギルアデに攻め上るよう誘った。

 ヨシャパテは、サマリヤのアハブのところに下っていきました。エルサレムが標高800mサマリヤは、標高400mくらいです。

 アハブは、ヨシャパテと随行員のためにおびただしい数の羊や牛を屠りました。大いにもてなしたのです。それとともに、もてなしと関連してラモテ・ギルアデに攻め上るように誘ったことが記されています。ですから、アハブは、最初からヨシャパテを誘い込むために大盤振る舞いをしたのです。これが神を恐れない人のすることであり、自分のために利用しようとしているのです。

 ラモテ・ギルアデは、アラムの支配下にある町です。アサ王の時代に、イスラエルは、アラムから攻撃されたのです。

18:3 イスラエルの王アハブはユダの王ヨシャファテに言った。「私とともにラモテ・ギルアデに行ってくれませんか。」彼は答えた。「私とあなたは一つ、私の民とあなたの民は一つ、私の馬とあなたの馬は一つです。ともに戦いに臨みましょう。」

 彼は、アハブの申し出を快く受け入れました。ヨシャパテは、人の良い方で、寛容な人と言えます。姻戚関係を結んだ相手に対して、犠牲を惜しみませんでした。戦いですから兵士の命がかかっています。また、糧食や馬の犠牲もあります。しかし、彼は、アハブと一つであるといい、アハブの申し出のとおりにすることを約束するのです。

 ヨシャパテは、「私とあなたは一つ」と答えました。彼は、一つとなってはならない人と一つであることを表明したのです。アハブは、神に背く最悪の者です。彼は、アハブと縁を結ぶことで、悪賢いアハブの策略に乗ることになるのです。神を恐れない人とともに行動することになるのです。そのような人を通して神の栄光が現されることはないのです。彼には、神の御心にかなっているかどうかの観点が失われていました。

 また、彼は、「私の民とあなたの民は一つ」と言い、彼に従う者を神に従わない者たちとともに行動させようとしているのです。さらに、「私の民」と言い、民が神の民であるということを忘れています。馬にしても「私の」と言い、神の備えてくださったものであり、神の民に用いるべきものであるということを考えていない言い表しになっています。

18:4 ヨシャファテはイスラエルの王に言った。「まず、主のことばを伺ってください。」

 それでも、ヨシャパテは、事を決めるにあたって、主の言葉を伺うことを求めました。

18:5 イスラエルの王は、四百人の預言者を集めて、彼らに尋ねた。「われわれはラモテ・ギルアデに戦いに行くべきか。それとも、私はやめるべきか。」彼らは答えた。「あなたは攻め上ってください。神は王様の手にこれを渡されます。」

 イスラエルの王は、四百人の預言者を集めました。彼らの答えは、神がラモテ・ギルアデを王の手に渡されるというものです。

 この預言者は、主に伺うことができる預言者として集められたのです。

・「神」→エロヒム

18:6 ヨシャファテは、「ここには、われわれがみこころを求めることのできる主の預言者が、ほかにいないのですか」と言った。

 ヨシャパテが他の預言者を求めた理由については記されていませんが、彼は、四百人の預言者の言葉に信頼することができなかったと言えます。ミカヤを呼びに行った使者は、ミカヤにどのような預言をすべきかを依頼しています。ですから、四百人を招集するときにも、同様の依頼があったことが推察されます。四百人は、王の気に入るように預言していたのです。それは、人の顔色を窺う預言であり、ヨシャパテから見て、違和感を覚えるものであったのです。

 今日、御言葉を取り次ぐ働きにおいて、どのような動機から語っているかは、人には心がわからないので、知りえませんが、それは、現れるものです。霊的な人は、それを感じることができます。

18:7 イスラエルの王はヨシャファテに答えた。「ほかにもう一人、主に伺うことのできる者がいます。しかし、私は彼を憎んでいます。彼は私について良いことは預言せず、いつも悪いことばかりを預言するからです。それはイムラの子ミカヤです。」ヨシャファテは言った。「王よ、そういうふうには言わないでください。」

 アハブ王の言葉からわかるように、彼は、自分に都合の良いことを語る預言者だけを集めたことがわかります。

テモテ第二

4:1 神の御前で、また、生きている人と死んだ人をさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現れとその御国を思いながら、私は厳かに命じます。

4:2 みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。

4:3 というのは、人々が健全な教えに耐えられなくなり、耳に心地よい話を聞こうと、自分の好みにしたがって自分たちのために教師を寄せ集め、

4:4 真理から耳を背け、作り話にそれて行くような時代になるからです。

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 王のしていたことは、自分に都合の良いことを語る教師を集めることでした。それは、真理から耳を背けることでした。

 もうひとり主に伺う預言者ミカヤがいましたが、王は、最初から彼を除外していました。自分について悪いことばかりを預言していたからです。彼には、自分の悪がわかりませんでしたし、悪い点を指摘したのは、主に立ち返ることを求めたからです。しかし、そのような神の働きとして預言が行われていたにもかかわらず、王は、預言者を憎んでいました。

 ヨシャパテは、アハブ王を優しくたしなめました。ヨシャパテには、神の預言の言葉は、自分に都合が良い悪いで判断してはならないことをわきまえていたからです。神の言葉は、そのように受け止めるべきものであるのです。

18:8 イスラエルの王は一人の宦官を呼び、「急いでイムラの子ミカヤを連れて来い」と命じた。

18:9 イスラエルの王とユダの王ヨシャファテは、それぞれ王服をまとって王の座に着いて、サマリアの門の入り口にある打ち場で座っていた。預言者はみな、彼らの前で預言していた。

18:10 ケナアナの子ゼデキヤは、王のために鉄の角を作って言った。「主はこう言われます。『これらの角で、あなたはアラムを突いて、絶ち滅ぼさなければならない。』」

18:11 預言者たちはみな、同じように預言した。「あなたはラモテ・ギルアデに攻め上って勝利を得てください。主は王の手にこれを渡されます。」

 彼らの預言は、一見、的外れではありませんでした。ゼデキヤの預言は、アラムを打つことで、それは、主の御心にかなったことです。そして、鉄の角を作って預言しています。非常に具体的です。説得力があります。

18:12 ミカヤを呼びに行った使者はミカヤに告げた。「いいですか。預言者たちは口をそろえて、王に対して良いことを述べています。どうか、あなたも彼らと同じように語り、良いことを述べてください。」

 使者の依頼は、預言者たちは「王に対して良いことを述べているので、同じように語ってください。」というものです。預言の内容の信頼性よりも、王にとって良いことかどうかという観点で語られていたことがわかります。

18:13 ミカヤは答えた。「主は生きておられる。私の神が私に告げられることを、そのまま述べよう。」

 ミカヤは、預言者の預言はどのようなものであるかをもって答えました。それは、神が告げたことをそのまま述べるということです。これは、今日御言葉を取り次ぐにあたっても変わりません。御言葉を聞く人が理解できない場合には、分かりやすく解説することもありますが、聖書の言葉が示していることと別のことを取り次ぐことはありえません。解釈の誤り、自分の考えによるもの、書いてないことの想像、曲解などは、あってはならないのです。

 「主は生きておられる。」と最初に宣言したのは、偶像のような死んだ神ではなく、生きて働かれる神であり、実在者であるのです。その方から遣わされた者として御言葉を取り次ぐのですから、決してその方に背くようなことはできないのです。

 「私の神」と言い表していますが、自分が従う方として、主を認めていたのです。ですから、その方の言われる通りを取り次ぐのです。自分を支配する方に背くことはありえないのです。

18:14 彼が王のもとに着くと、王は彼に言った。「ミカヤ、われわれはラモテ・ギルアデに戦いに行くべきか。それとも、私はやめるべきか。」彼は答えた。「あなたがたは攻め上って勝利を得なさい。彼らはあなたがたの手に渡されます。」

 ミカヤの答えは、主が語るように命じられたことです。「あなた方は、行き(未完了形)、押し進めさせる(使役語幹、未完了形、能動態)。そして、手に渡された(連続不完了体、受動態)。」

18:15 王は彼に言った。「私が何度おまえに誓わせたら、おまえは主の名によって真実だけを私に告げるようになるのか。」

 王は、ミカヤの言葉を疑いました。それは、他の預言者たちと同じことを言っているからです。今までミカヤを嫌っていたのは、彼が他の預言者と異なる、自分にとっては聞きたくないことを語って来たからです。しかし、ミカヤは、自分の解釈を伝えることはしません。これは、主が語れと命じられたことをそのまま語ったのです。

18:16 彼は答えた。「私は全イスラエルが、山々に散らされているのを見た。まるで、羊飼いのいない羊の群れのように。そのとき主はこう言われた。『彼らには主人がいない。彼らをそれぞれ自分の家に無事に帰らせよ。』」

 その上で、さらに、「全イスラエルが、山々に散らさせているのを見た。羊飼いのいない羊のように。主は言われた。主人がいないこれらは無事に自分の家に帰る(未完了形)。」

18:17 イスラエルの王はヨシャファテに言った。「あなたに言ったではありませんか。彼は私について良いことは預言せず、悪いことばかりを預言すると。」

 彼は、預言の内容が自分にとって悪いことになったことに不満を言い表しています。それが神からの言葉であると真剣に受け止めるのではなく、自分にとって良いか悪いかで判断するのです。その言葉を受け入れたならば、王は、自分を省みたでしょう。しかし、王には、そのような心はありませんでした。

18:18 ミカヤは言った。「それゆえ、主のことばを聞きなさい。私は主が御座に着き、天の万軍がその右左に立っているのを見ました。

18:19 そして、主は言われました。『イスラエルの王アハブを惑わして攻め上らせ、ラモテ・ギルアデで倒れさせるのはだれか。』すると、ある者はああしよう、別の者はこうしようと言いました。

18:20 ひとりの霊が進み出て、主の前に立ち、『この私が彼を惑わします』と言うと、主は彼に『どのようにやるのか』とお尋ねになりました。

18:21 彼は答えました。『私が出て行って、彼のすべての預言者の口で偽りを言う霊となります。』主は『きっとあなたは惑わすことができる。出て行って、そのとおりにせよ』と言われました。

18:22 今ご覧のとおり、主はここにいるあなたの預言者たちの口に、偽りを言う霊を授けられました。主はあなたに下るわざわいを告げられたのです。」

 ミカヤは、預言者のしたことは、惑わす霊の働きであることを告げました。そして、それは、主の前で決定されたことであり、主が御心の実現のためにその霊を遣わしたことがわかります。偽りの言葉を述べさせるのは、聖霊の働きではありません。そのような悪を行う霊にその働きを許可したのです。

 預言者たちは、「あなたの預言者」でした。彼らは、アハブのお気に入りとして働いていたのです。彼らは、アハブの喜ぶことを語る預言者でした。その霊は、そこに付け込んだのです。

 私たちが主の御言葉を真っ直ぐに間違いなく伝えることを願わないで、他の動機で伝えているとすれば、悪魔はそれを用いて、正しくないことを語らせるのです。多くは、自分を現すことを求めています。あるいは、自分の能力を誇る思いがあります。あるいは、公の働きをすることに喜びや満足を覚えるので働く場合もあります。働き自体に価値を見出すようになるのです。

 私たちは、聖書を研究しなければなりません。正しく書かれていることを学ぶためです。そして、その中に生きる者でなければなりません。そのうえで真理を伝えるのです。

18:23 ケナアナの子ゼデキヤが近寄って来て、ミカヤの頬を殴りつけて言った。「どの道を通って主の霊が私を離れ、おまえに語ったというのか。」

18:24 ミカヤは答えた。「あなたが奥の間に入って身を隠すその日に、あなたは思い知ることになる。」

 彼は、人前に預言者として認められることを喜ぶ人でした。ですから、王の気に入ることを語り、取り上げられることを喜びとしていたのです。しかし、その日と言われる時、彼は、奥の間に身を隠すのです。それは、王が出陣して死に、預言が嘘偽りであったことが明らかになるときです。彼は、人々から身を隠すのです。

18:25 イスラエルの王は言った。「ミカヤを捕らえよ。町の長アモンと王の子ヨアシュのもとに連れて行き、

18:26 王がこう命じたと言え。『この男を獄屋に入れ、私が無事に帰るまで、わずかなパンと、わずかな水だけ与えておけ。』」

18:27 ミカヤは言った。「もしも、あなたが無事に戻って来ることがあるなら、主は私によって語られなかったということです。」そして、「すべての民よ、聞きなさい」と言った。

18:28 イスラエルの王とユダの王ヨシャファテは、ラモテ・ギルアデに攻め上った。

 王は、ミカヤを捉えました。自分に気に入らないことを語ったということで預言者を捕らえたのです。彼は、語られた言葉の意味を考えませんでした。問題は、それが自分にとって気にいるかどうかではなく、それが神の言葉であるならば自分に適用して考えなければならないのです。神の言葉であるならば必ず実現します。

 王は、その言葉に心を留めることなく、戦いに上っていったのです。

 この時、ヨシャパテは、ミカヤの言葉を心に留めませんでした。また、預言者に対するアハブの取り扱いについて何も言っていません。神を恐れているのであれば、アハブの行動は、許されるものではありません。しかし、姻戚関係にある者に対して、何も言えませんでした。悪と手を結ぶならば、正しい行動が取れないのです。

18:29 イスラエルの王はヨシャファテに言った。「私は変装して戦いに行きます。しかし、あなたは自分の王服を着ていてください。」イスラエルの王は変装し、彼らは戦いに行った。

 アハブは、変装し、ヨシャパテには王服のままで行くように求めました。彼は、ミカヤの言葉を拒みましたが、ミカヤの預言したことが実現しないように手を打ったのです。自分が王であることが知られなければ、打たれることはないと踏んだのです。別に王を立てておけば、なおさら安心です。

18:30 アラムの王は、自分の配下の戦車隊長たちに次のように命じた。「兵とも将軍とも戦うな。ただイスラエルの王だけを狙って戦え。」

18:31 戦車隊長たちはヨシャファテを見ると、「あれがイスラエルの王に違いない」と思い、彼と戦おうとして取り囲んだ。ヨシャファテが助けを叫び求めたので、主は彼を助けられた。神は彼らを、彼から引き離された。

 ヨシャパテは、王服を着ていて狙われましたが、助けを叫び求めた時、主は彼を助け出されました。

18:32 戦車隊長たちは、彼がイスラエルの王ではないことを知ると、彼を追うことをやめて引き返した。

18:33 そのとき、ある一人の兵士が何気なく弓を引くと、イスラエルの王の胸当てと草摺の間を射抜いた。王は戦車の御者に言った。「手綱を返して、私を陣営から出させてくれ。傷を負ってしまったから。」

18:34 その日、戦いは激しくなった。イスラエルの王は、アラムに向かって夕方まで戦車の中で立っていたが、日没のころになって死んだ。

 しかし、誰も王を狙わないのに、王は弓に打たれました。しかも、それは、死に至る傷でした。血管を射抜いたものと考えられます。預言通りになったのです。変装したこともなんの役にも立ちませんでした。主は、このように御心を実現されます。