歴代誌第二15章

15:1 すると、オデデの子アザルヤに神の霊が臨んだ。

15:2 彼はアサの前に進み出て、言った。「アサおよび、すべてユダとベニヤミンの人々よ、私の言うことを聞きなさい。あなたがたが主とともにいる間は、主はあなたがたとともにおられます。もし、あなたがたがこの方を求めるなら、あなたがたにご自分を示してくださいます。もし、あなたがたがこの方を捨てるなら、この方はあなたがたを捨ててしまわれます。

 アザルヤに神の霊が臨み、アサに告げました。そのアサは、主に依り頼んで勝利しました。彼には、主の主権を認め、主に委ねる信仰がありました。彼は、御名の栄光の現れを求めましたが、主は、それに応えられたのです。彼は、主の目に適ったのです。そのときに、この言葉が与えられました。それは、幸いな信仰の状態を継続することを求める言葉です、

 彼らが主とともにいる間は、主が彼らとともにおられます。主とともにいることが条件です。主と共にいることは、偶像を除き、律法を守ることです。

 そして、彼らが求めるならば、ご自分を示してくださいます。求めることは、アサが戦いにおいて御名の現れを求めたように求めることです。その時、御名を現してくださいました。一方、主を捨てるならば、捨てられるのです。

15:3 長年の間、イスラエルにはまことの神もなく、教師となる祭司もなく、律法もありませんでした。

15:4 しかし、苦しみの中で、彼らがイスラエルの神、主に立ち返り、この方を慕い求めたところ、主は彼らにご自分を示してくださいました。

15:5 この時期には、出て行く者にも、入って来る者にも平安がありませんでした。国々に住むすべての人々に数々の大きな騒乱があったからです。

15:6 そして、国は国に、町は町に逆らい、彼らはともに打ち砕かれてしまいました。神があらゆる苦しみをもって、彼らをかき乱されたからです。

 そして、かつて先祖が経験したことを示し、主に立ち返って、主を慕い求めた時、主はご自分を示してくださいました。それは、具体的には、この時期には、騒乱があり、「平安←完全さ」がなかったのです。そして、国々や町々は互いに逆らい、ともに打ち砕かれました。それは、神があらゆる「苦しみ→災い」をもって彼らを砕かれたからです。

 完全さがないことが、打ち砕かれたこととして説明されています。民の心に平安があるかどうかは、大きな問題ではないのです。神に背いた者に対する裁きとして、平安が奪われたというのは、裁きとしては弱すぎます。彼らは、物理的に破壊を経験したのです。

15:7 しかし、あなたがたは勇気を出しなさい。力を落としてはなりません。あなたがたの働きには報いがあるからです。」

 しかし、このように神が働かれるとき、確かな救いが与えられるのです。ですから、勇気を出し、力を落としてはならないのです。主が助けてくださるのですから、力を落とす必要はないのです。

 さらに、勧めが続き、働きには報いがあることを示しました。これは、大きな動機づけになります。神に従い、神の御心を行うのであれば、報いがあるのです。彼らは、この地上で報いを受けるし、永遠の栄光を受けるのです。

15:8 アサは、これらのことばと預言者オデデの預言を聞いて奮い立ち、ユダとベニヤミンの全地、また彼がエフライムの山地で攻め取った町々から、忌むべき物を除いた。そして、主の宮の玄関の前にあった主の祭壇を新しくした。

 アサは、神の言葉を聞いたとき、これに応じました。「奮い立ち」とあるように、強い情熱をもって実行しようとしたのです。そして、ユダ、ベニヤミン、及びエフライムの占領地から忌むべきものを除きました。さらに、主の宮の祭壇を新しくしました。彼は、進んで良いことを心がけたのです。

15:9 彼は、ユダとベニヤミンのすべての人々、およびエフライム、マナセ、シメオンから来て彼らのもとに寄留している人々を集めた。その神、主がアサとともにおられるのを見て、イスラエルから多くの人々が彼のもとに下って来ていたのである。

15:10 彼らはアサの治世の第十五年の第三の月にエルサレムに集まった。

 北のイスラエル王国から、その地を離れて、ユダに寄留する人々がありました。彼らがそうした理由は、彼らの神、主がアサとともにおられるのを見たからです。彼ら自身が主を神として従っていました。アサは、ユダとベニヤミン、及びそれらの人々は、エルサレムに集まりました。

15:11 その日、彼らは自分たちが携えて来た分捕り物の中から、牛七百頭と羊七千匹を主にいけにえとして献げた。

 彼らは、非常に多くの捧げものを捧げ、彼らが主を求めていることを現しました。

 数字の七百は、七つの百です。七は、満たす意味での完全さを表し、百は、聖別を表します。牛は、しもべを表します。しもべとして従い、完全に聖別されることを表しています。彼らは、その数によって、主に従い、性別されることを表明したのです。また、羊の七千は、七つの千です。七は、完全さ、千は、牛の頭と同じ語です。しもべとして従うことを表します。羊は、神に従う従順を表しています。神に完全に従うことを表しています。

15:12 彼らは契約を結び、心を尽くし、いのちを尽くして、父祖の神、主を求めることと、

15:13 だれでもイスラエルの神、主を求めない者は、小さな者も大きな者も、男も女も、死刑にされることとした。

 彼らは、契約を結びました。

一、心を尽くし

 心は、御言葉を受け入れる部分すなわち座を表しています。御言葉に従う座を含むこともありますが、次の「いのち」の項目が併記されていますので、これは、御言葉を受け入れる座を表しています。

 心を尽くすのです。神の言葉をことごとく受け入れるのです。

二、いのちを尽くして

 「いのち」と訳されている語は、「たましい」のことです。これは、神の言葉に従う座です。御言葉を受け入れて、あらゆる点において従うのです。

 彼らは、心とたましいを尽くして父祖の神主に従うという契約を結びました。父祖の神は、アブラハム、イサク、ヤコブの神のことで、当時の人々が求めた偶像ではないことを表しています。

 そして、イスラエル神、主を求めない者は、死刑にされることとしました。

・「心」→内面全体。契約の忠実さや反抗が決まる決定的な場。

・「いのち」→たましい。神の言葉に従う座。

15:14 彼らは大声で喜びの叫びをあげ、ラッパと角笛を吹いて、主に誓いを立てた。

 彼らは、その契約を喜びました。そして、彼らは、喜びをもって誓いを立てました。大声で叫び、ラッパと角笛を吹き鳴らしたことは、彼らがその誓いを大いに喜んで立てたことを表しています。

15:15 ユダの人々はみなその誓いを喜んだ。それは、彼らが心のすべてをもって(また、たましいのすべてをもって)誓いを立て、ただ一筋に主を慕い求め、そして主がご自分を彼らに示されたからである。主は周囲の者から守って彼らに安息を与えられた。

 さらに、彼らは、その誓いを喜んだことが記されています。なぜならば、彼らが、全ての心とすべてのたましいから誓いを立てたこと、「主をひたすら探し求め、そして、主は彼らに見出されました。」主がご自分を彼らに示されたからです。主に従うことで、主が応えられるのを見たからです。具体的には、周囲の者から守り、安息を与えられたことです。ですから、そのような結果を見るには多少の時間がかかりますが、それを見て、喜んだのであって、実際に従うことで、主の現れを見たのです。主の力を経験し、主の栄光を見たのです。

・「求め」→探す。強意語幹、能動態。ただ一筋に主を慕い求め。

15:16 また、アサ王は、母マアカがアシェラのために憎むべき像を造ったので、彼女を皇太后の位から退けた。アサはその憎むべき像を切り倒して粉々に砕き、これをキデロンの谷で焼いた。

 アサの母が偶像を作りました。アシェラは、幸運と幸福の神です。彼女は、王の母という立場にありながら、自分の幸いだけを追求したのです。王の証しを支えるのではなく、これを壊したのです。

 彼女は、「皇太后すなわち王の母という地位」から退けられました。身内の者を処罰することには、強い意志が必要です。また、身内を正しく処置しなければ、証しが立たないのです。

 また、アシェラ像を粉々に砕き、キでロンの谷で焼くことで、偶像を排斥する強い意志を示しました。

15:17 高き所はイスラエルから取り除かれなかったが、アサの心は生涯、全きものであった。

 偶像礼拝にしばしば用いられる高き所は、取り除かれませんでした。しかし、彼は、偶像礼拝をすることはなかったのです。「心は生涯、全きものであった」とあり、神様の言葉を受け入れ、御心に従う心において、全き物でした。

15:18 彼は、父が聖別した物と自分が聖別した物、銀、金、器を、神の宮に運び入れた。

 彼は、父アビヤと自分が聖別したものを神の宮に運び入れました。彼自身が神様に喜んで捧げました。

15:19 アサの治世の第三十五年まで、戦いは起こらなかった。