歴代誌第二12章
12:1 レハブアムの王位が確立し、彼が強くなると、彼は主の律法を捨て、彼とともにいた全イスラエルもそうした。
彼が律法を捨てたきっかけとなったのは、彼が強くなったときです。全イスラエルとは、ユダとベニヤミンです。一人の王の行動は、民全体に影響を及ぼしました。全イスラエルもそうしたのです。
箴言
29:12 支配者が偽りのことばに聞き入るなら、従者たちもみな悪しき者になる。
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12:2 さて、レハブアム王の第五年に、エジプトの王シシャクがエルサレムに攻め上って来た。イスラエルが主の信頼を裏切っていたからである。
レハブアムに力が与えられたのは、主によります。しかし、その主の手の内にありながら背いたのです。それで、エジプト王が攻め上りました。
・「主の信頼を裏切った」⇢「主の内で背いた」
12:3 一緒に来たのは、戦車千二百台、騎兵六万人。彼とともにエジプトから来た兵たち、すなわち、ルブ人、スキ人、クシュ人は数えきれないほどであった。
12:4 彼はユダに属する防備の町々を攻め取り、エルサレムまで攻め寄せて来た。
12:5 そのとき、預言者シェマヤが、シシャクのことでエルサレムに集まっていたレハブアムとユダの首長たちのもとに来て言った。「主はこう言われる。『あなたがたがわたしを捨てたので、わたしもあなたがたを捨てて、シシャクの手に渡した。』」
レハブアムと首長たちは、この問題のためにエルサレムに集いました。彼らは、この問題に対していかに対応するかを話し合うために集ったのです。そこに、預言者が遣わされ、なぜこの事が起こったかを明確に示されました。
起こった問題に対して、その対応だけを考えるならば、エジプトが悪いということになり、それに対してどのように対応するかということになります。しかし、預言者が示したことは、全てこれらは、主によること、そして、その原因は、彼らが主を捨てたことにあることを示されました。一節には、「律法を捨て」とあり、律法を守らない状態が指摘されています。そのことが、主を捨てることとして示されています。主の言葉に背くことは、主に背くことであるのです。
私たちは、聖書の言葉に従わないことを軽く考えてはいけますせん。それは、主に背くことです。
神様の裁きは、正当であって、彼らが主を捨てたので、主は、彼らを捨てたのです。
12:6 すると、イスラエルの首長たちと王はへりくだり、「主は正しい」と言った。
彼らは、謙りました。最初に首長のことが記されています。首長たちのほうが先に謙ったのです。王は、後でした。レハブアムは、即座に主に従うということができない人です。彼は、遅れを取りました。
12:7 主が、彼らのへりくだった様子をご覧になると、シェマヤに次のような主のことばがあった。「彼らがへりくだったので、わたしは彼らを滅ぼさない。間もなく彼らに救いを与える。わたしの憤りがシシャクの手を通してエルサレムに注がれることはない。
主は、彼らが謙った様子をご覧になられ、救いを与えることを示されました。徹底的に滅ぼすことをしなかったのです。
「へりくだる」という語は、「膝をかがめる」という原意があり、征服するあるいは服従するという意味です。ここでは、自分自身を主に服従させたということです。彼らが律法を捨てたことが主に対する高ぶりです。ここでは、それを止めて、主に服従したのです。謙るというのは、主の言葉に完全に服従することを表しています。
12:8 ただし、彼らはシシャクのしもべとなる。わたしに仕えることと地の諸王に仕えることの違いを知るためである。」
そして、謙るというのは、しもべとして仕えることを表しています。しもべは、主人に服従するのです。
彼らへの懲らしめとして、シシャクに仕えるようにされました。それは、彼らが、この世の王ではなく、主に仕えることの幸いを思い知るためです。
12:9 エジプトの王シシャクはエルサレムに攻め上り、主の宮の財宝、王宮の財宝を奪い取った。彼は何もかも奪い取った。ソロモンが作った金の盾も奪い取った。
シシャクは、宮の財宝、王宮の財宝、金の盾を奪いました。それらは、繁栄のしるしです。しかし、それらすべてを失うことで、主を捨てることの意味を彼らは、思い知ったのです。繁栄を逃すのです。
主を捨てた彼らには、それらは、単なる虚飾に過ぎませんでした。主は、彼らから繁栄を奪うことで、彼らが主の前に全く価値のないものになっていることを思い知らせたのです。
12:10 レハブアム王は、その代わりに青銅の盾を作り、これを王宮の門を守る近衛兵の隊長の手に託した。
12:11 王が主の宮に入るたびに、近衛兵が来てこれを運んで行き、また近衛兵の控え室に戻した。
王は、青銅の盾を作りました。それは、実用的なものであるとともに、王は、金の盾を使用する価値がないことを自ら言い表しています。
そして、その盾は、彼が宮に入るたびに用いられました。そのことによって、彼は、自分が価値のない者であることを人々の目に晒すことになりました。また、彼が宮に上ることを頻繁に行ったことが伺え、主に仕える様子を見ることができます。
12:12 王がへりくだったとき、主の怒りは彼を離れ、主は徹底的に滅ぼすことはされなかった。ユダにも良いことがあったのである。
そして、この節が記されていることで、前節は、彼の謙りを証明するために記されていることがわかります。
主は、その謙りをご覧になられて、怒りを止められ、徹底的に滅ぼすことをしませんでした。
それをされたもう一つの理由も記されています。それは、ユダにも良いことがあったからということです。神様は、善悪を総合的に判断されます。一つのことだけで全てを決定されるわけではないことがわかります。
12:13 レハブアム王はエルサレムで勢力を増し、国を治めた。レハブアムは四十一歳で王となり、主がご自分の名を置くためにイスラエルの全部族の中から選ばれた都、エルサレムで十七年間、王であった。彼の母の名はナアマといい、アンモン人であった。
レハブアムに対する総括は、彼が勢力を増し加えたことです。そのことは、主が選ばれた都を治める王としての評価です。彼は、まさにそのことのために選ばれたのです。「主の名を置く」すなわち、イスラエルの中に臨在されることを現すためにこの都を選ばれたのです。そのために、王は治めるべきなのです。そして、その繁栄は、主の御名の現れとなるのです。
教会が心から神の御言葉に従って生きることで霊的に繁栄するならば、教会を通して主の栄光が現されるのです。
12:14 彼は悪事を行った。心を定めて主を求めることをしなかったのである。
彼の母がアモンの女であることと、この節で、王が悪事を行ったことが関連付けられています。彼は、心定めて主を求めることを幼い時から教え込まれていなかったといえます。彼は、三年でその歩みを捨てたのです。あまりにも早すぎます。すなわち、身に付いていないということです。
12:15 レハブアムについての事柄、それは最初から最後まで、『預言者シェマヤと先見者イドの働き』に、系図にしたがって確かに記載されている。レハブアムとヤロブアムの間には、いつも戦いがあった。
歴代誌のレハブアムに関する記事は、シャマヤとイドの記録を依拠として記されています。しかし、その記述は、必ずしも列王記とは同じものではなく、同じ史実を元にしながら、異なる観点から記されています。
そして、ヤロブアムとの戦いがいつまでも続いたことが記されています。ヤロブアムが主を完全に捨てた時、一致することはできませんでした。それにしても、戦いを続けることはふさわしいことではありませんでした。互いに主を認め、主に服従するのでないならば、一致はないのです。
12:16 レハブアムは先祖とともに眠りにつき、ダビデの町に葬られた。彼の子アビヤが代わって王となった。
彼は、ダビデの系図を次ぐ王として、ダビデの町に葬られました。