歴代誌第二10章
10:1 レハブアムはシェケムへ行った。全イスラエルが彼を王とするために、シェケムに来ていたからである。
10:2 ネバテの子ヤロブアムはソロモン王の顔を避けてエジプトに逃れていたが、レハブアムのことを聞いたとき、ヤロブアムはエジプトから戻って来た。
10:3 人々が使者を遣わして、ヤロブアムを呼び寄せたので、彼は全イスラエルとともにやって来て、レハブアムに言った。
10:4 「あなたの父上は、私たちのくびきを重くしました。今、あなたは、父上が私たちに負わせた過酷な労働と重いくびきを軽くしてください。そうすれば、私たちはあなたに仕えます。」
ヤロブアムがエジプトから戻ってきたのは、神様の預言による命令があったからです。
列王記第一
11:29 そのころ、ヤロブアムがエルサレムから出て来ると、シロ人で預言者であるアヒヤが道で彼に会った。アヒヤは新しい外套を着ていた。彼ら二人だけが野にいた。
11:30 アヒヤは着ていた新しい外套をつかみ、それを十二切れに引き裂き、
11:31 ヤロブアムに言った。「十切れを取りなさい。イスラエルの神、主はこう言われる。『見よ。わたしはソロモンの手から王国を引き裂き、十部族をあなたに与える。
11:32 ただし、ソロモンには一つの部族だけ残る。それは、わたしのしもべダビデと、わたしがイスラエルの全部族の中から選んだ都、エルサレムに免じてのことである。
11:33 というのは、人々がわたしを捨て、シドン人の女神アシュタロテや、モアブの神ケモシュや、アンモン人の神ミルコムを拝み、父ダビデのようには、わたしの目にかなうことを行わず、わたしの掟と定めを守らず、わたしの道に歩まなかったからである。
11:34 しかし、わたしはソロモンの手から王国のすべてを取り上げることはしない。わたしが選び、わたしの命令と掟を守った、わたしのしもべダビデに免じて、ソロモンが生きている間は、彼を君主としておく。
11:35 わたしは彼の子の手から王位を取り上げ、十部族をあなたに与える。
11:36 彼の子には一つの部族を与える。それは、わたしの名を置くために選んだ都エルサレムで、わたしのしもべダビデが、わたしの前にいつも一つのともしびを保つためである。
11:37 わたしがあなたを召したなら、あなたは自分の望むとおりに王となり、イスラエルを治める王とならなければならない。
11:38 もし、わたしが命じるすべてのことにあなたが聞き従い、わたしの道に歩み、わたしのしもべダビデが行ったように、わたしの掟と命令を守って、わたしの目にかなうことを行うなら、わたしはあなたとともにいて、わたしがダビデのために建てたように、確かな家をあなたのために建て、イスラエルをあなたに与える。
11:39 このために、わたしはダビデの子孫を苦しめる。しかし、それを永久に続けはしない。』」
――
「全」イスラエルは、ソロモンが課した労働とくびきを軽くすることを願いました。これは、ユダも含まれています。その時、ヤロブアムを先頭に立てたのです。彼は、手腕家ですから、この要求をしたのです。レハベアムが拒否するならば、背く理由になります。また、負担を減らすことに同意したとしたならば、ヤロブアムへの信望は厚くなり、民を惹き付けていずれ背く機会を得ることができるのです。さらに、彼には、神の預言がありました。このような要求をして事を起こせば、必ず神様が働く確信がありました。
しかし、彼が分裂をもたらした方法は、民の肉的な欲求を満たすことでした。そして、王に逆らわせることでした。彼は、手腕家と言われた人ですから、どのようにしたら民を動かすことができるかを分かっていました。しかし、彼の方法は、肉的です。神の預言の言葉を信じて、あくまでも正しく行動することはできませんでした。
今日、教会が分裂すること自体、正しいことではありません。多くは、その分裂において、肉が強く働き、互いを受け入れることができず、分裂に至るのです。
10:5 するとレハブアムは彼らに、「三日たったら、私のところに戻って来るがよい」と言った。そこで民は出て行った。
10:6 レハブアム王は、父ソロモンが生きている間ソロモンに仕えていた長老たちに、「この民にどう返答したらよいと思うか」と相談した。
10:7 彼らは王に答えた。「もし、あなたがこの民に優しくし、彼らに好意を示し、彼らに親切なことばをかけてやるなら、彼らはいつまでもあなたのしもべとなるでしょう。」
長老は、適切な判断力を持っていました。民の不満を抑えるためには、民の心を掴む必要があります。民に優しくすることでそれを実現できます。具体的には、民に「優しくし」⇢「求めに喜んで応える態度:他の箇所では、神が「いつくしみ深い」と訳される言葉です。」、「好意を示し⇢好意をもって受け入れる」、「親切な言葉⇢「優しくし」と同じ語でいつくしみ深いとも訳され、「求める者に喜んで応える態度を表す」言葉」をかけることです。
・「優しくし」⇢求めに喜んで応える態度:他の箇所では、神が「いつくしみ深い」と訳される言葉です。
10:8 しかし、王はこの長老たちが与えた助言を退け、自分とともに育ち、自分に仕えている若者たちにこう相談した。
10:9 「この民に何と返答したらよいと思うか。彼らは私に『あなたの父上が私たちに負わせたくびきを軽くしてください』と言ってきたのだが。」
10:10 彼とともに育った若者たちは答えた。「『あなたの父上は私たちのくびきを重くしました。けれども、あなたはそれを軽くしてください』と言ってきたこの民には、こう答えたらよいでしょう。『私の小指は父の腰よりも太い。
10:11 私の父がおまえたちに重いくびきを負わせたのであれば、私はおまえたちのくびきをもっと重くする。私の父がおまえたちをむちで懲らしめたのであれば、私はサソリを使う』と。」
王が長老たちの助言に満足せず、若者たちに相談を持ちかけたのは、王自身の心が民の要求どおりにすることを好まなかったからです。若者たちは、王の心を推し量り、王が満足するような答えを返しました。それは、民に強い態度で臨み、もっと負担を重くするというものです。しかし、これでは、民の心を掴むことはできないことは明らかです。
二者の判断は、明らかです。長老は、将来の安定を考えて判断しました。「いつまでもあなたのしもべとなるでしょう。」と勧めています。若者には、将来を見据えた判断はありませんでした。今、王としての権威を示すことができればそれで良いと考えたのです。
テモテ第一
3:6 また、信者になったばかりの人であってはいけません。高慢になって、悪魔と同じさばきを受けることにならないようにするためです。
――
信者になったばかりの人は、特に年齢が問題ではなく、判断の未熟さが問題とされます。十分に霊的な訓練を受けて、適切な判断ができる人が監督者として求められているのです。王に仕えていた若者たちは、当然のことながら霊的経験が未熟なのです。近視眼的な判断に陥ったのです。長老は、将来のことも含めて総合的に判断することできました。長老の長老たるゆえんは、霊的経験の深さです。
10:12 ヤロブアムとすべての民は、三日目にレハブアムのところに来た。王が「三日目に私のところに戻って来るがよい」と命じたからである。
10:13 王は彼らに厳しく答えた。レハブアム王は長老たちの助言を退け、
10:14 若者たちの助言どおりに民に答えた。「私はおまえたちのくびきを重くする。私はそれをもっと重くする。私の父がおまえたちをむちで懲らしめたのなら、私はサソリを使う。」
10:15 王は民の願いを聞き入れなかった。神がそう仕向けられたからである。それは、かつてシロ人アヒヤを通してネバテの子ヤロブアムに告げられたことばを主が実現されるためであった。
レハブアムは、若者の勧めの言葉通りに答えました。民の願いを聞き入れないという結果になったのです。そのようになったのは、神が仕向けられたからであると記されています。そして、かつて告げられた預言どおりに事は成就するのです。神様は、誘惑することのない方です。しかし、神様は、悪魔が働くことを許されたのです。レハブアムの心にある思いに従って行動するように誘惑したのです。
テモテ第二
4:1 神の御前で、また、生きている人と死んだ人をさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現れとその御国を思いながら、私は厳かに命じます。
4:2 みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。
4:3 というのは、人々が健全な教えに耐えられなくなり、耳に心地よい(原意:こすり取る⇢かゆいところに手が届く)話を聞こうと、自分の好みにしたがって自分たちのために教師を寄せ集め、
4:4 真理から耳を背け、作り話にそれて行くような時代になるからです。
――
王の心は、自分の考えに合う助言者を求めたのです。自分に都合の良い教師を集めるのは、かゆいところに手が届くような教えをするからです。自分の考えにあった教えをしてくれるからです。健全な教えに耐えられないのです。健全な教えは、肉を捨てることを教えるからです。肉を満足させるような教えを好むのです。
10:16 全イスラエルは、王が自分たちに耳を貸さないのを見てとった。そこで、民は王にことばを返した。「ダビデのうちには、われわれのためのどんな割り当て地があろうか。エッサイの子のうちには、われわれのためのゆずりの地はない。イスラエルよ、それぞれ自分の天幕に帰れ。ダビデよ、今、あなたの家を見よ。」全イスラエルは自分たちの天幕に帰って行った。
ダビデに従っていっても、自分たちにとって良いものは何もないと言ったのです。自分の天幕に帰れと言ったのは、ダビデに従うのではなく、自分たちの道を行けと言ったのです。ダビデよ、今あなたの家を見よとは、あなたには、ついていく民はないという意味です。何も残るまいという意味です。
10:17 ただし、ユダの町々に住むイスラエルの子らにとっては、レハブアムがその王であった。
民が天幕に帰っていったことが、レハブアムの支配を離れることであることがこの言葉で分かります。ユダの町々の民だけが、レハブアムの支配に残りました。
10:18 レハブアム王は役務長官ハドラムを遣わしたが、イスラエルの人々は彼を石で打ち殺した。レハブアム王はやっとの思いで戦車に乗り込み、エルサレムに逃げた。
10:19 このようにして、イスラエルはダビデの家に背いた。今日もそうである。
イスラエルの人々は、役務長官を石で撃ち殺しました。明らかな反逆の態度を示したのです。このように、レハブアムは、イスラエルを治めることができませんでした。良かれと思った判断は、全くの間違いであったことを知ったのです。