出エジプト記39章

39:1 彼らは、青、紫、緋色の撚り糸で、聖所で務めを行うための式服を作った。また、主がモーセに命じられたとおりに、アロンの聖なる装束を作った。

39:2 金色、青、紫、緋色の撚り糸、それに撚り糸で織った亜麻布を用いて、エポデを作った。

39:3 彼らは金の板を打ち延ばして金箔を作り、これを切って糸とし、青、紫、緋色の撚り糸に撚り込み、それぞれ亜麻布の中に意匠を凝らして織り込んだ。

 祭司の服を作りました。その色は、主イエス様の栄光を表す色です。青は、神を表し、紫は、ユダヤ人の王を、緋色は、ご自分を捨てたこととそれに伴う栄光についてすなわちしもべを、亜麻布は、人を表しています。大祭司の服は、金色が加わります。この金色は、金を打ち伸ばして糸としたものを拠り込んだものです。金は、義を表しています。

ヨハネ第一

2:1 私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。しかし、もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の前でとりなしてくださる方、義なるイエス・キリストがおられます。

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 この方が大祭司としての役割を担うためには、人として義であったことが必要です。そうでないと、罪人を執り成すことができません。

39:4 エポデに付ける肩当てが作られ、それぞれがエポデの両端に結ばれた。

39:5 エポデの上に来るあや織りの帯はエポデと同じ作りで、金色、青、紫、緋色の撚り糸、それに撚り糸で織った亜麻布を用い、エポデの一部となるようにした。主がモーセに命じられたとおりである。

 帯は、力強い働きを表しています。大祭司としての役割を力をもって果たすことを表しています。

39:6 彼らは縞めのうを金縁の細工の中にはめ込んだ。それには、イスラエルの息子たちの名が、印章を彫るように刻まれていた。

39:7 彼らはそれらをエポデの肩当てに付け、イスラエルの息子たちが覚えられるための石とした。主がモーセに命じられたとおりである。

 肩に担われる瑪瑙は、イスラエルの子たちの出生による名であり、人としてのイスラエルの子たちを表しています。いわば、人としての弱さを持つ者を担うためです。息子たちが覚えられるためです。

39:8 また、意匠を凝らして、エポデの細工と同じように、金色、青、 紫、 緋色の撚り糸、 それに撚り糸で織った亜麻布を用いて、胸当てを作った。

39:9 正方形で二重にしてその胸当てを作った。 長さは一ゼレト、 幅一ゼレトで、 二重であった。

 胸当ては、二十八章には「裁きの胸当て」と記されていて、これがイスラエルに対する「評決」を意味していることがわかります。どのような基準で裁かれかが示されています。この裁きは、イスラエルに対する評価のための裁きです。求められている基準は、胸当てを構成する色がイエス様の栄光を表しているように、イエス様が評価の基準になります。

 その長さと幅は、一ゼレトでひとり子の御子の栄光を表しています。それは、人となられたとき、恵みと真に満ちていることでひとり子の御子としての栄光を現されましたが、それと同じものを現すことが評価の基準です。

 それが胸に置かれました。胸は、愛情の比喩です。単に人を裁いて評価するだけではなく、高い評価を受けるために働かれる方です。その際、ご自分の愛を知らせます。その愛を知ることで、人は、神と同じ者に変えられるのです。

エペソ

3:16 どうか御父が、その栄光の豊かさにしたがって、内なる人に働く御霊により、力をもってあなたがたを強めてくださいますように。

3:17 信仰によって、あなたがたの心のうちにキリストを住まわせてくださいますように。そして、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、

3:18 すべての聖徒たちとともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、

3:19 人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。そのようにして、神の満ちあふれる豊かさにまで、あなたがたが満たされますように。

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 ヘブル書では、大祭司の役割は、苦しみを受けて完全な者とされた方がその役割を担うことが記されています。苦しみは、肉との戦いによる苦しみです。そして、完全な者とされたのです。それと同じように信者が歩むように、そして、完全にされるように働くのが大祭司の役割です。主は、その模範を示されたのです。ここには、信者を変えようとする大祭司の役割が記されています。

39:10 その中に四列の宝石をはめ込んだ。第一列は赤めのう、トパーズ、エメラルド。

39:11 第二列はトルコ石、サファイア、ダイヤモンド。

39:12 第三列はヒヤシンス石、めのう、紫水晶。

39:13 第四列は緑柱石、縞めのう、碧玉。これらが金縁の細工の中にはめ込まれた。

39:14 これらの宝石はイスラエルの息子たちの名にちなむもので、彼らの名にしたがい十二個であった。それらは印章のように、それぞれに名が彫られ、十二部族を表した。

 その数は、十二で神の支配のもとにあることを表していて、いかに神に従うかが評価されます。三個ずつ四列です。三は、完全を表し、四は、あまねくを表しています。あらゆる点において完全であることが求められています。

39:15 また、胸当てのために、撚ったひものような鎖を純金で作った。

 純金は、神聖を表します。

39:16 彼らは金縁の細工二個と金の環二個を作り、二個の環を胸当ての両端に付けた。

39:17 胸当ての両端の二個の環には、二本の金のひもを付けた。

39:18 その二本のひものもう一方の端を、先の二つの金縁の細工と結び、エポデの肩当ての前側に付けた。

 純金の紐は、胸当ての両端につけられた金の環に片方の端がつけられ、もう一端は、金縁に付けられました。その金縁の細工の中には、十二個の宝石がはめ込まれています。純金の紐の中間を肩当ての前側に取り付けます。二本の紐が両肩に取り付けられます。純金の紐は、肩当てで折り返すことで、吊り紐は、二重になります。

 ここには、信者を義なる者と評価されるために働く父なる神とイエス様の働きが示されています。金縁にはめ込まれた宝石は、信者を表しています。その信者が義とされ神の栄光を表す者とされるために、金縁の裏にあって働く方は、胸当てとして表されているイエス様です。キリストは、信者のうちに住まれて働かれ、信者を神と同じもの変えようとされます。純金の鎖は、信者に働きかける神とイエス様の権威と力を表しています。それが肩から伸びていることでそのことを表しています。

 そのうちの一本は、父の権威と力を表しています。それは、胸当てに繋がれています。胸当ては、イエス様を表しますが、父は、イエス様を通して信者に働きかけられられます。イエス様は、父におられ、父は、イエス様におられます。それと同じように、信者は、イエス様におり、イエス様は、信者におられます。

 父は、全能の力をもって信者のうちに働かれます。そのとき、キリストを通して働かれるのです。キリストは、人知を遥かに超えた愛を知らせることで、信者に働き、信者を変えようとされます。

 また、紐が二重であることは、父と御子の守りを教えています。

ヨハネ

10:28 わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは永遠に、決して滅びることがなく、また、だれも彼らをわたしの手から奪い去りはしません。

10:29 わたしの父がわたしに与えてくださった者は、すべてにまさって大切です。だれも彼らを、父の手から奪い去ることはできません。

10:30 わたしと父とは一つです。」

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39:19 さらに二個の金の環を作り、それらを胸当ての両端に、エポデに接する胸当ての内側の縁に付けた。

39:20 また、さらに二個の金の環を作り、これをエポデの二つの肩当ての下端の前に、エポデのあや織りの帯の上部の継ぎ目に、向かい合うように付けた。

39:21 胸当ては、その環からエポデの環に青ひもで結び付け、エポデのあや織りの帯の上にあるようにし、胸当てがエポデから外れないようにした。主がモーセに命じられたとおりである。

 さらに青い紐によって胸当ては吊られています。胸当ての部分は、金の環が胸当てのエポでに接する内側に付けられています。これは、聖霊の比喩です。青は、神を表していて、胸当ては、イエス様を表しています。その裏にあって働かれるのは、聖霊の働きです。

 三位一体の神が、全力をもって信者を神のように変え、栄光を現す者に変えられます。

39:22 また、エポデの下に着る青服を、織物の技法を凝らして青色の撚り糸だけで作った。

39:23 青服の首の穴はその真ん中にあり、よろいの襟のようで、ほころびないようにその周りに縁を付けた。

 青服は、その色から神であることを表しています。大祭司の役割は、永遠に全うされた御子によってなされます。それは、ほころびのないいつまでも続く役割なのです。

 また、技法を凝らすことは、それがいかに良い物に仕上がるかを考えて作ることを表しています。それによって栄光が現されるためです。

ヘブル

7:3 父もなく、母もなく、系図もなく、生涯の初めもなく、いのちの終わりもなく、神の子に似た者とされて、いつまでも祭司としてとどまっているのです。

7:28 律法は、弱さを持つ人間たちを大祭司に立てますが、律法の後から来た誓いのみことばは、永遠に完全な者とされた御子を立てるのです。

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39:24 青服の裾の上に、青、紫、緋色の撚り糸で撚ったざくろを作った。

 ざくろの色は、白がありません。白は、人となられた主イエス様を表しています。ざくろは、青服の一部として作られました。青服は、神としてのイエス様を表しています。青は、神を、紫は、王を、緋色は、十字架の死にまでも従われたしもべを表しています。

 青については、青服についての部分で触れました。

ヘブル

7:1 このメルキゼデクはサレムの王で、いと高き神の祭司でしたが、アブラハムが王たちを打ち破って帰るのを出迎えて祝福しました。

7:2 アブラハムは彼に、すべての物の十分の一を分け与えました。彼の名は訳すと、まず「義の王」、次に「サレムの王」、すなわち「平和の王」です。

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 この方については、義の王であり、完全さの王です。また、王であることは、ダビデの子孫として来られた方です。

へプル

7:14 私たちの主がユダ族から出られたことは明らかですが、この部族について、モーセは祭司に関することを何も述べていないのです。

7:15 もしメルキゼデクと同じような、別の祭司が立つなら、以上のことはますます明らかになります。

7:16 その祭司は、肉についての戒めである律法にはよらず、朽ちることのない、いのちの力によって祭司となったのです。

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 いのちの力によって祭司となったことの証しです。

 さて、しもべであることは、次の聖句に記されています。

ヘブル

5:7 キリストは、肉体をもって生きている間、自分を死から救い出すことができる方に向かって、大きな叫び声と涙をもって祈りと願いをささげ、その敬虔のゆえに聞き入れられました。

5:8 キリストは御子であられるのに、お受けになった様々な苦しみによって従順を学び、

5:9 完全な者とされ、ご自分に従うすべての人にとって永遠の救いの源となり、

5:10 メルキゼデクの例に倣い、神によって大祭司と呼ばれました。

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 キリストは、肉体の死を避けようとしていたわけではありません。十字架にかかって死ぬことが目的であり、肉体の死から救うことを求めたとすることは矛盾しています。これは、信者の先駆者としての模範が示されているのであり、肉を持たれたがゆえの苦しみとの戦いなのです。肉に従うことは、死なのです。肉に従うことなく歩ましめる力は、父なる神から来ます。大きな叫び声と涙は、心からの求めです。このことから、イエス様にとっても肉との戦いは、非常に厳しいものであったことがわかります。神であり、あるいは、聖霊を内住していても、肉との戦いが厳しいものなのです。

 キリストは、苦しみを受けました。御子であられるのに苦しみを受けました。人となられて、肉を持たれたので苦しみを経験されたのです。それによって従順を学びました。苦しみを受けたことで、従順を体験として知ったということです。

 それで完全な者とされました。すなわち、肉との戦いの苦しみの中で、一切肉にはよらないで歩むことで完全な者とされたのです。それで、ご自分に従うすべての人にとって、救いが確かにあることの根拠を与えるのです。この救いは、永遠の滅びからの救いではなく、神の御心を行うことで永遠の栄光としての報いを受けることです。神の御心を完全に行うことを主イエス様は、完全な模範として示されたのです。肉を持たれて成し遂げられました。肉を持った私たちも同じように歩むことができる根拠を与えたのです。

 そのうえで、この方が、メルキゼデクの例に倣う祭司に任命されました。メルキゼデクに倣うことの意味は七章に詳細に示されています。

・「肉体をもって生きている間」→肉の日々の中で。肉と苦しみが関連付けられています。肉体と肉体の苦しみではありません。なお、この祈りがゲッセマネの園での祈りでないことは明らかです。生涯の日々の間です。

・「学ぶ」→体験から知ること。

・「源」→根拠。

・「平和」→神の御心を行うことで与えられる完全さ。

39:25 また彼らは純金の鈴を作り、その鈴を青服の裾周りの、ざくろとざくろとの間に付けた。

39:26 すなわち、務めを行うための青服の裾周りには、鈴、ざくろ、鈴、ざくろとなるようにした。 主がモーセに命じられたとおりである。

 純金は、神聖さを表しています。イエス様は、人としての歩みの中に、敬虔で罪人から分離した聖なることを表され、そして、天よりも高く挙げられ神聖な方とされました。

ヘブル

7:26 このような方、敬虔で、悪も汚れもなく、罪人から離され、また天よりも高く上げられた大祭司こそ、私たちにとってまさに必要な方です。

7:27 イエスは、ほかの大祭司たちのように、まず自分の罪のために、次に民の罪のために、毎日いけにえを献げる必要はありません。イエスは自分自身を献げ、ただ一度でそのことを成し遂げられたからです。

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39:27 彼らはアロンとその子らのために、織物の技法を凝らして、亜麻布の長服を、

39:28 亜麻布のかぶり物、亜麻布の麗しいターバン、そして撚り糸で織った亜麻布のももひきを作った。

 アロンとその子らのためすなわち大祭司と祭司たちのために亜麻布の長服が作られました。技法を凝らすことは、それがいかに良い物に仕上がるかを考えて作ることを表しています。それによって栄光が現されるためです。

 長服は、白い布で、人としての清い歩みを表しています。それを着る目的は、自分を覆うためです。特に、股引きは、肉が現れないために着ることが明確に記されています。人としての歩みに求められていることは、肉を現さないことです。肉を殺し、御霊によって歩むことです。イエス様はそのように歩まれたし、祭司として仕える者も同じように肉を殺し、御霊によって歩むことが求められています。

出エジプト記

28:42 彼らのために、裸をおおう亜麻布のももひきを作れ。それは腰からももまで届くようにする。

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39:29 また、撚り糸で織った亜麻布と、青、紫、緋色の撚り糸を用い、刺繍を施して飾り帯を作った。主がモーセに命じられたとおりである。

 飾り帯は、布に刺繍された物で、四色で作られました。布地は、亜麻布で人としての清い歩みを表しています。青は、神。紫は、王。緋色は、自分を捨てることで現された栄光を意味し、しもべの比喩です。帯は、腰に巻き、それらの栄光を力強く現すことの比喩です。

39:30 また、聖別の記章の札を純金で作り、その上に印章を彫るように「主の聖なるもの」という文字を記した。

39:31 これに青ひもを付け、それを、かぶり物に上の方から結び付けた。主がモーセに命じられたとおりである。

 純金の札は、大祭司が聖であることを表すものです。聖とは、神の御心を全うすることで現される聖さです。この大祭司は、人となられて肉をお持ちになりましたが、その中で御心を何一つ欠けることなく全うされた方です。

 それは、被り物の前面につけられました。被り物は、自分を覆うことを表しています。神様の御心を全うするにあたり、御自分を覆われたことを表しています。その歩みは、ご自分を主張なさらない歩みです。完全に服従される歩みです。

 青い紐は、聖霊を表します。聖霊によって神の御心を行われたのです。

・「主の聖なる者」→「主に対して聖」

39:32 こうして、会見の天幕である幕屋のすべての奉仕が終わった。イスラエルの子らは、すべて主がモーセに命じられたとおりに行い、そのようにした。

 幕屋の奉仕は、終わりました。その仕事は、全て主がモーセに命じられたように完成しました。

39:33 彼らは幕屋をモーセのところに運んで来た。天幕とそのすべての備品、留め金、板、横木、柱、台座、

39:34 赤くなめした雄羊の皮の覆い、 じゅごんの皮の覆い、 仕切りの垂れ幕、

39:35 あかしの箱と、その棒、「宥めの蓋」、

39:36 机と、そのすべての備品、臨在のパン、

39:37 きよい燭台と、そのともしび皿、すなわち一列に並べるともしび皿、そのすべての道具、ともしび用の油、

 清い燭台は、混じり気がないことを強調しています。材質としては、純金です。主イエス様が人としての歩みの中に聖霊による輝きを現されることの比喩です。そこに混じり気はありませんでした。

39:38 金の祭壇、注ぎの油、香り高い香、そして天幕の入り口の垂れ幕、

39:39 青銅の祭壇と、それに付属する青銅の格子、その棒、そのすべての用具、洗盤とその台、

39:40 庭の掛け幕と、その柱、その台座、庭の門のための垂れ幕と、そのひも、その杭、会見の天幕の幕屋の奉仕に用いるすべての用具、

39:41 聖所で務めを行うための式服、すなわち、祭司アロンの聖なる装束と、祭司として仕える彼の子らの装束である。

39:42 イスラエルの子らは、すべて主がモーセに命じられたとおりに、そのとおりに、すべての奉仕を行った。

39:43 モーセがすべての仕事を見ると、彼らは、見よ、主が命じられたとおりに行っていた。そこでモーセは彼らを祝福した。

 モーセは、全ての仕事が主が命じられた通りに行われていたのを見ました。モーセは、彼らを祝福しました。主の命じられた通りに行うことが祝福の道であるのです。