出エジプト記37章

37:1 ベツァルエルは、アカシヤ材で、長さ二キュビト半、幅一キュビト半、高さ一キュビト半の箱を作り、

37:2 その内側と外側に純金をかぶせ、その周りに金の飾り縁を作った。

 神の箱と言われる箱を作りました。その寸法は、半キュビトを単位として、五と三です。半は、贖いを表しています。贖いは、肉にはよらず、御霊による歩みを表しています。

 五は、御心を行うことを表していて、その御霊による歩みによって御心を行われたことを表しています。

 三は、完全を表しています。神の御心は、完全に成し遂げられたのです。なお、この寸法は、幅と高さで二回記されています。三が二つの組み合わせは、しばしば記されています。三と三を合わせて六になります。それによって、人として歩まれて完全であることが表現されています。燭台の枝の数もそのような組み合わせです。

 このように、御霊により神の御心を完全に行われることで、純金によって表されている神聖が現され、神としての栄光が表されたのです。すなわち、独り子の御子の栄光です。

 金は、義を表しています。御心を成し遂げることで、義であられたのです。ただ一人、イエス様だけがそれを現されました。

37:3 箱のために金の環を四つ鋳造し、その四隅の基部に取り付けた。一方の側に二つの環を、もう一方の側にもう二つの環を取り付けた。

37:4 また、アカシヤ材で棒を作り、それに金をかぶせ、

37:5 箱を担ぐために、その棒を箱の両側の環に通した。

 四つの環は、担ぐ棒のためのものです。それは、一方の側と他の側で二つずつに分けられています。二は、証しを表していて、祭司の証しの比喩です。四は、あまねくを表していて、全ての方面に証しすることを表しています。

37:6 さらに、純金で「宥めの蓋」を作った。その長さは二キュビト半、幅は一キュビト半。

 宥めの蓋は、その呼び名によって、宥めを表しています。神様の要求を満たし、宥めたことを表しています。その寸法は、御心を行うことと完全さを表しています。神様の御心を完全に成し遂げることで、神様を宥めたのです。人は、御心を全うすることができません。イエス様だけが全うし、父によって喜ばれたのです。

・「宥め」→なだめ。「宥めの蓋」にだけ用いられる。

37:7 また、二つの金のケルビムを作った。槌で打って、「宥めの蓋」の両端に作った。

37:8 一つを一方の端に、もう一つを他方の端に作った。「宥めの蓋」の一部として、ケルビムをその両端に作った。

37:9 ケルビムは両翼を上の方に広げ、その翼で「宥めの蓋」をおおっていた。互いに向かい合って、ケルビムの顔が「宥めの蓋」の方を向いていた。

 ケルビムは、宥めの蓋の方を向いていました。ケルビムにとって注目に値するのです。ケルビムは、金で作られ義であることを表しています。御使いは、神の御心に背かずしもべとして完全に御心を行います。イエス様は、人となられてその神の御心を完全に成し遂げたのであり、肉体のない御使いにとって驚嘆なのです。翼を上の方へ広げ、宥めの蓋を覆っていたのは、そのことを表しています。関心がなければ、何の反応もなく、翼をたたんでいたでしょう。飛ぶ必要もないのに、翼を広げているのは、その驚きを表しています。金の翼が掲げられることで、宥めの蓋が表すイエス様の義を証ししています。ケルブが二つあることで、証しを表しています。

37:10 彼はアカシヤ材で机を作った。その長さは二キュビト、幅は一キュビト、高さは一キュビト半であった。

 二は、半を単位として四であまねくことを、一は、半を単位として二で証しを、一キュビト半は、半を単位として三で完全さを表しています。半は、贖われた歩みを表しています。その歩みがあらゆる方面に証しされていることを表しています。

37:11 これに純金をかぶせ、その周りに金の飾り縁を作った。

 純金は、神聖を表していて、独り子の神の栄光が現されたことを表しています。金の飾り縁は、義であることの栄光が表されてます。

37:12 その周りに一手幅の枠を作り、その枠の周りに金の飾り縁を作った。

 枠が設けられて、その外側にも金の飾り縁が作られました。二重構造になっています。いわば内と外で、内面と外に現れたものを表しています。いずれにおいても義てあったのです。

37:13 その机のために金の環を四つ鋳造し、四本の脚のところの四隅にその環を取り付けた。

37:14 その環は枠の脇に付け、机を担ぐ棒を入れるところとした。

 四つの環が鋳造されて脚のところの四隅に付けられました。それは、担ぐ棒を通すためで、祭司によって主イエス様が証しされることを表しています。

37:15 アカシヤ材で机を担ぐための棒を作り、 これに金をかぶせた。

 その棒は、机を担ぐためのもので、祭司の働きに関わることです。それは、祭司が義であって、証しを担うことを表しています。義なる方を証しする者は、義であるべきなのです。

37:16 また、机の上の備品、すなわち、注ぎのささげ物を注ぐための皿、ひしゃく、水差し、瓶を純金で作った。

 机の上の備品として、注ぎの捧げ物のための各種の器具が作られました。机は、イエス様の人としての歩みを表しています。注ぎの捧げ物が付き物であることが表されています。人としての歩みは、注ぎの捧げ物が表しているように、全てを捨てる歩みであるのです。それは、純金で作られました。神としての栄光を表していますが、ご自分を捨てることは、神がご自分を捨てた業であるのです。

ピリピ

2:6 キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、

2:7 ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、

2:8 自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。

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 ここには、神が最終的には、十字架の死にまでも従われたことが示されています。

37:17 また彼は燭台を純金で作った。その燭台は槌で打って作った。それには、台座と支柱と、(枝と)、がく(カップ)と節と花弁があった。

 燭台は、純金で、神聖すなわち神としての栄光を表しています。

 台座は、教えの比喩です。支柱は、その教えの証しを表しています。証しは、後述されるように、人となられて聖霊によってその父の御心としての教えを完全に行われたことを表しています。

37:18 六本の枝がその脇の部分から、すなわち燭台の三本の枝が一方の脇から、燭台のもう三本の枝がもう一方の脇から出ていた。

 枝があり、三本ずつ両側に出ていました。合わせて六です。六は、人を表し、三は、完全を表します。これは、人となられて完全であられたことを表しています。そのようにして、神の栄光を現されたのです。

37:19 一方の枝には、アーモンドの花の形をした、節と花弁のある三つのがくが、また、もう一方の枝にも、アーモンドの花の形をした、節と花弁のある三つのがくが付いていた。燭台から出る六本の枝はみな、そのようであった。

 アーモンドは、聖霊の比喩です。一つの枝に三つの花弁のついたがくと節です。完全に聖霊によって歩み、父の御心を行われたことが表されています。

37:20 燭台そのものには、アーモンドの花の形をした、節と花弁のある四つのがくが付いていた。

 燭台の中心の支柱には、四つの節がありがくが付いていました。四は、あまねくということを表していて、あらゆることにおいて、聖霊によって御心を行われたことを表しています。

37:21 それから出る一対の枝の下に一つの節、それから出る次の一対の枝の下に一つの節、それから出るその次の一対の枝の下に一つの節。このように六本の枝が燭台から出ていた。

 枝が六本であることが表されています。その一つ一つは、節の上に付いていて、枝によって表される行いは、聖霊によったことが表されています。

37:22 それらの節と枝は燭台と一体で、その全体は一つの純金を打って作られていた。

 槌で打って作られたことは、全てが一体のものとして作られたことを表しています。特にここでは、節と枝は純金である燭台と一体であることです。燭台は、神としての栄光を表しますが、人となられて聖霊によって歩まれたことが神としての栄光を表しているのです。

37:23 また、ともしび皿を七つ作った。その芯切りばさみも芯取り皿も純金であった。

 ともしび皿は、七つで聖霊によって光を放つことを表し、それは、満たす意味での完全です。芯は、燃えて灰になります。それは、取り除かれますが神聖なものとして扱われ、その器具も純金です。これは、自分を捨てて聖霊の輝きを現し、それも、神としての栄光を現したことを表しています。すなわち、肉をお持ちになられましたが、肉には寄らず聖霊によって完全に歩まれたことで、神としての栄光を豊かに現されたのです。

37:24 純金一タラントで、燭台とそのすべての器具を作った。

 一は、独り子の御子の栄光を表しています。はさみや芯取り皿も含め、燭台の全てが独り子の御子の栄光を表しています。人となられ、肉を持ち、その中で、肉を捨て、ご自分を捨てて聖霊によって父の栄光を現されたことが独り子の御子の栄光なのです。

37:25 彼はアカシヤ材で香の祭壇を作った。長さ一キュビト、幅一キュビトの正方形で、高さは二キュビトであった。祭壇から角が出ているようにした。

 香の祭壇は、香を捧げるための壇です。その寸法の一は、独り子の御子の栄光を表しています。二は、証しを表しています。角は、権威を表していて、神様の要求を意味します。アカシヤ材は、人となられたことを表しています。その中に独り子の御子の栄光が現される事を神様が求めておられることを表しています。

37:26 祭壇の上面と、側面のすべて、および角には純金をかぶせ、また、その周りには金の飾り縁を作った。

 その要求されていることは、純金によって現されているように、神聖であり、神としての栄光です。そして、金は、義を表しており、義の歩みによって神の独り子の御子の栄光が現されることを表しています。

37:27 また、その祭壇のために二つの金の環を作った。その飾り縁の下の両側に、相対するように作り、そこに祭壇を担ぐ棒を通した。

 金の環は、棒を通して担ぐためです。それは、祭司が証しを担うことを表しています。それは、飾り縁の下に付けられました。その証しは、この方が義であることの証しです。すなわち、神の御心を行われた方であり、義であられたことを証しするのです。それが神の目からは、独り子の神の栄光となります。霊的な人は、それを理解します。しかし、多くの人は、御子が義であることの尊さを知らず、また、それが独り子の神の栄光であることを知ることができません。人となられて義であることは、偉大なことです。

37:28 その棒をアカシヤ材で作り、それに金をかぶせた。

 その棒も、この方が人となられて義であることを表しています。それが偉大な証しなのです。

37:29 ベツァルエルはまた、調香の技法を凝らして、聖なる注ぎの油と純粋な香り高い香を作った。

 注ぎの油と、香は、技法を凝らし、最高のものとして作られました。御子の香りの偉大さを示すためです。

■アーモンドについて

民数記

17:8 その翌日、モーセはあかしの天幕に入って行った。すると見よ。レビの家のためのアロンの杖が芽を出し、つぼみをつけ、花を咲かせて、アーモンドの実を結んでいた。

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 杖が花を咲かせ実を結んでいたことは、主の選びを表していて、聖霊による選びの比喩です。そこには命があることを示し、花は、神の栄光を表し、そして、聖霊によって実を結ぶことを表しています。蕾があることは、継続して実を結び続けることを表しています。

エレミヤ書

1:11 主のことばが私にあった。「エレミヤ、あなたは何を見ているのか。」私は言った。「アーモンドの枝を見ています。」

1:12 すると主は私に言われた。「あなたの見たとおりだ。わたしは、わたしのことばを実現しようと見張っている。」

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 アーモンドの枝が示されたのは、主が見張っておられることを表すためです。見張ることは、聖霊の役割です。

黙示録

5:6 また私は、御座と四つの生き物の真ん中、長老たちの真ん中に、屠られた姿で子羊が立っているのを見た。それは七つの角と七つの目を持っていた。その目は、全地に遣わされた神の七つの御霊であった。

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 聖霊は、全地に遣わされてそこを見る目として示されています。