出エジプト記28章
28:1 あなたは、イスラエルの子らの中から、あなたの兄弟アロンと、彼とともにいる彼の息子たちのナダブとアビフ、エルアザルとイタマルをあなたの近くに来させ、祭司としてわたしに仕えさせよ。
アロンとその子たちは、祭司として召されました。
28:2 また、あなたの兄弟アロンのために、栄光と美を表す聖なる装束を作れ。
アロンのためには、「栄光」と「栄誉」を表す聖なる装束の作製が命じられました。「美」と訳されていますが、比喩として重いことを表す語です。多くは、栄誉と訳されています。
・「美」→比喩としてのみの使用。良い意味で重い。栄誉ある。見た目の美しさではなく、重い、栄誉あること。
28:3 あなたは、わたしが知恵の霊を満たした、心に知恵ある者たちに告げて、彼らにアロンの装束を作らせなさい。 彼を聖別し、祭司としてわたしに仕えさせるためである。
その装束は、心に知恵のある者たちで、神が知恵の霊を満たした者たちによって作られました。彼らの知恵は、神の霊の導きのままに従う心を持つことです。それが彼らの知恵なのです。示されたことにそのまま従う分別のある人たちです。この人たちを神が用いることができるのは、彼らが服の製作に優れた技能を持っているということによるのではなく、聖霊に完全に服従する心のある人たちであるからなのです。
今日も、神の御心の実現は、聖霊に自分を明け渡した人によってなされます。その人に語る能力があっても、その人が信仰により御霊によって歩んでいるのでなければ、用いられないのです。人前で雄弁に語ることができても、神に用いられていることにはなりません。語ること自体がその人の霊的状態に依存するのです。その内容も、その人が経験している霊的状態に依存するのです。神の言葉を正しく理解し、その中に生きている人でなければ、正しく御言葉を証することはできないのです。御言葉の理解は、情報としての理解と共に、御言葉の中に生きることで体現していることです。両方必要なのです。
28:4 彼らが作る装束は次のとおりである。胸当て、エポデ、青服、市松模様の長服、かぶり物、飾り帯。彼らは、あなたの兄弟アロンとその子らが、祭司としてわたしに仕えるために、 聖なる装束を作る。
その装束は、アロンとその子たちが祭司として仕えるために必要です。祭司の役割を担うイエス様の栄光と栄誉を現す必要があるからです。
28:5 彼らは、金色、青、紫、緋色の撚り糸、それに亜麻布を受け取る。
28:6 彼らに、金色、青、紫、緋色の撚り糸、それに撚り糸で織った亜麻布を用いて、意匠を凝らしてエポデを作らせる。
金色の糸は、金の板を打ち伸ばして金箔とし、切って糸にしたものです。純金ではありません。ですから、この金は、義を表しています。
青は、神。紫は、王。緋色は、僕となり、ご自分を捨てたことを表しています。亜麻布は、人となり聖くあられたイエス様です。
28:7 二つの肩当てが、それぞれエポデの両端に付けられ、エポデは一つに結ばれる。
28:8 エポデの上に来るあや織りの帯はエポデと同じ作りで、金色、青、紫、緋色の撚り糸、それに撚り糸で織った亜麻布を用い、エポデの一部となるようにする。
28:9 二つの縞めのうを取り、その上にイスラエルの息子たちの名を刻む。
28:10 六つの名を一つの石に、残りの六つの名をもう一つの石に、生まれた順に刻む。
28:11 印章を彫る宝石細工を施して、イスラエルの息子たちの名をその二つの石に彫り、それぞれを金縁の細工の中にはめ込む。
肩当てには、イスラエルの子らの名が刻まれました。生まれた順にその名が刻まれること、また、六つずつ刻まれます。六は、人を表しています。それは、金縁に入れられたように、義とされていることを表しています。
28:12 その二つの石をエポデの肩当てに付け、イスラエルの息子たちが覚えられるための石とする。アロンは主の前で、彼らの名が覚えられるように両肩に載せる。
両肩に載せる意味は、イスラエルの息子たちが覚えられるためです。彼らは、父のものですが、大祭司である主に委ねられたのです。神の前に覚えられるために主が担うのです。
これは、弱さを持ったイスラエルに対して、とりなしの働きをされる大祭司を表しています。全ての試みを経験された主は、彼らを取りなすことがおできになります。
28:13 あなたは金縁の細工を作り、
28:14 また二本の純金の鎖を作り、これを編んでひもとし、このひもの鎖を先の細工に取り付ける。
28:15 あなたはさばきの胸当てを意匠を凝らして作る。それをエポデの細工と同じように作る。すなわち、金色、青、紫、緋色の撚り糸、それに撚り糸で織った亜麻布を用いて作る。
裁きは、「法的な評決」のことです。評決の対象は、イスラエルです。それは、御子の栄光を表す糸と布で作られます。
それが胸に置かれました。胸は、愛情の比喩です。単に人を裁いて評価するだけではなく、高い評価を受けるために働かれる方です。その際、ご自分の愛を知らせます。その愛を知ることで、その愛に応え、信仰により、御霊によって歩むことで人は、神と同じ者に変えられるのです。
28:16 それは正方形で二重にする。 長さ一ゼレト、幅一ゼレト(手の幅:1/2キュビト)。
その大きさは、長さ、幅とも一ゼレトで、独り子の御子の栄光を表しています。これは、評決の基準が「御子」であることを表しています。御子と同じ栄光を現すことが基準とされて、評決を受けるのです。
28:17 その中に宝石をはめ込み四列にする。第一列は赤めのう、トパーズ、エメラルド。
28:18 第二列はトルコ石、サファイア、ダイヤモンド。
28:19 第三列はヒヤシンス石、めのう、紫水晶。
28:20 第四列は緑柱石、縞めのう、碧玉。これらが金縁の細工の中にはめ込まれる。
宝石は、神の栄光を表し、金縁は、義を表しています。
三個ずつ、四列です。そこには、完全さがあまねく表されることが比喩として示されていて、彼らに対する評価は、あらゆる点において神の完全さを現すことです。
28:21 これらの宝石はイスラエルの息子たちの名にちなむもので、彼らの名にしたがい十二個でなければならない。それらは印章のように、それぞれに名が彫られ、十二部族を表す。
十二は、神の支配を表しています。
イスラエルは、神の支配の中にあって、義の栄光を現すべき者とされています。
28:22 また、胸当てのために、撚ったひものような鎖を純金で作る。
28:23 胸当てのために金の環を二個作り、その二個の環を胸当ての両端に付ける。
28:24 その胸当ての両端の二個の環に、二本の金のひもを付ける。
28:25 その二本のひものもう一方の端を、先の二つの金縁の細工と結び、エポデの肩当ての前側に付ける。
純金の紐は、胸当ての両端につけられた金の環に片方の端がつけられ、もう一端は、金縁に付けられました。その金縁の細工の中には、十二個の宝石がはめ込まれています。純金の紐の中間を肩当ての前側に取り付けます。二本の紐が両肩に取り付けられます。純金の紐は、肩当てで折り返すことで、吊り紐は、二重になります。
ここには、信者を義なる者と評価されるために働く父なる神とイエス様の働きが示されています。金縁にはめ込まれた宝石は、信者を表しています。その信者が義とされ神の栄光を表す者とされるために、金縁の裏にあって働く方は、胸当てとして表されているイエス様です。キリストは、信者のうちに住まれて働かれ、信者を神と同じもの変えようとされます。純金の鎖は、信者に働きかける神とイエス様の権威と力を表しています。それが肩から伸びていることでそのことを表しています。
そのうちの一本は、父の権威と力を表しています。それは、胸当てに繋がれています。胸当ては、イエス様を表しますが、父は、イエス様を通して信者に働きかけられられます。イエス様は、父におられ、父は、イエス様におられます。それと同じように、信者は、イエス様におり、イエス様は、信者におられます。
父は、全能の力をもって信者のうちに働かれます。そのとき、キリストを通して働かれるのです。キリストは、人知を遥かに超えた愛を知らせることで、信者に働き、信者を変えようとされます。
28:26 さらに二個の金の環を作り、それらを胸当ての両端に、エポデに接する胸当ての内側の縁に付ける。
28:27 また、さらに二個の金の環を作り、これをエポデの二つの肩当ての下端の前に、エポデのあや織りの帯の上部の継ぎ目に、向かい合うように付ける。
28:28 胸当ては、その環からエポデの環に青ひもで結び付け、エポデのあや織りの帯の上にあるようにし、胸当てがエポデから外れないようにしなければならない。
さらに青い紐によって胸当ては吊られています。胸当ての部分は、金の環が胸当てのエポでに接する内側に付けられています。これは、聖霊の比喩です。青は、神を表していて、胸当ては、イエス様を表しています。その裏にあって働かれるのは、聖霊の働きです。
三位一体の神が、全力をもって信者を神のように変え、栄光を現す者に変えられます。
28:29 このようにして、アロンが聖所に入るときには、さばきの胸当てにあるイスラエルの息子たちの名をその胸に担う。それらの名が、絶えず主の前で覚えられるようにするためである。
胸は、愛を表します。イスラエルは、キリストに愛されている者として、神の前に覚えられます。そして、どれだけ御子と同じ者に変えられて神の栄光を現したかが、胸当ての宝石として披露されます。
それは、今日、キリストの愛を知り、信仰によりキリストが心のうちに住まれ、キリストの愛に応え、キリストが業をなし、私たちが神のさまにまで変えられることを表しています。そのようにして、神の栄光が現されるのです。キリストの評価の対象は、そこにあります。
28:30 さばきの胸当てにはウリムとトンミムを入れ、アロンが主の前に出るときに、それがアロンの胸の上にあるようにする。アロンは絶えず主の前に、イスラエルの息子たちのさばきを胸に担う。
ウリムとトンミムは、光と完全さと言う意味です。それは、神の栄光を現すことと、完全な歩みをすることを表しています。
それは、大祭司に求められる性質を表しています。敬虔な者にだけ、それは与えられます。大祭司とて、それにふさわしい大祭司でなければ扱うことができません。
それは、裁きの胸当てに入れられました。裁きは、キリストが信者を評価することを表しています。胸当ては、キリストの愛のうちに、父と御子と聖霊の働きを通して、信者を評価に適う者に変える働きを表しています。それを扱う大祭司は、光と完全さを求められています。信者の完全な模範でなければならないからです。キリストは、そのような方です。
アロンは、イスラエルの息子たちの裁きを胸に担います。主の前に常に担うのです。それは、神の良い評決を得るための大祭司の働きです。それは、キリストがとりなしの働きと、その人のうちにあって義の業をなすことで神の栄光を現すことを常に行なっていることを表しています。
・「ウリム」→光。複数。
・「トンミム」→完全。複数。
28:31 エポデの下に着る青服を青の撚り糸だけで作る。
28:32 その真ん中に、首を通す口を作る。その口の周りには、ほころびないように織物の技法を凝らして縁を付け、よろいの襟のようにする。
エポでの下に着る青服は、大祭司としての働きが永遠の御子によることを表しています。襟が綻びないようにするのはそのためです。
ヘブル
7:24 イエスは永遠に存在されるので、変わることがない祭司職を持っておられます。
7:25 したがってイエスは、いつも生きていて、彼らのためにとりなしをしておられるので、ご自分によって神に近づく人々を完全に救うことがおできになります。
7:26 このような方、敬虔で、悪も汚れもなく、罪人から離され、また天よりも高く上げられた大祭司こそ、私たちにとってまさに必要な方です。
7:27 イエスは、ほかの大祭司たちのように、まず自分の罪のために、次に民の罪のために、毎日いけにえを献げる必要はありません。イエスは自分自身を献げ、ただ一度でそのことを成し遂げられたからです。
7:28 律法は、弱さを持つ人間たちを大祭司に立てますが、律法の後から来た誓いのみことばは、永遠に完全な者とされた御子を立てるのです。
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28:33 その裾周りには、青、紫、緋色の撚り糸でざくろを作る。その裾周りのざくろの間には金の鈴を付ける。
28:34 すなわち、青服の裾周りに、金の鈴、ざくろ、金の鈴、ざくろ、となるようにする。
ざくろは、イエス様が神であるが、人となられてこれらの色によって表される姿を取られたことを表しています。
28:35 アロンはこれを、務めを行うために着る。 彼が聖所に入って主の前に出るとき、 またそこを去るとき、 その音が聞こえるようにする。彼が死ぬことのないようにするためである。
金の鈴は、義を表しています。その音は、彼が義であることを神の前に響かせるのです。それで、大祭司は死なないのです。イエス様は、ご自分の義によって神の前に立つことができます。
28:36 また、純金の札を作り、その上に印章を彫るように『主の聖なるもの』と彫り、
28:37 これを青ひもに付け、それをかぶり物に付ける。それがかぶり物の前面にくるようにする。
純金の札は、大祭司が聖であることを表すものです。聖とは、神の御心を全うすることで現される聖さです。この大祭司は、人となられて肉をお持ちになりましたが、その中で御心を何一つ欠けることなく全うされた方です。
それは、被り物の前面につけられました。被り物は、自分を覆うことを表しています。神様の御心を全うするにあたり、御自分を覆われたことを表しています。その歩みは、ご自分を主張なさらない歩みです。完全に服従される歩みです。
青い紐は、聖霊を表します。聖霊により神の御心を行うことで、独り子の神の栄光が現されたのです。
・「主の聖なる者」→「主に対して聖」
28:38 これがアロンの額の上にあって、アロンは、イスラエルの子らが聖別する聖なるもの、彼らのすべての聖なる献上物に関わる咎を負う。これは、彼らが主の前に受け入れられるように、絶えずアロンの額の上になければならない。
その徽章があることで、イスラエルの子らが聖別して捧げる物の咎を追うことができ、それらは、主に受け入れられます。彼らが聖別して捧げた物が不完全であっても、それを取り次ぐ大祭司が聖であることに免じて受け入れられるのです。聖なる大祭司の捧げ物なのです。
イスラエルの子らが捧げる捧げ物は、信仰者が自分を聖別して捧げることの比喩です。そして、神の御心を行うのです。しかし、不完全なのです。それでも、神様は、受け入れてくださいます。それは、大祭司が聖であり、聖なる方の捧げ物として捧げられるからです。信仰者のうちにあって神の御心を行われるのは、主イエス様です。主イエス様の業として捧げられるので、神様に受け入れられるのです。
28:39 さらに亜麻布で市松模様の長服を作り、亜麻布でかぶり物を作る。飾り帯は刺繍を施して作る。
市松模様は、神が人となられたこと、人としての歩みに神を現されたことの二面を表しています。長服は、全身を覆うものとして作られました。神であられますが人となられたとき、ご自分を覆われたのです。
亜麻布の被り物は、自分を覆われたことを表しています。
飾り帯は、帯によって力強い働きを表していて、刺繍した飾りによって神の栄光のために力強く働かれたことを表しています。
28:40 あなたはアロンの子らのために長服を作り、また彼らのために飾り帯を作り、彼らのために、栄光と美を表すターバンを作らなければならない。
そして、祭司として仕えるその子たちは、信者の比喩でもあります。長服は、自分を覆うもの、飾り帯は、力強く神の業をなし神に栄光を現すこと。そして、ターバンは、自分を覆うものですが、それが彼らの栄光となっていることが表されています。
コリント第一
11:7 男は神のかたちであり、神の栄光の現れなので、頭にかぶり物を着けるべきではありません。一方、女は男の栄光の現れです。
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人の栄光は、自分を覆うところにあります。
28:41 これらをあなたの兄弟アロン、および彼とともにいるその子らに着せ、彼らに油注ぎをし、彼らを祭司職に任命し、彼らを聖別し、祭司としてわたしに仕えさせよ。
彼らは、これらを着て、神に仕える者とされました。神の栄光ということがそこに求められています。
28:42 彼らのために、裸をおおう亜麻布のももひきを作れ。それは腰からももまで届くようにする。
28:43 アロンとその子らは、会見の天幕に入るとき、あるいは聖所で務めを行うために祭壇に近づくとき、これを着る。彼らが咎を負って死ぬことのないようにするためである。これは彼と彼の後の子孫のための永遠の掟である。
さらに、彼は、股引を着けました。それは、裸が現れないためです。神に仕える者は、一切肉を現してはならないからです。主イエス様は、肉体を取られましたが、肉を一切現しませんでした。悪魔の試みも退け、すべて御霊によって歩まれて、父の御心だけを行われたのです。
▪️ウリムとトンミムについて
・「ウリム」→光。複数。
・「トンミム」→完全。複数。
光と完全さ
大祭司に求められる性質。敬虔な者にだけ、それは与えられる。大祭司とて、それにふさわしい大祭司でなければ扱うことができない。
それは、裁きの胸当てに入れられた。裁きは、キリストが信者を評価することを表しています。胸当ては、キリストの愛のうちに、父と御子と聖霊の働きを通して、信者を評価に適う者に変える働きを表しています。それを扱う大祭司は、光と完全さを求められています。信者の完全な模範でなければならないからです。キリストは、そのような方です。
出エジプト記
28:30 さばきの胸当てにはウリムとトンミムを入れ、アロンが主の前に出るときに、それがアロンの胸の上にあるようにする。アロンは絶えず主の前に、イスラエルの息子たちのさばきを胸に担う。
レビ記
8:8 次に、彼に胸当てを着け、その胸当てにウリムとトンミムを入れた。
申命記
33:8 レビについては、こう言った。「あなたのトンミムとウリムを、あなたにある敬虔な者に与えてください。あなたは彼をマサで試み、メリバの水のほとりで彼と争われました。
エズラ記
2:63 そのため総督は彼らに、ウリムとトンミムを使える祭司が起こるまでは、最も聖なるものを食べてはならないと命じた。
ネヘミヤ記
7:65 そのため総督は彼らに、ウリムとトンミムを使える祭司が起こるまでは、最も聖なるものを食べてはならないと命じた。