出エジプト記26章

26:1 幕屋を十枚の幕で造らなければならない。幕は、撚り糸で織った亜麻布、青、紫、緋色の撚り糸を用い、意匠を凝らして、それにケルビムを織り出さなければならない。

 幕屋は、十枚の幕で造ります。十は、到達点を表します。神の御心に完全に適っていることを表します。

 亜麻布は、「足糸」のことで、植物由来でなく、貝から分泌される繊維を用いたものです。地中海では、古くから採取されていました。タンパク質からできていて、絹糸に似た性状で、絹糸よりも光沢があると言われています。人としての主イエス様の聖い歩みを表しています。

 青は、神としての主イエス様です。

 紫は、王としての主イエス様です。

 緋色は、二語からなり、染料の元になるカイガラムシと虫けらを表す語です。虫けらを表す語は、詩篇二十二篇に記されています。主イエス様が御自分を捨てたことが表されています。カイガラムシからの染料は、高級品で、主イエス様のご自分を捨てたことによって現される栄光を表しています。

 ケルビムは、御使いですが、神の御心のために仕えるしもべのことを表しています。

26:2 幕の長さはそれぞれ二十八キュビト、幕の幅はそれぞれ四キュビトで、幕はみな同じ寸法とする。

 幕の幅と長さは、四を単位としています。四は、あまねくことを表し、あらゆる方面を表します。二十八は七単位で、満たす意味での完全を表します。栄光を現す場合、その完全さは、程度の問題ですので、満たす意味での完全を表す七が適用されています。

26:3 五枚の幕を互いにつなぎ合わせ、もう五枚の幕も互いにつなぎ合わせる。

 十枚の幕は、五枚ずつをつなぎ合わせたものです。五は、神の御心を行うことを表しています。十は、神の御心を完全に行うことを表しています。

26:4 そのつなぎ合わせたものの端にある幕の縁に、青いひもの輪を付ける。もう一つのつなぎ合わせたものの端にある幕の縁にも、そのようにする。

 青い紐は、聖霊の比喩です。

26:5 その一枚の幕に五十個の輪を付け、もう一つのつなぎ合わせた幕の端にも五十個の輪を付け、その輪を互いに向かい合わせにする。

 輪は、五十です。五を単位として十で、神の御心を行うことが、完全であったことを表しています。

26:6 金の留め金を五十個作り、その留め金で幕を互いにつなぎ合わせ、こうして一つの幕屋にする。

 金は、義を表します。神の御心を行うことが義です。その数は、五十で、御心を完全に行うことで、イエス様が義とされたことを表しています。その金の留め金は、青い紐の輪に付けられましたが、義の実を結ぶ背後には、聖霊がおられることの比喩です。

26:7 また、あなたは、幕屋の上に掛ける天幕のために、やぎの毛の幕を作らなければならない。その幕を十一枚作る。

 山羊は、王としてのイエス様を表しています。人となられて、ダビデの子孫としておいでになられたのです。十一は、五と六に分けられます。五は、神の御心を行うこと、六は、人を表し、人となられて神の御心を行われたことを表しています。人として、御心を全うすることは、非常に尊いことです。人となることは、肉を持つことです。肉体にあって、肉にはよらず、完全に神の御心を行うことができたのは、イエス様だけです。

26:8 幕の長さはそれぞれ三十キュビト、幕の幅はそれぞれ四キュビト、その十一枚の幕は同じ寸法とする。

 三十は、五を単位として六です。それは、人として神の御心を行うことを表しています。幅は、あらゆる方面に御心を行ったことを表しています。

26:9 そのうち五枚の幕を一つに、 もう六枚の幕も一つにつなぎ合わせ、その六枚目の幕を天幕の前で折り重ねる。

26:10 つなぎ合わせたものの端にある幕の縁には五十個の輪を付け、もう一つのつなぎ合わせた幕の縁にも五十個の輪を付ける。

 五と六の組み合わせであることが分かります。輪については、色の指定がありません。五十は、御心を完全に行われたことが表されています。

26:11 青銅の留め金を五十個作って、その留め金を輪にはめ、天幕をつなぎ合わせて一つとする。

 青銅は、材質としては銅ですが、聖さを表しています。神の御心を行うことでの聖さです。それが完全であったことを表しています。

26:12 天幕の幕の余って垂れる部分、すなわちその余りの半幕は幕屋のうしろに垂らす。

26:13 そして、このうち一キュビトともう一方の一キュビトの、天幕の幕の長さで余る部分は、幕屋をおおうように、その天幕の両側、手前と奥側に垂らしておく。

 半幕は、贖いを表していて、人としての歩みが、贖われたものとしての歩みすなわち、肉にはよらず、御霊によって神の御心を行われたことを表しています。

26:14 天幕のために、赤くなめした雄羊の皮で覆いを作り、その上に掛ける覆いをじゅごんの皮で作る。

 雄羊は、人としてのイエス様を表しています。 この赤は、血の色を表しています。特に顔が赤くなることを表すものです。その赤は、贖いの業との関連して考えるならば、流された血を表しています。

 なお、これ以降は、幕の寸法が示されていません。

 四層目は、じゅごんの皮です。そこには、僕として仕えられた主イエス様の姿を見ることができます。神から遣わされた方として、人として歩まれ、神の御心を行うしもべとして歩まれたのです。

 エゼキエル書の記述によれば、じゅごんの皮はこれで履物を作れるほど丈夫であったことがわかります。また、それは、高級な履物でした。

エゼキエル書

16:10 わたしはまた、あや織りの衣服をあなたに着せ、じゅごんの皮の履き物をはかせ、亜麻布をかぶらせ、絹物でおおった。

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 エルサレムを栄光あるものにするのに、履かせられたのがじゅごんの履物です。じゅごんは、イエス様のしもべとしての姿を表しています。神に仕える方としての歩みを示された方です。そのじゅごんが、この例えでは、歩みに関係して、しもべとして仕える姿を取られ完全に従順に従われた主イエス様を表しています。それが、信仰者の歩みに適用されています。

26:15 この幕屋のために、アカシヤ材で、まっすぐに立てる板を作る。

 アカシヤ材が芯に使われたことは、人となられたイエス様を表しています。

26:16 一枚の板は、長さ十キュビト、板一枚の幅は一キュビト半。

 板は、主イエス様を表しています。長さの十は、到達点を表しています。板の幅は、半を単位として三つです。半は、贖いを表してます。この贖いは、肉にはよらず御霊による歩みを表しています。信者に適用された場合、その歩みは、キリストのよみがえりと同じ状態になることが求められていますが、それが贖われた状態です。体が贖われた時に完全に実現する事ですが、肉体にあっても、肉に対して死に、御霊によって歩むことで実現します。イエス様は、肉体にあり、肉をお持ちでしたが、三によって表される完全さをもって歩まれた方です。そして、十によって表されるように、地上における歩みは、ただ父の御心を行い、御業を成し遂げられたのです。

26:17 板一枚ごとに、はめ込みのほぞを二つ作り、幕屋のすべての板にそのようにする。

 ほぞを作ることで、台座に堅く固定されjす。そして、板の自立のためです。人としての歩みにおいて義であられたのは、主イエス様だけです。

26:18 幕屋のために板を作る。南側に二十枚。

 二十は、五が基本数となっていて、五によって「御心を行うこと」を表しています。四によって表される「あらゆる方面」において「御心を行うこと」を表しています。

26:19 その二十枚の板の下に銀の台座を四十個作る。一枚の板の下に、 その二つのほぞのために二個の台座があり、ほかの板の下にも、 二つのほぞのために二個の台座を作る。

 四十は、試みを表しています。それは、試すためであったり、訓練のためです。主イエス様は、試されて、その中で聖霊によって歩まれたことを表しています。このことは、イエス様がバプテスマを受けられたとき聖霊が降られ。その後で、聖霊に導かれて荒野に行かれ、試みを受けられた記事によく当てはまります。イエス様は、試されて、一切肉にはよらず、神の言葉の中に生きていることが明らかにされたのです。

 台座は、一枚の板に対して二個です。これは、証しを表しています。聖霊によって満たされて歩まれたことによって現された証しです。台座は、一タラントです。独り子の御子を表しています。聖霊によって神の御心を行うことで、独り子の御子の栄光が現されたのです。

26:20 幕屋のもう一つの側、北側に板二十枚。

26:21 銀の台座四十個。すなわち、一枚の板の下に二個の台座。次の板の下にも二個の台座。

 北側は、南側と同じでした。

26:22 幕屋のうしろ、西側に板六枚を作る。

26:23 幕屋のうしろの両隅のために板二枚を作る。

26:24 これらは底部では別々であるが、上部では、一つの環のところで一つに合わさるようにする。二枚とも、そのようにする。これらが両隅となる。

 西側の板は、六枚と二枚です。六は、人を表します。人として、聖霊によって歩み御心を完全に行われたことが主イエス様の栄光です。二は、その栄光の証しを表しています。

 底部「から」は、「識別」があります。これは、上部で一つの環で完全になるすなわち一つに合わさることと対比されていて、一つになっていない状態です。板は、台座にはめ込まれていますから、台座を突き合わせても、隙間が開きます。両橋の二枚の板は、底部から上部に広がる構造でないと、上端で一つに会うことができません。

 その言葉が示す比喩は、底部が表す地上では、人として歩まれ、贖われた者としての歩みを識別し、味わうことができます。それは、八によって表される永遠に覚えられますが、その栄光の豊かさが完全に現されることを表しています。

・「別々」→知覚、識別

26:25 板は八枚、その銀の台座は十六個。すなわち、一枚の板の下に二個の台座、ほかの板の下にも二個ずつの台座となる。

 西側の板は、全部で八枚になります。八は、永遠を表しています。御子主イエス様の栄光は、人として歩まれて、御心を完全に行い、それが永遠までも栄光として覚えられるのです。二は、永遠の御子の栄光の証しを表しています。

 台座は、全部で十六になります。十六という数が示されているのは、この台座に関して記されているだけで、二箇所だけです。それで、この数を直接なにかに関連付けることはできません。但し、聖書の記述においては、関連する数字が同じ構成になっています。ここで、台座の数は、南と北側で、二十でした。それは、五が四単位です。同様に、十六は、四が四単位と結論づけることができます。四は、あまねくということを表しています。それが二重に示されていることは、強調です。例えば、エゼキエル書でも五が基本数になっていて、二十五の数が出てきます。これは、五を強調しています。

エゼキエル

40:13 彼がその門を、控え室の片方の屋根の端からもう片方の屋根の端まで測ると、一つの入り口からもう一つの入り口までの幅は二十五キュビトであった。入り口と入り口は向かい合っていた。

40:21 それには両側に三つずつ控え室があり、壁柱も玄関の間も先の門と同じ寸法であった。その長さは五十キュビト、幅は二十五キュビトであった。

40:25 壁柱と玄関の間の周囲に窓があり、それはほかの窓と同じであった。門の長さは五十キュビト、幅は二十五キュビトであった。

40:29 その控え室も壁柱も玄関の間もほかのと同じ寸法で、壁柱と玄関の間の周囲に窓があった。門の長さは五十キュビト、幅は二十五キュビトであった。

40:30 玄関の間の周囲は長さ二十五キュビト、幅五キュビトであった。

40:33 その控え室も壁柱も玄関の間もほかのと同じ寸法で、壁柱と玄関の間の周囲に窓があった。門の長さは五十キュビト、幅は二十五キュビトであった。

40:36 その控え室も壁柱も玄関の間もほかのと同じ寸法で、その周囲に窓があった。門の長さは五十キュビト、幅は二十五キュビトであった。

45:12 一シェケルは二十ゲラである。二十シェケルと二十五シェケルと十五シェケルとで一ミナとせよ。

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 このように、四が強調されています。御子の栄光が、永遠にあまねく示されることを強調してます。独り子の御子の栄光があまねく示されるのです。

26:26 また、アカシヤ材で横木を作る。すなわち、幕屋の一方の側の板のために五本、

26:27 幕屋のもう一方の側の板のために横木五本、幕屋のうしろ、西側の板のために横木を五本作る。

 横木は、五本ずつです。五は、御心を行うことを表しています。三方面に、五本ずつです。これは、御心を行う程度について示していて、神の完全さを表す三によって表されています。御心を完全に行われたということです。

26:28 板の中間にある中央横木は、端から端まで通るようにする。

 横木は、五本で、中央横木は、六本目です。それは、中央を端から端まで通ります。人としての歩みの中に御心を行われたことが示されていて、それ以外の状態でのことではないということです。受肉して、御心を行われたことが偉大なのです。

26:29 その板に金をかぶせ、横木を通す環を金で作る。横木にも金をかぶせる。

 板と、環に金をかぶせます。金は、義を表しています。すなわち、御心を行うことでの義です。

26:30 こうして、あなたは、山で示された定めのとおりに幕屋を設営しなければならない。

 「定めのとおり」と訳されていますが、ヘブル書では、「型どおりに」となっています。

 設営が定めのとおりになされなければならないと命じられてます。

26:31 また、青、紫、緋色の撚り糸、それに撚り糸で織った亜麻布を用いて、垂れ幕を作る。これに意匠を凝らしてケルビムを織り出す。

 垂れ幕に用いる色は、主イエス様の栄光を表しています。

 青は、神としての主イエス様を表しています。

 紫は、王としての主イエス様です。ユダヤ人の王です。その方は、全世界の王になられます。

 緋色は、カイガラムシの色を表していて、十字架にご自分を捨てることを表しています。これは、しもべとして死にまでも従われた栄光を表しています。

 亜麻布は、人としての主イエス様を表しています。そして、それは光り輝く白さを表しています。この語は、「大理石」を表す場合にも使われ、輝く白さがそれによって表されています。

 また、そこにはケルビムが織りだされました。ケルビムは、神の御心を行うしもべです。それは、示されている各種の色の糸を用いて織りだされました。しもべとして神の御子心を行う中に、色によって表される栄光が現されたのです。

・「亜麻布」→漂白された。亜麻から取れる繊維を紡いだもの。

26:32 この垂れ幕を、金をかぶせたアカシヤ材の四本の柱に付ける。その鉤は金で、柱は四つの銀の台座の上に据えられる。

 柱は、四本で、アカシヤ材でできていて、金を被せました。柱は、銀の台座の上に立てられました。銀は、聖霊によって歩まれたイエス様を表しています。四は、あまねくということを表していて、あらゆることにおいて聖霊によって神の御心を行われたことを表しています。

 柱は、幕によって表されているイエス様の栄光を掲げるためのものです。このように、柱は、証しを表しています。教会が真理の柱また土台として示されていることも、そのことを表しています。それが表す真理は、敬虔の奥義です。神の御心を行うことで、義であることが現されるのです。柱と鍵が金であったことは、そのことと関係していて、主イエス様は、霊において義と宣言された方です。教会も同じように、神の御心を行い、義であるという敬虔を示すことで、真理を証しするのです。土台は、教えを表しています。どのように行動すべきかの教えであって、それが教会において教えられ、行動によって保たれていることが土台によって表されています。

 銀の台座は、一タラントです。一は、独り子の御子の栄光を表しています。

26:33 その垂れ幕を留め金の下に掛け、垂れ幕の内側に、あかしの箱を運び入れる。その垂れ幕は、あなたがたのために聖所と至聖所との仕切りとなる。

 「あなた方のために」と記されています。それは、祭司が死なないためです。祭司は、神の栄光を主イエス様の内に見ます。神様は、主イエス様の栄光の故に、主イエス様を目に適った者として受け入れられているので、祭司を受け入れることができるのです。

26:34 至聖所にあるあかしの箱の上には『宥めの蓋』を置く。

・「宥めの蓋」→覆う。償う。贖い。

26:35 垂れ幕の外側には机を置く。机は幕屋の南側にある燭台と向かい合わせる。その机は北側に置く。

 燭台自体は、主イエス様の栄光を表しています。その燭台が照らし出すのは、向かい合わせの机です。聖霊は、人となられて歩まれた主イエス様の栄光を照らし出しています。

26:36 あなたは天幕の入り口のために、青、紫、緋色の撚り糸、それに撚り糸で織った亜麻布を用い、刺繍を施して垂れ幕を作らなければならない。

26:37 その幕のためにアカシヤ材の柱を五本作り、これに金をかぶせる。その鉤も金である。それらの柱のために青銅の台座を五つ鋳造する。

 天幕の入り口には、幕が掛けられました。それは、その色によって主イエス様の栄光を表しています。

 アカシヤ材の柱は、人としての主イエス様を表しています。それに菌が被せられることで、義であることが表されています。その台座は、青銅です。御心を行うことでの聖さを表しています。五つは、御心を行うことを表しています。その御心を行う歩みによって、義を表されたのです。