出エジプト記23章

23:1 偽りのうわさを口にしてはならない。悪者と組んで、悪意のある証人となってはならない。

 偽りの噂を話してはなりません。不確かな情報から話すことがあります。あるいは、根拠もないことをでっちあげることもあります。それは、悪意によります。それが、いかに人を傷つけるかということを考えておかなければなりません。

 悪意のある証人となってはならないのです。これも、偽りを口にすることです。しかも、悪者と組みます。計画的なのです。

 イエス様のご在世当時の指導者たちは、この律法の掟を犯し、偽りの証人をたてました。目的のために、手段を選ばない悪行です。

23:2 多数に従って悪の側に立ってはならない。訴訟において、多数に従って道からそれ、ねじ曲げた証言をしてはならない。

 多数に従って悪の側に立ってはならない。ユダヤ人の指導者であったニコデモは、悪の側にたちませんでした。預言者ミカヤは、王の預言者約四百人が王の気に入ることを語る中で、一人堅く立ちました。

 今日、教会の監督は、監督としての長老たちによります。事を決定するにあたり、それぞれが責任をもって判断しなければなりません。多数に従って正しい事を曲げてはならないのです。

 訴訟においては、多数に従って道からそれ、正しくないねじ曲げた証言をしてはならないのです。

列王き第一

22:13 ミカヤを呼びに行った使者はミカヤに告げた。「いいですか。預言者たちは口をそろえて、王に対して良いことを述べています。どうか、あなたも彼らと同じように語り、良いことを述べてください。」

22:14 ミカヤは答えた。「主は生きておられる。主が私に告げられることを、そのまま述べよう。」

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23:3 また、訴訟において、弱い者を特に重んじてもいけない。

 訴訟においては、正しい事を正しいとし、不正は、不正としなければなりません。弱い者を特に重んじてはいけません。

23:4 あなたの敵の牛やろばが迷っているのに出会った場合、あなたは必ずそれを彼のところに連れ戻さなければならない。

 その人の敵の牛やろばが迷っているのに出会った場合、それを必ず彼のところに連れ戻さなければなりません。いい気味だと思い、見過ごしてはなりません。

23:5 あなたを憎んでいる者のろばが、重い荷の下敷きになっているのを見た場合、それを見過ごしにせず、必ず彼と一緒に起こしてやらなければならない。

 その人を憎んでいる者のろばが重い荷の下敷きになっているのを見たら、見過ごしてはなりません。必ず彼と一緒に起こしてやらなければなりません。

 自分に敵対し、自分を憎む人に対しても良くしてやることは、律法に既に示されていることです。イエス様は、もっと高度なことを語られました。山上の垂訓で、敵を愛するように教えられました。それは、神の子として神にふさわしいものとなるためです。

23:6 訴訟において、あなたの貧しい者たちへのさばきを曲げてはならない。

 訴訟において、貧しい者たちへの裁きを曲げてはなりません。彼らは、貧しく力がないのです。

23:7 偽りの告訴から遠く離れなければならない。咎のない者、正しい者を殺してはならない。わたしが悪者を正しいとすることはない(からである)。

 偽りの訴訟に一切関わってはならないのです。それによって、咎のない者、また正しい者が殺されてはならないのです。その理由は、主が悪者を正しいとすることはないからです。裁判を司る者は、主の判断を適用するのです。人間的な判断で裁いてはなりません。

 今日、教会において監督である長老は、教会の問題について裁きをしなければならないことがあるのです。その時、主の判断を仰ぐのです。肉の思いが入って裁くならば、正しい裁きはできません。二人でも、三人でも主の名によって集まるならば主はその中におられます。

23:8 賄賂を受け取ってはならない。賄賂は聡明な人を盲目にし、正しい人の言い分をゆがめる。

 賄賂を受け取ってはなりません。聡明な人でも、欲によって賄賂に惑わされ、判断を誤るのです。欲によって、盲目になります。神の言葉を信仰によって受け入れ、従うことができなくなるのです。正しい人の言い分を聞いても、それを正しいとしないのです。

23:9 あなたは寄留者を虐げてはならない。あなたがたはエジプトの地で寄留の民であったので、寄留者の心をあなたがた自身がよく知っている。

 寄留者を虐げてはなりません。イスラエルは、エジプトの地で寄留者であたので、寄留者の心を知っているはずです。

23:10 六年間は、あなたは地に種を蒔き、収穫をする。

23:11 しかし、七年目には、その土地をそのまま休ませておかなければならない。民の貧しい人々が食べ、その残りを野の生き物が食べるようにしなければならない。ぶどう畑、オリーブ畑も同様にしなければならない。

 地に種をまいて収穫できるのは、六年間です。七年目には休ませなければなりません。それは、貧しい人が食べるため、また、その残りを野の生き物が食べるためです。葡萄も、オリーブも同じです。ヨベルの年の規定が別の観点から語られています。貧しい人たちと、野の生き物の食べ物を与えるために休ませると。人の幸いや、さらには、野の生き物に対する配慮からそれを守るように言われます。

23:12 六日間は自分の仕事をし、七日目には、それをやめなければならない。あなたの牛やろばが休み、あなたの女奴隷の子や寄留者が息をつくためである。

 安息日の規定も、人の幸いという観点から語られています。六日間は、自分の仕事をします。七日目には、止めます。それは、彼の労働に関係する牛やろばが休み、女奴隷の子や寄留者が息をつくためです。

23:13 わたしがあなたがたに言ったすべてのことを守らなければならない。ほかの神々の名を口にしてはならない。これがあなたの口から聞こえてはならない。

 主が言われたすべてのことを守らなければなりません。自分に不都合なこと、したくないことを省いてはならないのです。

 他の神々名を口にしてはなりません。口から聞こえてはならないとあるように、一切口から出してはならないのです。

23:14 年に三度、わたしのために祭りを行わなければならない。

23:15 種なしパンの祭りを守らなければならない。 わたしが命じたとおり、 アビブの月の定められた時に、 七日間、 種なしパンを食べなければならない。 それは、 その月にあなたがエジプトを出たからである。 何も持たずにわたしの前に出てはならない。

23:16 また、あなたが畑に種を蒔いて得た勤労の初穂を献げる刈り入れの祭りと、年の終わりに、あなたの勤労の実を畑から取り入れるときの収穫祭を行わなければならない。

 年に三度、主のために祭りを行わなければなりません。一つは、種無しパンの祭りです。それは、エジプトを出たこと覚えるためでもあります。それとともに、主の前に出る時、何も持たずに出てはなりません。それは、比喩としては、主によって奴隷の地から贖いだされたこと、すなわち、内住の罪の奴隷であったことからの解放を意味しています。その背後には、悪魔が働いていて、そこからも解放されました。それで、主に捧げ物を持って来ます。この捧げ物は、自分を捧げることを表しています。自分たちは、主によって贖われ、主のものとされていることを覚えて、自分自身を捧げるのです。

 次は、初穂を捧げる刈り入れの祭りです。

 そして、畑から取り入れる時の収穫祭です。

23:17 年に三度、男子はみな、あなたの主、主の前に出なければならない。

 その祭りのときに、男子は皆、主の前に出なけ゚ればなりません。この祭りは、主のためのものです。主のために、主を証しするものとして御前に出るのです。「男子」が規定されている時は、公の証しを表しています。

23:18 わたしへのいけにえの血を、種入りのパンと一緒に献げてはならない。また、わたしの祭りのための脂肪を朝まで残しておいてはならない。

 いけにえの血は、イエス様の流された血を表しています。その血は、父なる神様を満たされました。その血を種入りのパンと一緒に捧げてはなりません。種入りのパンは、和解のいけにえとして感謝のために捧げられることがあります。初穂を捧げる刈り入れの祭りでは、二個の種入りのパンが捧げられます。しかし、血と一緒に捧げられることはありません。パンが火に燃やされることもありません。

 感謝のためのパンは、感謝が表しているように、人を中心として考えてその祝福なりを感謝することを表しています。二個のパンは、人が証しのために用いられることを表しています。いずれも人に関わることです。しかし、血は、神様が御子を覚えることが中心になっています。神に向かって捧げられるべき血に、それが感謝であれ、人を中心とした考えに基づくものが一緒に捧げられてはならないのです。

 主の晩餐と言われるパン裂きの集まりでは、主を覚えます。その時、父の前に主を捧げて覚えることは幸いです。父とともに、御子を覚えることができます。しかし、これが人の幸いや祝福を中心に覚えられることになると、父が御子を覚えるという観点が除かれてしまいます。感謝することは幸いですが、血が捧げられるという場面では、それはあってはならないのです。パン裂きは、父の前に主が覚えられることを中心にすべきなのです。

 脂肪は、主の食物です。それは、主イエス様が聖霊によって父の御心を行われたことを表しています。父が覚えて満足されます。その脂肪をいつまでも父に捧げず、朝まで残しておくことは、父をないがしろにすることです。

23:19 あなたの土地の初穂の最上のものを、あなたの神、主の家に持って来なければならない。あなたは子やぎをその母の乳で煮てはならない。

 主の祝福にふさわしく、最上の物を持ってくるのです。「初穂」と記されることで、これが主イエス様のよみがえりを表しています。また、人に関しても、初穂と記されていて御霊によって歩む者とされていることを表しています。「あなた方の土地の初穂」であり、信者が御霊の実を結ぶことが比喩として示されています。私たちは、その最良の物を主に捧げるために持ってこなければなりません。

テサロニケ第二

2:13 しかし、主に愛されている兄弟たち。私たちはあなたがたのことについて、いつも神に感謝しなければなりません。神が、御霊による聖別と、真理に対する信仰によって、あなたがたを初穂として救いに選ばれたからです。

ヤコブ

1:18 この父が私たちを、いわば被造物の初穂にするために、みこころのままに真理のことばをもって生んでくださいました。

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 子山羊をその母の乳で煮てはなりません。乳は、子を育てるために母が与える物です。それを取って、煮ることは、無慈悲です。

 比喩としては、母は、子羊を生んだ者としてのイエス様を表しています。子羊は、信者です。乳は、信者を養い育てる御言葉の比喩です。それをもって、この地の牧者が欲のために信者をみことばによって自分の餌食とし、食い物にすることの比喩です。それは、母としてのイエス様の慈悲を踏みにじるものです。

23:20 見よ。わたしは、使いをあなたの前に遣わし、道中あなたを守り、わたしが備えた場所にあなたを導く。

 主は、使いを彼らの前に遣わすと言われました。その使いは、モーセやヨシュアではありません。「あなたの前に」と記されていて、それは、異邦人を消し去る時に及びます。

23:21 あなたは、その者に心を留め、その声に聞き従いなさい。彼に逆らってはならない。 わたしの名がその者のうちにあるので、 彼はあなたがたの背きを赦さない。

 その使いの声に聞き従うように命じました。なぜならば、背くならば、その背きを赦さないからです。なぜならば、その使いは、主の名がそのうちにあるからです。

23:22 しかし、 もしあなたが確かにその声に聞き従い、 わたしが告げることをみな行うなら、 わたしはあなたの敵には敵となり、 あなたの仇には仇となる。

 しかし、その使いの声に聞き従い、行うならば、敵には敵となり仇には仇となります。その使いの声は、主が告げることと言い換えられています。主の言葉を語るのです。

23:23 わたしの使いがあなたの前を行き、あなたをアモリ人、ヒッタイト人、ペリジ人、カナン人、ヒビ人、エブス人のところに導き、わたしが彼らを消し去るとき、

23:24 あなたは彼らの神々を拝んではならない。それらに仕えてはならない。また、彼らの風習に倣ってはならない。それらの神々を徹底的に破壊し、その石の柱を粉々に打ち砕かなければならない。

 使いが前を行き、カナンの地の異邦人を消し去る時、彼らの神々を拝んではならないと命じました。仕えてはなりません。風習に倣ってはなりません。神々を徹底的に破壊し、石の柱を砕かなければなりません。石の柱は、偶像の教えを表しています。石は、教えの比喩です。それで、石の柱を砕くのです。

23:25 あなたがたの神、主に仕えよ。そうすれば、主はあなたのパンと水を祝福する。わたしはあなたの中から病気を取り除く。

 あなた方の神、主に仕えるように命じました。そうするならば、パンと水を祝福します。それで、あなた方の中から病気を取り除きます。

 パンは、真の食物としてのキリストの比喩、水は、言葉の比喩です。彼らが神に仕えないならば、本来祝福として受け取るはずのものが祝福とはなりません。彼らは、その背いている罪を責められ、病気になるのです。しかし、主に仕えるならば、キリストを食物とし、キリストと同じ者に変えられるし、御言葉によっていよいよ養われ、清められます。本当の祝福を獲得できるのです。

23:26 あなたの国には、流産する女も不妊の女もいなくなる。わたしはあなたの日数を満たす。

 そこには、死がなくなり、命がないことがなくなるのです。命に溢れます。主と共に歩む命に溢れます。その日数は満たされます。長生きするのです。これは、永遠のいのちの比喩です。

23:27 わたしは、わたしへの恐れをあなたの先に送り、あなたが入って行く先のすべての民をかき乱し、あなたのすべての敵があなたに背を向けるようにする。

 主は、主への恐れを先に送ります。それで、入っていく地の民は、かき乱され、すべての敵があなたに背を向けます。

23:28 わたしはまた、スズメバチをあなたの先に遣わす。これが、ヒビ人、カナン人、ヒッタイト人をあなたの前から追い払う。

 また、主は、スズメバチを送ると言われます。彼ら自身の戦いの前に、スズメバチが彼らを追い払うのです。これは、彼ら自身の戦いによらず、主がそれをすることを示すためです。

ヨシュア記

24:12 あなたがたの前にスズメバチを送ったので、スズメバチがアモリ人の二人の王をあなたがたの前から追い払った。あなたがたの剣にもよらず、あなたがたの弓にもよらなかった。

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23:29 しかし、 わたしは彼らを一年のうちに、 あなたの前から追い払いはしない。 土地が荒れ果て、野の生き物が増え、あなたを害することのないようにするためである。

 しかし、彼らを追い払うのは、一年のうちではありません。主は、時間をかけて追い払われます。それは、土地が荒れ果てないため、野の生き物が増えて、人を害することがないためです。

 

23:30 あなたが増え広がって、その地を相続するまで、少しずつ、わたしは彼らをあなたの前から追い払う。

 イスラエルが増え広がって、その地を相続するまで、少しずつ追い払うのです。

 彼らがその地を相続することは、信者が神の御心を行い、御国において報いを受け、永遠の資産として受け継ぐことの比喩です。そこに至るまで、長い戦いが続きます。肉との戦いです。主は、一遍には、それを与えません。それは、実を結ぶべき土地が荒れ果てないためです。いきなり戦いがなくなると、肉が幅を利かすことになります。それは、野の生き物である悪魔の働きが増えるからです。それは、人に害をもたらします。人は、肉との戦いに中にある方が、健全に保たれるのです。いつでも、祈りつつ、御霊によって歩むことを求めるからです。

23:31 わたしは、あなたの領土を、葦の海からペリシテ人の海に至るまで、また荒野からあの大河に至るまでとする。それは、わたしがその地に住んでいる者たちをあなたがたの手に渡し、あなたが彼らを自分の前から追い払うからである。

 その相続の範囲は、葦の海からユーフラテス川までです。これを渡すのは、主です。私たちが主の御心を行い、相続をいただくことができるのは、主によります。全能の神が働かれ、うちに住まわれる主イエス様が働き、御霊によって実現します。人の力にはよらないのです。

23:32 あなたは、彼らや、彼らの神々と契約を結んではならない。

 主が追い払おうとされる民と契約を結んではなりません。彼らは、徹底的に滅ぼされるべき民であるのです。一切肉に従うことを認めてはならないのです。肉は、殺すのです。

23:33 彼らはあなたの国に住んではならない。彼らがあなたを、わたしの前に罪ある者としないようにするためである。あなたが彼らの神々に仕え、あなたにとって罠となるからである。」

 肉は、一切入れてはならないのです。肉は、人に罪を犯させます。内住の罪の働きなのです。そして、肉は、この世の神である悪魔に仕えるようになるのです。悪魔の誘惑に誘われ、仕えるようになるのです。それが罠です。肉の快楽を求め、この世のものを求めるようになるのです。そのようにして、悪魔の支配を受けることになります。