出エジプト記21章

21:1 これらはあなたが彼らの前に置くべき定めである。

21:2 あなたがヘブル人の男奴隷を買う場合、その人は六年間仕えなければならない。しかし七年目には自由の身として無償で去ることができる。

 「奴隷」については、ヘプル人の奴隷と記されています。また、この語は、「奴隷」とも「しもべ」とも訳される語で、原意は、両方を意味します。ですから、この日本語訳をもって、これは、奴隷のことであり、身を売ったヘブル人ではないとすることは当たりません。また、申命記の記述から、これは、貧しくなって身を売ったヘブル人のことです。

申命記

15:12 もしあなたの同胞、ヘブル人の男あるいは女が、あなたのところに売られてきて六年間あなたに仕えたなら、七年目には自由の身として、あなたのもとから去らせなければならない。

15:13 その人を自由の身として去らせるときは、何も持たせずに去らせてはならない。

15:14 必ず、あなたの羊の群れと打ち場と踏み場のうちから取って、彼に分けてやらなければならない。あなたの神、主があなたに祝福として与えられたものを与えなければならない。

15:15 あなたは、エジプトの地で奴隷であったこと、そして、あなたの神、主があなたを贖い出されたことを覚えていなければならない。それゆえ、私は今日このことをあなたに命じるのである。

15:16 しかし、その人があなたとあなたの家族を愛し、あなたのもとにいて幸せなので、「あなたのもとから去りたくありません」と言うなら、

15:17 あなたはきりを取って、彼の耳を戸に刺しなさい。彼はいつまでもあなたの奴隷となる。女奴隷にも同じようにしなければならない。

15:18 彼を自由の身として去らせるときには、厳しくしてはならない。彼は六年間、雇い人の賃金の二倍の分あなたに仕えたからである。こうして、あなたの神、主は、あなたのなすすべてのことにおいて、あなたを祝福してくださる。

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21:3 彼が独身で来たのなら独身で去る。彼に妻があれば、その妻は彼とともに去る。

 彼が独身で来たのであれば、独身で去ります。妻があれば妻と共にさります。

21:4 彼の主人が彼に妻を与えて、その妻が彼に息子あるいは娘を産んでいたなら、この妻とその子どもたちは主人のものとなり、彼は一人で去らなければならない。

 彼の主人が彼に妻を与えた場合、また、その妻が彼に息子あるいは娘を産んだ場合、彼は、一人で去らなければなりせん。

21:5 しかし、もしもその奴隷が『私は、ご主人様と、私の妻と子どもたちとを愛しています。自由の身となって去りたくありません』と明言するようなことがあるなら、

21:6 その主人は彼を神のもとに連れて行く。それから戸または門柱のところに連れて行き、きりで彼の耳を刺し通す。彼はいつまでも主人に仕えることができる。

 もし、その奴隷が次のように明言するならば、彼は、いつまでも主人に仕えることができます。

 主人を愛していること、また自分の妻と子供たちを愛しているので、自由の身となって去りたくないことです。

 それは、神の前に証明されなければなりません。それで、神のもとに連れて行き、戸あるいは、門柱のところに連れて行き、きりで耳を差し通します。

 ここには、比喩が含まれていて、キリストの比喩が示されています。主人は、父神を表しています。奴隷は、イエス様です。妻は、キリストの花嫁を表していて、子供達は、一人ひとりの信者を表しています。この奴隷にとっては、主人に仕えることが喜びなのです。主人を愛しているので、いつまでも仕えることを願うのです。そして、そのことは、教会に対する愛によります。そして、一人ひとりの信者に対する愛によります。その妻を聖なるものとされた栄光の教会とするために愛によって働かれるのです。それは、父の御心であり、父に仕えることとして、それを成し遂げられるのです。いつまでも、父を愛して仕えられます。

 きりで耳を刺し通すことで、神の前に血が流されます。これは、彼の語ったことが神の前にいつまでも確証させられるためで、彼の言葉の確かさを保証するものです。

 なお、耳を刺し通しても、さしたる痛みは感じないのであり、これは、キリストの十字架の苦しみを表しているわけではありません。

21:7 人が娘を女奴隷として売るような場合、その女奴隷は、男奴隷が去る場合のように去ってはならない。

 娘が女奴隷として売られた場合、男奴隷の場合と事情が異なります。ここに記されていることは、去る権利の問題ではなく、妻とされた場合の取り扱いについて示すためです。

21:8 彼女を自分のものと定めた主人が、彼女を気に入らなくなった場合は、その主人は彼女が贖い出されるようにしなければならない。主人が彼女を裏切ったのだから、異国の民に売る権利はない。

 その女奴隷を主人が自分のものとした後、彼女を気に入らなくなった場合、彼女が贖い出されるようにしなければなりません。奴隷として扱ってはならないのです。彼女は、妻となった時点でもはや奴隷ではありません。主人の気に入らないと言って、異国の民に売る権利はありません。

21:9 その主人が彼女を自分の息子のものと定めるなら、彼女を自分の娘のように扱わなければならない。

 彼女を自分の息子のものとするならば、彼女を自分の娘のように扱わなければなりません。もはや決して奴隷として扱ってはならないのです。

21:10 その主人が別の女を妻とするなら、先の女への食べ物、衣服、夫婦の務めを減らしてはならない。

21:11 もしこれら三つのことを彼女に行わないなら、彼女は金を払わないで無償で出て行くことができる。

 主人が別の女を妻にするなら、先の女への食べ物、衣服、夫婦の務めを減らしてはなりません。それは、完全に一人の妻なのです。彼女に対してそれを履行しないならば、無償で去ることができます。もはや奴隷ではないからです。

 奴隷が主人の妻となった場合、もはや奴隷ではありません。主人の妻であり、息子の妻とした場合は、娘として扱うべきなのです。それは、自分の子のように扱うのです。このことは、キリストの妻とされた信者は、もはや奴隷ではないことを表しています。キリストの愛を受け、尊い者として扱われていることを表しています。そして、今度は、愛によってキリストを主人として服従し、仕える者とされています。また、神の子なのです。父なる神が子として愛する対象であるのです。

21:12 人を打って死なせた者は、必ず殺されなければならない。

 人を打って死なせた者は、必ず殺されなければなりません。

21:13 ただし、彼に殺意がなく神が御手によって事を起こされた場合、わたしはあなたに、彼が逃れることができる場所を指定する。

 彼に殺意がない場合、彼には逃れる場所指定します。それは、神が事を起こされたからです。その人自身の過失にもよらないのです。

21:14 しかし、人が隣人に対して不遜にふるまい、策略をめぐらして殺した場合には、この者を、わたしの祭壇のところからであっても、連れ出して殺さなければならない。

 しかし、人が隣人に対して策略を巡らせて殺した場合には、必ず殺されます。彼が祭壇に来て、罪の清めを求めたとしても、受け入れられません。そこからでも連れ出して殺さなければなりません。

 彼は、隣人を愛していないのです。不遜に振る舞います。価値ある尊い存在とは思わないのです。

・「不遜に振る舞う」→~を沸騰させる、沸騰させる、誇らしげに振る舞う、僭越に振る舞う、反抗的に振る舞う。

21:15 自分の父または母を打つ者は、必ず殺されなければならない。

 自分の父や母を打つ者は、必ず殺されなければなりません。容赦はされません。それは、父や母の尊さを否定する行為です。死に値する重い罪です。父と母は、敬われなければならないのです。

21:16 人を誘拐した者は、その人を売った場合も、自分の手もとに置いている場合も、必ず殺されなければならない。

 人を誘拐することは、その人の価値を物のように考えているのです。神が与えた命を軽く扱うことに対して、必ず殺されることをもって報います。

21:17 自分の父や母をののしる者は、必ず殺されなければならない。

 父や母に対しては、「ののしる」ことも重い罪とされます。必ず殺されるのです。この「ののしる」は、様々な意味を持ちますが、軽く扱うことです。命令は、「敬いなさい」ですが、父や母への尊敬がない行動です。敬うことを否定することに対して、死をもって報います。

21:18 人が争い、一人が石か拳で相手を打ち、その相手が死なないで床についた場合、

21:19 もし彼が再び起き上がり、杖によって外を歩けるようになれば、打った者は罰を免れる。ただ彼が休んだ分を弁償し、彼が完全に治るようにしてやらなければならない。

 人が争い、相手を石か棒で打ち、死ななかった場合で、床から起き上がり、外を歩けるようになれば、彼は、処罰を免れます。

 彼が休んだ分を弁償し、完全に治るようにしなければなりません。

21:20 自分の男奴隷あるいは女奴隷を杖で打ち、その場で死なせた場合、その人は必ず復讐されなければならない。

 奴隷を杖で打ち、その場で死なせた場合、その人は、必ず復讐されなければなりません。奴隷は、主人の財産ですが、その命をとることは、許されていません。この復讐は、人の手による復讐ではなく、神様の復讐です。この奴隷は、所有物としての奴隷です。ヘブル人が身を売った場合の奴隷とは異なります。その奴隷は、主人の財産です。他の誰かが権利を主張できない存在です。それで、その死に対しては、神様が主権者として血の責任を問われます。その日のうちに死ぬほどに打つのですから、殺意があったのです。それで、神様が復讐されると言われます。具体的には、人が彼を処罰します。

21:21 ただし、もしその奴隷が一日か二日生き延びたなら、その人は復讐されてはならない。奴隷は彼の財産だからである。

 もし、その奴隷が一日か二日生き延びたならば、復讐されない。なぜならば、奴隷は、彼の財産であるからです。

21:22 人が人と争っていて、身ごもった女に突き当たり、早産させた場合、重大な傷害がなければ、彼はその女の夫が要求するとおりの罰金を必ず科せられなければならない。彼は法廷が定めるところに基づいて支払う。

 人が人と争う中で、みごもった女に突き当たり、早産させた場合、母子ともに重大な障害がなければ、夫の要求する通りの罰金を支払わなければなりません。

21:23 しかし、重大な傷害があれば、いのちにはいのちを、

21:24 目には目を、歯には歯を、手には手を、足には足を、

21:25 火傷には火傷を、傷には傷を、打ち傷には打ち傷をもって償わなければならない。

 重大な障害があった場合、受けた障害と同じものを持って償わなければなりません。

21:26 人が自分の男奴隷の片目あるいは女奴隷の片目を打ち、目をつぶした場合、その目の償いとして、その奴隷を自由の身にしなければならない。

 奴隷の片目を潰した場合、償いとしてその奴隷を自由の身にしなければなりません。

21:27 また、自分の男奴隷の歯一本あるいは女奴隷の歯一本を打ち、折ったなら、その歯の償いとして、その奴隷を自由の身にしなければならない。

 歯を一本折ったならば、その代償してその奴隷を自由の身にしなければなりません。

21:28 牛が男または女を突いて死なせた場合、その牛は必ず石で打ち殺さなければならない。その肉を食べてはならない。しかし、その牛の持ち主は罰を免れる。

 牛が、男または女を突いて死なせた場合、その牛は、石で打ち殺されなければなりません。肉を食べてはなりません。これは、罪の処罰として殺されるからです。持ち主は、罰せられることはありません。

21:29 しかし、もし牛に以前から突く癖があり、その持ち主が注意されていたのにそれを監視せず、その牛が男または女を殺したのなら、その牛は石で打ち殺され、その持ち主も殺されなければならない。

 しかし、その牛が以前からつく癖があり、持ち主が注意されていたのにそれを監視せず、人を突いて殺すことがあったならば、その牛は殺され、持ち主も殺されます。管理の責任を怠ったからです。

21:30 もし彼に償い金が科せられたなら、彼は自分に科せられたとおりに、自分のいのちの贖いの代価を支払わなければならない。

 彼に贖い金が課せられたならば、彼は課せられた通りに払わなければなりません。それは、命の贖いの代価です。管理の責任を果たさず、人を死なせたとしても、牛のために人が処罰として殺されることがない道も用意されました。それが自分の命の贖いの代価を払うことです。

21:31 息子を突いても娘を突いても、この規定のとおりに扱われる。

 突き殺す対象は、息子の場合でも娘の場合でも同じ規定です。

21:32 もしその牛が男奴隷あるいは女奴隷を突いたなら、牛の持ち主はその奴隷の主人に銀貨三十シェケルを支払い、その牛は石で打ち殺されなければならない。

 その牛が、男奴隷、あるいは女奴隷を突いたなら、牛の持ち主は殺されず、主人に銀貨三十シェケルを支払い、牛は殺されます。

 これは、イエス様が値踏みされた値です。

21:33 人が水溜めのふたを開けたままにしておくか、あるいは、水溜めを掘って、それにふたをせずにおいて、牛やろばがそこに落ちた場合、

21:34 その水溜めの持ち主は償いをしなければならない。彼は家畜の持ち主に金を支払わなければならない。しかし、その死んだ家畜は彼のものとなる。

 水溜めや掘った水溜について、蓋をせずにしておいて、家畜がそこに落ちて死んだ場合、水溜の所有者は、家畜の持ち主に金を払わなければなりません。事故が起こる可能性を考え、それが起こらないように管理する責任があります。死んだ家畜は、水溜の所有者のものとなります。

21:35 ある人の牛が隣人の牛を突いて、その牛が死んだ場合、両者は生きている牛を売って、その金を分け、また死んだ牛も分けなければならない。

 ある人の牛が隣人の牛を突いて死なせた場合、両者は、生きている牛を売ってその代金を分けます。死んだ牛も分けます。これは、牛による事故であり、折半します。

21:36 しかし、もしその牛に以前から突く癖があることが分かっていて、その持ち主が監視しなかったのなら、その人は必ず牛を牛で償わなければならない。しかし、その死んだ牛は彼のものとなる。

 もし、突いた牛について、以前から突く癖があることがわかっていて、持ち主が監視しなかったのであれば、その人は、牛を牛で償わなければなりません。死んだ牛は、彼のものとなります。