使徒13章
13:1 さて、アンティオキアには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、領主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどの預言者や教師がいた。
アンティオキアには、人種や身分のの違いがある人たちがいました。また、預言者や教師がいました。
13:2 彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が「さあ、わたしのためにバルナバとサウロを聖別して、わたしが召した働きに就かせなさい」と言われた。
その教会は、主に用いられる教会でした。彼らの間には、一致があったし、主の言葉がよく教えられていました。また、主を恐れ、礼拝していました。また、断食をして、主に自分を捧げていました。断食は、肉の欲を断つことを表しています。
聖霊が直接御心を示し、バルナバとサウロを召したのです。主のために聖別すること、すなわち、取り分けること、そして、主が召した働きにつかせることを求めました。
13:3 そこで彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いてから送り出した。
断食したことは、肉的な判断が一切入らないことを求めたことを表しています。祈ったことは、自分の考えでなく、主の御心が実現すること求めたことの現れです。そして、二人の上に手を置いて送り出しました。出て行くのは二人ですが、彼らと一つであることを表していて、彼らも主の働きに与ることを表しています。
教会の判断に肉的に思いが一切入ってはならないのです。全ては、主の働きです。しかし、普段から主を恐れて従っていない者が、正常な判断をすることができるはずもありません。聖霊による歩みは、日常のことでなければならないのです。
13:4 二人は聖霊によって送り出され、セレウキアに下り、そこからキプロスに向けて船出し、
13:5 サラミスに着くとユダヤ人の諸会堂で神のことばを宣べ伝えた。彼らはヨハネも助手として連れていた。
彼らは、聖霊によって送り出されたのです。アンティオケの教会が送り出しましたが、彼らは、聖霊に送り出されたのです。働きへの任命は、聖霊によるのです。人の権威によって任命され、送り出されるのではないのです。
彼らは、サラミスでユダヤ人の諸会堂で神の御言葉を宣べ伝えました。人の考えを宣べ伝えたのではありません。神の言葉を取り扱う者は、この点に関して、特に注意が必要です。
ヨハネは、助手でした。
13:6 島全体を巡回してパポスまで行ったところ、ある魔術師に出会った。バルイエスという名のユダヤ人で、偽預言者であった。
パポスでは、偽預言者が働いていました。
13:7 この男は、地方総督セルギウス・パウルスのもとにいた。この総督は賢明な人で、バルナバとサウロを招いて神のことばを聞きたいと願った。
13:8 ところが、その魔術師エリマ(その名を訳すと、魔術師)は、二人に反対して総督を信仰から遠ざけようとした。
彼は、総督のもとにいましたが、総督がバルナバとサウロの話を聞きたいと思ったにも拘らず、彼は、反対し、信仰から遠ざけようとしました。
13:9 すると、サウロ、別名パウロは、聖霊に満たされ、彼をにらみつけて、
13:10 こう言った。「ああ、あらゆる偽りとあらゆる悪事に満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵、おまえは、主のまっすぐな道を曲げることをやめないのか。
13:11 見よ、主の御手が今、おまえの上にある。おまえは盲目になって、しばらくの間、日の光を見ることができなくなる。」するとたちまち、かすみと闇が彼をおおったため、彼は手を引いてくれる人を探し回った。
サウロは、彼をじっと見ました。これは、聖霊によったことです。主の裁きを宣言するためです。彼に対しては、厳しい言葉を語っています。しかし、これは、真実で、彼のしていることが神の前にいかに重大なものであるを指摘しています。彼は、ユダヤ人ですから、これらの言葉の意味がわかったはずです。
彼の目は見えなくなりました。彼は、神の言葉を受け入れず、偽預言者として働いていたのです。神の権威を借りて、偽りを語る者であるのです。神の光としての御言葉を拒む者であるのです。そのようなものに光が閉ざされたことは、相応しい裁きなのです。
なお、この時点で、サウロの名前は、パウロとも呼ばれることが記されていて、これ以降、パウロと記されています。
・「睨みつける」→じっと見る。なお、睨みつけるでは、怒りをもってじっと見ることが意味されています。彼が神の業をするときに怒りを現したとすることは考えられません。
13:12 総督はこの出来事を見て、主の教えに驚嘆し、信仰に入った。
総督は、主の教えに驚嘆しました。教えは、単に言葉だけではなく、教理の体系全体を指していて、その中に、このような奇跡も含まれます。それで、驚嘆したのです。彼は、信じました。
・「信仰に入った」→信じた。
13:13 パウロの一行は、パポスから船出してパンフィリアのペルゲに渡ったが、ヨハネは一行から離れて、エルサレムに帰ってしまった。
ヨハネは、一行から離れました。理由は記されていません。
13:14 二人はペルゲから進んで、ピシディアのアンティオキアにやって来た。そして、安息日に会堂に入って席に着いた。
13:15 律法と預言者たちの書の朗読があった後、会堂司たちは彼らのところに人を行かせて、こう言った。「兄弟たち。あなたがたに、この人たちのために何か奨励のことばがあれば、お話しください。」
会堂司は、二人に、推奨の言葉があれば語ってくれるように言いました。
13:16 そこでパウロが立ち上がり、手振りで静かにさせてから言った。「イスラエル人の皆さん、ならびに神を恐れる方々、聞いてください。
パウロは、イスラエル人に語りかけました。また、神を恐れる方々として語りかけました。彼らを尊敬して語ったのです。
13:17 この民イスラエルの神は、私たちの父祖たちを選び、民がエジプトの地に滞在していた間にこれを強大にし、御腕を高く上げて、彼らをその地から導き出してくださいました。
彼は、イスラエルがエジプトから導き出された時からの出来事を話し出しました。
13:18 そして約四十年の間、荒野で彼らを耐え忍ばれ、
13:19 カナンの地で七つの異邦の民を滅ぼした後、その地を彼らに相続財産として与えられました。
そして、彼らにカナンの地を相続させました。これは、神様の約束の実現なのです。このように、神様は、昔からその約束を実現して来られたのです。
13:20 約四百五十年の間のことでした。その後、預言者サムエルの時まで、神はさばきつかさたちを与えられました。
13:21 それから彼らが王を求めたので、神は彼らにベニヤミン族の人、キシュの子サウルを四十年間与えられました。
13:22 そしてサウルを退けた後、神は彼らのために王としてダビデを立て、彼について証しして言われました。『わたしは、エッサイの子ダビデを見出した。彼はわたしの心にかなった者で、わたしが望むことをすべて成し遂げる。』
サムエル、サウル、そしてダビデついて語り、神様が成し遂げてこられたことを証しし、そして、ダビデを選ばれた経緯を示しました。彼は、主の目に適った人でした。
13:23 神は約束にしたがって、このダビデの子孫から、イスラエルに救い主イエスを送ってくださいました。
神は、ダビデに対する約束通りに、ダビデの子孫から、イスラエルに救い主を送ってくださったのです。このように示すことで、神は信仰に応える方であることも語られています。そして、イエス様は、神の約束通りの救い主であることを示したのです。
13:24 この方が来られる前に、ヨハネがイスラエルのすべての民に、悔い改めのバプテスマをあらかじめ宣べ伝えました。
13:25 ヨハネは、その生涯を終えようとしたとき、こう言いました。『あなたがたは、私をだれだと思っているのですか。私はその方ではありません。見なさい。その方は私の後から来られます。私には、その方の足の履き物のひもを解く値打ちもありません。』
そして、彼らが身近に知っているバプテスマのヨハネの証言を引き合いに出しました。ヨハネが証ししている方は、ヨハネがその方の靴の紐を解く値打ちもないと言い表した方、神の御子です。
13:26 アブラハムの子孫である兄弟たち、ならびに、あなたがたのうちの神を恐れる方々。この救いのことばは、私たちに送られたのです。
イスラエル人をアブラハムの子孫と呼びました。信仰の父と同じように神の言葉を信じる人たちであるのではないですかと呼びかけているのです。そして、神を恐れる方々にも呼びかけました。神が約束したことは、今実現するのです。救いの言葉は、私たちのためなのだといい、それを受け入れるように勧めました。
13:27 エルサレムに住む人々とその指導者たちは、このイエスを認めず、また安息日ごとに読まれる預言者たちのことばを理解せず、イエスを罪に定めて、預言を成就させました。
確かに、エルサレムに住む人々と民の指導者たちは、イエス様を認めず、また、預言者の言葉を安息日毎に毎週聞いてきたにもかかわらず、それを理解せず、イエス様を罪に定め、預言を成就させることになったのです。
13:28 そして、死に値する罪が何も見出せなかったのに、イエスを殺すことをピラトに求めたのです。
そうして、罪のない方を殺すことを異邦人の総督に求めたのです。
13:29 こうして、彼らはイエスについて書かれていることをすべて成し終えた後、イエスを木から降ろして、墓に納めました。
13:30 しかし、神はイエスを死者の中からよみがえらせました。
彼らは、イエス様について書かれていることを全て成し遂げたのです。それは、預言されていた通りのものです。神の言葉の実現なのです。
しかし、神は、イエス様をよみがえらせました。
13:31 イエスは、ご自分と一緒にガリラヤからエルサレムに上った人たちに、何日にもわたって現れました。その人たちが今、この民に対してイエスの証人となっています。
そして、そのよみがえりには、証人がいることを示し、今、その人たちが、生きていて、証ししていることを示し、確かなことであることを示したのです。
13:32 私たちもあなたがたに、神が父祖たちに約束された福音を宣べ伝えています。
13:33 神はイエスをよみがえらせ、彼らの子孫である私たちにその約束を成就してくださいました。詩篇の第二篇に、『あなたはわたしの子。わたしが今日、あなたを生んだ』と書かれているとおりです。
パウロは、自分が宣べ伝えている福音がイスラエルの父祖たちに約束されたことの実現であることを示しました。
それは、イエス様のよみがえりによって明らかに示されたことです。その約束は、詩篇の第二篇に記されていることです。それは、イエス様が王として立てられることです。この方は、御子として証しされています。
父祖たちに与えられた約束は、あなたの子孫によって、全ての国民が祝福を受けるというものですが、それは、イエス様が王として立てられる時に実現します。
この引用された聖句は、よみがえりの預言として引用されているのではなく、よみがえりによって明らかにされた、神が王として立てられた方は、神と本質を同じくする神の御子であることの証明であるのです。この言葉を引用した時、詩篇二編全体を念頭に話しているのであり、御子として示されている方が、このイエス様であることを言っているのです。この方に救いがあるのです。
先祖たちに約束された福音は、ダビデの子孫から救い主を送るというものです。その方は、王として来られます。その方は、朽ちることのない神の御子として治められるのです。神の御子であることは、よみがえりというしるしで明らかにされたのです。
まず、父祖に与えられた約束の実現は、イエス様が王として立てられることで実現したことをはじめに述べたのです。
ローマ
1:1 キリスト・イエスのしもべ、神の福音のために選び出され、使徒として召されたパウロから。
1:2 ──この福音は、神がご自分の預言者たちを通して、聖書にあらかじめ約束されたもので、
1:3 御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、
1:4 聖なる霊によれば、死者の中からの復活により、力ある神の子として公に示された方、私たちの主イエス・キリストです。
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死者の中から復活したことは、この方が神の御子であることの公の証明です。
13:34 そして、神がイエスを死者の中からよみがえらせて、もはや朽ちて滅びることがない方とされたことについては、こう言っておられました。『わたしはダビデへの確かで真実な約束を、あなたがたに与える。』
そして、次に述べたことは、イエス様がよみがえらされて滅びることがない方とされたことです。「滅びることがない方とされたことについては」と述べ、ここからよみがえりについて語ることを述べています。このことからも、詩篇二篇の引用は、祝福の全体に対する説明であり、よみがえりの直接の説明ではないことが分かります。
なお、「ダビデへの確かで真実な約束」は、あなた方は生きるという永遠の契約です。それは、もはや朽ちることのない方によって実現するからです。これは、よみがえったことでもたらされる約束の永遠性についての説明です。実は、これも、イエス様のよみがえりについての直接的な説明ではありせん。よみがえられて永遠に滅びることがない方とされたことがもたらす、信じる者への祝福についての説明です。この方がよみがえられたことは、私たちにどのような意味を持つかを話したのです。
このように、聴衆にとって価値あることをはじめに示すことで、彼らの耳をパウロの話に向けされています。この話が聞く価値があるものであると思わないと、人は、耳を傾けることをしません。はじめに何を伝えたいかを明確にすることは大切です。
イザヤ
55:3 耳を傾け、わたしのところに出て来い。聞け。そうすれば、あなたがたは生きる。わたしはあなたがたと永遠の契約を結ぶ。それは、ダビデへの確かで真実な約束である。
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13:35 ですから、ほかの箇所でもこう言っておられます。『あなたは、あなたにある敬虔な者に滅びをお見せになりません。』
13:36 ダビデは、彼の生きた時代に神のみこころに仕えた後、死んで先祖たちの仲間に加えられ、朽ちて滅びることになりました。
13:37 しかし、神がよみがえらせた方は、朽ちて滅びることがありませんでした。
該当詩篇
16:10 あなたは私のたましいをよみに捨て置かずあなたにある敬虔な者に滅びをお見せにならないからです。
16:11 あなたは私にいのちの道を知らせてくださいます。満ち足りた喜びがあなたの御前にあり楽しみがあなたの右にとこしえにあります。
−−
そして、イエス様のよみがえりについての直接的な預言を引用しています。「私のたましいをよみに捨て置かず」と、この預言のとおりによみがえったのです。なお、預言としては、よみがえりに適用されていますが、元の詩編では、ダビデの歩みが神の前に死んだ状態にしておかないことを意味しています。ダビデの肉体の死とよみがえりのことではありません。
13:38 ですから、兄弟たち、あなたがたに知っていただきたい。このイエスを通して罪の赦しが宣べ伝えられているのです。また、モーセの律法を通しては義と認められることができなかったすべてのことについて、
13:39 この方によって、信じる者はみな義と認められるのです。
イエス様を通して、罪の赦しが与えられています。信じる者は、義とされるからです。モーセの律法を行うことでは、義とされませんが、信じる者が義とされるのです。
モーセの律法によって義と認められない全てのこととは、歩みにおける義です。彼らは、ユダヤ人であり、神を信じていました。その点に関しては、アブラハムと同じように、信仰による義を持つ者です。その彼らは、契約として律法を与えられ、それを行うことで祝福を受けるのです。しかし、「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」という戒めに全てが包含される律法を行うことができないのです。それは、内住の罪が働き、肉が働くからです。御国の報いの相続は、律法を行うことに掛かっているのに、それを行うことができないのです。ニコデモも悩み、パウロも律法を行うことができないことを覚えて、惨めであると言い表しています。しかし、イエス様を信じる者は、イエス様の偉大な愛に感じ、イエス様を信じる信仰により、死んだ行いから離れさせ、御霊によって歩み、肉に死んで、神の御心を全うすることができる者に変えられるのです。イエス様がその人の内にに住まれ、その業をなしてくださいます。そこに信仰が必要です。その信仰に歩む者が、歩みにおいても義とされるのです。
13:40 ですから、預言者たちの書に言われているようなことが起こらないように、気をつけなさい。
13:41 『見よ、嘲る者たち。驚け。そして消え去れ。わたしが一つの事をあなたがたの時代に行うからだ。それは、だれかが告げても、あなたがたには信じがたいことである。』」
そして、最後に強い警告を与えました。不信仰になってこの言葉を受け入れず、嘲るならば、驚くべきことが起こることです。消え去れという語は、直接には、旧約聖書の預言の言葉にはありませんが、カルデヤ人が来ることが続けて預言されてますので、彼らがそれによって消し去られることを要約して語っています。
嘲る者たちという言葉も、ハバクク書にはありませんが、この警告が神の言葉を聞かない人々に対して語られていることから、嘲る者たちと補足しています。
該当聖句
ハバクク
1:5 「異邦の民を見、目を留めよ。驚き、たじろげ。わたしは一つの事をあなたがたの時代に行うからだ。それが告げられても、あなたがたは信じない。
1:6 見よ、わたしはカルデア人を起こす。あの強暴で俊敏な国民だ。彼らは地を広く行き巡り、自分のものでない領土を占領する。
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13:42 二人が会堂を出るとき、人々は、次の安息日にも同じことについて話してくれるように頼んだ。
人々は、もっと詳しく知ることを願いました。彼らは、強い関心を抱きました。
13:43 会堂の集会が終わってからも、多くのユダヤ人と神を敬う改宗者たちがパウロとバルナバについて来たので、二人は彼らと語り合い、神の恵みにとどまるように説得した。
集会が終わってから、多くの人がついて来ました。彼らは、もっと知りたかったのです。ユダヤ人と改宗者であって、彼らは、神を信じている人たちです。彼らは、預言に示されているキリストがイエス様であることを知ったのです。パウロは、神の恵みにとどまるように説得しました。すなわち、確信するように説得したのです。彼らは、神が示した祝福を獲得しました。それは、イエス様がキリストであることを信じたのです。それによって、神の備えた祝福を獲得しました。そして、さらに確信を持ち続け、御国の報いを豊かに受けられるように、確信し続けることを求め、説得したのです。
・「説得する」→「信仰」の語源。主は、明け渡した信者に、主の御心を確信するように説得される。多くは、受動態で「確信する」と訳されている。
13:44 次の安息日には、ほぼ町中の人々が、主のことばを聞くために集まって来た。
13:45 しかし、この群衆を見たユダヤ人たちはねたみに燃え、パウロが語ることに反対し、口汚くののしった。
次の安息日には、ほぼ町中の人々が、集まりました。主の御言葉を聞くためです。一週間のうちに、ユダヤ人と改宗者たちだけでなく、町中の人々に、神の言葉によってもたらされる祝福について伝えられていたのです。
ユダヤ人は、その群衆を見て妬みに燃えました。ユダヤ人たちは、人々の注目を集めることに関心があったのです。今まで、会堂に集っていたユダヤ人にそこまで関心を払う町の人々は多くはなかったのです。彼らは、パウロたちに人々の関心が集まることを妬んだのです。町の人々は、神の言葉を聞こうと集まったのです。ユダヤ人が本当に神の前に純粋な信仰を持って歩んでいたならば、妬みを起こすことはなかったのです。しかし、彼らの関心は、人からの誉です。
彼らは、妬むだけでなく、パウロの語ることを妨害しました。口汚く罵ったのです。
13:46 そこで、パウロとバルナバは大胆に語った。「神のことばは、まずあなたがたに語られなければなりませんでした。しかし、あなたがたはそれを拒んで、自分自身を永遠のいのちにふさわしくない者にしています。ですから、見なさい、私たちはこれから異邦人たちの方に向かいます。
彼らは、すでに神の言葉を聞いていたのです。まず、彼らが信仰を持つことができるように語られるべきでした。しかし、すでに前の週に聞いた御言葉を彼らは拒んだのです。
彼らは、神を恐れて従うのでなく、肉的な観点で物事を考えていました。彼らは、パウロたちが語る教えそのものに反対したのではなく、町の人々がパウロの語ることに耳を傾けようとすることに妬みを覚えたのです。それで、その言葉に反対しました。しかし、彼らは、重大な過ちを犯しました。妬みから、神の言葉に反対して立ち、それを妨害することまでしたのです。彼らの肉的な生き方が、彼ら自身を永遠の命に相応しくないものにしてしまったのです。永遠の命とは、彼らが御国で資産としての報いを受けることです。もちろん、ユダヤ人の神を信じる信仰が偽りであるならば、彼らは、滅びるのです。キリストを拒んだ彼らは、救われないのです。
ユダヤ人が拒んでいることに対して、これからは、異邦人の方へ向かうことを宣言しました。祝福を拒めば、他の人に与えられるのです。
13:47 主が私たちに、こう命じておられるからです。『わたしはあなたを異邦人の光とし、地の果てにまで救いをもたらす者とする。』」
彼は、主から命じられた言葉を引用しました。彼は、異邦人の光として、神の言葉をもたらし、地の果てにまで、救いをもたらすものとされたのです。
13:48 異邦人たちはこれを聞いて喜び、主のことばを賛美した。そして、永遠のいのちにあずかるように定められていた人たちはみな、信仰に入った。
異邦人は喜び、神を賛美しました。彼らは、信じたのです。彼らは、契約からは除外されていた人たちです。しかし、永遠の滅びから救われ、信仰に答えて働く神の力による実を結ぶことで、永遠の資産を受け継ぐことができる者とされたのです。
13:49 こうして主のことばは、この地方全体に広まった。
多くの異邦人か集まって話を聞き、また、信じた人々がいたのです。それで、主の言葉がその地方に全体に広まりました。
13:50 ところが、ユダヤ人たちは、神を敬う貴婦人たちや町のおもだった人たちを扇動して、パウロとバルナバを迫害させ、二人をその地方から追い出した。
ユダヤ人たちは、さらに妬みに燃え、彼らを迫害し、町から追い出しました。彼らは、神を敬う街の有力者を扇動したのです。神の働きに逆らい、祝福の言葉を彼らからも奪う働きをしたのです。
13:51 二人は彼らに対して足のちりを払い落として、イコニオンに行った。
13:52 弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた。
足のちりを払い落としたのは、迫害するユダヤ人たちに対してです。彼らは、神の言葉を聞いて、その上で拒んだのです。多くの異邦人さえ信じたのに、それを拒んだのです。彼らの罪は明白です。
足は、所有権を表しています。ユダヤ人からは、足のちりさえ受けないことを表しています。彼らの魂を獲得することは幸いですが、神の言葉を拒む者から何も獲得することはできません。彼らからは、ちりさえも受けないことを表し、彼らに対する証しが終わったことを表しています。
弟子たちは、喜びに満ちていました。多くの人が信じたことも、そして、迫害を受けたことも、全ては、神のなさることです。それを見て喜んだのです。また、聖霊が彼らの上にとどまりました。
ペテロ第一
4:14 もしキリストの名のためにののしられるなら、あなたがたは幸いです。栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。
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