レビ記16章

16:1 アロンの二人の息子の死後、すなわち、彼らが主の前に近づいて死んだ後、主はモーセに告げられた。

 アロンの二人の息子は死にました。異なる火を捧げたからです。聖所の中の金の香檀で定められた香を捧げるべきところ、自分の火皿に香を盛って捧げたからです。

レビ記

10:1 さて、アロンの子ナダブとアビフはそれぞれ自分の火皿を取り、中に火を入れ、上に香を盛って、主が彼らに命じたものではない異なる火を主の前に献げた。

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16:2 主はモーセに言われた。「あなたの兄アロンに告げよ。垂れ幕の内側の聖所、すなわち箱の上の『宥めの蓋』の前に、時をわきまえずに入ることがないようにせよ。死ぬことのないようにするためである。『宥めの蓋』の上で、わたしは雲の中に現れるからである。

 垂れ幕の内側の聖所に時をわきまえずに入ることを禁じられました。入ることが許されるのは、七月十日の贖罪の日(宥めの日:2017版)です。その理由は、主が宥めの蓋の上に雲の中に現れられるからです。手順を踏み、祭司の宥めがされ、香の煙が宥めの蓋を覆わなければなりません。それができるのは、主の定めにより七月十日だけです。

レビ記

16:29 次のことは、あなたがたにとって永遠の掟となる。第七の月の十日には、あなたがたは自らを戒めなければならない。この国に生まれた者も、あなたがたの中に寄留している者も、いかなる仕事もしてはならない。

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レビ記

23:27 「特にこの第七の月の十日は宥めの日であり、あなたがたのために聖なる会合を開く。あなたがたは自らを戒め、食物のささげ物を主に献げなければならない。

23:28 その日のうちは、いかなる仕事もしてはならない。その日が宥めの日であり、あなたがたの神、主の前であなたがたのために宥めがなされるからである。

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16:3 アロンは次のようにして聖所に入る。罪のきよめのささげ物として若い雄牛、また全焼のささげ物として雄羊を携え、

16:4 聖なる亜麻布の長服を着て、亜麻布のももひきを履き、亜麻布の飾り帯を締め、亜麻布のかぶり物をかぶる。これらが聖なる装束であり、彼はからだに水を浴びて、それらを着ける。

 アロンは、自分の罪を清める捧げ物と全焼の捧げ物を用意します。彼は、大祭司ですが、イエス様とは異なり、まず自分の罪のために捧げ物をする必要があるのです。

ヘブル

9:7 しかし、第二の幕屋には年に一度、大祭司だけが入ります。そのとき、自分のため、また民が知らずに犯した罪のために献げる血を携えずに、そこに入るようなことはありません。

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 また、アロンは大祭司ですが、この時、聖所で仕える装束は、栄光の装束ではありません。すべては、亜麻布の装束です。体に水を浴びます。御言葉による清めの比喩です。

 この装束に着替えたのは、贖いをなす大祭司として人として来られたことを表しています。そして、十字架の御業により、永遠の贖いを成し遂げるのです。

ヘブル

9:11 しかしキリストは、すでに実現したすばらしい事柄の大祭司として来られ、人の手で造った物でない、すなわち、この被造世界の物でない、もっと偉大な、もっと完全な幕屋を通り、

9:12 また、雄やぎと子牛の血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度だけ聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられました。

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レビ記

16:30 この日は、あなたがたをきよめようと、あなたがたのために宥めが行われるからである。あなたがたは主の前ですべての罪からきよくなる。

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 直接的には、いわゆる千年王国で罪が清められることを指していますが、イエス様の十字架の御業によりなされた罪の清めの比喩です。

 この地上に来られた時、大祭司であられましたが、それは、栄光の装束を身にまとい信者のために執り成しをされる大祭司とは役割が異なります。

ヘブル

9:24 キリストは、本物の模型にすぎない、人の手で造られた聖所に入られたのではなく、天そのものに入られたのです。そして今、私たちのために神の御前に現れてくださいます。

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 この場合には、罪を犯した信者のための執り成しをされます。多くの捧げ物は、そのための比喩になっています。

16:5 彼はまた、イスラエルの会衆から、雄やぎ二匹を罪のきよめのささげ物として、雄羊一匹を全焼のささげ物として取る。

 会衆の中からは、雄山羊二匹を罪のための捧げ物とし、雄羊一匹を全焼の捧げ物として取ります。

 その捧げ物は、会衆の中から取られました。特定の人ではなく、会衆のための罪の捧げ物です。これは、会衆全体のためのもので、民を義とするために捧げられます。

16:6 アロンは、自分のための罪のきよめのささげ物である雄牛を献げ、自分と自分の家族のために宥めを行う。

 まず、アロンは、自分のための罪の清めの捧げ物として雄牛を捧げ、自分と家族のための宥めを行います。

16:7 雄やぎ二匹を取り、それを主の前、会見の天幕の入り口に立たせ、

16:8 雄やぎ二匹のためにアロンがくじを引く。一つのくじは主のため、一つのくじはアザゼルのためである。

 雄山羊二匹のためにくじを投げます。一つは、主に捧げるためです。もう一つは、アザゼルにするためです。

・「アザゼルのため」→アザゼルに関して。

・「アザゼル」→「エズ・アゼル」行く雄山羊。

・「アゼル」→「行く。」ここから、「消える。」

16:9 アロンは主のためのくじに当たった雄やぎを連れて来て、それを罪のきよめのささげ物とする。

 主に関して選ばれた雄山羊は、罪の捧げ物として捧げる。

16:10 アザゼルのためのくじに当たった雄やぎは、主の前に生きたままで立たせる。これは、それの上で宥めを行い、荒野のアザゼルのもとへ追いやるためである。

 アザゼルに関してくじに当たった雄山羊は、その上で宥めを行い、荒野へアザゼルとして行かせます。

 雄山羊の上で行われる宥めは、後述されていて、大祭司がその上で全ての罪を告白し、雄山羊に罪を負わせることです。いわば、代わりに罪を負うのです。

 なお、「アザゼルのもとへ」と訳されていますが、この山羊自体がアザゼルすなわち行く雄山羊とされているのであり、荒野にアザゼルという何かがあるわけではありません。

・「アザゼルのもとへ追いやる」→アザゼルとして行かせる。

16:11 アロンは自分のために、罪のきよめのささげ物である雄牛を献げ、自分と家族のために宥めを行う。彼は自分のために、罪のきよめのささげ物である雄牛を屠る。

 ここからは、すでに概要が語られたことについて、詳細な記述となっています。

 アロンは、自分のために罪の捧げ物の雄牛を捧げます。それは、自分のためと家族のために宥めを行うためです。

 そして、彼自身のための罪の捧げ物として雄牛を屠ります。

16:12 彼は主の前の祭壇から炭火を火皿いっぱいに、また、粉にした香り高い香を両手いっぱいに取り、垂れ幕の内側に持って入る。

 彼は、主の前の祭壇から炭火を火皿いっぱいに取ります。祭壇の火は、神の評価を表しています。

 また、粉にした香りの高い香を両手いっぱいに取ります。香は、主イエス様の比喩で、神の前に神を満たす方を表しています。

 それらは、垂れ幕の内側に持って入ります。

 記述されていませんが、香の壇がまず持って入られて設置され、次に火皿いっぱいの火が運ばれ、次に両手いっぱいの香が運ばれます。香が両手を塞いでいる時、火皿いっぱいの炭火を運ぶことはできません。

ヘブル

9:1 さて、初めの契約にも、礼拝の規定と地上の聖所がありました。

9:2 すなわち、第一の幕屋が設けられ、そこには燭台と机と臨在のパンがありました。それが聖所と呼ばれる場所です。

9:3 また、第二の垂れ幕のうしろには、至聖所と呼ばれる幕屋があり、

9:4 そこには金の香壇と、全面を金でおおわれた契約の箱があり、箱の中には、マナの入った金の壺、芽を出したアロンの杖、契約の板がありました。

9:5 また、箱の上で、栄光のケルビムが「宥めの蓋」をおおっていました。しかし、これらについて、今は一つ一つ述べることはできません。

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 ヘブル書の記述では、四節に金の香弾が至聖所にあることが記されています。このヘブル書の記事は、贖罪の日のことを取り上げていることがわかります。その贖いが、永遠の贖いの比喩として説明されています。

16:13 その香を主の前の火にくべ、香から出る雲が、あかしの箱の上の『宥めの蓋』をおおうようにする。彼が死ぬことのないようにするためである。

 香を主の前の火にくべます。香から出る雲が証しの箱の上の宥めの蓋を覆うようにします。アロンが死なないためです。香は、主イエス様の比喩で、火にくべられることは、神の評価を受けることを表しています。その時、香ばしい香りだ立ち上ります。その雲が宥めの蓋を覆うことで、そこで以前「モーセと会う」と言われたように、臨在される神が、その香をかがれて宥めを受けるためです。

 そして、さらに神を宥める要素が二つ取り上げられています。一つは、宥めの蓋で、もう一つは、証しの箱です。宥めの蓋は、その名が宥めを表しています。ケルビムは、イエス様に注目しました。御使いに見られて敬虔であることが認められた方です。霊の世界からの評価を受けられ、褒め讃えられるべき方なのです。

 証しの箱は、贖われた者としてすなわち、肉にはよらず御霊によって神の御心を完全に行われて神を証しされたことを表しています。そして、雲のように豊かな香りで神を満たされたのです。

 このように、イエス様は、父を宥め、満たされる方ですが、もう一つ血が要求されました。

16:14 それから、雄牛の血を取り、指で『宥めの蓋』の東側に振りまき、また、指で七度その血を『宥めの蓋』の前に振りまく。

・「宥めの蓋の東側」→宥めの蓋の表面の東側。

・「前に」→表面に。

16:15 アロンは民のために、罪のきよめのささげ物である雄やぎを屠り、その血を垂れ幕の内側に持って入り、この血を、先の雄牛の血にしたように、『宥めの蓋』の上と『宥めの蓋』の前にかける。

 雄牛の血と雄山羊の血は、まず、宥めの蓋の上の東側に指で振りまかれます。さらに、宥めの蓋の(前→表面)に七度指で振りまかれます。蓋の上の東側にまかれたものは、神の前に覚えられる血の尊さです。箱の表面に七度振りまかれた血は、蓋全体を覆います。血によって宥めが完全になされたことを表しています。七は、満たす意味での完全さを表します。

・「かける」→雄牛の血にしたことと、雄山羊の血にしたことは、同じことであることが「~したように」と記されていることから分かります。そして、「かける」と十四節の「振りまく」は、同じ原語です。

16:16 彼はイスラエルの子らの汚れと背き、すなわちそのすべての罪を除いて、聖所のための宥めを行う。彼らの汚れのただ中に、彼らとともにある会見の天幕にも、このようにする。

 このように、血が振りかけられることで、イスラエルの子らの汚れと背きの全ての罪が除かれ、聖所の宥めがされます。この聖所は、至聖所のことです。イスラエルの子らの中に臨在されるための宥めとなります。

 また、会見の天幕は、幕屋の前部の部分です。同じようにするとは、同じように血を振り掛けて清めることを表しています。

ヘブル

9:21 また彼は、幕屋と、礼拝に用いるすべての用具にも同様に血を振りかけました。

9:22 律法によれば、ほとんどすべてのものは血によってきよめられます。血を流すことがなければ、罪の赦しはありま

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16:17 彼が宥めを行うために聖所に入って、再び出て来るまで、だれも会見の天幕の中にいてはならない。彼は自分と自分の家族、それにイスラエルの集会全体のために宥めを行う。

 彼が宥めを行うために聖所に入って、再び出てくるまで、誰も会見の天幕に入ってはなりません。それは、その宥めの業は、イエス様以外に行うことができないことを表しています。

 アロンは、自分と自分の家族、そして、イスラエルの家全体のための宥めを行います。イエス様に関しては、アロンと異なり、すでに見たように、血にはよらず神を宥めるものをお持ちでした。その方の血によって、宥めがされたのです。

16:18 そして、主の前にある祭壇のところに出て行き、そのために宥めを行う。すなわち、彼はその雄牛の血と雄やぎの血を取り、それを祭壇の四隅の角に塗る。

 そして、祭壇のための宥めを行います。雄牛と雄山羊の血は、祭壇の角に塗られました。角は、神の権威を表し、聖さを要求しています。祭壇の四隅に塗られることで、あらゆる方面の宥めがされたことを表しています。

16:19 また、その残りの血を、その祭壇の上に指で七度振りまく。こうして彼はイスラエルの子らの汚れからそれをきよめ、聖別する。

 そして、残りの血を祭壇の上に七度振りまきます。血によって、祭壇は、イスラエルの子らの汚れから清められます。それは、神のために聖別されます。聖められたものとして、神様が用いることができます。

16:20 彼は、聖所と会見の天幕と祭壇のための宥めを行い終えたら、先の生きている雄やぎを連れて来る。

 彼が血によってなしたことは、聖所と会見の天幕と祭壇のためのなだめです。イスラエル民の間にある汚れから清め、神を宥めるためです。

 そのうえで、生きている雄山羊を連れて来ます。

16:21 アロンは生きている雄やぎの頭に両手を置き、それの上で、イスラエルの子らのすべての咎とすべての背き、すなわちすべての罪を告白する。これらをその雄やぎの頭の上に載せ、係りの者の手でこれを荒野に追いやる。

 アロンは、雄山羊の頭に両手を置きます。そして、その上でイラスエルの子らの全ての咎とすべての背き即ちすべての罪を告白します。それは、雄山羊の頭の上にすべての罪を載せることを表しています。そして、係の者が荒野に追いやります。

 罪を雄山羊の頭の上に載せることは、比喩となっています。主イエス様が私たちの罪を代わりに負うことを表しています。

16:22 雄やぎは彼らのすべての咎を負って、不毛の地へ行く。その人は雄やぎを荒野に追いやる。

 雄山羊は、彼らの全ての咎を負って、切り離された地へ行きます。それは、彼らの罪を思い出すことをしないということを表しています。

ヘブル

10:17 「わたしは、もはや彼らの罪と不法を思い起こさない」 と言われるからです。

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・「不毛の」→切り離された。

16:23 アロンは会見の天幕に戻り、聖所に入ったときに着けていた亜麻布の装束を脱いで、そこに残しておき、

16:24 聖なる所でからだに水を浴び、自分の衣服を着て外に出て、自分の全焼のささげ物と民の全焼のささげ物を献げ、自分のため、民のために宥めを行う。

 アロンは、着ていた亜麻布の装束を脱ぎ、水を浴びて清め、栄光の装束に着替えます。これは、父の前に現れられる大祭司としてのイエス様の比喩です。自分の衣服を着てと記されていますが、彼は、その後で全勝の捧げ物をさざますので、私服ではありません。

 そして、自分のため、民のために全焼の捧げ物を捧げます。

16:25 罪のきよめのささげ物の脂肪は、祭壇の上で焼いて煙にする。

 罪の清めの捧げ物の脂肪は、祭壇の上で焼いて煙にします。

16:26 アザゼルの雄やぎを追いやった者は衣服を洗い、からだに水を浴びる。その後で、宿営に入ることができる。

 アザゼルの雄山羊を追いやった者は、衣服を洗い、体に水を浴びます。彼は、罪を負ったアザゼルの山羊に触れたのですから、自分を清める必要があります。

16:27 罪のきよめのささげ物の雄牛と、罪のきよめのささげ物の雄やぎで、その血が宥めのために聖所に持って行かれたものは、宿営の外に運び出し、皮と肉と汚物を火で焼く。

 罪の清めのための捧げ物である雄牛と雄山羊でその血が宥めのために聖所に持って行かれたものは、宿営の外に運び、皮と、肉と汚物を火で焼きます。

16:28 これを焼く者は自分の衣服を洗い、からだに水を浴びる。その後で、宿営に入ることができる。

 これを焼く者は、衣服を洗い、体に水を浴びます。罪の身代わりとなった捧げ物は、罪を負っていることを表し、それに触れることで汚れるからです。

16:29 次のことは、あなたがたにとって永遠の掟となる。第七の月の十日には、あなたがたは自らを戒めなければならない。この国に生まれた者も、あなたがたの中に寄留している者も、いかなる仕事もしてはならない。

16:30 この日は、あなたがたをきよめようと、あなたがたのために宥めが行われるからである。あなたがたは主の前ですべての罪からきよくなる。

 七月十日には自らを戒めなければなりません。また、仕事をしてはならないのです。この日は、清めが行なわれるからで、宥めがなされ、主の前で全ての罪が清められるからです。それで、それを表すこの日には、身を戒めるとあるように、肉のためには生きないのです。さらには、いかなる仕事もしません。

16:31 これがあなたがたの全き休みのための安息日であり、あなたがたは自らを戒める。これは永遠の掟である。

 仕事をしないのは、それがあなた方のための全き休みの日であるからです。それを表すために、安息日として守るのです。他の安息日も、永遠の安息を表すものとして仕事をしないのです。自分のために生きないのです。それで、その日に、自分を戒めるのです。

16:32 油注がれ、父に代わって祭司として仕えるために任命された祭司が、宥めを行う。彼は亜麻布の装束、すなわち聖なる装束を着ける。

16:33 彼は至聖所のための宥めを行い、また会見の天幕と祭壇のための宥めを行う。彼はまた、祭司たちと集会のすべての民のための宥めを行う。

16:34 以上のことは、あなたがたにとって永遠の掟となる。これは年に一度イスラエルの子らのために行われる、彼らのすべての罪を除く宥めである。」モーセは主が命じられたとおりに行った。

 父に代わって祭司として仕えるために任命された油注がれた祭司は、アロンがしたのと同じように、至聖所、会見の天幕、祭壇、祭司たちとたみの宥めを行います。彼は、亜麻布の装束を着けます。それは、聖なるものです。人として遣わされた主イエス様は、聖なる方であり、その歩みは、聖なるものでした。

 このようにして、年に一度、彼らの全ての罪を除く宥めがなされます。これは、イエス様が一度にして永遠の罪を除く宥めを行なったことの比喩です。