ヨブ記41章
41:1 あなたは釣り針でレビヤタンを釣り上げることができるか。輪縄でその舌を押さえつけることができるか。
レビヤタンについて取り上げました。わにとも言われます。しかし、後半には、これが単に動物のことを表しているだけではなく、比喩であることがわかります。主は、十二節以降に体の部分について黙ってはいられないとその素晴らしさを言い表しています。それらは、比喩を含んでおり、御子イエス様の比喩になっています。
レビヤタンを釣り針で吊り上げることができるかと問われました。輪縄でその舌を押さえつけることができるかと。できないのです。とても手出しはできません。
釣り針で釣り上げることは、自分のものとすることを表しています。自分の支配のもとに置くことを表していて、そのようにレビヤタンに例えられている主を自分の支配下に置くことができるかと問うています。
舌を押さえ付けることが取り上げられています。単に口を開かないようにするならば、口を縛り上げることになりますが、「舌」が取り上げられているのは、語る言葉を比喩として示しているからです。主が語られる言葉を押さえつけることができるかと問うているのです。
41:2 あなたは葦をその鼻に通すことができるか。鉤をそのあごに突き通すことができるか。
葦をその鼻に通すことができるかと。鼻は、霊による働きを表しています。それを葦で突き通すように、人の預言の言葉で制御できるかと。葦は、預言者の比喩です。
鉤をあごにつき通すことができるかと。それは、口を制御することを表しています。神の語ることを制御できるかと。
41:3 これが、しきりにあなたに哀願し、優しく語りかけるだろうか。
これが、あなたに哀願するかと。優しく語りかけるかと。神の方から、あなたにすり寄るだろうか。
41:4 これがあなたと契約を結び、あなたがこれを捕らえて、永久に奴隷とすることになるだろうか。
それを契約を結んで、捕えて永久に奴隷にすることができるかと。これは、神と契約を結んで、自分に服従させることができるかと例えています。
41:5 あなたは鳥と戯れるように、これと戯れ、娘たちのために、これをつなぐことができるか。
鳥は、レビヤタンと戯れています。これは、神の近づくことができる御使いのことです。
娘のためにこれをつなぐことは、どうしてもしなければならないことではなく、娘の喜びのためにする些細な動機です。しかし、手軽にできることではないことです。自分の思いのままにすることはできません。
41:6 漁師仲間がこれを競りにかけ、商人たちの間で分けるだろうか。
これが売りに出されることがあるかと。商売のために危険を冒してまでして捕えるようなものではありません・
41:7 あなたは銛でその皮を、やすでその頭を突くことができるだろうか。
それは、銛でもやすでもつくことができません。一発で仕留められれば良いですが簡単には行きません。この方に何か変更を加えることはできません。
41:8 その上にあなたの手を置いてみよ。その戦いを思い出して、二度と手を出すな。
その上に手を置いてみよと。猛烈に攻撃してきます。二度と手を出すなと警告しました。てなづけることはできません。
41:9 見よ。それに立ち向かう期待は裏切られる。それを見ただけで圧倒されるではないか。
それに立ち向かうことができるのではないかと期待しても、裏切られます。見ただけで、勝ち目はないと圧倒されます。
41:10 それを起こすほどの狂暴な者はいない。そうであれば、だれがいったい、わたしの前に立つことができるだろうか。
それを起こすほどの凶暴な者はいないと。誰にもできないことです。そうであるならば、主権者の前に誰が立つことができるだろうかと。
41:11 だれが、まずわたしに与えたというのか。わたしがそれに報いなければならないほどに。天の下にあるものはみな、わたしのものだ。
誰が、まず主に与えたのかと。与えたことに報いなければならないほどに与えた者があるのかと。天の下にあるものは、みな主のものです。それなら、誰も与えられないのです。
41:12 そのからだの部分についてわたしは黙ってはいられない。それの力強さと、その体格の見事さについて。
さらに、主は、ご自分が作られたものについて、披露されました。黙っていられないと言われ、ご自分の作品の優れたところを紹介されました。その力強さ、その体格の見事さを紹介されます。
これらは、比喩になっています。主が造られた偉大なものについて示していますが、主の偉大さが重ねられています。
41:13 だれが、その外套をはぎ取ることができるか。胸当ての折り目の間に入ることができるか。
それは、外套を着ているようです。その折り目の間に入ることさえできません。神の作品として、良い行いで満ちていて、誰もそれを剥ぐことができないように、その良い行いを妨げることはできないのです。
41:14 だれが、その顔の戸を開けることができるか。その歯の周りには恐怖がある。
その顔の戸を開けることができるかと。顔全体が口です。そして、歯がぎっしりと並んでいて、恐怖です。
門は、この方の支配を表しています。そこから顔を向けられています。裁きと祝福のためです。しかし、その支配は、人の思い通りにはなりません。その歯は、獲物を噛み砕く歯であるので、恐ろしいのです。
・「戸」→戸。門。
41:15 その背は並んだ盾、封印したように固く閉じている。
その背は、盾が並んだようです。しかも、封印したように固く閉じています。敵のどのような攻撃にも、耐えます。悪魔が放つ火矢もものともしません。
41:16 一つ一つぴったり付いて、風もその間を通れない。
41:17 互いにくっつき、固くつながって離れない。
盾が、固くくっついて離れません。隙間はなく、風も通りません。風は、悪魔と悪霊の働きの比喩です。そのような働きを完全に断ちます。
41:18 そのくしゃみは光を放ち、その目は暁のまぶたのようだ。
くしゃみは、光を放ちます。くしゃみは、神の霊の比喩です。それは、光を放ちます。人に真理の教えとしての光をもたらします。その目は、信仰の比喩で、人の場合、神の言葉を信仰によって受け入れることを表しています。ここでは、信仰に対応するものとして、暁の光としての真理の光を与えます。
くしゃみは、光をもたらす霊の働き、そして、目は、信仰によって受け入れるべきものとしての光を表しています。
41:19 その口からは、たいまつが燃え出し、火花が噴き出す。
たいまつは、評価のための火です。アブラハムが供えた獣のの間を通ったのは、たいまつとかまどです。たいまつは、いけにえとして捧げられた主イエス様の栄光を照らすものです。火花も神の評価です。
41:20 その鼻からは煙が出て、煮え立つ釜や、燃える葦のようだ。
煙や燃え立つ釜は、裁きを表しています。葦は、愚かにもその鼻を突き通すために用いられるものですが、そのような物は、燃やされることを表しています。これは、無謀にも神の権威に逆らうことに対しての神の裁きを表しています。
ヨブがしたことは、葦を鼻に突き通そうとすることです。それは、くしゃみを誘い、光が放たれます。ヨブは、知識がないと言われましたが、主は、その知識を放たれる方であるのです。そして、権威に逆らうならば、燃やし尽くされるのであり、権威の偉大さを示しました。ヨブが物申すことは、その権威をわきまえないことでした。ただし、ヨブは、その権威に逆らうことはしていません。
41:21 その息は炭火をおこし、その口からは炎が出る。
息は、神の霊の比喩です。それは、炭火をおこします。炭火は、神の評価です。炎は、神の評価です。それは、栄光を現し、また焼き尽くします。
41:22 その首には力が宿り、その前には恐れが踊る。
首には、力が宿ります。その前には、恐れが踊るとあるように、恐るべき方の比喩です。
41:23 その肉のひだはつなぎ合わされ、その身に固く付いて、揺るがない。
肉のひだはつなぎ合わされ、その身に固く付き、揺るぎません。これは、肉を持たれましたが、綻びがないことを表しています。すなわち、肉に従って罪を犯すことがないことを表しています。
41:24 その心臓は石のように硬く、臼の下石のように硬い。
その心臓は、石のように硬いと。心臓は、実際は石のように硬いと機能しません。この場合、心臓は、心の比喩です。その心は、石すなわち(神の)教えあるいは、御心に整合していて、その通りに行動することを表しています。
41:25 それが起き上がると、力ある者もおじけづき、おろおろして逃げ惑う。
それが起き上がると、力ある者も怖気付き、逃げ惑います。
41:26 それを剣で襲っても無駄だ。槍でも、投げ矢(あるいは槍)でも、矢じりでも。
それで、剣で襲っても無駄です。剣は、御言葉の比喩です。悪魔がしたように、御言葉を用いた攻撃の比喩です。
槍は、裁きとして悪を突き通すことを表しています。
投げ矢は、投げ槍と考えられます。
矢じりは、矢のことで御言葉により突き通すことを表しています。
敵対する者は、攻撃の手段として御言葉を用いるのです。しかし、それによって攻撃しても無力です。
これは、言葉による攻撃です。揺るがないのです。
41:27 それは鉄を藁のように、青銅を腐った木のように見なす。
鉄を藁のように見做し、青銅を腐った木のように見做します。鉄と青銅は、強いものとして取り上げられています。
41:28 矢によっても、それが逃げるようにはできず、石投げの石も、それには藁となる。
矢は、御言葉の比喩です。石は、教えの比喩です。それらによっても、それが逃げるようにはできません。
言葉による攻撃のことを表していて、それによって揺らぐことはありません。
41:29 こん棒さえ藁のように見なし、投げ槍のうなる音をあざ笑う。
棍棒も藁のようです。投げやりの唸る音を嘲笑います。
41:30 その下腹は鋭い土器のかけら、それは打穀機のように泥の上に身を伸ばす。
下原も、土器のかけらに覆われているかのようです。泥の中の掘られた溝に身を横たえます。
・「脱穀機」→切開する、または(能動的に)切開する。それゆえ(名詞男性または女性として)(掘られた)溝、(採掘された)金、(鋭い歯を持つ)脱穀橇; (比喩的に)決意; また熱心な; 決定、勤勉、(細かい)金、尖ったもの、鋭い、脱穀器具、壁。
41:31 それは深みを釜のように沸き立たせ、海を、香油をかき混ぜる鍋のようにする。
それは、深みを湧き立たせ、海を沸き立たせます。
41:32 それが通った跡には光が輝き、深淵は白髪のように見なされる。
それが通った跡は、光が輝きます。すなわち、この方による栄光が現されるからです。
深淵すなわち、前節の深みとして例えられている光の届かないところを白髪のようにご自分の栄光を現すところとされます。
41:33 地の上に、これと似たものはなく、恐れを知らないものとして造られた。
41:34 高いものすべてを見下ろし、誇り高い獣すべての王である。
直接には、レビヤタンですが、イエス様の比喩になっています。恐れを知らないのです。どのような攻撃を受けても動じないのです。そして、栄光を現されます。すべてのものを見下ろし、誇り高いものの上にあり、王として支配される方です。