ヨブ記29章

29:1 ヨブはさらに言い分を続けた。

29:2 ああ、できることなら、昔の月日のようであったらよいのに。神が私を守ってくださった日々のようであったらよいのに。

 ヨブは、誰が昔の月日に自分を置いてくれるだろうかと問いました。神が自分を見守ってくれた日々のようにと。

29:3 あのとき、神はともしびを私の頭上に照らし、神の光によって私は闇の中を歩いた。

 神がご自分の灯火をヨブの頭の上に輝かせる中に、ヨブは、神の光によって闇を歩きました。

・「照らし」→輝く。

29:4 私がまだ壮年であったころ、私の天幕の中には神との親しい交わりがあった。

 ヨブが壮年の時、彼の天幕の中には、神との親しい交わりがありました。

29:5 全能者がまだ私とともにおられたとき、私の子どもたちが周りにいた。

 ヨブは、子供たちを失う災いにあって後、全能者が共におられないと考えています。彼は、その災いは、自分の罪を神が責めておられると考えていました。しかし、そのような災いを受けるほどの罪を犯してはいないことも訴えています。彼は、その災いの理由を知りたいと訴えました。神との親しい交わりを回復したいからです。

29:6 あのとき、私の足は凝乳に浸され、岩は私に、油の流れを豊かに注ぎ出してくれた。

 凝乳は、教えの比喩です。足が凝乳に浸されていることは、その歩みが完全に御言葉にかなっていたことを表しています。岩は、主の比喩です。油は、聖霊の比喩です。豊かに注ぎ出されることは、聖霊によって歩んだことを表しています。

29:7 私は町の門に出て行き、広場に自分の座る所を設けた。

 ヨブが町の門で座を設けるのは、彼が裁き司であることを表しています。

29:8 すると、若者たちは私を見て身を引き、年老いた者も起きてまっすぐに立った。

29:9 首長たちは話すのを控え、手を口に当てた。

 その時、誰もがヨブに敬意を払いました。若者たちは、身を引き、年老いた者までもまっすぐに立ったのです。年寄りの前で起立することは、律法の規定ですが、それは年寄りを敬うことを表しています。その老人から敬意を払われる存在であったのです。

 首長たちは、町の有力者です。彼らは、ヨブの前では、話すのを控えました。これも、ヨブに敬意を払うからです。身分の高い人の前では自分の会話は控えるのは当然です。首長たちさえそのようにしたのです。

レビ記

19:32 あなたは白髪の老人の前では起立し、老人を敬い、またあなたの神を恐れなければならない。わたしは主である。

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・「首長」→H8269。例:(ファラオの)高官。(アビメレクの)将軍。(看守)長。(料理)長。

29:10 君主たちの声もひそまり、その舌は上あごについた。

 司たちの声もひそまりました。彼らは、民の指導者です。舌が上顎につくことは、全く話さないことを表現しています。

・「君主」→君主。司。長。隊長。

29:11 私のことを聞いた耳は、私を称賛し、私を見た目は、私の証人となった。

 ヨブのことを聞いた人は、彼を称賛しました。また、実際ヨブのことを見た人は、その証人となりました。

29:12 それは私が、叫び求める苦しむ人を、身寄りのないみなしごを助け出したからだ。

 これ以降、彼が人々から敬意を受け、称賛を受ける理由が語られています。

 彼は、叫び求める謙った者、また、身寄りのない孤児を助け出しました。そのような者を救うことは、神の業ですが、彼は、その働きに身を捧げたのです。

・「貧しい」→謙る者。

29:13 死にかかっている者からの祝福が私に届き、やもめの心を私は喜ばせた。

 死にかかっている人は、ヨブの助けによって、ヨブを祝福しました。やもめは、ヨブによって喜ぶことができました。

29:14 私は義をまとい、義は私をおおった。私の公正さは上着であり、かぶり物であった。

 彼は、義を現したのです。それが纏うということです。ヨブを覆っていました。また、規定すなわち神の前に正しい教えを守ったのです。彼は、被り物として、その規定が現れるようにすなわち神の教えが現れるように振る舞い、教えを飾ったのです。上着は、外に現れる行いです。実践したのです。

・「義」→義。

・「公正」→規定。名詞ですが、規定を守ることを表しています。

29:15 私は目の見えない人の目となり、足の萎えた人の足となった。

 彼は、目の見えない人の目となりました。足の萎えた人を助け、その必要を満たしたのです。

29:16 私は貧しい人の父となり、見知らぬ人の訴訟を取り上げ、調べてあげた。

 また、貧しい人の父のように、彼を守り養いました。また、見知らぬ人の訴訟を取り上げ、調べたのです。その労苦を惜しみませんでした。

・「貧しい」→貧しい。主を求める人。

29:17 また不正を働く者の牙を砕き、その歯の間から獲物を奪い返した。

 不正を働く者の悪事をとどめたのです。そして、その餌食となっていた人を救い出しました。

29:18 そこで私はこう思った。「私は自分の巣とともに息絶えるが、自分の日数を砂のように増やす。

 そこで、彼は、言いました。自分は住まいとしている所と共に死ぬが、自分の日数が限りなく増やされると。彼は、死後のことを考えました。神の前にとこしえに栄光を受けることを思っていたのです。彼は、この世のものを思っていたのではありません。

・「思った」→言った。

29:19 私の根は水に向かって伸び広がり、夜露が私の枝に宿る。

 彼が求めたものは、水です。水は、御言葉の比喩です。根を伸ばすことは、積極的に求めたことを表しています。

 夜露は、神の言葉の比喩です。彼の枝に宿りました。これは、神から御言葉が与えられることを表しています。彼は、神の言葉を豊かに求め、受けていたのです。

29:20 私の栄光は私とともに新しくなり、私の弓は私の手によって次々と矢を放つ」と。

 そして、彼の内で彼の栄光は新しくなりました。外に現れたということではありません。そのような栄光は、神からの評価であり、たましいの歩みに対して与えられる栄光です。御言葉に従うところに神からの栄光があります。

 弓は、御言葉の比喩です。それは、時には、内面の悪を撃つ神の裁きともなります。ここでは、次節以降の内容から、彼が御言葉を語るものであることを表しています。

・「私とともに」→私の内で。

29:21 人々は期待して私の言うことに聞き入り、私の助言に黙って従った。

 そのヨブが語ることに人々は期待し、ヨブの言うことに聞き入りました。そして、その助言に黙って従いました。

29:22 私が語った後にはだれも言い返さず、私のことばは彼らの上に降り注いだ。

 助言に黙っていたことは、言い返さないことを表しています。誰も言い返しませんでした。その通りであると受け入れたのです。ヨブの言葉は、雨のように彼らに降り注ぎ、彼らに吸収されたのです。

29:23 彼らは雨を待つように私を待ち、後の雨を待つように、口を大きく開けて待った。

 彼らは、農夫が雨を待つようでした。後の雨は、雨季の終わりのすなわち、冬の終わりの初春の雨のことです。多くの植物の成長にとっては、大切な雨です。彼らは、そのような貴重なものとしてヨブの言葉を聞こうとしたのです。それは、価値ある言葉でした。彼らは、言い返さず、そのまま受け入れたのです。ヨブがその言葉の中に生きていたのです。彼らは、ヨブに強い敬意を持っていました。自分もヨブのように歩むことを願う人は、非常に貴重な言葉としてヨブの言葉を聞いたのです。

 なお、そのようなこととは逆に、自分を主張する人は、言い返し、その言葉を受け入れることはありません。貴重なものを失っているのです。

29:24 私が彼らにほほえみかけると、彼らはそのことを信じることができなかった。彼らが私の顔の光を陰らせることはなかった。

 ヨブが彼らに微笑みかける時、彼らには信じられないことでした。霊的にも、身分においてもはるかに高貴な人から、顧みられるとは、考えられないことです。しかし、ヨブは、そのような一人一人に柔和に振舞いました。彼らが拒むことはなかったのです。ヨブが愛をもって彼らに接することに対して、彼らが拒むことは、その光を遮り、陰に入ることです。そのようなことはなかったのです。

29:25 私は彼らの行くべき道を選んでやり、首長のように座に着いた。また、軍勢とともにある王のように住み、嘆き悲しむ人を慰める者のようであった。

 ヨブは、彼らの行くべき道を選んであげました。神の前に最善であり、その人にとって最も祝福された道を知っているからです。

 また、「→頭として座につき、力においては、軍勢とともにある王であることに従って住んだ。」嘆き悲しむ日を慰める者として、その力を用いたのです。

・「首長」→王。頭。H7218。九節の首長とは異なる語。