ヨブ記26章
26:1 ヨブは答えた。
26:2 あなたは無力な者をどのように助けたのか。力のない腕をどのように救ったのか。
ヨブは、ビルダデが人は神の前に正しくあり得ないと言ったことを受けて、これを語っています。ビルダデは、ヨブの霊的状態について正しく認識していませんでした。そして、ヨブの語る言葉を一つも受け入れていません。ヨブの受けた災いを見て、これがヨブの犯した罪のためであると断じているのです。そのような彼が、無力な者をどのように助けたのか問うています。無力な者は、神の前に正しく歩もうと願ったとしても、歩むことのできない無力な者なのです。そのような状態にある者を、今、ビルダデがしているように、ただその罪を責めるだけであるならば、どうして立たせることができるだろうかと。
力のない腕は、正しいことを行うことができません。そのような者をどのように救うことができだろうか。ビルダデのように、ヨブの話も聞かず、一方的にその苦難の原因を彼の罪と決めつけて語るならば、彼を救うことはできないのです。
彼のしていることは、狭い知識で、全てを判断していることです。そして、ヨブの語る言葉を聞かないことです。そして、ヨブの高度な霊的な歩みを理解できていないことです。自分の狭い知識、低い霊的状態、そして、正しい言葉にも耳を傾けない態度が、彼を役に立たない者にしているのです。ここでは、罪を責めることが正しくないと言っているのではなく、自分の知識の狭さや、霊的水準の低さに気づかないことが問題とされています。
26:3 知恵のない者にどのように助言し、知性を豊かに示したのか。
神の御心や計画を信仰によって受け入れる分別のない者に、どのように助言したのか。そして、どのように、多くの者に、御心を明らかにしたのか。
知恵は、神の言葉を受け入れる分別です。彼らは、神の言葉に従って生きることができていない者たちです。そのような者に、神の御心を正しく示すことが「助言」です。神の御心に関して狭い知識しかない彼らが、どうして助言することができるでしょうか。神の教えの全体像について、良く知らないで、他の人に助言を与えることはできません。
知性は、神の計画や御心です。ここでは、御心です。
・「知恵」→神の御心や計画を信仰によって受け入れる分別。
・「助言する」→助言する。
・「知性」→神がなそうとすることすなわち御心。
26:4 だれに対してことばを告げたのか。だれの息があなたから出たのか。
誰に対して言葉を告げたのかと問いました。彼らは、悪人に告げるようにそのひどい罪を責めていました。ヨブは、そのような者ではないのです。
そして、その教えは、誰の霊なのかと。霊は、教えをなす者を表しています。その教えを受け入れるのも霊の働きです。彼らのなしている教えは、誰のものかと問うています。彼らの教えは、誤りではありません。しかし、適用が間違っています。ヨブには当てはまらないことを告げていたのです。御言葉を扱うのであれば、その適用においても、正しくなければならないのです。
・「息」→霊。同じ原語。
26:5 死者の霊たち、水に住む者たちはその底で、もだえ苦しむ。
水に住む死者たちの霊は、次節の「滅びの淵」の底に住む者たちです。水は、御言葉の比喩です。淵の底には、光が届きません。彼らには、御言葉は豊かに与えられたのです。しかし、彼らは、それを拒みました。彼らは、光のないところで、御言葉に照らして裁きを受け、苦しむのです。
詩篇
88:6 あなたは私を最も深い穴に置かれました。暗い所に深い淵に。
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26:6 よみも神の前では裸であり、滅びの淵もおおわれることはない。
神にとって隠れおおせるものはありません。このことは、結論として十四節で、神についてその業の一部しか知りえないことを言うためです。
よみも神の前には裸です。滅びの淵が覆われることはありません。
26:7 神は北を、茫漠としたところに張り広げ、地を、何もないところに掛けられる。
北の示すところには、何もありません。地は、何もないところに掛けられます。これは、天体の観測や、地の様子を宇宙から見ないと分からないことです。
・「茫漠」→何もない。
・「張り広げる」→伸ばす。
26:8 神は水を濃い雲の中に包まれるが、雲はその下で裂けることはない。
雲は水をはらんでいますが、雲の下は裂けることがありません。
26:9 神は満月の面をおおい、その上に雲を広げ、
満月の面も雲によっておおわれます。
26:10 水の面に円を描いて、光と闇との境とされた。
光と闇の境は、水の面では、円のようになります。これは、地球規模の現象で、宇宙から見ないとわからないことです。
26:11 天の柱は揺らぎ、神の叱責に驚愕する。
天の柱は、地の柱をはるかにしのぐものであり、天は宇宙あるいは空ですが、それが揺らぐことは、人は知りえないことです。神は、それを揺るがすのです。
26:12 神は御力によって海を鎮め、ご自分の英知をもってラハブを打ち砕かれる。
海を鎮めるのは、神の御力によります。神は、英知すなわちご自分の計画に従ってラハブを打ち砕かれます。ラハブは、海の巨獣を表しています。これは、悪魔の比喩です。
・「英知」→知識、教え通りに行動する分別
26:13 その息によって天は晴れ渡り、御手は逃げる蛇を刺し殺す。
天が晴れ渡るのは、その息によります。
その力は、逃げる蛇を刺殺します。この蛇も、ラハブと同じく、悪魔の比喩です。
26:14 見よ、これらは神のみわざの外側にすぎない。私たちは神についてささやきしか聞いていない。御力を示す雷を、だれが理解できるだろうか。
ヨブは、これらが神の御業の外側すなわち表面から見える一部に過ぎないと言いました。列挙されたことも驚くべきことです。しかし、神の御業は、遥かに深く大きいのです。それは、ささやきと言われるほど、わずかなことしか知り得ないのです。
雷は、神の御力を示します。しかし、誰がそれを理解できるだろうかと。
このように言うのは、次章で明らかにされますが、友たちの抱えている問題点を指摘するためです。神の御業は、非常に大きく深いのに、友たちは、神について非常に表面的な捉え方しかしていません。災いの原因は、ヨブの罪のあると指摘するだけです。ヨブの言葉を聞き、理解することができないのです。彼らは、神の業を表面的にしか知らずに、自分の判断が間違いない神の知識であるかのように語っていたのです。