ヨブ記25章

25:1 シュアハ人ビルダデが答えた。

25:2 主権と恐れは神のもの。神はその高い所で平和をつくられる。

 主権と、恐れすなわち神への恐れは、神のものです。

 神が高いところで造られるものは、御心の実現による完全さです。それは、人にも及び、神のものとされた信者を変えることで、御心を行わせ完全さをもたらそうとしておられます。

 なお、ここで問題とされているのは、ヨブの清さです。「平和」は、関係しません。

・「平和」→完全さ。御心の実現によってもたらされる完全さ。

25:3 その軍勢の数には限りがあるだろうか。その光に照らされない者がいるだろうか。

 その軍勢は、神の力を表しています。それに限りはないのです。その光は、すべてを明らかにする光です。そのことは、次の節の人の清さと関係しています。ここでは、特に罪を明らかにする光です。

25:4 人はどうして神の前に正しくあり得るだろうか。女から生まれた者が、どうして清くあり得るだろうか。

 それで、神の前に人はただしくあり得ないことを示しました。人は清くないと。

25:5 ああ、神の目には月さえ輝きがなく、星も清くない。

 月や星は、光を放ち、輝きますが、神の光に照らされたならば、その輝きは劣るのであり、神の清さには及ばないことを比喩として示しています。

25:6 まして、うじ虫でしかない人間、虫けらでしかない人の子はなおさらだ。

 そして、人は、蛆虫のようなものです。人の子は、清くあり得ないのだと。