ヨブ記23章

23:1 ヨブは答えた。

23:2 今日もまた、私の嘆きは激しく、自分のうめきのゆえに私の手は重い。

 ヨブの言葉は、二十二章のエリファズの後半の言葉を受けてのものです。そこでは、正しい人が祝福を受けることが語られています。しかし、ヨブは、自分関しては、罪を犯していないのに、苦難が与えられました。それが、彼の罪のためであるのか、別の理由があるのが示されていません。それは、神の主権に関わることで、知らされていないのです。彼が恐れているのは、罪のために責められているとすれば、神と共に歩む命を経験できないことになります。ですから、苦難の理由を知りたいと願ったのです。

 ヨブの口から出る言葉は、反抗的で、うめきのために手は重く、事をなすことができないのです。

 彼は、神に訴えたいと言います。神と論じたいと。それは、彼が苦しみを受けている理由を知りたいからです。しかし、神の前に訴えることが反抗的であることも承知していました。

 彼は、その理由がわからないのでうめくのです。死ぬことが御心であるならば、それも喜んで受け入れることができます。しかし、理由がわからず、ただ苦しむことについてうめいているのです。彼が神の御心に適っているのかいないのかわからないのです。ですから、神の御心を確信して行動することができないのです。それで、手が重いと言っています。

・「嘆き」→発話。話。不平。瞑想。祈り。

・「激しい」→苦い。反抗的。

23:3 ああ、できるなら、どこで神に会えるかを知って、その御座にまで行きたいものだ。

 ヨブは、神に会うことを望みました。

23:4 私は神の御前に自分の言い分を並べて、ことばを尽くして訴えたい。

 そして、神に自分の言い分を全て語り、言葉を尽くして訴えたいと。彼は、災いを受ける前に、その様な態度は取りませんでした。神の主権を認め、神を恐れていました。しかし、彼は、神の御心を知ることを願い、この様に言っています。

23:5 神が私に答えることばを知り、神が私に言われることをわきまえ知りたい。

 神がそれに対してどのようにお答えになるかを知りたいと。神が彼に言われることをわきまえ知りたいと言い、彼が今最も願っていることを言い表しています。彼に関しての神の御心を知りたいのです。

23:6 神は強い力で私と争われるだろうか。いや、むしろ私に心を留めてくださるだろう。

 彼は、神が自分と強く争われるとは思えませんでした。彼の悪のために彼に対して裁きをしているとは言われないと考えていました。むしろ、彼に心を留めてくださるだろうと。

23:7 そこでは正直な人が神と論じ合うことができ、私は、とこしえにさばきを免れるだろう。

 もし、そのような場に行けるならば、正直な人が神と論じ合うことができ、自分もその一人としてとこしえに裁きを免れるだろうと。彼は、神に受け入れられることを確信していました。

23:8 だが見よ。私が前へ進んでも、神はおられず、うしろに行っても、神を認めることができない。

 しかし、神は彼には何もお答えになられません。

23:9 左に向かって行っても、神を見ることはなく、右に向きを変えても、会うことができない。

 神にお会いすることができないのです。

23:10 しかし神は、私の行く道を知っておられる。私は試されると、金のようになって出て来る。

 神に会って論じることはできないにしても、神はヨブの歩みを知っておられると。それで、ヨブが試されると、彼は、金のように精錬されて出てくることができると確信していました。彼には、悪い点はないのだと。

23:11 私の足は神の歩みにつき従い、神の道を守って、それたことがない。

 彼の歩みについて考えるならば、彼は、神に付き従っていました。神の道を守って逸れたことがなかったのです。

・「付き従い」「守って」→完了態。完結したことを表す。

・「それたことがない」→未完了態。継続していること、進行していることを表す。

23:12 私は神の唇の命令から離れず、自分の定めよりも神の口のことばを蓄えた。

 神の言葉からずっと離れず、自分の定めよりは、神の言葉を蓄え、それを守ったのです。

23:13 しかし、みこころは一つである。だれがその御思いを翻せるだろうか。神はご自分が欲するところを行われる。

 ヨブがそのように正しい歩みをして来たとしても、神の御心の通りになるのであり、その御心は、一つです。その御心を誰も翻すことはできないのです。神が欲することを行なわれるからです。

23:14 神は、私について定めたことを成し遂げられる。神にはそのような多くの定めがあるからだ。

 それで、ヨブについて定められたことを成し遂げられるのです。神には、そのように多くの定めがあり、ご計画があるのです。

23:15 それで私は、神の御前でおびえ、思いを巡らして、神を恐れているのだ。

 それで、ヨブは、怯え、思いを巡らしして、神を恐れていました。その理由は、十七節に示されます。

・「怯え」→恐れおののく。

23:16 神は私の心を弱くされた。全能者が私をおびえさせられたのだ。

 ヨブの心は、神によって弱くされました。全能者が怯えさせているのです。

23:17 しかし、闇によって私が黙らされることはない。私の顔が暗黒におおわれていても。

 なぜならば、暗闇によっても、顔が暗黒に覆われても、自分に終止符が打たれることはないからです。理由がわからないまま、死ぬことも無く、苦しみが続いているからです。

 闇、暗黒は神の御心が示されない状態のことを指しています。その様な中で、ヨブは、今、御心を知ることができないことで苦しんでいます。それで、彼の心は弱くなり、怯えているのです。

・「しかし」→なぜならば。

・「黙らされる」→終止符を打つ。